ベナン共和国
(Republic of Benin)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)
一般事情
<アフリカにおける民主化のモデル国>
1.面積
112,622平方キロメートル(日本の約3分の1)
2.人口
890万人(2009年、世銀)
3.首都
ポルトノボ(Porte Novo)
4.民族
フォン族、ヨルバ族(南部)、アジャ族(モノ、クフォ川流域)、バリタ族、プール族(北部)、ソンバ族(アタコラ山地、トーゴ間)等46部族
5.言語
フランス語(公用語)
6.宗教
伝統的宗教(65%)、キリスト教(20%)、イスラム教(15%)
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1946年 | 仏海外領土 |
1960年8月 | 独立宣言(ダホメ共和国) |
1963〜1972年 | 5度の軍事クーデター |
1972年10月 | ケレク大統領就任 |
1975年11月 | 国名変更(ベナン人民共和国) |
1979年11月 | 国民革命議会人民委員選挙(民政移管) |
1989年12月 | マルクス・レーニン主義放棄 |
1990年3月 | 1977年共和国基本法を停止 国民革命議会解散、国名を「ベナン共和国」に変更 新内閣成立ソグロ新首相選出 |
1991年3月 | ソグロ大統領選出 |
1993年6月 | 最高裁判所設立 |
1996年3月 | ケレク大統領返り咲き、ウンベジ首相新内閣発足 |
1998年5月 | ウンベジ首相辞任、ケレク大統領新内閣発表 |
1999年3月 | 国民議会選挙 |
2001年3月 | 大統領選挙、ケレク大統領再選 |
2003年3月 | 国民議会選挙 |
2006年3月 | 大統領選挙、ボニ・ヤイ大統領選出(4月就任) |
2006年4月 | 新政権発足 |
2007年5月 | 国民議会選挙 |
2008年10月 | 内閣改造 |
2009年6月 | 内閣改造 |
2011年3月 | ボニ・ヤイ大統領再選(4月就任) |
2011年5月 | 新内閣発足 |
政治体制・内政
<民主化への努力>
1.政体
共和制
2.元首
ボニ・ヤイ大統領(Boni YAYI)(任期5年、次回選挙は2016年3月)
3.議会
国民議会(83議席、任期4年、次回選挙は2015年)
4.政府
(1)大統領 ボニ・ヤイ
(2)外相 ナシル・バコ・アリファリ外務・アフリカ統合・仏語圏・在外ベナン人大臣(Nassirou BAKO-ARIFARI)
5.内政
独立以来、軍事クーデターが頻発。1972年に就任したケレク大統領は、1974年マルクス・レーニン主義に基づく社会主義を国是とすることを宣言。以後穏健で現実的な政策により安定を維持するが、経済状況の悪化及び東欧の激動をうけ1989年マルクス・レーニン主義を放棄。1990年3月には、元世銀理事のソグロを新首相に選出。1991年3月にソグロが大統領に選出され1993年6月最高裁判所、1994年5月社会経済評議会、7月には報道監視委員会が設置され、民主的国家機構の整備が完了。1996年3月に実施された大統領選挙において返り咲いたケレク大統領は、民主化と経済構造調整を引き続き推進。2001年3月の大統領選挙ではケレク大統領が再選。2003年3月には国民議会選挙が実施され、大統領派が議席の過半数を獲得。2006年3月の大統領選挙では、ボニ・ヤイ前西アフリカ開発銀行総裁が当選。なお、ケレク前大統領、ソグロ元大統領は憲法規定を遵守しこの選挙には立候補しなかった。2011年3月の大統領選挙で、ボニ・ヤイ大統領が再選を果たした。
外交・国防
<先進諸国との関係強化>
1.外交基本方針
従来より社会主義国として東側諸国と緊密な関係にあったが、1989年にマルクス・レーニン主義を放棄した後は西側先進国との関係強化を進めた。歴代大統領は、特にアジア諸国との経済面を含む関係強化を目指しており、1990年に韓国、1994年にシンガポール・ブルネイ・インドネシア、及び1995年にマレーシアと外交関係を樹立している。一方、隣国であり地域大国であるナイジェリアとの関係は、その経済的な重要性に反して不安定なものであったが、国境画定や経済面での協力と言った点で近年改善が見られる。ベナンはECOWAS(1975年設立)の設立メンバー国であり、複数の地域的な経済機関及び安全保障機関に加盟している。
2.軍事力
(1)国防費 79百万ドル(2009年)
(2)兵役 18ヶ月
(3)兵力 7,250人(陸軍4,300人、空軍250人、海軍200人、憲兵隊2,500人)(2009年)
経済(単位 米ドル)
<経済構造調整の模範国>
1.主要産業
農業(綿花、パームオイル)、サービス業(港湾業)
2.GNI
67.2億米ドル(2009年、世銀)
3.一人当たりGNI
750米ドル(2009年、世銀)
4.経済成長率
3.8%(2009年、世銀)
5.物価上昇率
1.2%(2009年、世銀)
6.失業率
N/A
7.総貿易額(2009年)
(1)輸出 1,029百万ドル
(2)輸入 1,589百万ドル
8.主要貿易品(2009年)
(1)輸出 綿花、再輸出品
(2)輸入 食品、石油製品
9.主要貿易相手国(2009年)
(1)輸出 インド、中国、ナイジェリア、ニジェール
(2)輸入 中国、米国、フランス、タイ
10.通貨
CFAフラン
11.為替レート
655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)
