エクアドル共和国
(Republic of Ecuador)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年3月現在)
一般事情
1.面積
25.6万平方キロメートル(本州と九州を合わせた広さ)
2.人口
1400万人(2010年、国家統計調査局)
3.首都
キト
4.民族
欧州系・先住民混血79%、欧州系8%、先住民7%、アフリカ系・アフリカ系との混血3%(2001年、国勢調査)
5.言語
スペイン語
6.宗教
カトリック
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1822年 | 大コロンビアとして、スペインより独立 |
1830年 | 大コロンビアより分離独立 |
1979年 | 民政移管 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ラファエル・コレア大統領(2007年1月〜、2009年4月に新憲法(大統領の任期は4年、1回に限り連続再選可)に基づく大統領選挙が実施され、コレア大統領が再選。再選後の任期は2013年5月まで。)
3.議会
一院制(任期4年:計124議席)
4.政府
(1)首相名 首相職無し
(2)外相名 リカルド・パティーニョ外務・通商・統合大臣
5.内政
エクアドルは、1822年の独立後、クーデターによる政権交代が繰り返されたが、1979年に民政移管した。
2003年1月に就任したグティエレス大統領は、先住民系政治組織パチャクティをも巻き込んだ連立政権を発足させたが、ガソリン価格引き上げを含む厳しい緊縮政策を導入、外交面でも対米接近を図ったため、支持基盤である先住民等貧困層の離反を招き、連立政権は数ヶ月で崩壊、その後は国会で野党勢力と順次手を結び、辛うじて政権を維持した。2004年末には与党及び政府支持派野党等による国会での最高裁判事更迭を契機として、反政府運動が活発化、大統領罷免決議が採択されるなど、政情が不安定化し、2005年4月に国会が同大統領を罷免したのを受け、パラシオ副大統領が大統領職を継承した。
パラシオ大統領は、政治経験も確たる政治基盤も無いことから、政権運営は困難を極め、重要閣僚が相次いで辞任・交代するなど、不安定な状況が続いた。
かかる国政の混乱及び寡占的な政治経済構造に対する国民の歴史的な不満を背景に、貧困層の多数の支持を得て、コレア大統領が2007年1月に就任した。コレア大統領は大統領選挙の公約(新憲法制定のための制憲議会の設置、対米FTA交渉の打ち切り、米軍によるエクアドル空軍基地(マンタ基地)の2009年11月以降の使用許可延長拒否、予算を貧困層に重点的に配分)を、議会に確たる支持基盤を持たない中で積極的に推し進めてきた。特に新憲法制定に向けては、全権を担う制憲議会の開催の是非を問う国民投票の実施を推進する大統領及び世論と、これを阻止しようとする議会の間で混乱が生じたが、4月、国民投票の結果、多数の支持を受けて制憲議会が発足した。続いて制憲議会議員選挙を9月に実施、その結果コレア大統領支持政党が制憲議会の絶対過半数を占め制憲議会が発足した。2008年7月には、制憲議会にて、94票の賛成と32票の反対又は棄権により、新憲法草案が可決された。右憲法草案は10月16日、国民投票で過半数の支持を得て成立した。新憲法に基づき2009年4月26日に総選挙が実施されコレア大統領が再選。新憲法の下でコレア大統領は種々の改革を意欲的に実施しようとしている。他方で2010年9月、警官らが、待遇変更につながる公務員法制定に反対する抗議行動を行い、非常事態宣言が発出される事態等もおきている。
外交・国防
1.外交基本方針
コレア大統領は、米国との関係では、2009年11月18日まで米軍に認められていたエクアドル空軍基地(マンタ空軍基地)の利用を認めないことを2008年7月に決定。米国は当国の決定を受け入れ、2009年9月18日、同基地から撤退した。2004年5月に二国間FTA交渉が開始されていたが、コレア大統領は米とはFTAを締結しない旨表明するなど、米国との関係を「エクアドルの主権」を中心概念とした新たな関係に変更している。
