キプロス共和国
Republic of Cyprus

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)

一般事情

1.面積

9,251平方キロメートル(四国の約半分)

2.人口

約80.3万人(キプロス共和国政府統計局:2009年調査(2011年1月発表))
注※1974年のトルコ軍による軍事侵攻以降、キプロスは南部のキプロス共和国実効支配地域と北部のトルコ軍実効支配地域とに分かれており、上記人数は前者地域の人口。後者地域の人口については公式な数が不明である。

3.首都

ニコシア(人口約31.5万人:キプロス共和国政府統計局:2009年調査)

4.民族

ギリシャ系(キプロス共和国実効支配地域)、トルコ系(トルコ軍実効支配地域)、その他(マロン派、アルメニア系等)

5.言語

公用語:現代ギリシャ語、トルコ語(この他、英語が広く用いられている。)

6.宗教

ギリシャ正教、回教、その他(マロン派、アルメニア教会等)

7.国祭日

10月1日(独立記念日)

8.略史

年月 略史
1960年8月16日 英国よりの独立を宣言
1974年7月15日 ギリシャ軍部指導によるクーデター
1974年7月20日 トルコ軍キプロス侵攻
1983年11月15日 トルコ占領地域、一方的に「北キプロス・トルコ共和国」独立を宣言
2004年5月1日 EU加盟

政治体制・内政

1.政体

共和国(大統領制、大統領は元首兼行政の長)

2.元首

ディミトリス・フリストフィアス大統領(Demetris CHRISTOFIAS)
(2008年就任、任期5年)

3.議会

一院制80議席
(但し現在ギリシャ系56議席のみで構成、任期5年)

議長 ヤナキス・オミール(Yiannakis OMIROU)(2011年就任)

4.政府

(1)首相名 ポストなし

(2)外相名 マルコス・キプリアヌー(Markos KYPRIANOU)

5.内政

(1)2008年2月に実施された大統領選挙で、フリストフィアス労働者進歩党(AKEL)党首(当時)が新大統領に選出され(任期5年)、パパドプロス前政権に引き続き、AKEL - 民主党(DIKO) - 社会民主運動党(EDEK)の連立政権が樹立された。2011年5月に実施された国会議員選挙結果に基づく議席配分は下記のとおり。

(2)2010年2月、連立政権を形成していたEDEKが、フリストフィアス大統領との間でキプロス問題への立場に大きな相違が生じたことから政権を離脱し、右に伴い、EDEK出身の大臣2名が辞任した。

(3)2011年5月22日に国会議員選挙が実施され、民主運動党(DISY)が単独第一党となった。6月2日に行われた選挙後初の議会で、オミールEDEK党首が国会議長に選出された。

国会議席配分(2011年5月議会選挙結果)
政党 議席数
(a)民主運動党(DISY、党首:アナスタシアデス) 20議席
(b)労働者進歩党(AKEL、連立与党、党首:アンドロス・キプリアヌー) 19議席
(c)民主党(DIKO、連立与党、党首:カロヤン) 9議席
(d)社会民主運動党(EDEK、連立与党、党首:オミール) 5議席
(e)欧州党(党首:シルーリス) 2議席
(f)環境運動党(党首:パナヨトゥー) 1議席

