クロアチア共和国
(Republic of Croatia)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)

一般事情

1.面積

5万6,594平方キロメートル(九州の約1.5倍)

2.人口

443.6万人(2008年:クロアチア政府統計局)

3.首都

ザグレブ

4.言語

公用語はクロアチア語

5.宗教

カトリック、セルビア正教等

6.民族

クロアチア人(89.6%)、セルビア人(4.5%)等(2001年)

7.国祭日

6月25日(建国記念日)

8.略史

年月 略史
7世紀頃 スラブ人が定住
10世紀前半 トミスラブ公がクロアチア王国建国
1527年 ハプスブルグ家の支配下に入る
1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(後、ユーゴスラビア王国と改称)建国に参加
1941年 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの傀儡国「クロアチア独立国」樹立宣言
1945年 社会主義ユーゴスラビア連邦の構成共和国の一つとして発足
1991年 ユーゴスラビアより独立宣言
1992年 国連加盟
2005年 EU加盟交渉開始
2009年 NATO加盟

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

イボ・ヨシポビッチ大統領(1957年生 2010年2月就任。任期5年)

3.議会

1院制(任期4年 定員153)(2001年3月上院廃止)

議席配分(◎印が与党)
  政党名 議席数
(1)クロアチア民主同盟(HDZ、中道右派) 66
  (2)社会民主党(SDP、中道左派) 56
(3)農民党・社会自由党連合(HSS・HSLS、中道) 8
  (4)人民党(HNS、中道左派) 7
  (5)スラヴォニア=バラニャ・クロアチア民主会議(HDSSB、右派) 3
  (6)イストラ民主会議(IDS、中道左派) 3
  (7)年金者党(HSU) 1
  (8)権利党(HSP) 1
  (9)少数民族政党 8

4.政府

クロアチア民主同盟(HDZ)を主軸とする連立政権

(1)首相 ヤドランカ・コソル(Jadranka Kosor)(2009年7月就任、HDZ)

(2)外務・欧州統合相 ゴルダン・ヤンドロコビッチ(Gordan Jandrokovic)(2008年1月就任、HDZ)

5.内政

(1)1990年より約10年間大統領の座にあった故トゥジマン前大統領は、国内では独立に反対するセルビア系住民(約60万人)の掃討、国外では隣国ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争に介入を行うなど、その民族主義的・非民主的政策により、国際的に孤立していたが、同大統領の死去(1999年12月)後、2000年に入って行われた下院選挙及び大統領選挙では、社会民主党と社会自由党を中心とする6野党連合(その後、イストリア民主会議及び社会自由党が脱退し、4党連立となった)が勝利し、メシッチ大統領、ラチャン首相率いる民主的連立政権が誕生した。

(2)ラチャン政権は、国内の民主化を推進するとともに、ボスニア和平履行上重要なセルビア系難民のクロアチアへの帰還や旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)との協力に取り組むなど、国際協調路線を図るとともに、マクロ経済の安定化にも成功したが、失業問題をはじめ具体的な生活水準の向上を実感できないなど国民の不満が募ることとなった。

(3)2003年11月に行われた議会選挙では、ラチャン政権への不満を背景に、故トゥジマン時代の与党であったクロアチア民主同盟(HDZ)が152議席中最大の66議席を獲得し、小規模政党や少数民族議員を中心に閣外協力を得て、サナデル政権を発足させた。
 サナデル首相率いるHDZは、過去の民族主義的な政策から決別して、セルビア系等少数民族政党や旧ユーゴ国際刑事裁判所と協力する姿勢を見せるなど、HDZを、国際協調を重視する中道右派政党へと軌道修正した。このクロアチアの国際協調路線は、2005年1月、現職のメシッチ大統領が再選されたことで再確認された。
 2007年11月に行われた議会選挙は、各党間で内政・外交ともに決定的な対立軸がない中で行われ、HDZ及びSDPの二大政党化、及び、中小政党の勢力後退という結果となった。HDZは、最大野党であるSDPに僅差で勝利し、連立交渉においてHSS・HSLS連合の支持取り付けに成功した結果、サナデル首相を首班とする中道右派連立内閣が2008年1月に発足した。
 2009年7月、サナデル首相は辞任を発表し、後任に女性のコソル首相が就任した。コソル政権は、前政権の政策を基本的に踏襲し、早期のEU加盟交渉終了を目標に据えているが、不況対策、司法改革、行政機構改革、汚職対策等解決すべき課題も多い。
 2010年2月、2期10年を務めたメシッチ大統領に代わり、SDP出身のヨシポビッチ候補が第3代大統領に就任、早期のEU加盟実現に向けて、各種国内改革に取り組んでいる。

(4)1991年〜1995年の民族紛争の結果、国内の民族構成が大きく変化した(クロアチア人 75%→90%、セルビア人 12%→4.5%)。セルビア人等の難民帰還に関しては、2000年以降、国際社会の後押しもあって進んでおり、紛争中にクロアチアから流出したセルビア系住民約30万人中、およそ半数が帰還している。