他方で、チャベス・ベネズエラ大統領が主導している米州ボリバル代替統合構想(ALBA。現在の正式名称は米州ボリバル同盟)に2009年6月に加盟した。
2008年3月、コロンビア国軍が、コロンビア非合法武装勢力FARC(コロンビア革命軍)掃討作戦の最中、エクアドル領内のFARC野営地に対し、エクアドル政府の事前承諾なしに空爆を行い、エクアドル政府はこれに反発、コロンビアとの外交関係を断絶した。
その後、OAS(米州機構)、周辺諸国及びカーター元米国大統領の仲介により、外交関係修復への調整が行われ、2009年11月双方が臨時代理大使を派遣した。2010年11月、コレア大統領は、南米諸国連合首脳会合の際にサントス・コロンビア大統領と会談し関係の全面修復に合意した。
2.軍事力
(1)予算 11億ドル
(2)兵役 (1年)
(3)兵力 57,983人(陸軍46,500人、海軍7,283人、空軍4,200人)
(2008年、ミリタリー・バランス2010年版)
経済
1.主要産業
鉱工業(石油)、農業(バナナ、カカオ、生花)、水産業(エビ)
2.GDP
520億ドル(2009年、エクアドル中銀)
3.一人当たりGDP
3,669ドル(2009年、エクアドル中銀)
4.GDP成長率
0.36%(2009年、エクアドル中銀)
5.物価上昇率
4.31%(2009年、国家統計調査局)
6.貿易額
(1)輸出(FOB) 137.9億ドル(2009年、エクアドル中銀)
(2)輸入(FOB) 140.9億ドル(2009年、エクアドル中銀)
7.主要貿易品
(1)輸出 石油、バナナ、コーヒー、生花、えび
(2)輸入 石油製品、自動車、車両部品、鉄鋼
8.主要貿易相手国
(1)輸出 米国、ペルー、イタリア、コロンビア、独
(2)輸入 米国、コロンビア、ベネズエラ、ブラジル、チリ、日本
9.通貨
米ドル(2000年3月より)
10.近年の経済政策
ノボア政権(2000年1月〜2003年1月)
- ドル化を含む経済変革基本法(1ドル=25,000スクレに固定、国営電力会社、電話会社の株式の51%までの売却、労働法の改正等)を制定。国際金融機関の融資により経済開発を推進。年金・公務員給与の値上げ、燃料価格の引き上げ等を内容とした経済・社会政策を実施。
グティエレス政権(2003年1月〜2005年4月)
- 歴代政権と同様に財政赤字の削減を目的とした緊縮財政を中心に据え、IMFとの合意を基に公共料金の引き上げや増税を実施し、歳入増を図った。緊縮財政の下、インフレ率は低い水準で推移し、マクロ経済面では安定した。
パラシオ政権(2005年4月〜2007年1月)
- 2005年9月、石油部門における利益分配は不公平であるとして、政府と外資系石油会社の間に締結された参入契約につき、契約の見直しを開始。国内では先住民グループ等による対米FTA反対デモ、米国石油企業による他国企業への石油権益の移転に対する非難デモが影響し、対米FTA交渉は難航。また、2006年5月、米国石油企業オキシデンタル社がエクアドル当局の承認なしにカナダの石油企業エンカナ社に石油権益の移譲を行ったために、エクアドル側はオキシデンタル社との石油開発への参入契約を破棄。これを契機に対米FTA交渉は頓挫。
コレア政権(2007年1月〜)
- 対米FTA交渉はコレア大統領の選挙公約に基づき打ち切り。市場主義経済はエクアドルに発展をもたらさないとの考えの下に、石油を含む天然資源に対する国家主権を強化。2007年11月、OPECに再加盟した(1973年に加盟後、1993年に脱退していた)。IMFや世界銀行との関係の見直しもあり得る旨表明した。また、2008年12月、同国政府は前政権下で発行されたエクアドル国債(グローバル国債)は不正な対外債務であるとの理由で、利子償還期日を迎えたグローバル国債2012及び2015の利払いを履行しない旨発表。2009年1月、グローバル国債2015の利子を支払う旨決定したと発表する一方、同国債2012及び2030については、同4月、買い戻しを行う旨発表し、6月には全体の91%を買い戻したと発表。なお、同国は二国間債務及び多国間債務に関しては滞りなく返済している。
経済協力
1.日本の援助実績(単位:億円)
