コモロ連合
(Union of Comoros)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
2,236平方キロメートル(ほぼ東京都大、仏領マイヨット島を除くと1,862平方キロメートル)
2.人口(世銀)
66万人(2009年)
3.首都
モロニ(Moroni)
4.民族
バントウ系黒人を主流にアラブ人、マダガスカル人、インド人等
5.言語
フランス語・アラビア語(公用語)、コモロ語(スワヒリ語に近い)
6.宗教
イスラム教
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1886年 | フランスの保護領となる |
1975年7月 | 独立宣言、アーメド・アブダラ大統領就任 (コモロ共和国) |
1976年1月 | クーデターによりアリ・ソワリ大統領就任 |
1978年10月 | 新憲法採択、国名変更(コモロ・イスラム連邦共和国) アーメド・アブダラ大統領復帰(国民投票) |
1989年11月 | 憲法改正(国民投票)・アブダラ大統領暗殺 |
1990年3月 | ジョハール大統領就任 |
1992年6月 | 複数政党制を含む新憲法採択(国民投票) |
1995年9月 | クーデター未遂、ジョハール大統領は仏領レユニオン島へ |
1996年3月 | モハメッド・タキ大統領就任 |
1996年10月 | 憲法改正(国民投票)により大統領の権限強化 |
1997年8月 | アンジュアン島・モヘリ島「独立」宣言、武力衝突の発生 |
1998年11月 | タキ大統領急死、タジディン共和国最高評議会委員長が大統領代理に就任 |
1999年4月 | クーデターにより、軍参謀本部長・アザリ大佐が政権を掌握 |
2001年2月 | コモロ和解に関するOAU(アフリカ統一機構)枠組み合意(フォンボニ協定)署名 |
2001年12月 | 国民投票により新憲法採択、国名変更(コモロ連合) |
2002年5月 | アザリ大統領就任 |
2004年3-4月 | 各自治島議会議員選挙及び連合議会議員選挙を実施 |
2004年6月 | 連合議会開設 |
2006年5月 | 大統領選第2回予備選挙 アメッド・アブダラ・モハメッド・サンビを選出。サンビ大統領就任 |
2009年3月 | マイヨット島住民投票(仏海外自治体から仏海外県への地位変更を採択) (コモロ政府は不承認) |
2009年5月 | 国民投票により新憲法採択(自治島政府大統領の島知事への地位変更や大統領任期の1年延長等、大統領権限を強化) |
2010年12月 | 大統領選挙にて、ドイニン副大統領が選出される。 |
2011年5月 | ドイニン大統領就任 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
イキリル・ドイニン大統領
(IKILILOU Dhoinine)
3.議会
一院制(定数33、任期5年、2004年6月開設)
4.政府
(1)首相 ポストなし
(2)民族離散・仏語圏・アラブ世界担当外務・協力大臣 モハメド・バクリ・ベン・アブドゥルファタ・シャリフ(Mohamed BAKRI Ben Abdoulfatah Charif)
5.内政
(1) 1975年仏から独立以降、政情は不安定。1999年4月、クーデターによりアザリ軍参謀本部長が政権掌握した。アザリ政権と3島自治政府との対立は続いたが、2003年12月、国内危機打開に関する合意が達成され、2004年3-4月に各自治島及び連合議会選挙が行われた。2006年4-5月に憲法に従い大統領選挙が行われサンビ大統領が選出された。2007年6月、アンジュアン自治島連合政府が、政令に反する形で同島大統領選挙を実施したことから、連合政府との関係が緊迫化。2008年3月に連合政府とAUが軍事介入を行い、6月に同島大統領選挙を改めて実施し、事態は沈静化した。一方、2009年3月には、マイヨット島で仏海外自治体から仏海外県への地位変更が住民投票により採択された(コモロ政府不承認)。
(2)同年5月、国民投票により新憲法が採択され、大統領の権限が強化され、任期も1年延長されたほか、コモロの政治体制は、従来の各自治島大統領による合議制から、1名の大統領(従来通り、大統領選出の各島輪番制は維持)、1つの政府、1つの議会及び3名の自治島知事として構成される新体制へと移行することとなった。
(3)2010年11〜12月に大統領選挙が実施され、ドイニン副大統領が選出された。2011年5月就任。
