チャド共和国
(Republic of Chad)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年8月現在)

一般事情

<アフリカ中央部の内陸国―アラブとアフリカの接点>

1.面積

128.4万平方キロメートル(日本の約3.4倍)

2.人口

約1150万人(2010年、世銀)

3.首都

ンジャメナ(N'Djamena)

4.民族

サラ族、チャド・アラブ族、マヨ・ケビ族、カネム・ボルヌ族、その他

5.言語

仏語、アラビア語(公用語)

6.宗教

イスラム教(54%)、カトリック(20%)、プロテスタント(14%)他

7.略史

年月 略史
16世紀 ボルヌー王国
1910年 仏領赤道アフリカ・チャド州
1958年 共和国宣言
1960年8月 独立
1962年4月 トンバルバイ大統領が就任
1978年8月 マルーム大統領が就任
1979年11月 ウェディ大統領が就任
1982年10月 ハブレ大統領が就任
1990年12月 反政府軍による政変、ハブレ亡命
1991年3月 デビー大統領が就任
1996年3月 新憲法を国民投票で採択
1996年7月 大統領選挙(デビー大統領当選)
2001年5月 大統領選挙(デビー大統領再選)
2002年4月 国民議会選挙
2004年5月 憲法改正により、大統領再選回数制限を撤廃
2006年5月 デビー大統領3選
2011年4月 デビー大統領4選

政治体制・内政

<東部地域情勢は不透明>

1.政体

共和制

2.元首

イドリス・デビー・イトゥノ大統領

3.議会

国民議会(155議席)

4.政府

(1)首相 エマニュエル・ナディンガール

(2)外相 ムーサ・ファキ・マハマット

5.内政

 1960年にフランスから独立した後、南部キリスト教勢力と北部イスラム勢力が対立、1980年代には北部勢力間で抗争が発生するなど、クーデターや内戦を繰り返す不安定な政治情勢が続いた。1989年にハブレ大統領が内戦を制し全土を掌握したが、スーダンに逃れていたデビー元軍司令官が1990年に東部地域から首都に侵攻、ハブレ大統領はセネガルに亡命し、デビー元軍司令官が政権を掌握した。デビー政権になって一旦は内政が安定し、大統領選挙、国民議会選挙等を実施するなど、民主化プロセスも一応進展が見られ、また北部地域の反政府勢力「チャド民主正義運動」と2002年に和平合意を締結したが、2004年頃よりクーデター未遂や軍幹部・国軍兵士の離反等が相次ぎ、2005年頃より東部スーダン国境付近でチャド反政府武装勢力の活動が活発化、2006年4月には反政府勢力の一つFUC(変革のための統一戦線)が首都近郊まで侵攻し、政府軍と銃撃戦が行われる等、内政は不安定な状態が続いている。同年5月に野党がボイコットする中、デビー大統領は大統領選挙を強行し圧倒的得票率で3選を果たしたが、11月には反政府武装勢力UFDD(民主主義及び開発発展のための連合)が東部主要都市アベシェを一時制圧下に置くなど、不安定な情勢が続いている。同年12月末にFUCと和解、2月の新内閣ではFUCリーダーが国防相に就任するも、東部地域では他の反政府勢力の攻撃が頻発。隣国スーダン政府がチャド反政府勢力を支援しているとして度々スーダン政府を非難し、同国との関係が悪化した。2008年2月にも東部地域から侵攻した反政府勢力と首都で市街戦が行われるなど、情勢は不安定な状態が続いている。近年では、スーダンとの関係は大きく改善し、2010年2月には、デビー大統領がスーダンを訪問し、7月にはバシール・スーダン大統領がチャドを訪問している。2011年4月には、野党がボイコットする中強行された大統領選挙において、デビー大統領が4選を果たした。

外交・国防

<中国と外交関係を再開>

1.外交基本方針

 デビー新政権はその成立とともに非同盟、反新植民地主義の方針を表明、仏を中心とした西側諸国及び近隣諸国と友好関係を築きつつある。1997年8月には台湾と外交関係を再開したため、中国との外交関係を断絶したが、2006年8月に台湾と断交し、中国との外交関係を回復。

2.軍事力

(1)予算 1億5,100万ドル

(2)兵役 徴兵制度

(3)兵力 25,350人(陸軍17,000〜20,000人、空軍350人、憲兵隊9,500人)
(ミリタリーバランス2010年)

