ブータン王国
(Kingdom of Bhutan)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年3月現在)
一般事情
1.面積
約38,394平方キロメートル(九州とほぼ同じ)
2.人口
約68万人(ブータン政府資料2009年)
3.首都
ティンプー(Thimphu)
4.民族
チベット系(約80%)、ネパール系(約20%)等
5.言語
ゾンカ語(公用語)等
6.宗教
チベット系仏教、ヒンドゥー教等
7.略史
17世紀、この地域に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが、各地に割拠する群雄を征服し、ほぼ現在の国土に相当する地域で聖俗界の実権を掌握。
19世紀末に至り東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として台頭し、1907年、同ウゲン・ワンチュクがラマ僧や住民に推され初代の世襲藩王に就任、現王国の基礎を確立。第4代国王は、1972年に16歳で即位。第4代国王の下で、国の近代化と民主化に向けた粘り強い取組が行われてきた。現国王(第5代目)に、2006年12月王位継承。
政治体制・内政
1.政体
立憲君主制
2.元首
ジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王(第5代)
3.議会
二院制
(上院25議席、下院47議席)
4.政府
(1)首相 ジグミ・ティンレイ
(2)外相 ウゲン・ツェリン
5.内政
第3代国王は1952年の即位以後、農奴解放、教育の普及等の制度改革を遂行し、近代化政策を開始。1964年、地方豪族間の争いから当時の首相が暗殺され、またその後に任命された首相による宮廷革命の企みが発覚するに及び首相職が廃止され、国王親政となった。
ワンチュク前国王(第4代)は、第3代国王が敷いた近代化、民主化路線を継承、発展させるとともに、国家開発にも意欲的に取り組んでいた。前国王に対する国民の信望は厚く、内政状況は安定している中、2006年12月にはワンチュク皇太子(現国王)に王位を継承。2008年11月6日に、国王の戴冠式が行われた。
前国王の指示に基づき、ブータンは本格的な議会制民主主義への移行の過程にあり、2007年12月に上院議員選挙が、2008年3月に下院議員選挙が実施された。これを受け、憲法草案に基づき、2008年4月、下院議員選挙において勝利したブータン調和党(DPT)のジグミ・ティンレイ党首が国王により首相に任命されたのに続き、新内閣が発足した。同年5月8日、新国会が召集され、新憲法等の法案審議が開始され、同7月18日、憲法が採択された。
1980年代のブータン政府による民族アイデンティティー強化施策が、国内のネパール系住民の反発を招き、多くのネパール系住民が難民となってネパールに流入したため、ブータンとネパールとの間での外交上の懸案となっている。
また、ブータン南部地域では、アッサム州においてインドからの分離独立を主張する過激派組織(アッサム統一解放戦線等)が、ブータン領内にキャンプを設営するなど侵入していた。ブータン政府は右過激派組織と交渉による問題の解決に努めてきたが、交渉が決裂し、2003年12月、過激派組織掃討のため同国南部における軍事行動を開始した。現在、右軍事行動は実質的に終了している。
外交・国防
1.外交基本方針
非同盟中立政策を外交の基本方針としつつ、近隣諸国との関係強化を図っている。1971年に国連に加盟。ブータンは、1980年代に入るとバングラデシュ、ネパールを始めとする近隣諸国の他、日本、西欧等との間で外交関係を樹立する等対外関係を拡大し、2001年には豪州、シンガポールと、また、2003年にはカナダとも外交関係を正式に樹立した。現在、24カ国及び欧州連合との間に外交関係を有している。なお、インドとは、1949年のインド・ブータン条約により特殊な関係(対外政策に関するインドの助言)にあったが、2007年3月の改定により同助言に関する条項が廃止された。
2.軍事力
(1)予算 約17百万米ドル(2006年:推定)
(2)兵力 約1万名( 1)ブータン国王軍:約7,000名、2)ブータン国王親衛隊:約2,000名、3)ブータン警察:約1,000名)。ブータン国王軍は志願兵制。
(3)兵力 小規模な陸軍部隊
(4)駐留外国軍 インド軍事顧問団(ティンプーその他主要地点に駐留し、軍事支援を提供。)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
農業(米、麦他)、林業、電力
2.GNI
13億(米ドル)(世銀資料2009年)
3.一人当たりGNI
2,030(米ドル)(世銀資料2009年)
4.経済成長率
6.8%(ブータン政府資料2009年)
5.インフレ率
4.4%(ブータン政府資料2009年)
6.失業率
4%(ブータン政府資料2009年)
7.外貨準備高
758百万ドル(ブータン政府資料2009年6月)
8.総貿易額
(単位:百万米ドル)
2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | |
---|---|---|---|---|---|
(1)輸出 | 230 | 300.8 | 212 | 312 | 496 |
(2)輸入 | 462 | 423 | 461 | 423 | 429 |
(世銀資料、2009年のみブータン政府資料)
9.主要貿易品目
(1)輸出 電力、珪素鉄、鉄・非合金鋼、セメント、農産物
(2)輸入 軽油、ガソリン、金属製品、米、小型掘削機、石炭
10.主要貿易相手国(2009年)
(1)輸出 インド(93.5%)、バングラデシュ、香港、ネパール、米
