赤道ギニア共和国
(Republic of Equatorial Guinea)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
28,051平方キロメートル(四国の約1.5倍)
2.人口
70万人(2010年、UNFPA)
3.首都
マラボ(Malabo)(ビオコ島北部に位置する)
4.民族
ファン族、ブビ族、コンベ族、ベレンゲ族等
5.言語
スペイン語(公用語)、仏語(第2公用語)、ポルトガル語(第3公用語)、ファン語、ブビ語
6.宗教
キリスト教(99%)、伝統宗教
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1968年10月 | スペインから独立 |
1972年7月 | マシアス・ンゲマ終身大統領就任 |
1979年8月 | オビアン・ンゲマ政権成立(クーデター) |
1982年8月 | 軍政から民政へ移行、新憲法のもとオビアン・ンゲマ氏が大統領に就任 |
1989年6月 | 初の大統領選挙によりオビアン・ンゲマ大統領が信任 |
1993年11月 | 複数政党制下で初の国民議会選挙を実施 |
1996年2月 | オビアン・ンゲマ大統領再選(3期目) |
1999年4月 | 国民議会選挙を実施 |
2002年12月 | オビアン・ンゲマ大統領三選(4期目) |
2004年3月 | クーデター未遂事件 |
2004年4月 | 国民議会選挙を実施 |
2008年5月 | 国民議会選挙を実施 |
2009年2月 | 大統領府襲撃事件 |
2009年12月 | オビアン・ンゲマ大統領四選(5期目) |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバゾゴ大統領
3.議会
一院制(国民議会、100議席、任期5年)
4.政府
(1)首相 イグナシオ・ミラム・タング
(2)外相 パストール・ミチャ・オンド・ビレ
5.内政
独立後11年間続いたマシアス・ンゲマ独裁政権は、1979年8月のクーデターにより終了し、オビアン・ンゲマ政権が成立。オビアン・ンゲマ大統領は1989年6月に初の大統領選挙で信任され、1996年2月に初の複数政党制による大統領選挙で再選を果たした。1997年2月より、政治難民の本国帰還、政治犯釈放等を主題とする「国民協定」を推進させるための協議が続けられ、同4月「選挙法改正」「人権の尊重」等14項目から成る合意が成立。また1999年3月の国民議会選挙及び2000年5月の地方議会選挙では、与党赤道ギニア民主党が圧勝したが、選挙結果の透明性を巡り、野党側との対立が続いた。2002年3月には最大野党の党首を含む多数の野党活動家がクーデター未遂を理由として逮捕された。同年12月には、2003年に予定されていた大統領選挙が前倒しで実施され、現職のオビアン・ンゲマ大統領が圧倒的な得票を得て再選された。2003年2月には野党を含む「国家統一内閣」が組閣されたが、同国最大野党は入閣を拒否。2004年3月、クーデター未遂事件が発生し、関係者は逮捕されたが真相は不明。
2004年4月に実施された市町村選挙での公正性・透明性について、野党のみならず国内外で厳しい批判の声があがり、6月にはボリコ首相が新たに任命され新内閣が組閣されたが、2006年8月に内閣が総辞職し、ンフベア首相による新内閣(閣僚数は前内閣の51から28に減少)が発足。2008年7月、同首相は辞任し、タング新首相を首班とする新内閣が発足した。2009年2月には、首都マラボの大統領官邸付近で武装集団と治安部隊との間で銃撃戦が発生するなど、不安定要素も見受けられるが、同年11月大統領選挙が実施され、翌月オビアン・ンゲマ大統領が再選(四選目)された。
外交・国防
1.外交基本方針
善隣外交を基本に、主要国との関係強化に努める現実路線。人権抑圧問題により悪化していたスペインとの関係も改善されつつあったが、2004年のクーデター未遂事件等により関係が再び冷却化。米は1995年に閉鎖した在赤ギ米国大使館を2003年10月に再開。2009年にスペインとの間で投資促進を目的とした新協力協定に署名、同年8月には米国とギニア湾の安全を協議する等、米国や旧宗主国スペインとの関係改善が進んでいる。一方、1985年にフラン圏に加入、1997年に仏語を第二公用語とする等、仏との関係は緊密化している。ガボンとの間で領土問題(国境付近のンバニエ島等)を巡り緊張状態にあったが、2004年7月に平和的解決を目指した協定が結ばれた。しかし依然として同領有権問題の最終解決が図られておらず、ICJに問題解決を委ねる等の選択肢も含め引き続き懸案。2010年4月に中部アフリカ経済通貨共同体(CEMAC )の議会がマラボに設置されたこともあり、CEMAC及び中部アフリカ諸国経済共同体(CEEAC)加盟国内での影響力が増大している。2011年のアフリカ連合(AU)議長国となる。
