東ティモール民主共和国
(The Democratic Republic of Timor-Leste)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)

一般事情

1.面積

約1万4,900平方キロメートル(首都4都県(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積)とほぼ同じ大きさ)

2.人口(東ティモール国家統計局)

約107万人(2010年)(暫定値)

3.首都

ディリ

4.民族

テトゥン族等大半がメラネシア系。その他マレー系、中華系等、ポルトガル系を主体とする欧州人及びその混血等。

5.言語

国語は、テトゥン語及びポルトガル語。実用語に、インドネシア語及び英語。その他多数の部族語が使用されている。

6.宗教

キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%

7.略史

略史
16世紀以前 リウライ(王)が割拠し、王国が乱立
16世紀前半 ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服
17世紀半ば オランダ、西ティモールを占領
1701年 ポルトガル、ティモール全島を領有
1859年 リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割
1942年 日本軍、ティモール全島を占領
1945年 第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が回復(西ティモールはインドネシアの一部として独立)
1974年 ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる
1975年 独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧
1976年 インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言
1991年 11月 サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1998年 5月 スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換
1999年 6月11日 国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定する決議1246を採択
8月30日 独立についての直接投票実施
9月4日の結果発表直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し現地情勢は急激に悪化
9月15日 国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を認める決議1264を採択
10月20日 インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定
10月25日 国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定する決議1272を採択
2000年 7月 東ティモール暫定政府(ETTA)発足
10月 国民評議会(National Council)発足
2001年 8月30日 憲法制定議会選挙実施
9月20日 東ティモール行政府(ETPA)発足
2002年 3月22日 憲法公布
4月14日 大統領選挙実施、グスマン氏が当選
5月17日 国連安保理による国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定する決議1410を採択
5月20日 東ティモール民主共和国独立
9月27日 国連加盟
2005年 4月28日 国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定する決議1599を採択
2006年 4月28日 離脱兵による抗議活動に関連し暴力行為が発生し政府は軍を投入
5月初旬〜 憲兵隊員が国軍から離脱、国軍本部等を襲撃
5月25日 豪、ポルトガル、NZ、マレーシアは、東ティモール政府の要請を受け国際治安部隊を派遣
6月26日 アルカティリ首相辞任
7月10日 ラモス=ホルタ外相が首相就任
8月25日 UNOTIL任務終了。国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定する決議1704を採択
2007年 4月9日 大統領選挙実施
5月9日 大統領選挙決選投票実施
5月20日 ラモス=ホルタ前首相が大統領就任
6月30日 国民議会選挙実施
8月8日 グスマン前大統領が首相就任
2008年 2月11日 ラモス=ホルタ大統領及びグスマン首相襲撃事件発生。ラモス=ホルタ大統領重傷を負う
2月12日 非常事態宣言発出
5月8日 非常事態宣言解除

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

ラモス=ホルタ大統領(任期5年:2007年5月20日〜)

3.議会

一院制(任期5年)(議席数65)

政党名 議席数
東ティモール独立革命戦線(フレテリン) 21
東ティモール再建国民会議(CNRT) 18
ティモール社会民主協会(ASDT)と社会民主党(PSD)の連合 11
民主党(PD) 8
国民連帯党(PUN) 2
ティモール闘士連合(KOTA)とティモール大衆党(PPT)の連合 2
ティモール民族抵抗民主国民連帯党(UNDERTIM) 2
無所属 1
65

なお、CNRT、ASDT、PSD、PD及びUNDERTIMの5党が連立与党(AMP)を形成。

4.政府

シャナナ・グスマン首相兼国防・治安大臣(2007年8月〜)

ザカリアス・アルバノ・ダ・コスタ外務大臣(2007年8月〜)

5.内政(肩書きは当時)