経済(単位 米ドル)

<石油資源の開発は明るい話題>

1.主要産業

農業(綿花)、牧畜業、原油

2.GNI

66.9億ドル(2009年、世銀)

3.一人当たりGNI

600ドル(2009年、世銀)

4.経済成長率

-1.6%(2009年、世銀)

5.物価上昇率

10.0%(2009年、世銀)

6.失業率

不明

7.総貿易額

(1)輸出 31.60億ドル(2010年、EIU)

(2)輸入 29.40億ドル(2010年、EIU)

8.主要貿易品

(1)輸出 石油、畜産物、綿花(2010年)

(2)輸入 石油関連、非石油関連、公共事業(2010年)

9.主要貿易相手国

(1)輸出 アメリカ、中国、オランダ、ドイツ、フランス(2010年)

(2)輸入 中国、フランス、カメルーン、アメリカ、ベルギー(2010年)

10.通貨

CFAフラン

11.為替レート

1ユーロ=655.957CFAフラン(2002年1月以降)

12.経済概況

 チャドは国土の約3分の2は砂漠地帯であり、内陸国というハンディもあり、綿花と畜産業中心の最貧国のひとつであったが、近年同国南部の石油資源(埋蔵量約10億バレル)の開発が進み、2003年には、世銀の融資を受け、同国南部ドーバから隣国カメルーンのクリビ港に至る全長1,070キロメートルの石油パイプラインが貫通し、石油輸出が開始された。2005年の産油量は17万バレル/日で、同国の輸出の約8割を占めている。2001年に拡大HIPCイニシアティブのDP(決定地点)に到達したが、政情不安もあり、貧困対策等人間開発に大きな改善が見られていない。

経済協力(単位 億円)

<従来援助は国際機関経由の食糧援助等に限定>

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力(2009年度まで、EN(交換公文)ベース) なし

(2)無償資金協力(2009年度まで、EN(交換公文)ベース) 61.08億円

(3)技術協力実績(2009年度まで、JICAベース) 7.60億円

2.主要援助国(2008年)

(1)アメリカ (2)フランス (3)ドイツ (4)オーストリア (5)日本

二国間関係

<チャドの安定化と共に緊密化が期待>

1.政治関係

 同国は長期に亘り内戦状態にあったため、二国間関係は希薄。経済協力も、人道的観点からの難民向け食糧援助、災害援助等に限られていたが、2001年より草の根無償を導入し、2004年よりチャド東部に流入したスーダン・ダルフール難民の支援や、同難民を受け入れているチャド住民の支援を実施。JICAは2005年に東部アベシェにフィールド・オフィスを開設し、2006年には首都ンジャメナにODAアドバイザーを派遣するなど、本格的な経済協力を開始したが、治安情勢の悪化により同年12月にJICAは関係者を退避させ、フィールド・オフィスを閉鎖し、現地での協力活動を中断した。以前は我が方在ガボン大使館が兼轄していたが、1996年8月より我が方カメルーン大使館が兼轄している。

2.経済関係

(1)対日貿易

貿易額(2010年 単位:万円)
輸出 5百93万円
輸入 3億7百万円
主要品目

(2)日本からの直接投資

 なし

3.文化関係

殆ど存在せず

4.在留邦人数

9人(2009年10月現在)

5.在日当該国人数

4人(2006年12月現在)

6.要人往来

(1)往

年月 要人名
2005年11月 西川公也議員、木村太郎議員、宇野治議員、松浪健太議員(日・AU友好議員連盟中部アフリカ訪問団)

(2)来

年月 要人名
1976年11月 カムーゲ外相及びドゴイ経済計画・運輸相
1981年12月 ファショ運輸・公共相
1989年2月 イッサ・アバス大使(在北京)(大喪の礼)
1990年11月 ドノ・ヌガルドゥム国務相(即位の礼)
1993年10月 イブニ・ウマール計画協力大臣(TICAD)
2001年12月 マハマット・サレー・アナディフ外務大臣(TICAD閣僚レベル会合)
2003年9月 ハッサン計画開発協力大臣(TICAD III)
2005年7月 ヤマスム外務アフリカ統合大臣(外務省賓客)

7.二国間条約・取極

1964年11月24日 貿易取極(1965年1月1日発効)