2.軍事力(2010年、ミリタリーバランス)
(1)予算 11百万ドル(2008年)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 1,320人(陸軍1,100人、海軍120人、空軍100人)
経済
1.主要産業
石油、天然ガス
2.GNI
84億米ドル(2009年、世銀)
3.一人当たりGNI
12,420米ドル(2009年、世銀)
4.経済成長率
-5.4%(2009年、世銀)
5.消費者物価上昇率
6.6%(2008年、世銀)
6.失業率
不明
7.総貿易額(2009年推定、EIU)
(1)輸出 91.44億ドル
(2)輸入 34.61億ドル
8.主要貿易品目(2009年推定、EIU)
(1)輸出 石油、天然ガス、木材
(2)輸入 石油関連、資本財等
9.主要貿易相手国(2009年、EIU)
(1)輸出 米国、中国、日本、韓国
(2)輸入 中国、米国、スペイン、フランス
10.通貨
CFAフラン
11.為替レート
655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)
12.経済概況
木材、ココアが主要産業であったが、1992年に石油・天然ガス生産が開始されて以来、石油が主要輸出品となる。その後新たな油田の発見も相次ぎ(2010年石油生産量33万バレル/日)、急速な経済成長を遂げている(一人当たりGNI:300ドルから12,420ドルへ(1991年から2009年、世銀))。
近年、道路、港湾及び都市整備等の基幹インフラの整備は急速に進んでいるが、貧困率は7割に上るとされ、この急速な開発促進が経済的・社会的な歪みを生じさせており、バランスのとれた発展が課題。
経済協力(単位 億円)
1.日本の援助実績(2009年度まで)
(1)有償資金協力(EN(交換公文)ベース)0
(2)無償資金協力(EN(交換公文)ベース)11.70億円
(3)技術協力実績(JICAベース)3.08億円
2.主要援助国(2007年)
(1)スペイン (2)スウェーデン (3)フランス (4)カナダ
二国間関係
1.政治関係
(1)1968年11月 我が国は赤道ギニアを国家承認。
1980年10月 外交関係樹立
(2)1981年4月 我が方大使館開設(在ガボン大兼)
1982年1月 赤道ギニア大使館開設(在中国大兼轄)
(3)人的・経済的交流は少ない。
2.経済関係
(1)対日貿易(2010年 貿易統計)
- (イ)貿易額
- 対日輸出 314.6億円
対日輸入 22.0億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 石油、原油等
輸入 掘削用機械、蒸気タービン等
3.文化関係
特になし
4.在留邦人数
1人(2010年10月現在)
5.在日当該国人数
0人(2010年7月現在)
6.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2003年2月 | 西川公也衆議院議員 |
2004年1月 | 武藤嘉文衆議院議員、西川公也内閣府大臣政務官 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1997年11月 | エチュアカ計画省次官(TICAD II準備会合) |
1998年10月 | エファ・アサンゴノ外務・国際協力省特命大臣(TICAD II) |
2001年9月 | エクア・アヴォモ外務・国際協力閣外大臣(中堅指導者招聘) |
2001年12月 | エラ・エバング外務・国際協力・仏語圏特命大臣(TICAD閣僚レベル会合) |
2003年3月 | ベラ・マラボ市長 |
2003年9月 | オバマ・アスエ農業・畜産・農村開発担当大臣(TICAD III) |
2004年11月 | モドゥ・アクセ・ビンダン計画・経済開発・公共投資担当大臣(TICADアジア・アフリカ貿易投資会議) |
2006年10月 | オビアン・ンゲマ大統領(実務訪問賓客) |
2008年3月 | シオザ・ピヤント漁業大臣(IWCセミナー) |
2008年5月 | ミチャ・オンド・ビレ外務大臣(TICAD IV) |
2010年10月 | アスム・ムム・ムノズ漁業・環境大臣(COP10) |
2011年6月 | モカラ・モレイラ外務・国際協力・仏語圏省領事・文化担当長官(MDGs会合) |
7.二国間条約・取極
なし