(5)欧米諸国から強く求められていた旧ユーゴ国際刑事裁判所(ICTY)との協力に関しては、2005年10月、ICTY戦犯容疑者であるゴトビナ元クロアチア将軍がスペイン領カナリア諸島においてスペイン当局に逮捕され、ICTYは情報提供をはじめとするクロアチアの協力を高く評価した。しかし、ICTYにおいてゴトビナ容疑者等の裁判が開始されて以降、クロアチアはICTYから求められている紛争時の軍事記録の提出に至っておらず、コソル首相は、タスク・フォースを設置するなど、存在が確認できていない軍事記録の捜索に取り組んでいる。

外交・国防

1.外交基本方針

(1)コソル政権は、EU加盟を外交上の最優先課題に掲げている。クロアチアは、2005年10月にEU加盟交渉を開始し、2009年中に全35項目の交渉を終了させることを目標としていたが、2008年12月、スロベニアがクロアチアとの海洋国境問題を理由に、関連する一部項目の交渉開始及び終了をブロックしたため、交渉は一時中断することとなった。
 2009年9月、両国はEU加盟交渉ブロック解除に合意し、同年11月、国境問題に関する仲裁裁判所の設置に合意した。
 クロアチアは、2011年5月末時点で、全35項目中30項目について交渉の暫定的終了に達しており、2011年上半期中に全項目の交渉を終了することを目標としている。

(2)2009年4月、NATOの正式加盟を果たした。

(3)旧ユーゴ諸国を含む近隣諸国との関係は概ね良好であるが、スロベニアとの間では内陸及び海上の国境問題が係争中。セルビアとは、2003年9月にメシッチ大統領がクロアチアの大統領として初めてベオグラードを公式訪問し、2009年3月にはサナデル首相がベオグラードを公式訪問した。メシッチ大統領訪問の際には、両国間で過去の民族紛争についての謝罪が行われるなど、関係正常化が進んだ。

(4)国際協力も重視しており、2008〜2009年の任期で国連安保理非常任理事国を務めた。また、アフガニスタン、ゴラン高原等計12のミッションに400名強の兵士を派遣している(2010年)。

2.軍事力

(1)国防予算 10億ドル

(2)兵力 陸軍11,390人、海軍1,850人、空軍3,500人(志願制)

(2009年:ミリタリーバランス)

経済

1.主要経済指標

  2005 2006 2007 2008 2009
GDP(10億ドル) 38.9 42.9 51.3 69.3 67.7
GDP/人(ドル) 8,753 9,666 11,555 15,629 15,283
経済成長率(%) 4.3 4.8 5.6 2.4 −5.8
インフレ率(年平均値:%) 3.3 3.2 2.9 6.0 2.4
失業率(ILO基準:%) 12.7 11.2 9.6 8.7 9.2

(出典:IMF)

2.主要貿易品目

(1)輸出 輸送機械(船舶)、石油、石油製品

(2)輸入 石油、石油製品、自動車

3.主な貿易相手国

(1)輸出 イタリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ドイツ、スロベニア、オーストリア

(2)輸入 イタリア、ドイツ、ロシア、中国、スロベニア

4.通貨

クーナ(HRK)

5.経済概況

(1)クロアチアは、旧ユーゴスラビア内の経済先進地域であり、独立後に中央銀行の設立、民営化法、外国投資法の制定等を行ったが、紛争及びそれに伴う難民・避難民の流入により経済は大幅に落ち込んだ。1993年10月、当時のバレンティッチ内閣がインフレ及び財政赤字の抑制のための経済安定化政策を実施し、1994年以降マクロ経済は安定したが、失業率の増加、軍事費、難民・避難民保護費等の負担、経営収支赤字の増大等の問題を抱え、また、低賃金、低年金、1998年から導入された一律22%の付加価値税による物価上昇等により国民の不満は高まった。さらに、同年後半からは非流動性(illiquidity)による不良債権問題が表面化し、主要企業・銀行の倒産が相次ぐとともに、企業従業員、農民等の労働者デモが頻発した。

(2)2000年1月に発足したラチャン政権は、前政権の大きな負債を引き継いだため、選挙公約とした大幅な予算削減及び付加価値税削減は実現できなかったものの、予算の増加に歯止めをかけ、非流動性解消のための政府の対民間債務の返済に目処をつけ、安易な不良企業救済の拒否、汚職摘発等に積極的に取り組んだ。また、輸出促進の観点から関税を引き下げるとともに、外国直接投資の積極的導入にも取り組んだ。しかし、期待されたほど輸出は伸びず、外国からの直接投資も進まなかったことに加え、財政赤字の削減のために国家公務員の削減、社会福祉の縮小等、国民に節約を強いざるを得なかったため、マクロ経済の安定は維持されたものの、失業問題等、国民が肌で感じるような生活改善は実現しなかった。