外交・国防
1.外交基本方針
保護領時代を経て伝統的にフランスと最も緊密な関係をもち、その強い結びつき(防衛協定、フラン圏帰属、援助等)から親西欧寄りの非同盟・中立主義を標榜し現実的外交政策を展開。また、経済援助獲得を目標とし、EU、日、中国などの援助供与国、アフリカ、インド洋周辺国、アラブ・イスラム諸国との関係を重視してきた。イランで神学教育を受けたサンビ大統領の就任以来イランに急接近し、イラン・コモロ協力が強化されつつある。マイヨット島については、仏との間で帰属問題が存在する。(仏は、2009年3月にマイヨット島を海外自治県から海外県へ地位変更するとの住民投票を採択(コモロ不承認)。)
2.軍事力
(1)予算 不明
(2)兵役 不明
(3)兵力 不明
経済
1.主要産業
イラン・イラン(香水用精油)、クローブ、バニラ
2.GNI(世銀)
5億3000万米ドル(2009年)
3.一人当たりGNI(世銀)
810米ドル(2009年)
4.経済成長率(世銀)
1.8%(2009年)
5.物価上昇率(世銀)
4.6%(2009年)
6.総貿易額(2008年、EIU)
(1)輸出 6.5百万米ドル
(2)輸入 175.9百万米ドル
7.主要貿易品目(2008年、EIU)
(1)輸出 クローブ、イラン・イラン(香水用精油)、バニラ
(2)輸入 石油製品、米
8.主要貿易相手国(2008年、EIU)
(1)輸出 仏、トルコ、ギリシャ、ブラジル、アルジェリア
(2)輸入 仏、中、印、ア首連、伊
9.通貨
コモロ・フラン
10.為替レート
1ユーロ=492コモロ・フラン(固定)
11.経済概況
気候条件に左右されやすい主要産物であるバニラ等商品作物の価格下落、孤立した地理的条件、石油製品価格の暴騰、火山噴火の悪影響、国内需要が不十分なこと等が、コモロ経済の成長、発展を制約。他の小島嶼国の主要産業となっている漁業、海運業は未発達。在外コモロ人からの送金が経済を支えている。
経済協力
1.日本の援助実績(単位:億円)
(1)有償資金協力(2008年度まで、EN(交換公文)ベース) なし
(2)無償資金協力(2008年度まで、ENベース) 64.66億円
(3)技術協力実績(2008年度まで、JICAベース) 7.03億円
2.主要援助国(2008年、単位:百万ドル)
(1)フランス(18.27) (2)スイス(0.52) (3)カナダ(0.47) (4)ベルギー(0.2) (5)ドイツ(0.04) (5)ギリシャ(0.04)
二国間関係
1.政治関係
1977年11月14日コモロを承認。日本は在マダガスカル大がコモロを兼轄。先方の在京大使館はない。
2.経済関係
(イ)対日貿易額(2009年、JETRO)
- 輸出 0.02億円
輸入 5.7億円
(ロ)主要品目
- 輸出 イラン・イラン(香水用精油)
輸入 貨物自動車、乗用自動車、自動車部品
3.文化関係
シーラカンス学術調査隊(民間ベース)及び、鳥羽水族館が数回にわたりコモロ近海で調査活動を展開。上記調査隊は、コモロ政府の協力により5体の標本を持ち帰るとともに、1986年8月にはシーラカンスの水中撮影に成功した。
4.在留邦人数
1人(2009年10月現在)
5.在日当該国人数
2人(2007年12月現在)
6.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2004年7月 | 松浦UNESCO事務局長 |
2005年5月 | 須藤国連改革担当大使 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1981年7月 | ベン・アリ前首相 |
1984年3月 | カフェ外相 |
1987年4月 | アーメド・アブダラ大統領(非公式) |
1988年10月 | モハメッド・アリ農業大臣 |
1989年2月 | ベン・アリ・グランドコモロ島知事(大喪の礼)、カフェ外相(大喪の礼) |
1990年11月 | ムタラ・マエシャ外相(即位の礼) |
1991年7月 | ムタラ・マエシャ外相(非公式) |
1993年10月 | カアビ大蔵大臣(アフリカ開発会議) |
1997年4月 | アフメッド・シャリフ・ムタール外相(私的訪問) |
1998年10月 | ヒミディ外務協力大臣(第2回アフリカ開発会議) |
2004年11月 | シャリフ経済・貿易・産業振興相(TICADアジア・アフリカ貿易投資会議) |
2008年5月 | サンビ大統領(TICAD IV) |
7.二国間条約・取極
なし