2002年4月14日に行われた大統領選により、シャナナ・グスマン氏が当選、5月20日に初代大統領に就任。同時に初代首相には与党フレテリン幹事長で、東ティモール行政府の首席閣僚のマリ・アルカティリ氏が就任したが、2006年4〜5月に発生した騒乱の責任を取る形で同年6月26日に辞任。7月10日、ジョゼ・ラモス=ホルタ外相が後任に就任。2007年4月9日に大統領選挙、5月9日に大統領選挙決選投票が行われた結果、5月20日、ラモス=ホルタ首相が大統領に就任。6月30日に国民議会選挙が実施され、7月6日、CNRT、ASDT、PSD、PDは連立を組むことを発表。8月8日、グスマン前大統領(CNRT党首)を首相とする新政権が発足した(その後、UNDERTIMも連立に参加)。フレテリンを中心とする野党は連立政権の違憲性を主張していたが、現在議会は正常に機能し、議論も活発である。

外交・国防

1.外交基本方針

ポルトガル語を公用語とする諸国との特別な友好関係を維持する(憲法第8条第3項。2002年7月、CPLP(ポルトガル語諸国共同体)加盟)。近隣諸国地域及び支援国との特別な友好・協力関係を維持する(憲法第8条第4項)。2012年までのASEAN加盟を目標としている。2005年7月、ASEAN地域フォーラム(ARF)に加盟。2007年1月東南アジア友好協力条約(TAC)に署名。

2.軍事力

(1)予算 約3,604万ドル(2009年)(出典:東ティモール財務省)

(2)兵役 志願制

(3)兵力

2000年9月 東ティモール暫定内閣は、5年以内に1500名の正規兵及び1500名の予備役からなる東ティモール国防軍の創設を決定。
2001年10月 第1大隊設立
2004年までに、1200名が就役したが、国軍は、2006年2月、待遇に不満を持ち離脱した兵士約600名を除隊処分にした。以来、国軍の再建が進められている。
2009年の陣容は、陸軍1,286人、海軍36人(Military Balance 2009)

経済

1.主要産業

農業が主要な産業(多くは零細農業。コメ、とうもろこし、イモ類、ココナッツを栽培)。輸出用作物としては特にコーヒーの栽培に力を注いでいる。石油・天然ガス(ティモール・ギャップ)の開発が貴重な国家財源として進められている。

2.GDP(単位:百万米ドル(出典:IMF))

  2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
GDP(単位:百万米ドル) 298 309 332 327 358 444 556

3.一人当たりGDP(IMF)

  2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
一人当たりGDP(米ドル) 323.1 324.8 337.5 321.9 341.5 410.8
(推定)
498.5
(推定)

4.実質経済成長率(IMF)

  2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
実質経済成長率(%) −0.1 4.4 6.5 −5.9 9.1 11.0 11.6

5.物価上昇率(IMF)

  2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
物価上昇率(%) 7.1 3.2 1.8 4.1 8.9 7.6 0.05

6.貿易品目(2009年:東ティモール国家統計局)

(1)輸入 電気機器、穀物、自動車及び部品、機械類、燃料

(2)輸出 コーヒー
天然ガスはパイプラインを通じオーストラリアから輸出されているため、統計上は計上されていない。

7.貿易相手国(2009年:東ティモール国家統計局)

輸入 (1)インドネシア、(2)シンガポール、(3)オーストラリア、(4)ベトナム、(5)中国

輸出 1)米国、(2)ドイツ、(3)ポルトガル、(4)インドネシア、(5)日本

8.通貨

米ドル、ただし、1米ドル未満についてはセント貨に加え、独自の「センタボ(centavo)」貨も使用(米セントと同貨)。

9.経済概況

2000年から2001年にかけて、経済成長率は18.9%。しかし、2002年5月の独立以降、一時期の在留外国人の急増に伴う一種のバブル景気が終焉したことにより、実質経済成長率は減少。さらに、騒擾事件を受け2006年にマイナスに落ち込んだが、2007年に急回復、2008年も高い水準を保った。世界金融危機の影響を直接に被らなかったため、2009年の経済成長も堅調であった。

日本の支援

1.経済協力

(1)1999年12月、第1回東ティモール支援国会合(東京開催)において表明したとおり、日本は3年間で約1億3千万ドルの支援を実施した。

(2)2002年5月、第6回支援国会合(ディリ開催)において表明したとおり、日本は3年間で約6,000万ドルを上限とする支援を実施した。

(3)その後二国間支援を本格化し、教育・人材育成・制度作り、インフラ整備・維持管理、農業・農村開発及び平和の定着を重点4分野として、今日まで支援を行ってきている。

