チェコ共和国
(Czech Republic)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年5月現在)
一般事情
1.面積
78,866平方キロメートル(日本の約5分の1)
2.人口
1,052万人(2010年)
3.首都
プラハ
4.民族
チェコ人94%、その他スロバキア人、ロマ人等(2001年)
5.言語
チェコ語
6.宗教
カトリック26.3%、無信仰58.3%(2001年)
7.祝日
4月中(イースター・マンデー。年毎に異なる)、5月8日(戦勝記念日)、7月5日(ツィリルとメトディウスの日)、7月6日(ヤン・フスの日)、9月28日(チェコ国体記念日)、10月28日(独立記念日)、11月17日(自由と民主主義のための闘争の日)
8.略史
年月 | 略史 |
---|---|
9世紀 | 大モラビア帝国成立 |
10世紀 | 大モラビア帝国滅亡、ボヘミア王国成立 |
1620年 | ハプスブルク帝国の支配下に |
1918年 | 第一次世界大戦後、チェコスロバキア共和国成立 |
1938年 | ミュンヘン協定により、チェコスロバキア共和国崩壊 |
1939年 | ボヘミア・モラビア地方はドイツの保護領に |
1945年 | 第二次世界大戦後、独立回復 |
1948年 | 共産主義体制確立 |
1968年 | 「プラハの春」事件 |
1989年 | 民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終結 |
1993年 | スロバキアと平和裡に分離・独立 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ヴァーツラフ・クラウス(Václav Klaus)大統領(2008年3月再任、2期目、任期5年)
3.議会
2院制
下院200名 任期4年
上院81名、任期6年
4.政府
(1)首相 ペトル・ネチャス(Petr Nečas)(2010年6月就任)
(2)外相 カレル・シュワルツェンベルグ(Karel Schwarzenberg)(2010年7月就任)
5.内政
- 1989年の民主革命(「ビロード革命」)後のスロバキアにおけるナショナリズムの高揚を背景に、チェコは、1993年1月スロバキアとの連邦を平和的に解消し独立。
- クラウス中道・右派連立政権下でマクロ経済は安定して推移したが、1996年春の下院選挙で、左派の社民党(CSSD)が大躍進し、第二次クラウス政権は少数内閣となった。
- 1997年11月、与党市民民主党(ODS)の政治献金疑惑をきっかけにクラウス政権は総辞職。トショフスキー選挙管理内閣を経て行われた1998年6月の繰上選挙でCSSDが第1党となったものの、左派、右派とも単独過半数を得られず、交渉の結果、右派ODSの閣外協力に支えられたゼマンCSSD政権が成立した。
- 2002年6月の下院選挙では、CSSDが若干議席を減らしたものの、第一党の地位を維持し、キリスト教民主連合-人民党(KDU-CSL:中道)及び自由連合-民主連合(US-DEU:右派)との間で政策協議・連立交渉を行い、同年7月、三党からなるシュピドラ連立政権が成立した。
- 2003年2月、民主化革命後約13年大統領を務めたハヴェル氏は任期満了で大統領退任。第1回から第3回まで行われた大統領選挙の結果、第1回及び第2回選挙で最多得票のクラウス元首相(ODS)が大統領に選出された。
- シュピドラ政権は、EU加盟に向けて国内の改革を進め、2004年5月にEU加盟を成し遂げたが、同年の欧州議会選挙での敗北を受け、シュピドラ首相は辞任。グロス首相の下で第2次三党連立内閣が発足。
- しかし、2004年11月の上院選挙(1/3改選)における敗北、政治スキャンダル等により、グロス首相に代わってパロウベク内閣を樹立(2005年4月)。
- 2006年6月、任期満了に伴う下院選挙が実施され、野党第一党の市民民主党(ODS)が勝利し、3ヶ月に渡る交渉の結果、9月、トポラーネクODS党首を首班とするODS少数内閣が発足したが、下院の信任を得られず総辞職。その後、再度トポラーネクODS党首が首相に任命され、第二次トポラーネク内閣が2007年1月9日に任命される。同内閣は19日に下院で信任を受け、正式に成立。
- 2008年2月、任期満了に伴う大統領選挙が実施され、第1回及び第2回選挙の結果、クラウス現大統領が再選された。
- 2008年10月、上院選挙(1/3改選)及び地方選挙が実施され、野党第一党の社会民主党(CSSD)が大きく議席を増やした。
