アルゼンチン共和国
(Argentine Republic)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
278万平方キロメートル(我が国の約7.5倍)
2.人口
3,988万人(2008年世銀)
3.首都
ブエノスアイレス(Buenos Aires)
4.民族
欧州系(スペイン、イタリア)97%、先住民系3%
5.言語
スペイン語
6.宗教
カトリック等
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1816年 | 独立 |
1946年 | ペロン政権の成立 |
1973年 | 軍部介入など変遷の後再度ペロン大統領が就任 |
1976年 | クーデターにより軍事政権成立 |
1982年4〜6月 | フォークランド(マルビーナス)諸島紛争 |
1983年12月 | アルフォンシン大統領就任(民政移管) |
1989年7月 | メネム大統領就任 |
1995年7月 | メネム大統領再度就任 |
1999年12月 | デ・ラ・ルア大統領就任 |
2002年1月 | ドゥアルデ大統領就任 |
2003年5月 | キルチネル大統領就任 |
2007年12月 | フェルナンデス・デ・キルチネル大統領就任 |
政治体制・内政
1.政体
立憲共和制
2.元首
大統領(クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル)(任期4年、1回限りの連続再選可)
3.議会
二院制(上院72議席(任期6年)、下院257議席(任期4年)。上院議長は副大統領が兼任)
4.政府
(1)首相名 アニバル・フェルナンデス
(2)外相名 エクトル・ティメルマン
5.内政
第二次大戦後、軍政が断続的に続いていたが、1982年の英国とのフォークランド(マルビーナス)諸島紛争での敗北により、軍部が退陣し、1983年のアルフォンシン政権(急進党)成立により民政へ移管。しかし、同政権は経済運営に失敗、社会的混乱を招く。1989年より2期、1999年まで亘るメネム政権(ペロン党)では、自由開放経済政策を推進し、高い成長率を達成。しかし政権末期には経済成長が減速し、汚職疑惑が顕在化して政権支持率は低迷、デモ、ストも頻発。1999年12月に発足したデ・ラ・ルア政権(急進党)は、2001年11月の経済・金融危機に端を発した社会騒擾により任期半ばで辞任(同年12月)。この後、ロドリゲス・サア、ドゥアルデ暫定政権を経て、2003年4月に繰り上げ実施された大統領選挙の結果、同年5月、キルチネル政権(ペロン党)が発足。未曾有の経済社会危機後の国民の結束もあり、キルチネル大統領は就任直後から力強いリーダーシップを発揮し、経済及び社会的安定の回復を達成。2007年10月の大統領選挙では、夫人のフェルナンデス・デ・キルチネル上院議員(ペロン党)がキルチネル政権の政策の継承を主張して当選。12月10日、選挙で選ばれた初めての女性大統領として就任。輸出課徴金の改正をめぐる農牧団体との対立の深刻化、インフレの亢進及び国際金融危機等による支持率の低下を受け、2009年10月の議会選挙を6月に前倒し実施。キルチネル派は信任を得られず、上院及び下院で過半数を失うこととなった。この選挙結果を受け、キルチネル前大統領は、ペロン党党首を辞任(2010年3月再び党首に復帰)し、首相、経済・財務相が交代。2010年10月キルチネル前大統領が急逝。2011年10月、大統領選挙予定。
外交・国防
1.外交基本方針
- 南米南部共同市場(メルコスール)の戦略的同盟の強化。
- 国連平和維持活動に積極的に貢献(特にハイチの安定化のための要員派遣)。
- フォークランド(マルビナス)諸島の主権の主張を継続。
- 対米関係は、テロ、麻薬、核不拡散等安全保障面を中心に基本的に良好。
2.軍事力
(1)国防支出 22.2億ドル(2009年)
(2)兵役 志願制(1994年12月に徴兵制度廃止)
(3)兵力 陸軍38,500人、海軍20,000人、空軍14,600人(2009年)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
