アフガニスタン・イスラム共和国
(Islamic Republic of Afghanistan)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年2月現在)

一般事情

1.面積

652,225平方キロメートル(日本の約1.7倍)

2.人口

3,000万人(2008年:国連アフガニスタン支援ミッション)

3.首都

カブール

4.人種

パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等

5.言語

公用語であるダリー語、パシュトゥー語の他、ハザラ語、タジク語等

6.宗教

イスラム教(主にスンニー派のハナフイ学派であるが、ハザラ人はシーア派)

7.略史

 長年の他民族による支配の後、1747年ドゥラーニー王朝成立。バラクザイ王朝(1826〜1973年)下の1880年、英国の保護領となるが、1919年独立を達成。1973年7月共和制に移行後、1978年4月軍部クーデターにより人民民主党政権成立。1979年12月ソ連の軍事介入のもとカルマル政権成立。1986年5月ナジブラが書記長就任。1989年2月ジュネーブ合意に基づき、駐留ソ連軍の撤退完了。1992年4月ムジャーヒディーン・ゲリラ勢力の軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊し、ムジャーヒディーン政権が成立するが、各派間の主導権争いにより内戦状態が継続。1994年頃から、イスラムへの回帰を訴えるタリバーンが勢力を伸ばし、1996年9月に首都カブールを制圧、1999年までには国土の9割を支配するに到った。2001年10月より、米国同時多発テロ事件を機とする米・英等によるアル・カーイダ及びタリバーンに対する軍事行事が行われ、12月には北部同盟等がタリバーン支配地域を奪還した。アフガニスタン各派の代表は今後の和平プロセスに関する合意を達成し(ボン合意)、2002年6月にはこの合意に基づき緊急ロヤ・ジェルガが開催され、カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立した。憲法制定ロヤ・ジェルガの開催により、2004年1月に新しい憲法が制定された。同年10月9日に第一回大統領選挙が行われ、カルザイ大統領が当選(12月7日、大統領就任式典)。その後、2009年8月に第二回大統領選挙が実施され、カルザイ大統領は当選の要件である過半数の得票に届かなかったものの、対立候補が決選投票を辞退したために再選(同年11月19日大統領就任式典)。

政治体制・内政

1.和平プロセス

(1)ボン合意(2001年12月5日)

 国連の呼びかけで開催されたアフガニスタン各派代表者会議において達成。

 1)暫定行政機構、緊急ロヤ・ジェルガ招集のための特別独立委員会、最高裁判所からなる暫定政権を設立。

 2)暫定政権はアフガニスタンの主権を有し、対外的にアフガニスタンを代表する。

 3)暫定政権設立後6ヶ月以内に緊急ロヤ・ジェルガを招集。移行政権を決定。

 4)移行政権設立後18ヶ月以内の憲法制定ロヤ・ジェルガ招集、緊急ロヤ・ジェルガ開催から2年以内の選挙を経て、国民を完全に代表する政権樹立。

(2)暫定政権発足
 2001年12月22日に暫定政権が発足。
暫定行政機構は、カルザイ議長以下、5名の副議長を含む30名の閣僚で構成。

(3)緊急ロヤ・ジェルガ(2002年6月11〜19日)
 6月11日〜19日まで、カブールにおいて緊急ロヤ・ジェルガ(代議員1,650名が参加)が開催され、1)カルザイ暫定政権議長がアフガニスタン移行政権の大統領に選出され、2)移行政権主要閣僚及び最高裁判所長官の人事が承認された。

(4)憲法制定ロヤ・ジェルガ(2003年12月14日〜2004年1月4日)
 アフガニスタン全土から502名の代議員が出席し、憲法制定ロヤ・ジェルガが行われ、民主的な手続きを通じて新しいアフガニスタンの憲法が採択(同月26日発布)された。

(5)大統領選挙(2004年10月9日)
 アフガニスタン全土およびイラン、パキスタンで投票が実施され、11月3日、カルザイ大統領が55.4%を得票して当選した。

(6)国会下院・県議会選挙(2005年9月18日)
 アフガニスタン全土で実施され、下院議員249人と県議会議員420人が当選した。得票率は約50%。同年12月19日の国会開会をもってボンプロセスは完了した。

(7)大統領選挙(2009年8月20日)
 アフガニスタン全土で実施。カルザイ大統領をはじめとするいずれの候補者も当選の要件である過半数の得票に届かなかったものの、対立候補(アブドッラー元外相)が決選投票を辞退したためにカルザイ大統領が再選した。

(8)国会下院選挙(2010年9月18日)
 アフガニスタン全土で実施され、下院議員249人が当選した。2011年1月26日に国会が開会。

2.政体

共和制

3.元首

ハーミド・カルザイ大統領

4.議会

経済

1.主要産業

農業(小麦、大麦、ジャガイモ、米、アーモンド、サトウキビ等)(2008年アフガニスタン中央統計局 Afghanistan Statistical Yearbook)