- 2009年3月24日、内閣不信任案が下院で可決されたことを受け、トポラーネク内閣は総辞職。5月8日にフィシェル新首相(前統計局長官)が就任(選挙管理内閣が発足)。10月に繰り上げ総選挙を予定していたが、下院議員の任期短縮に関する異議申し立てを受け、憲法裁判所が繰り上げ総選挙の実施取り消しを決定。
- 2010年5月28-29日に任期満了による下院選挙を実施。社会民主党(中道左派)が第一党となったが、第二党の市民民主党(中道右派)とは僅差に終わり、社会民主党は同じく左派のチェコ-モラビア共産党の議席数とあわせても過半数に達しないことから敗北を表明し、パロウベク社会民主党党首は辞任。
- 第二党となった市民民主党を中心に、新党「TOP09」と「公共の物(VV)」が連立政権形成に合意。6月28日にネチャス市民民主党党首が首相に任命、7月13日にその他閣僚が任命され、ネチャス新内閣が発足。
- 2010年10月後半に実施された上院選挙(全体議席の1/3)で最大野党社会民主党が票を伸ばし、上下両院に「ねじれ」が発生。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)「欧州への回帰」を大目標に、EU及びNATO加盟を目指し改革を進めてきた。
(2)1995年12月には、いわゆる移行経済国として初めてOECD加盟を実現。
(3)1999年3月にNATOに正式加盟。
(4)1998年3月からEU加盟交渉を開始、2004年5月1日に正式加盟した。
(5)2009年1月から6月までEU議長国を務めた。
2.軍事力
(1)予算 26.6億ドル(2008年)
(2)兵役 徴兵制度を2004年で廃止し、職業軍人化
(3)兵力 3.8万名(2008年)
経済
1.主要産業
機械工業、化学工業、観光業
2.GDP
1,920億米ドル(2010年)
3.一人当たりGDP
18,259米ドル(2010年)
4.経済成長率
2.2%(2010年)
5.物価上昇率
1.5%(2010年)
6.失業率
7.4%(2010年)
7.総貿易額
(1)輸出 1,321億ドル(2010年)
(2)輸入 1,257億ドル(2010年)
8.主要貿易品目
(1)輸出 電気機器、自動車及び関連機器、機械類
(2)輸入 電気機器、機械類
9.主要貿易相手国(2010年)
(1)輸出(%) ドイツ(31.9)、スロバキア(8.8)、ポーランド(6.2)、フランス(5.4)、英国(4.9)
(2)輸入(%) ドイツ(25.5)、中国(12.2)、ポーランド(6.4)、ロシア(5.4)、フランス(5.2)
10.通貨
チェコ・コルナ(Kc)
11.為替レート
1コルナ=約4.59円
12.経済概況
(1)1989年の民主革命後、市場経済への移行をめざした経済改革を実現。
(2)1993年のスロバキアとの分離・独立を経て、1994年には経済成長率がプラスに転じる等順調な成長を遂げる一方、低い失業率、比較的安定したインフレ率を維持し、「チェコ経済の奇跡」と呼ばれた。
(3)しかし、その後法制度の未整備等を背景に不正蓄財の横行、不良債権の蓄積、通貨危機等さまざまな問題に直面した。
(4)一時深刻な不況に陥ったチェコ経済は、1997年から1999年まで3年連続マイナス成長を記録したが、直接投資の拡大が景気を引っ張る形で設備投資全体が回復し、1999年以降プラス成長を続けた。
(5)欧州経済が低迷する中で、内需拡大及び輸出増加により2005年以降6%台の高い成長を続けていたが、2008年に入ると物価上昇やチェココルナ高の影響を受け、緩やかに景気減速し始めた。さらに、同年9月の国際金融危機以降、主要貿易相手国の景気低迷の影響を受け、急激に景気が低迷し、2009年には−4.1%まで減速した。
(6)ドイツをはじめとした周辺諸国の景気回復に伴い、2010年には2.2%の成長となった。その後も緩やかな回復が続いているが、財政赤字削減のために実施している緊縮財政政策がマイナスに影響することが予想される。
(7)ユーロ導入時期は未定。
経済協力(単位 億円)
日本の援助実績(2002年度末までの累計)
(1)対チェコスロバキアODA
- (イ)有償資金協力 なし
(ロ)無償資金協力 0.91億円
(ハ)技術協力実績 5.96億円
(2)対チェコODA
- (イ)有償資金協力 なし
(ロ)無償資金協力 3.82億円
(ハ)技術協力実績 7.12億円
二国間関係
1.政治関係
(1)両国関係は、旧チェコスロバキア時代から良好。1989年末の民主革命後、両国関係は急速に拡大した。
(2)日本は1993年1月1日のチェコ独立と同時に同国を承認し、同1月29日に外交関係を開設した。
(3)2007年に両国の国交回復50周年を迎えた(1957年に日本とチェコスロバキア(当時)の間で国交回復に関する協定を締結してから50周年)。
