コンゴ民主共和国
(Democratic Republic of the Congo)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年4月現在)

一般事情

1.面積

234.5万平方キロメートル

2.人口

6,780万人(2010年、UNFPA)

3.首都

キンシャサ

4.民族

バンツー系、ナイル系等

5.言語

フランス語(公用語)、キコンゴ語、チルバ語、リンガラ語、スワヒリ語

6.宗教

カトリックを中心としたキリスト教(85%)、イスラム教(10%)、その他伝統宗教(5%)

7.略史

年月 略史
1908年 ベルギー領
1960年 ベルギーより独立(コンゴ共和国)、コンゴ動乱
1965年 モブツ政権成立(クーデター)
1967年 コンゴ民主共和国に国名変更
1971年 ザイール共和国に国名変更
1977年 シャバ紛争(1978年まで)
1990年 複数政党制導入
1991年 キンシャサ市内暴動発生
1996年 バニィヤムレンゲ(ツチ系)の武装蜂起、他の反政府勢力が合流、コンゴ民主解放勢力同盟(AFDL)結成
1997年 ローラン・デジレ・カビラ大統領就任、モブツ大統領国外逃亡、国名変更(コンゴ民主共和国)
1998年 コンゴ民主共和国紛争勃発
2001年 ローラン・デジレ・カビラ大統領暗殺、息子のジョゼフ・カビラが後継
2002年 プレトリア包括合意
2003年 暫定政権成立
2005年12月 憲法国民投票の実施
2006年2月 新憲法公布
2006年7月 大統領選挙(第1回投票)・国民議会選挙の実施
2006年10月 大統領選挙(第2回投票)の実施
2006年12月 ジョゼフ・カビラ大統領就任

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

ジョゼフ・カビラ大統領

3.議会

上院(120議席)、国民議会(500議席)

4.政府

(1)首相 アドルフ・ムジト

(2)外相 アレクシス・タンブエ・ムワンバ

5.内政

 ベルギーから独立後、モブツ大統領が1965年に政権を掌握。1990年以降内政は混乱したものの、30年以上独裁体制を維持。しかし、1997年5月、ルワンダ、ウガンダの支援を受けた反政府勢力のローラン・デジレ・カビラADFL(コンゴ・ザイール解放民主勢力同盟)議長が首都キンシャサを制圧。同議長が大統領となり、国名をザイールからコンゴ民主共和国へ改称。しかし、その後再び1998年8月、同国東部地域で反政府勢力が武装蜂起し、ウガンダ、ルワンダなどが反政府勢力を支援し派兵、またジンバブエ、アンゴラ等がカビラ政権支援のためにコンゴ民主共和国領内へ派兵したことにより国際紛争へ発展。1999年8月末停戦合意が成立したが、しばしば戦闘の発生が伝えられ不安定な情勢が継続した。

 2001年1月、ローラン・デジレ・カビラ大統領が暗殺され、息子のジョゼフ・カビラ将軍が後継。ジョゼフ・カビラ大統領は、国民対話の推進、近隣国・欧米との関係改善、経済自由化政策を推進した。2002年には、和平プロセスが進展し、ルワンダ、ウガンダとの間でそれぞれコンゴ領内からの軍撤退等に係る合意が成立した。国民対話も進展し、同年12月には国内の全勢力が参加する「プレトリア包括和平合意」が成立し、右合意に基づき、2003年7月、2年間を期限とする暫定政権が成立した。選挙準備の遅れにより暫定期間が延長され、2006年7月に大統領選挙(第1回投票)と国民議会選挙、同年10月、大統領選挙(第2回投票)が実施され、ジョゼフ・カビラが当選。同氏が同年12月に大統領に就任した。

 東部地域は、歴史的な部族対立、天然資源を巡る武装勢力の対立、周辺国の介入等により、1990年代初めより不安定な情勢が継続。北キブ州では人民防衛国民会議(CNDP)を始めとする反政府武装勢力とコンゴ(民)政府との間で2008年1月に即時停戦、斬新的DDR等を盛り込んだ「誓約書」(ゴマ合意)が署名されたが、その後も依然として武力衝突が発生した。2008年8月末にCNDPが武装蜂起しコンゴ(民)国軍と武力衝突が再開した。国際社会の調停により、2009年3月、政府とCNDPとの間で和平合意。コンゴ民主共和国政府にとり、東部地域の安定と統治能力の回復は最重要課題。

外交・国防

1.外交基本方針

 国内・域内安定と平和の確立、周辺諸国との友好関係強化に重点をおく。また、平和の定着、国家再建のための協力を得るため、欧米諸国との関係強化を図っている。

2.軍事力

(1)予算 1億6,800万米ドル(2008年)

(2)兵役 志願制

(3)兵力 陸軍120,000 海軍6,700 空軍2,500

経済(単位 米ドル)

1.主要産業

鉱工業 銅、コバルト、工業用ダイヤモンド、石油
農業 (パーム油、綿花、コーヒー)