(1)有償資金協力(2008年度まで、ENベース) 664.36億円
(2)無償資金協力(2008年度まで、ENベース) 302.49億円
(3)技術協力実績(2008年度まで、JICAベース) 198.83億円
2.主要援助国(2008年)(単位:百万ドル、DAC集計)
(1)西(87.9) (2)米国(46.4) (3)独(24.7)
二国間関係
1.政治関係
1918年8月26日、外交関係開設。
1954年9月30日、外交関係再開。
2.経済関係
(1)対日貿易(日本財務省貿易統計)
- (イ)貿易額(2009年)
- 輸出 154億円
輸入 471億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 バナナ、魚粉、ウッドチップ、魚介類、冷凍野菜
輸入 輸送機器、一般機械、鉄鋼、精密機器、ゴム製品
(2)日本からの直接投資(2005-2009年度累計、エクアドル中銀)
- 309.5万ドル
3.在留邦人数
429人(2010年)
4.在日当該国人数
229人(2009年)
5.要人往来
(1)往(1979年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1979年8月 | 安孫子藤吉特派大使(大統領就任式) |
1984年8月 | 武藤嘉文特派大使(大統領就任式) |
1984年 | 北川外務政務次官 |
1988年8月 | 愛野興一郎特派大使(大統領就任式) |
1988年 | 武藤嘉文衆議院議員(日・エクアドル友好議連会長) |
1991年8月 | 武藤嘉文衆議院議員(日・エクアドル友好議連会長) |
1992年8月 | 中山正暉特派大使(大統領就任式) |
1993年11月 | 常陸宮同妃両殿下 |
1996年8月 | 野坂浩賢特派大使(大統領就任式) |
1998年8月 | 成重守重特派大使(大統領就任式) |
1998年11月 | 町村外務政務次官 |
2001年6月 | 石原都知事 |
2002年8月 | 植竹外務副大臣 |
2003年1月 | 村上誠一郎特派大使(大統領就任式) |
2006年7月 | 山中外務大臣政務官 |
2007年1月 | 浅野外務副大臣(大統領就任式) |
2008年11月 | 西村外務大臣政務官 |
2010年3月 | 内藤総務副大臣(総理特使) |
2011年1月 | 衆議院エクアドル訪問議員団(麻生元総理他) |
(2)来(1985年以降)
年月 | 要人名 |
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1985年 | スウェット蔵相 |
1987年7月 | エスピノサ・エネルギー鉱山大臣 |
1987年11月 | ガルシア外相 |
1989年2月 | バラガン最高裁長官(大喪の礼) |
1990年5月 | コルドベス外相(外務省賓客) |
1990年11月 | パロディ副大統領(即位の礼) |
1991年3月 | ベテル蔵相 |
1991年12月 | ドゥラン・バジェン大統領候補 |
1993年8月 | パレデス外相(外務省賓客) |
1994年3月 | ドゥラン・バジェン大統領(公式実務訪問賓客) |
1994年6月 | ロバリノ蔵相 |
1994年12月 | コレア蔵相 |
1995年5月 | レオロ外相(日・リオグループ・トロイカ外相会合) |
1995年11月 | アルミホス通貨審議会議長 |
1998年12月 | ドゥラン大統領府官房長官 |
1999年3月 | アヤラ外相(外務省賓客) |
2001年9月 | バスケス観光相(世界観光機関総会) |
2002年3月 | ノボア大統領(非公式) |
2002年6月 | モス貿易・工業化・漁業・競争力大臣 |
2008年8月 | バレンシア筆頭外務次官 |
2010年8月 | カラオラーノ電力・再生エネルギー大臣、グラス戦略部門調整大臣 |
2010年9月 | コレア大統領(実務訪問賓客)、パティーニョ外務・通商・統合大臣他 |
2010年10月 | アギニャーガ環境大臣(生物多様性条約COP10) |
6.二国間条約・取極
1990年 青年海外協力隊派遣取極
1992年 技術協力協定(1994年10月発効)