外交・国防

1.外交基本方針

(1)キプロス問題の解決(ギリシャ系地域及びトルコ系地域の再統一)が最重要外交問題。

(イ)キプロス問題の経緯
(a) キプロスは1960年に英国よりキプロス共和国として独立。ギリシャ系住民とトルコ系住民の間で対立衝突が激化したため、国連安保理は64年に国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)を派遣。
(b) 1974年、ギリシャ軍事政権の支持を得たギリシャ系住民がクーデターを企図したのを機にトルコ軍がトルコ系住民の保護を名目に侵攻し、キプロス北部約37%を占領した。以降、キプロスは北部のトルコ軍支配地域(トルコ系)と南部のキプロス共和国政府支配地域(ギリシャ系)とに分断されている(トルコ系の「北キプロス・トルコ共和国」は1983年に独立を宣言。トルコのみ承認)。
(c) 2004年2月、両系代表は、アナン事務総長の呼びかけに応え、キプロスがEUに加盟する同年5月までの問題解決に向け、所謂アナン案(キプロス問題に関する国連事務総長による包括的合意案)に基づく直接交渉を再開。同年4月、アナン事務総長が提出した最終案が両系キプロスにおける住民投票にかけられたが、ギリシャ系地域において過半数の賛成票を得られず否決され、キプロスの再統一は達成されなかった。(国連は仲介活動の中断を決定し、右活動の中心的役割を果たしていたデ・ソト国連事務総長キプロス問題特別顧問を異動させた。)
(d) 2004年5月1日、キプロス共和国は南北に分かれたままEUに加盟(EUの立場は、北部トルコ軍支配地域へのEU法体系の適用については、キプロス共和国の実効的支配が及んでいないため、キプロス問題解決まで停止される、とするもの)。
(参考)「包括的合意案」(アナン案)
 両系の主張を盛り込む形で作成した具体的合意案。キプロスをギリシャ系及びトルコ系構成国家からなるキプロス連合共和国とすること、大統領相当職の輪番制、両系間の住民の移住制限、両系間の境界画定等を盛り込んでいる。
(ロ)キプロス問題を巡る最近の動き
(a)2008年2月、キプロス共和国において大統領選挙が実施され、キプロス問題解決に前向きな姿勢を示すフリストフィアス大統領が選出された。
同年3月、フリストフィアス大統領就任後初めてタラット・トルコ系キプロス代表(当時)との間で南北首脳会談が実現。4月にはキプロス分断の象徴とされていたレドラ通りの封鎖が解除された。
(b)2008年9月3日、ダウナー国連事務総長特別顧問同席の下、南北両首脳によるキプロス問題本格交渉が開始。交渉は主に、1)統治と権力分割、2)財産権、3)EU問題、4)経済問題、5)領域、6)安全保障、の6分野について実施されてきたが、交渉は期待されていたようには進展しなかった。
(c)2010年4月の所謂「北キプロス大統領選挙」において、キプロス再統一に消極的な姿勢を示してきたエロール氏が選出。キプロス問題交渉の進展を不安視する声もあったが、2010年5月のフリストフィアス=エロール間第一回直接交渉で両系代表はこれまでの交渉成果を前提に交渉を継続する旨表明し、その後両系代表間交渉は定期的に実施中。
(d)バン・キムン国連事務総長は、2010年11月、2011年1月と、両系代表との三者会談を行い、解決に向けた圧力を強めている。次回三者会談は2011年7月にジュネーヴで開催予定。

(2)EU

(イ)2002年12月のコペンハーゲン欧州理事会において、キプロスを含む10カ国に対し新規加盟招請がなされ、2004年5月1日、キプロスは長年の外交目標であったEU加盟を果たした。
(ロ)1974年以降分断状況が続いている北部のトルコ軍支配地域の扱いにつき、EUは、キプロス共和国をしてキプロス島全体を代表する政府と見なすが、北キプロス地域についてはキプロス共和国の実効的支配が及んでいないので、キプロスが再統一されるまで同地域へのEU法体系の適用は延期されるとの解釈をとっている。

(3)中東政策

(イ)地理的事情から、キプロスは中東情勢に強い関心を有しており、イスラエルを含む中東諸国とは良好な二国間関係を維持している。
(ロ)イラク戦争の際には国連イラク人道調整官事務所やオペレーション機能の一部がキプロスに置かれ、2006年7月のレバノン危機(イスラエルによる空爆)の際には各国がレバノン在留邦人をキプロス経由で避難させるなど、中東情勢の不安定化に伴いキプロスの重要性が高くなり、また、国際社会の要望を積極的に受け入れたキプロスの姿勢は高く評価された。

2.軍事力

(1)予算 376百万ドル(2010年)

(2)兵役 徴兵制24か月

(3)兵力 国家守備隊10,000人

(出典:2011年ミリタリー・バランス)

経済

1.主要産業

観光業、金融業、海運業

2.GDP

約236億米ドル(2009年 IMF)

3.一人当たりGDP

約29,620米ドル(2009年 IMF)

4.GDP成長率

-1.7%(2009年 IMF)

5.物価上昇率

0.17%(2009年 IMF)

6.失業率

5.3%(2009年 IMF)

7.総貿易額

(1)輸出 約14.12億ドル(2010年 インターナショナルトレードセンター)

(2)輸入 約84.00億ドル(2010年 インターナショナルトレードセンター)

8.主要貿易品目

(1)輸出 医薬品、電子部品、有機化学材料

(2)輸入 石油、石油製品、機械類、電気製品

9.主要貿易相手国

(1)輸出 ギリシャ、独、英、伊、露

(2)輸入 ギリシャ、伊、独、英、イスラエル

10.通貨

ユーロ

11.為替レート

1ユーロ=約116円(2011年6月現在)

12.経済概況

(1)キプロスは、地中海の北東、ヨーロッパ、アジア、アフリカの接点という地理的な利点を持ち、経済成長に向け積極的に外国投資を誘致しており、法人税についてはEUの中で最も低い税率となっている。