農牧業(油糧種子、穀物、牛肉)
工業(食品加工、自動車)
2.GNI(名目)
2,872億ドル(2008年、世銀)
3.一人当たりGNI(名目)
7,190ドル(2008年、世銀)
4.経済成長率(名目GDP)
[2000年] | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|
経済成長率(名目GDP) | -0.8% | 8.5% | 8.7% | 7.0% |
(世銀)
5.物価上昇率
[2000年] | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|
物価上昇率 | 1.0% | 13.5% | 14.1% | 19.5% |
(世銀)
6.失業率
2003年第4四半期 | 2005年第4四半期 | 2007年第4四半期 | 2009年第4四半期 | |
---|---|---|---|---|
失業率 | 14.5% | 10.1% | 7.5% | 8.4% |
(アルゼンチン統計局)
7.総貿易額
(1)輸出 685億ドル
(2)輸入 564億ドル
(2008年、アルゼンチン統計局)
8.主要貿易品
(1)輸出 燃料、大豆油かす、自動車、動植物油、穀物
(2)輸入 機械、自動車、電気機器、化学製品
9.主要貿易相手国・地域
(1)輸出 ブラジル、中国、米国、チリ
(2)輸入 ブラジル、中国、米国、ドイツ
(2008年、アルゼンチン統計局)
10.通貨
ペソ
11.為替レート
1米ドル=4.07ペソ(変動相場制、2011年5月現在)
12.対外債務
1,406億ドル(2009年第2四半期現在)
13.経済概要
1990年代には、兌換制(1ドル=1ペソの固定相場)の下で、自由開放経済政策を促進。この結果、ハイパーインフレの収束、投資の増加により、高い成長率を達成。しかし、1999年1月のブラジル金融危機の影響もあり、次第に景気が低迷し、2001年後半には金融不安が金融危機や全般的な経済危機に転化。政府は対外債務の支払い停止、兌換制の放棄(自由変動相場制への移行)を行い、IMFとの交渉を行ったが難航し、2003年1月に暫定合意。2003年5月に発足したキルチネル政権は、社会政策の重視を表明。ペソ安や一次産品市況の好調による輸出の増加と賃金・年金の引き上げによる内需の拡大により、経済回復に成功し、高成長を維持。対外的にはIMF等の圧力に屈しないとの姿勢を示し、IMFとの合意に基づく経済構造改革を中断して、2005年2月には、民間債務再編を強行。右再編に参加出来なかった債権者の取り扱いが課題。また、2006年1月に対IMF債務全額を返済したことから、IMFとの合意プログラムがキャンセルとなり、パリクラブにおける公的債務問題解決の目処が立たなかったが、2008年9月、フェルナンデス・デ・キルチネル大統領は、パリクラブ債権国への債務を一括返済するための大統領令に署名。同大統領は高成長率の維持、財政・貿易黒字の維持等を公約としていたが、インフレの高進、エネルギー価格の高騰を抑えるための財政支出の増大、輸出課徴金を巡る農牧団体との対立や国際金融危機の影響等を受けた。2010年4月及び12月、アルゼンチン政府は、2005年の債務再編に参加しなかった民間債権者に対する債券交換を改めて提示した。
経済協力
1.日本の援助実績
(1)有償資金協力(2008年度まで、E/Nベース) 81.5億円
(2)無償資金協力(2008年度まで、E/Nベース) 57.7億円
(3)技術協力実績(2008年度まで、JICAベース) 451.5億円
2.主要援助国
(1)西(21.7) (2)仏(16.8) (3)日(15.1) (4)独(11.9) (5)米(7.8)
(2007年、DAC、百万ドル)
二国間関係
1.概況