(2)輸入 インド(77.85%)、シンガポール、日本、中国、スウェーデン
11.通貨
ニュルタム(NU)
12.為替レート
1NU=1インド・ルピー=約1.8円(2010年9月現在)
13.外国直接投資純流入額
3600万ドル(2009年、世銀資料)
14.経済概況
ブータン政府は、1961年以降、5年ごとに策定される開発計画に基づく社会経済開発を実施。2008年7月からは、第10次5ヶ年計画が開始された。国内経済では、農業がGDPの約19%、就労人口の約8割を占める最大の産業だが、近年、水力発電所稼動により電力セクターがGDPに占める割合も上昇。対外経済では、貿易をはじめインドとの関係が圧倒的に高い割合を占める。
経済協力(単位:億円)
1.日本の援助実績 (累計、単位:億円)
(1)無償資金協力(2008年度までの累計、E/Nベース) 272.78
(2)技術協力(2008年度までの累計、JICA経費実績ベース) 125.76
(3)有償資金協力 「地方電化計画」のため、35億7,600万円の円借款を供与(2007年4月E/N署名)。※ブータンへの初めての円借款案件
2.主要援助国(2008年:インドを除く)
(1)日本 (2)デンマーク (3)スイス (4)オーストリア
二国間関係
1.政治関係
1971年9月 国連にてブータンの国連加盟の共同提案国となったことにより、我が国は同国に対する黙示の国家承認を行った
1986年3月28日 外交関係樹立。
1988年3月1日 在大阪ブータン王国名誉領事館設置
2000年3月8日 在大阪ブータン王国名誉総領事館となる(2003年閉鎖)
2004年12月24日 在東京ブータン王国名誉領事任命(2007年2月閉鎖)
2010年4月 在東京ブータン王国名誉総領事館、在大阪ブータン王国名誉領事館、在鹿児島ブータン王国名誉領事館設置
2.経済関係
(1)対日貿易(財務省資料)
- (イ)貿易額(単位:100万円)
-
2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 輸出 22 22 92 144 34 輸入 1,449 1,049 1.691 2,079 829
- (ロ)主要品目
- 輸出 生鮮、冷蔵野菜、繊維製品
輸入 小型掘削機、自動車、自動車関連部品
(2)日本からの直接投資
なし
3.文化関係
政府間の文化交流活動(各種留学・研修・招聘事業)の他、日本ブータン友好協会(1981年1月設立)及び神戸ブータン友好協会(1981年1月設立)等が友好親善と文化交流の促進に努めている。
4.在留邦人数
131人(2009年10月)
5.在日当該国人数
68人(2009年12月)
6.要人往来
(1)往 (1987年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1987年3月 | 徳仁親王殿下(国王招待) |
1992年8月 | 社会党議員一行(団長:種田誠) |
1993年12月 | 柳谷JICA総裁 |
1994年9月 | 日本・ブータン友好議員連盟一行(団長:加藤六月) |
1997年3月 | 秋篠宮同妃両殿下(国王招待) |
1997年10月 | 松永政府代表 |
1998年4月 | 海部元総理 |
2000年1月 | 藤田JICA総裁 |
2005年6月 | 河井外務大臣政務官 |
2006年8月 | 中野厚生労働副大臣 |
2006年10月 | 日本・ブータン友好議員連盟一行(団長:町村信孝前外務大臣) |
2010年4月 | 西村外務大臣政務官(第6回南アジア地域連合首脳会議出席) |
(2)来(1986年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1986年3月 | ツェリン外相(外務省賓客、外交関係設立) |
1987年4月 | ツェリン外相(非公式、ADB総会出席) |
1988年5月 | ツェリン外相(ブータン名誉領事就任披露式出席) |
1989年2月 | ワンチュク国王(大喪の礼出席) |
1990年5月 | ツェリン外相(花博賓客) |
1990年11月 | ワンチュク国王(即位の礼出席) |
1991年4月 | ツェリン外相 |
1993年8月 | ツェリン外相(非公式) |
1993年10月 | C.ドルジ計画相(非公式) |
1994年7月 | ツェリン外相(非公式) |
1996年9月 | ワンチュク農業副大臣(非公式) |
1996年10月 | ツェリン外相 |
1997年9月 | ケサン皇太后(非公式) |
1999年6月 | ティンレイ内閣議長・外相 |
2000年8月 | ドルジ農業相 |
2001年12月 | ンゲドゥプ保健・教育相 |
2004年4月 | ワンチュク内務文化省次官、リンチェン環境副大臣 |
2004年6月 | ジンバ蔵相(非公式) |
2004年10月 | ドルジ・ワンモ・ワンチュク王妃陛下(非公式) |
2005年6月 | ティンレイ内務・文化大臣(愛・地球博賓客) |
2006年1月 | ノルブ財務大臣訪日 |
2006年4月 | ドルジ国会議長 |
2006年10月 | ティンレイ内務・文化大臣 |
2007年3月 | トブゲ高等裁判所長官、ドルジ検事総長 |
2007年4月 | ンゲドゥプ農業大臣(非公式) |
2007年12月 | ドルジ首相 |
2008年8月 | ワンディ選挙管理委員会委員長 |
2009年6月 | デンダップ警察副長官 |
2009年8月 | ティンレイ首相(非公式) |
2010年4月 | ティンレイ首相(非公式) |
2010年11月 | ギャムツォ農業大臣(生物多様性条約第10回締結国会議) |
2011年2月 | ケザン・チョデン・ワンチュク王妹殿下(非公式) |
7.二国間条約・取極
外交関係樹立に関する交換公文、青年海外協力隊派遣取極等