(3)2003年12月に発足したサナデル政権は、国民生活の向上と、ラチャン前政権時代に急増した累積対外債務の問題に取り組み、一定の成果を挙げたものの、国民生活の向上は、産業振興や輸出活性化ではなく、消費拡大を主な基盤としており、大幅な貿易赤字が現出した。また、政権発足当初の公約の一つであったグレー経済対策は進まず、不透明な民営化とその撤回や、現職閣僚が関与した汚職事件等が相次ぎ、汚職対策は前政権時に比べ後退した。なお、2008年1月に発足した第二次サナデル政権下でも、経済政策に大きな変更は見られなかった。2008年秋に世界経済危機が発生すると、クロアチアでは中銀による厳格な金融政策のお陰で通貨クーナの安定性は維持されたものの、税収の低迷、国内需要の低迷、及び、主要産業である観光業の不振等、その影響は各所に及びつつある。かかる状況の中で、2009年7月に発足したコソル政権は、経済停滞の悪化を防ぐべく、危機税の導入、補正予算の策定、失業対策等に取り組んでいる。

(4)経済に関する国際的な合意、協定等に関しては、2000年11月にWTOに加盟した。また、近隣諸国、EU諸国、EFTA諸国との間で自由貿易協定の署名が行われ、2003年3月よりCEFTA(中欧自由貿易協定)に加盟した。なお、CEFTAの南東欧諸国への拡大に伴い、2007年5月より、近隣諸国との自由貿易協定はCEFTAに承継されている。

経済協力

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力 なし

(2)無償資金協力 8.61億円(2009年度までの実績)

(3)技術協力 7.12億円(2009年度までの実績)

二国間関係

1.政治関係

2.経済関係

(1)日本の対クロアチア貿易(日本通関統計)

  対クロアチア輸出 対クロアチア輸入 収支
2006年 42億円 121億円 ▲79億円
2007年 55億円 114億円 ▲60億円
2008年 88億円 65億円 23億円
2009年 45億円 105億円 ▲60億円
2010年 33億円 49億円 ▲16億円

(2)主要貿易品目

輸出:自動車、エンジン等
輸入:クロマグロ、魚肉等

3.文化関係

(1)文化無償協力

ザグレブ・フィルへの楽器・音響機材供与(1997年度) 4,450万円

クロアチア国営ラジオ・テレビへの番組供与(1998年度) 2,390万円

クロアチア国民劇場への音響・映像機材供与(1999年度) 4,870万円

ドゥブロブニク市への楽器・照明器具供与(2000年度) 4,540万円

リエカ・クロアチア国民劇場への音響・映像機材(2001年度) 4,670万円

国立・大学図書館への音響・映像機材供与(2002年度) 3,280万円

ザグレブ大学への日本語学習機材供与(2004年度) 1,730万円

(2)姉妹都市関係(京都市とザグレブ市、川崎市(神奈川県)とリエカ市、碧南市(愛知県)とプーラ市)

(2)姉妹都市関係
京都市とザグレブ市、川崎市(神奈川県)とリエカ市、碧南市(愛知県)とプーラ市

4.在留邦人数

101名(2010年10月)

5.在日クロアチア人数

96名(2007年12月)

6.要人往来

(1)往

年月 要人名
1995年4-5月 河野外務大臣
1999年7月 谷垣大蔵政務次官
2000年2月 有馬政府代表
2002年10月 清子内親王殿下
2003年8月 池坊文部科学大臣政務官
2004年9月 日・クロアチア友好議員連盟代表(南野智恵子参議院議員(会長))
2005年5月 棚橋科学技術担当大臣
2005年7月 福島外務政務官
2007年7月 松島外務政務官
2008年7月 山東参議院副議長

(2)来

年月 要人名
1992年3月 シェパロビッチ外相
1993年11月 マテシャ経済担当無任所大臣
1995年8月 イバニシェビッチ議会地域院議長
1996年12月 グラニッチ副首相兼外相
1997年4月 パブレティッチ議会代議院議長
1999年11-12月 シュケグロ蔵相
2000年5月 クレレッツ外務副大臣
2000年6月 リニッチ副首相、ツルクベナツ蔵相
2001年1月 フィジュリッチ経済相
2001年11月 ジュパン=ルスコビッチ観光相
2002年6月 ツルクベナツ蔵相
2002年11月 ピツラ外相
2002年11-2月 チャチッチ公共事業・復興・建設相
2003年3月 コバチェビッチ環境保護・都市計画相
2003年6月 ツルクベナツ蔵相
2003年10月 ジュパン=ルスコビッチ観光相
2004年4月 ブケリッチ経済相、バビッチ首相府開発戦略担当相
2005年4月 コソル副首相兼家族問題・退役軍人・世代間連帯相、グラバル=キタロビッチ外相、シュケル財務相、ビシュクピッチ文化相
2005年10月 クロアチア・日本友好議員連盟代表(タディッチ友好議連会長他)
2006年9月 プリモラツ科学・教育・スポーツ相
2008年3月 メシッチ大統領(公式実務訪問賓客)
2010年4月 ベビッチ議会議長(参議院議長招聘)
2010年9月 ヤンドロコビッチ外務・欧州統合相(外務省賓客)

7.二国間条約・取極

(1)通商航海条約、文化協力協定、科学技術協定(旧ユーゴより承継)

(2)債務繰延取極

8.外交使節

(1)在クロアチア日本国大使 田村義雄特命全権大使

(2)駐日クロアチア大使 ミラ・マルティネツ特命全権大使