(4)2006年春の騒乱時には、国連緊急アピールに対し500万ドルの支援を実施。

(5)2007年2月、大統領選挙及び国民議会選挙実施を支援するため、国連開発計画(UNDP)を通じ、約72万ドルの緊急無償資金協力を実施。

(参考)主要援助国(2009年:OECD DAC)
 (1)豪州、(2)ポルトガル、(3)米国、(4)日本、(5)スペイン

2.その他の支援(独立した2002年以降)

(1)2002年4月〜2004年5月まで、自衛隊施設部隊延べ2,304名を国連PKOミッションに派遣。

(2)2007年2月より2008年2月まで、国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し、文民警察要員延べ4名を派遣。

(3)2007年4月の大統領選挙、5月の同選挙決選投票、及び6月の国民議会選挙に選挙監視団(延べ36名)を派遣。

(4)2010年9月より国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)に対し、軍事連絡要員として自衛官(延べ4名)を派遣中。

二国間関係

1.外交関係

これまでの国づくりに対する支援や活発な要人往来を基に友好関係を維持。独立した2002年5月20日、日本は東ティモールを国家承認し、外交関係を樹立。また、同日、首都ディリに大使館(在インドネシア大使館の兼館)を開設。2004年1月、在東ティモール大使館は実館となった。

2012年に周年事業「日本・東ティモール外交関係樹立10周年記念平和年(友情と平和の年)」を実施予定。

2.在留邦人数

115名(2011年3月現在)

3.要人往来

独立についての直接投票以降(1999年9月以降)

(1)往

年月 要人名
2000年1月 東総括外務政務次官
2000年4月 河野外相
2001年4月 望月外務大臣政務官
2001年8月 杉浦外務副大臣
2002年4月 水野外務大臣政務官
2002年4月 小泉総理大臣
2002年5月 杉浦外務副大臣(独立記念式典に出席)
2002年8月 中谷防衛庁長官、山崎参議院議院運営委員長
2002年12月 矢野外務副大臣
2003年3月 小島防衛庁政務官
2003年8月 渡部衆議院副議長
2004年2月 逢沢外務副大臣
2004年5月 浜田防衛庁副長官
2005年4月 福島外務大臣政務官
2006年6月 遠山外務大臣政務官
2008年5月 宇野外務大臣政務官
2008年6月 江田参議院議長
2008年11月 御法川外務大臣政務官
2010年5月 榛葉防衛副大臣

(2)来

年月 要人名
1999年12月 シャナナ・グスマン・ティモール抵抗民族評議会(CNRT)議長(東ティモール支援国会合出席)
2000年4月 デ・メロ事務総長特別代表
2000年9月 ベロ司教
2001年12月 マリ・アルカティリ首席閣僚兼経済・開発担当閣僚、ラモス・ホルタ外務・協力担当上級閣僚、フェルナンダ・ボージェス財務担当閣僚
2002年1月 シャナナ・グスマン前CNRT議長
2002年8月 シャナナ・グスマン大統領
2003年3月 ブランコ外務・協力副大臣
2003年4月 ラモス=ホルタ外務・協力上級大臣(外務省賓客)
2004年2月 シャナナ・グスマン大統領
2004年12月 シャナナ・グスマン大統領
2005年2月 ラモス=ホルタ外務・協力上級大臣
2005年9月 ラモス=ホルタ外務・協力上級大臣
2006年3月 アルカティリ首相兼天然資源・鉱物・エネルギー政策大臣(実務訪問賓客)
2008年5月 ダ・コスタ外務大臣
2009年2月 ラサマ・デ・アラウジョ国民議会議長、ジュリオ・トーマス・ピント国防担当国務長官、フランシスコ・グテーレス治安担当国務長官
2009年3月 シャナナ・グスマン首相兼国防・治安大臣(公式実務訪問賓客)
2009年12月 ライ・ダ・シルヴァ・インフラ整備大臣
2010年1月 ルイ・ハンジャム財務副大臣
2010年3月 ラモス=ホルタ大統領(実務訪問賓客)
2011年2月 エミリア・ピレス財務大臣

4.二国間条約・取極

2005年 技術協力協定