2.GDP

約106億ドル(2009年)

3.一人当たりGNI

160ドル(2009年)

4.経済成長率

2.7%(2009年)

5.物価上昇率

30.2%(2009年)

6.失業率

N/A

7.総貿易額(2008年)

(1)輸出 68.36億ドル

(2)輸入 67.11億ドル

8.主要貿易品目

(1)輸出 ダイヤモンド、原油、コバルト、銅

(2)輸入 消費財、資本財、原材料

9.主要貿易相手国(2009年)

(1)輸出 中国、アメリカ、ベルギー、ザンビア

(2)輸入 南アフリカ、ベルギー、中国、ザンビア

10.通貨

コンゴ・フラン(FC)

11.為替レート

1ドル=775FC(2009年)

12.経済概況

 輸出の約9割がコバルト・ダイヤモンド・金等で占められ、1970年代初期までは、順調な経済発展を遂げたが、銅価格の低迷、対外債務の増大等によって1970年代末期以降経済困難に直面。1991年の内政混乱以降、1997年のモブツ政権の崩壊、1998年のコンゴ(民)紛争の勃発等のために経済は壊滅状態となった。2006年7月、世銀・IMFの協力の下、貧困削減戦略文書(PRSP)が策定された。

 2006年の選挙により正式に就任したジョゼフ・カビラ大統領は、同国の復興のために、マクロ経済の安定、経済改革の推進に努めている。2002年6月に,暫定版貧困削減戦略文書を策定し、2003年7月にはIMFによりHIPCイニシアティブの決定時点到達、2010年6月には同イニシアティブの完了時点に到達した。

経済協力

1.日本の援助実績(2009年度まで)

(1)有償資金協力(EN(交換公文)ベース) 355.96億円(1973年マタディ橋345億円は地域内最高額)

(2)無償資金協力(ENベース) 513.41億円

(3)技術協力実績(JICAベース) 94.57億円

2.主要援助国(2007年ODA実績)

(1)米 (2)英 (3)ベルギー (4)スウェーデン

二国間関係

1.政治関係

 1960年6月独立以来友好関係を維持。我が国は1960年大使館設置(総領事館が昇格)、先方は1967年在京大使館を開設。1984年3月、皇太子・同妃両殿下(当時)ザイール(当時)公式訪問。モブツ大統領(当時)が2度に亘り訪日した他、J.カビラ大統領が2005年3月訪日(実務訪問賓客)。

2.経済関係

対日貿易

(イ)貿易額
輸出 7,400万円(2010年)
輸入 27億7,000万円(2010年)
(ロ)主要品目(2010年)
輸出 木材、金属
輸入 自動車、二輪

3.文化関係

京都大学アフリカ地域研究センターが数次に至る学術調査団派遣

4.在留邦人数

46人(2009年10月現在)

5.在日当該国人数

305人(2009年)

6.要人往来

(1)往(1974年以降)

年月 要人名
1974年11月 木村外相
1981年9月 愛知政務次官
1984年3月 皇太子・同妃両殿下(当時)
2001年8月 矢野哲朗参議院議員、山内俊夫参議院議員
2004年8月 日・AU友好議連(衛藤征士郎衆議院議員、三原朝彦衆議院議員、山口泰明衆議院議員、西村明宏衆議院議員)
2006年12月 浜田外務大臣政務官(総理特使として大統領就任式出席)
2008年1月 矢野哲朗参議院議員(総理特使)
2008年12月 御法川外務大臣政務官

(2)来(1971年以降)

年月 要人名
1971年4月 モブツ大統領(国賓)
1981年11月 レンゲマ国際協力大臣
1982年9月 ヨカ外相
1988年11月 ングザ外務大臣(外賓)
1989年2月 モブツ大統領(大喪の礼)
1989年11月 ケンゴ首相、ングザ外務大臣(非公式)
1990年11月 アンズルニ国民議会議長、ムショベクワ外務大臣(即位の礼)
1995年6月 ケンゴ首相、ルンダ外務大臣(非公式)
1999年9月 モバ大統領特使
2001年7月 トゥマワキュ鉱山炭化水素大臣
2001年9月 バリエヌ土地環境観光大臣(世界観光機関総会)
2001年12月 シェ・オキトゥンドゥ外務・国際協力大臣(TICAD閣僚レベル会合)
2002年11月 バナムヘレ土地問題・環境・観光相(国際会議出席)
2003年9月 ムワンバ計画大臣(TICAD III)
2004年5月 イエロディア副大統領(非公式)
2004年12月 ラマザニ外務・国際協力大臣(外務省賓客)
2005年3月 ジョゼフ・カビラ大統領(実務訪問賓客)
2008年5月 ンクル大統領付大臣(TICAD IV)
2010年9月 チバンダ地域・国際協力大臣(オピニオン・リーダー招待)

7.二国間条約・取極

1970年11月20日 貿易取極