2.GDP

116.3億ドル(2007年:世銀)

3.経済成長率

22.5%(2010年:世銀)

4.物価上昇率

-12.0%(2010年:世銀)

5.失業率

不明

6.総貿易額

輸出:5.45億ドル(2008年:世銀統計)
輸入:30.02億ドル(2008年:世銀統計)

7.主要貿易品

(輸出)アーモンド、レーズン、ピスタチオ、スモモ、ザクロ、ブドウ、リンゴ等

(輸入)自動車、ガソリン、鉄鋼、自動車部品、サラダ油、ポリエステル繊維(2008年アフガニスタン中央統計局 Afghanistan Statistical Yearbook)

8.主要貿易相手国

(輸出)パキスタン、ロシア、インド、UAE、イラン

(輸入)ウズベキスタン、パキスタン、中国、日本、イラン、インド(2008年アフガニスタン中央統計局 Afghanistan Statistical Yearbook)

9.通貨

アフガニー

10.為替レート

1$=約49アフガニー

11.経済概況

 アフガニスタンでは、20年以上の内戦を通じて経済社会インフラが壊滅的な打撃を受けたが、タリバン政権崩壊後、国際社会の支援を通じて復興が進展。これまでに国家統治機構整備プロセスが完了した他、避難民の帰還(500万人)、教育(就学人数が100万人以下(2001年)から700万人(2009年)等の分野で改善がみられている。他方、同国は依然として最貧国であり、2009年のUNDP人間開発指数でアフガニスタンは182ヶ国中181位。今後の復興・開発に不可欠の基礎的インフラは未だ未整備の部分が多く、麻薬依存経済からの脱却、地方への支援拡大も課題。

経済協力

日本の援助実績

(1)1990年までの累計

(イ)有償資金協力 7.20億円
(ロ)無償資金協力 61.90億円
(ハ)技術協力 22.96億円、研修員受入437人、専門家派遣121人等

(2)1997年

緊急無償地震災害0.75億円

(3)1998〜1999年:アズラ計画

UNHCR等の国際機関に221万ドル拠出

(4)1999〜2001年:拡大アズラ計画

UNHCR等の国際機関に340万ドル拠出

(5)2001年10月以降

日本のアフガニスタン復興支援
総額約25億ドル

(内訳)

1.人道支援:総額約4億100万ドル(2001年10月以降)

2.復興などへの支援:総額約21億1,400万ドル(2002年1月以降)

1)政治プロセス・ガバナンス:総額約2億9,900万ドル
(イ)アフガニスタン政府の行政経費支援:約1億6,400万ドル
(ロ)メディア支援:約2600万ドル
(ハ)選挙支援:1億300万ドル
(ニ)国勢調査:600万ドル
2)治安の改善:総額約6億7,900万ドル
(イ)DDR及びDIAG:約2億6,700万ドル
(ロ)地雷対策:約5,700万ドル
(ハ)警察支援:約3億1,900万ドル
(ニ)麻薬対策・国境管理:約3,200万ドル
(ホ)武器弾薬管理:約400万ドル
3)復興:総額約11億3,600万ドル
 (イ)インフラ整備:約3億900万ドル
 (ロ)保健・医療:約1億1,700万ドル
 (ハ)教育:約8,400万ドル
 (ニ)難民・国内避難民支援:約1億2,900万ドル
 (ホ)農業・農村開発:約1億8,100万ドル
 (ヘ)NGOを通じた支援:約9,900万ドル
 (ト)JICAによる技術協力:約1億8,300万ドル
 (チ)その他:約3,400万ドル

二国間関係

1.政治関係

(1)1930年11月19日、修好条約署名(1931年7月26日発効)。1979年12月以降アフガニスタンの累次政権を政府として承認していなかったが、2001年12月22日、アフガニスタン暫定政権への政府承認を行った。

(2)1934年11月、在カブール日本国公使館開設。(1955年12月、大使館に昇格)。1979年12月以降臨時代理大使レベルであったが、1989年2月より一時閉鎖。2002年2月19日再開(駒野臨時代理大使、4月26日大使に昇格)。

(3)1933年10月、在京アフガニスタン公使館開設。(1956年5月、大使館に昇格)。1997年より事実上閉館状態にあったが、2002年12月16日再開。

2.経済関係

対日貿易(出典:財務省貿易統計)

(イ)日本への輸出  約4,257万円(2009年)
(ロ)日本からの輸入 約105億6,971万円(2009年)

3.日本のアフガニスタン支援(今後の方針)