(2)1960年英国から独立した当時は農業、手工業を中心としていたが、政府が効率的な経済政策を実施し、順調な経済発展を達成した。1974年のトルコ軍侵攻により経済的打撃を受けたものの、その後立ち直りを見せ、観光、オフショア企業の誘致を通じ、1980年代は年率5%の経済成長を見せた。

(3)キプロスの立地条件及び税率は国内外の船主の関心を呼び、海運業が活発。金融業も発達しており、国内銀行の他多数の外資系銀行が営業している。また、観光業についても、毎年200万人を越す旅行者がキプロスを訪問しており、産業の大きな柱となっている。

(4)2004年にEU加盟、2008年にユーロを導入。EU加盟以来、付加価値税や法人税の引き上げなどEU規則との税制調和が行われてきたが、経済は依然として堅調となっており、2009年世界経済フォーラムの世界競争力報告は、キプロスを133ヶ国中34位に位置づけている。

(5)2009年から景気後退に突入し、観光業や建設業に落ち込みが見られたが、2010年第2四半期から回復の兆しが見え始め、輸出などの回復により2010年のGDP成長率は1%増となった。

(6)2010年、イスラエル沖のリヴァイアサン地域に天然ガス資源が発見され、キプロスとイスラエルはEEZ(経済排他水域)を設定した。

経済協力

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力 なし

(2)無償資金協力 なし

(3)技術協力実績(1982〜1998年累計) 0.93億円

二国間関係

1.政治関係

伝統的に友好関係。
日本は所謂「北キプロス・トルコ共和国」不承認の立場。

2.経済関係

(1)日キプロス貿易の推移(単位:億円)

日本→キプロス キプロス→日本 収支
2002 623 3 620
2003 331 5 326
2004 576 12 565
2005 321 20 301
2006 488 29 459
2007 859 23 836
2008 756 24 732
2009 218 27 191
2010 178 1.2 176.8

(出典:財務省統計)

(2)主要輸出入品目

日本→キプロス 乗用自動車及び部品、機械類、タイヤ
キプロス→日本 ジュース類(果物及び野菜)、フルーツ缶、機械類

(出典:インターナショナルトレードセンター)

3.文化関係

1982年7月 現代舞踊グループが国際交流基金の派遣によりリマソール芸術祭に参加
1986年3月 国際交流基金60年度事業にてキプロス教育研究所に図書寄贈
1993年 万博基金助成事業によりキプロス神経・遺伝学研究所に対し電子顕微鏡を寄贈
1996年3月 国際交流基金事業によりキプロス大学に図書寄贈
2000年11月 日・キプロス修好40周年を祝い、キプロスにおいて日本文化週間を開催
2005年 「日・EU市民交流年」の枠組みで、5月に「日本文化週間」として現代日本映画祭、生け花展示会及び書道レクチャー・デモンストレーション・ワークショップを開催
2010年10月 日・キプロス国交50周年記念事業として総合文化行事「キプロスにおける日本週間」を開催

4.在留邦人数

43人(2011年5月現在)

6.要人往来

(1)往

年月 要人名
1990年 小宮山衆議院議員を団長とする超党派議員団(IPU総会)
1991年 連合参議院PKO視察議員団
1996年 小川外務政務次官
2002年 瓦 日・キプロス友好議員連盟会長

(2)来

年月 要人名
1970年 マカリオス大統領(国賓)、(キプリアヌー外相同行)
1973年 コロカシディス商工大臣
1982年 キプロス貿易代表団(アンドレウ商工大臣が団長)
1984年 キプリアヌー大統領、イアコヴ外相
1989年 ヴァシリウ大統領、ネミツァス商工大臣(大喪の礼)
1990年 海事・商業代表団(カツリデス大統領顧問が 団長)、ヴァシリウ大統領(即位の礼)
1991年 ネミツァス商工大臣
1994年 アダミーディス通信・公共事業大臣
1997年 カスリーディス外相(外務省賓客)
1999年 ロランディス商工観光相
2000年 ピリシス外務事務次官
2004年1月 リリカス商工観光相
2005年5月 ヤコヴ外相
2007年10月 ネオフィートゥー・キプロス日本友好議員連盟会長他
2010年10月 エミリウ外務事務次官

6.二国間条約・取極

査証及び査証料免除取極(1972年9月締結)

7.外交使節

日本側
 在キプロス日本大使館(在ギリシャ日本大使館が兼轄)
 在リマソール名誉総領事館(ガラタリオティス名誉総領事)

キプロス側
 在日キプロス大使館(在中国キプロス大使館が兼轄)
 在京キプロス名誉総領事館(菊間潤吾名誉総領事)