12.経済概況
ベナン経済を左右する要因は、綿花産業とコトヌ港での港湾サービス業である。ベナン経済の抱える難点は、産業の多角化が進んでおらず、更にナイジェリアとの関係悪化が貿易量の減少に直結してしまう経済構造にある。綿花産業を含む第一次産業は、2008年のGDPの約30%、労働人口の50%を占めている。綿花価格の低下や、若干持ち直したものの綿花の生産量が減少している事実、さらにコトヌ港がロメ港(トーゴ)との熾烈な競争に晒されている点などが、ベナン経済の不安材料になっている。財政的には、1980年代に陥った破綻状況から立て直すため、世銀・IMFによる構造調整計画を受け入れ、2003年3月PRSP(貧困削減戦略ペーパー)完了時点に到達、460百万ドルの対外債務が削減された。同国に対する援助国・機関の評価は高い。
13.対外債務
11億ドル(2009年、世銀)
経済協力(単位 億円)
<基礎生活分野における協力>
1.日本の援助実績(2009年度までの累積)
(1)有償資金協力(EN(交換公文)ベース) 37.62億円
(2)無償資金協力(EN(交換公文)ベース) 315.25億円
(3)技術協力実績(JICAベース) 47.01億円
2.主要援助国(2008年、OECD/DAC)(単位:百万ドル)
(1)フランス(66.4) (2)デンマーク(48.2) (3)ドイツ(46.6) (4)オランダ(35.3) (5)米(34.6)
二国間関係
ヤイ大統領は2006年7月、アフリカを除く初の海外公式訪問として訪日し、また2008年5月のTICAD IVにも参加する等、日本への関心は高い。
1.政治関係
1960年8月1日ベナンを承認。2010年1月、コトヌに在ベナン日本大使館を開館。先方は2002年11月に在京大使館を開設した。両国関係は一般的に良好であり、特に経済協力関係の強化等が進展。
2.経済関係
(1)貿易額(単位:百万円)
2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|---|---|
輸出 | 52 | 0.73 | 6.5 | 8.9 | 4.2 | N/A |
輸入 | 1,605 | 1,440 | 2,108 | 1,910 | 2,361 | 2,367 |
(2)主要品目
- 輸出 木製家具(部品)等
輸入 セメント類、自動車類、ゴム製品等
3.文化関係
文化無償により1994年教育・文化各組制作機材(べナン放送局)を供与した。
4.在留邦人数
105人(2010年11月現在)
5.在日当該国人数
34人(2009年現在)
6.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2000年12月 | 日・ベナン友好議員連盟、菅原喜重郎、熊谷市雄、大野松茂、嘉数知賢(衆)議員 |
2004年1月 | 田中和徳外務大臣政務官 |
2004年9月 | 西川公也(衆)議員 |
2004年12月 | 平沢勝栄、竹本直一、渡辺周、松本謙公、原口一博(衆)議員 |
2006年7月 | 日・AU友好議員連盟(三原朝彦、三ッ矢憲生、西村明宏(衆)議員) |
2007年7月 | 岩屋外務副大臣 |
2010年8月 | 糸川正晃(衆)議員 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1962年11月 | ザンスー外務大臣 |
1963年9月 | コベール・アカ大統領 |
1988年4月 | ダンコロ運輸大臣 |
1989年2月 | ゲゾ国家革命議会議長(大喪の礼)、ハズメ外務大臣(大喪の礼) |
1990年11月 | ソグロ大統領(即位の礼)、ナタ外務大臣(即位の礼) |
1991年4月 | ナタ外務大臣 |
1993年10月 | ソグロ大統領(TICAD(アフリカ開発会議))、ロベール・ドス外務大臣(TICAD(アフリカ開発会議))、ポール・ドス大蔵大臣(TICAD(アフリカ開発会議))、ロベール・タニョン計画大臣(TICAD(アフリカ開発会議)) |
1994年2月 | ソグロ大統領(公式実務)、ロベール・ドス外務大臣(公式実務)、ポール・ドス大蔵大臣(公式実務)、ロベール・タニョン計画大臣(公式実務)、アダム・ソディアエ農村開発大臣(公式実務) |
1995年8月 | ソグロ大統領夫人(女性、人口、開発のための国会議員会議(東京)出席) |
1997年2月 | パドヌー国民教育・科学研究大臣(小学校建設計画入札立ち合い) |
1998年10月 | ケレク大統領(TICAD II)、イジ外務大臣(TICAD II)、グベド商業・手工業・観光大臣(TICAD II) |
2001年12月 | イジ外務大臣(TICAD閣僚レベル会合) |
2002年2月 | イジ外務大臣(IWC準備会合) |
2003年1月 | ビアウ外務次官(水会議準備会合) |
2003年3月 | ニャカジャ環境・住宅・都市計画相大臣(水フォーラム) |
2003年9月 | ケルク大統領(TICAD III) |
2005年9月 | ビアウ外務大臣(愛・地球博) |
2006年6月 | ディアロ外務大臣 |
2006年7月 | ヤイ大統領 |
2008年5月 | ヤイ大統領(TICAD IV)、オカンラ外務大臣、クパチ経済大臣 |
2010年10月 | エウズ外務大臣(外務省賓客) |
7.二国間条約・取極
1962年11月 貿易協定発効
2003年7月 青年海外協力隊派遣取極締結