2009年11月、我が国はアフガニスタンに対し、以下を柱とし、早急に必要とされる約800億円の支援を行うとともに、これまでに約束した総額約20億ドル程度の支援に代えて、今後のアフガニスタンの情勢に応じて、2009年から概ね5年間で、最大約50億ドル程度までの規模の支援を行う旨を発表

(1)アフガニスタン自身の治安能力の向上のための支援
警察支援等を実施し、アフガニスタン自身の治安能力の向上を最大限支援する。

(2)元タリバーン等兵士の社会への再統合のための支援
反政府勢力の社会への再統合と長期的な和解のため、元タリバーンの末端兵士の再統合に取り組むことが重要であり、元兵士に対する職業訓練、雇用機会創出のための小規模プログラム等に対する財政的支援を行う。

(3)アフガニスタンの持続的・自立的発展のための支援
アフガニスタンの持続的・自立的発展のため、農業・農村開発、インフラ整備(エネルギー分野を含む)、教育、医療・保健等の基礎生活分野等の支援をニーズに合わせて実施する。

4.文化関係

 日本は、2003年7月のユネスコ世界遺産委員会で世界遺産リストに登録されたバーミヤンの仏教遺跡等、アフガニスタンの文化財の保護に高い関心を有しており、現在、ユネスコを通じて、バーミヤン遺跡保存事業に対する支援を実施中。
 その他、留学生の受け入れ、日本の伝統音楽(尺八)演奏会の開催をはじめ、柔道指導家の招へい研修、2006年のアジア大会のためのレスリング指導者の派遣、及びアフガニスタン教育大学に対する陸上競技等のスポーツ器材供与、アフガニスタン柔道連盟に対する柔道器材の供与等、ポーツ分野での交流・協力が行われている。

5.在留邦人数

161人(2011年2月1日現在)

6.要人往来

(1)往

年月 要人名
1971年 皇太子同妃両殿下(当時)
2001年12月 植竹外務副大臣
2002年1・6月 緒方貞子アフガニスタン支援総理特別代表
2002年4・8月 松浪外務大臣政務官
2002年5月 川口外務大臣
2002年5月 岸田文部科学副大臣
2002年8月 渡部衆議院副議長
2002年9月 杉浦外務副大臣
2002年12月 新藤外務大臣政務官
2003年7月 緒方貞子アフガニスタン支援総理特別代表
2003年11月 田中外務大臣政務官
2004年7・12月 逢沢外務副大臣
2004年12月 緒方貞子アフガニスタン支援総理特別代表
2005年4月 町村外務大臣
2006年11月 関口外務大臣政務官(総理特使)
2007年7月 松浪政府特派大使(ザーヒル・シャー国父葬儀参列)
2007年12月 緒方JICA理事長
2008年5月 高村外務大臣
2008年11月 緒方JICA理事長(総理特使)
2009年3月 山崎拓衆議院議員(総理特使)
2009年10月 岡田外務大臣
2009年11月 福山外務副大臣(大統領就任式)
2010年3月 緒方JICA理事長
2010年7月 岡田外務大臣(カブール会議出席)

(2)来

年月 要人名
2002年1月 カルザイ議長、アルサラ副議長、アブドラ外務大臣
2002年4月 アミン教育大臣
2002年7月 ラヒーン情報文化大臣
2002年12月 アブドラ外務大臣
2003年2月 カルザイ大統領
2003年3月 アブドラ外務大臣
2004年2月 ワルダック殉教者、障害者大臣
2004年3月 カヌニ教育大臣
2004年3月 ガーニ財務大臣
2004年8月 ファエズ高等教育大臣
2005年5月 アブドラ外務大臣
2005年10月 ラヒーン情報文化大臣
2006年1月 アハディ財務大臣
2006年6月 スバンタ外務大臣
2006年7月 カルザイ大統領、ジア農村開発復興大臣
2006年11月 ムジャディディ上院議長
2007年2月 スタナクザイ大統領顧問
2007年5月 アトマル教育大臣
2007年6月 ハリリ副大統領、ジア農村開発復興大臣
2007年11月 アハディ財務大臣
2008年2月 スパンタ外相他閣僚計13名
2008年11月 アルサラ筆頭大臣
2009年3月 スタナクザイ大統領顧問
2009年3月 ポパル・アフガニスタン独立地方ガバナンス局長官
2010年3月 ラヒーミー農業灌漑牧畜大臣
2010年3月 ワルダック教育大臣
2010年6月 カルザイ大統領、ラスール外務大臣、ザヒールワル財務大臣、スパンタ大統領顧問、スタネクザイ大統領顧問

7.外交使節

(1)アフガニスタン・イスラム共和国駐箚日本国大使  高橋礼一郎特命全権大使

(2)日本国駐箚 アフガニスタン・イスラム共和国大使  セイエド・ムハンマド・アミーン・ファテミ特命全権大使