1898年2月に外交関係樹立。日本とアルゼンチンは、日系人の存在もあり伝統的に友好協力関係を維持してきている。1980年代にはフォークランド(マルビナス)諸島紛争や累積債務問題等の政治的経済的混乱により、日本との関係は若干停滞気味となったが、メネム政権発足後は、アルゼンチンの政治経済情勢が急速に好転したこともあり、二国間関係の緊密化が進んだ。日亜修好100周年の1998年には、人物交流も活発化し両国で各種記念事業が実施された。2001年末の経済・金融危機後、貿易・投資関係は低調となったが、その後徐々に日本企業の新規投資の増加傾向もみられるようになった。但し、公的・民間債務問題が依然として経済関係の大幅な進展の障害となっている。日本の対アルゼンチン公的債権額は約23億ドル。
2.経済関係
(1)対アルゼンチン貿易
- (イ)貿易額(2009年 財務省「貿易統計」)
- 輸出 748.5億円
輸入 874.1億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 一般機械、自動車、自動車部品
輸入 銅鉱石、魚介類、アルミ
(2)日本からの直接投資
182件、11.39億ドル(1951〜2004年度累計)
3.文化関係
文化無償14件、計6.43億円
草の根文化無償2件、1,652万円
(2008年度までの累計)
4.在留邦人数
11,696名(2008年10月)(右に加え、日系人約23,000名が在住)
5.在日当該国人数
3,484名(2009年、法務省)
6.要人往来
(1)往(1959年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1959年 | 岸総理 |
1966年 | 椎名外相 |
1967年 | 皇太子同妃両殿下 |
1970年 | 愛知外相 |
1979年、1981年 | 園田外相 |
1983年 | 徳永前参院議長(特派大使) |
1989年 | 小渕前官房長官(特派大使) |
1990年 | 土屋参議院議長(上院議長招待) |
1991年 | 高円宮同妃両殿下 |
1992年 | 竹下元総理 |
1994年 | 河野外相 |
1995年 | 水野清元建設相(特派大使) |
1997年 | 天皇皇后両陛下 |
1998年 | 秋篠宮同妃両殿下 |
1999年 | 谷川元法相(特派大使) |
2003年 | 衛藤元防衛庁長官(特派大使) |
2004年 | 有馬政務代表、小池環境大臣(COP10)、小野寺外務政務官(COP10) |
2006年 | 扇参議院議長 |
2007年 | 松岡農水相、菅総務相、尾身前財務相(特派大使) |
2008年 | 高円宮妃殿下 |
2009年 | 西村外務大臣政務官、増田元総務相(総理特使) |
(2)来(1961年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1961年 | フロンディシ大統領 |
1979年 | ビデラ大統領 |
1984年 | カプート外相(外務省賓客) |
1986年 | アルフォンシン大統領(国賓) |
1987年 | カプート外相 |
1988年 | プグリエッセ下院議長 |
1989年 | マルティネス副大統領(大喪の礼出席)、カバーロ外相(以後、経済相時代を含め、1996年7月まで13回訪日) |
1990年 | メネム大統領(即位の礼出席) |
1991年 | ディ・テラ外相(外務省賓客) |
1993年 | ディ・テラ外相、メネム大統領(公式実務訪問賓客) |
1996年 | ディ・テラ外相(外務省賓客) |
1997年 | ルカウフ副大統領(参議院招待) |
1998年 | メネム大統領(国賓) |
2001年 | ジャバリーニ外相(外務省賓客) |
2003年 | ビエルサ外相(外務省賓客) |
2005年 | ゴンサレス厚生環境大臣、ラバーニャ経済大臣(IDB沖縄総会)、メイヤー観光長官(万博賓客) |
2008年 | ノファル投資庁長官、サラス通信庁長官、バラニャオ科技大臣 |
2009年 | バラニャオ科技大臣 |
2010年 | タイアナ外相 |
2011年 | ティメルマン外相 |
7.二国間条約・取極
1962年 査証免除取極
1963年 移住協定
1967年 友好通商航海条約
1976年 海運及び航空所得相互免除取極
1981年 技術協力協定、文化協定