2.経済関係
(1)日本の対チェコ貿易(2010年、財務省貿易統計)
- (イ)貿易額
- 輸出 1,548億円
輸入 470億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 科学光学機器、音響・映像機器部品、半導体等電子部品
輸入 自動車部品、野菜、医薬品
(2)日本からの直接投資
- 149億円(2009年フロー、日本銀行)
主要事例 TV製造、自動車製造等
(3)進出日系企業数
- 約248社(2010年11月現在)(出典:ジェトロプラハ事務所)
3.文化関係
(1)両国の文化交流は、伝統的に盛んであったが、近年では茶道、生け花などの伝統文化に加え、アニメ等をはじめとするポップカルチャーの人気が非常に高まってきている。
(2)チェコの大学では、現在、3つの大学に日本学科が設けられている(カレル大学(プラハ)、マサリク大学(ブルノ)、パラツキー大学(オロモウツ))。
(3)自治体間交流に関しては、現在、ピルゼン市と高崎市、カルロヴィ・ヴァリ市と群馬県草津町、プラハ市と京都市、ウヘルスキー・ブロット市と群馬県みなかみ町(旧月夜野町)が姉妹都市関係を結んでいる。2010年は高崎・ピルゼン市姉妹都市関係樹立20周年を迎え、両市において記念行事が行われた。
(4)文化無償供与実績:国民美術館への視聴覚機材(1999年度)、ブルノ交響楽団への楽器(2000年度)、オストゥラヴァ市モラヴィア・シレジア国民劇場への録音機材(2001年度)、パラツキー大学へのLL機材供与(2002年度)
※2004年5月に当国がEU加盟を果たしたこと等から、文化無償資金協力は2003年度をもって終了。
4.在留邦人数
1,501人(2010年10月)
5.在日当該国人数
243人(2009年12月)
6.要人往来(1993年以降)
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
1994年12月 | 松永政府代表 |
1995年9月 | 衆・外務委員会調査団 |
1996年8月 | 河野前外相 |
1996年9月 | 武藤元外相/日・チェコ友好議連会長 |
1996年10月 | 清子内親王殿下 |
1997年8月 | 池田外相 |
1997年8月 | 斎藤参議院議長 |
2000年9月 | 宮澤蔵相・速見日銀総裁(G7.IMF.世銀総会) |
2001年7月 | 田中外務大臣 |
2002年7月 | 天皇皇后両陛下 |
2003年8月 | 小泉総理大臣 |
2005年1月 | 中川経済産業大臣 |
2005年11月 | 金田外務副大臣 |
2008年7月 | 横路衆議院副議長 |
2009年5月 | 麻生総理大臣 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1995年12月 | ハヴェル大統領(民間招待) |
1996年9月 | クラウス首相(公式実務訪問) |
1996年10月 | ドロウヒー商工相 |
1997年12月 | ピトハルト上院議長(参議院招待) |
1999年5月 | カヴァン外相(外務省賓客) |
1999年10月 | ハヴロヴァー大統領夫人 |
2000年6月 | ハヴリーチェク上院第一副議長 |
2001年4月 | 下院外務委員会代表団 |
2002年2月 | ルスノク財務相 |
2005年5月 | ヤーン経済担当副首相、ブスコヴァー教育相、ピトハルト上院副議長 |
2005年6月 | パロウベク首相 |
2005年9月 | シモノフスキー副首相兼運輸相 |
2006年11月 | マルチーネク地域開発相 |
2007年2月 | クラウス大統領(公式実務訪問)、シュワルツェンベルグ外相 |
2008年9月 | クラウス大統領 |
2009年3月 | ブルシーク副首相兼環境相 |
2009年11-12月 | ソボトカ上院議長(参議院招待) |
2010年5月 | コピツォヴァー教育・青年・スポーツ相 |
7.二国間条約・取極
1957年 国交回復に関する協定(同年発効)
1976年 文化交流取極(同年発効)
1977年 二重課税回避条約(1978年発効)
1978年 科学技術協力取極(同年発効)
1983年 外交官等に対する数次査証付与取極(1984年発効)
1992年 貿易協定(同年発効)
1996年 外交・公用旅券所持者の相互査証免除取極(同年発効)
1998年 一般旅券所持者に対する査証免除関する口上書交換
2008年 社会保障協定(2009年発効)
8.外交使節
(1)駐チェコ日本国大使 國方俊男 特命全権大使
(2)駐日チェコ共和国大使 カテジナ・フィアルコヴァー 特命全権大使