エリトリア国
(State of Eritrea)

出典:外務省 各国・地域情勢(2008年4月現在)

一般事情

1.面積

11.76万平方キロメートル(北海道と九州とを併せた広さとほぼ同じ)

2.人口

470万人(2006年:世銀)
人口増加率3.6%(1990〜2004年:世銀)

3.首都

アスマラ

4.民族

ティグライ、アファール族など9民族

5.言語

ティグリニャ語、アラビア語、諸民族語

6.宗教

キリスト教、イスラム教他

7.国祭日

5月24日 独立記念日

8.略史

年月 略史
1890年 イタリアの植民地支配下におかれる
1942年 英の保護領となる
1952年 国連の決定により、エチオピアと連邦を形成
1962年 エチオピア議会がエリトリアのエチオピアへの併合を決議
1972年 エリトリア人民解放戦線(EPLF)を結成
1991年5月 EPLFがエリトリア臨時政府樹立を宣言
1993年4月 国連の監視の下、エリトリア地域の分離・独立を問う住民投票実施
1993年5月24日 エチオピアより独立
1998年5月 エチオピア・エリトリア国境紛争勃発
2000年12月 エチオピアとの包括的和平合意成立
2002年4月 国境委員会によりエチオピアとの(地図上の)国境線確定
2004年 第3回地方議会選挙

政治体制・内政

1.政体

一党制(臨時政府)

2.元首

イサイアス・アフォルキ(Isaias Afwerki)大統領(1993年5月就任)

3.議会

一院制国民議会

4.政府

外相名 オスマン・サレー(Osman Saleh)

5.内政

 1991年に発足した臨時政府は、基本的人権及び複数政党制を保障する民主的憲法を制定し、同憲法に則った民選政府樹立を行うことを定めた布告を1993年5月19日に発出。1993年4月に実施された住民投票において有権者の99.8%がエリトリアの完全主権を主張、同年5月24日、エチオピアからの独立が宣言された。1994年初め、エリトリア人民解放戦線(EPLF)は解散し、民主主義と正義のための人民戦線(PFDJ)として改組された。1997年5月、約3年間にわたる議論を経て、制憲議会がエリトリア憲法を採択。エチオピアとの紛争(1998年5月〜2000年6月)により延期されていた同憲法に基づく国政選挙は2001年12月に行われる予定であったが、その後無期限の延期となった。エチオピアとの国境紛争により破壊されたインフラ復興、兵士の動員解除及び退役後の社会復帰、難民・国内避難民の復帰等、多くの課題を抱えている。

外交・国防

1.外交基本方針

 30年にわたる独立闘争により打撃を受けた国家の再建のため、米国を始めとする西側との関係緊密化を目指すとともに、イサイアス大統領自ら近隣諸国を訪問し、友好関係の拡大に努めてきた。他方、スーダンのNIF(National Islamic Front)政権がイスラム原理主義拡大や地域の不安定化を引き起こしているとして、1994年12月6日に同国との外交関係を断絶し、また、イエメンとの間では、紅海のハニッシュ島等の領有を巡り1995年12月16日に武力紛争が発生する等、隣国との間でしばしば対立。

 エチオピアとは独立以来緊密な関係を維持してきたが、エリトリアの独自通貨導入やアッサブ港の使用料をめぐり両国間に摩擦が生じ、1998年5月、国境画定問題を巡って武力紛争が発生。2年間に渡って断続的な武力衝突を繰り返した後、2000年12月には両国間で「和平合意」が成立し、エチオピアとの国境周辺の暫定安全保障地帯に停戦監視のための国連エチオピア・エリトリア・ミッション(UNMEE)が展開した。2002年4月、和平合意に基づき設置された国境委員会は国境画定に係わる裁定を下し、また、2003年3月、右裁定で帰属が不明確であったバドメがエリトリアに帰属する旨表明した。その後、国境画定・確定に係る両国の見解の相違から、杭打ちをもって行う国境確定作業は一部国境を除いて進展をみないまま。2007年11月30日、国境委員会は国境確定の代替案として座標軸を提示し、一方的に解散を宣言した。2008年2月、UNMEEは停戦監視活動を行っていた暫定安全保障地帯からの一時移転を余儀なくされ、現在、両国軍が直接対峙する緊張状態にある。

2.軍事力(2007年ミリタリーバランス)

(1)予算 65万米ドル(2005年支出)

(2)兵力 総兵力 20.175万(陸軍20万、海軍1400、空軍350)

経済(単位 米ドル)

1.主要産業

(農)根菜類、ソルガム、豆類、大麦、小麦
(工鉱)金、大理石

2.GNI

888百万ドル(2006年:世銀)

3.一人当りGNI

190米ドル(2006年:世銀)

4.経済成長率

-1.0%(2006年:世銀)

5.物価上昇率

12.0%(2006年:世銀)

6.失業率

N.A.

7.総貿易額(2006年:世銀)

(1)輸出 88百万ドル

(2)輸入 550百万ドル

8.主要貿易品目(2003年:EIU)

(1)輸出 鉱物資源、食糧・家畜、鉱工業品

(2)輸入 機械・輸送機器、工業品、食糧・家畜

9.主要貿易相手国(2002年:EIU)

(1)輸出 スーダン、イタリア、ジブチ、独、エチオピア

(2)輸入 UAE、サウジアラビア、イタリア、独、ベルギー

10.通貨

ナクファ(Nakfa)

11.為替レート

1米ドル=15ナクファ(2007年:世銀)

12.経済概況

 独立後、30年に及ぶ内戦のため破壊されたインフラの復旧、経済再建に取り組んできた。1993年5月に世銀が「再建復興計画(RPPE)」を策定し、農業、工業生産部門、社会インフラ整備、人的資源の開発等、総額1億6千万ドルのプロジェクトが提案された。就業人口の多くが生産性の低い農業、牧畜業に従事している。一方、食糧の7割を輸入ないし援助に依存し、産業別のGDP構成は運輸が3割以上を占め、工業・その他サービス部門を含めると8割以上に達している。エチオピアとの国境紛争は、難民・避難民の大量発生、紛争地域のインフラ破壊等、エリトリア経済に深刻な影響を及ぼし、世銀は2000年12月にインフラ復旧等経済再建のため約2億8千万ドルの「緊急復興計画」を策定。また、エリトリア政府はエチオピアとの国境紛争により中断していた中・長期経済計画「国家政策概要報告(National Policy Framework Paper」の策定を現在進めている。97年11月に独自通貨ナクファを導入。近年、深刻な干ばつ被害を頻繁に受け、食糧安全保障が重要な課題となっている。

経済協力

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力 なし

(2)無償資金協力(2005年度まで、E/Nベ−ス) 82.22億円

(3)技術協力実績(2004年度まで、JICAベース) 11.66億円

2.主要援助国(2004年 単位:百万ドル OECD/DAC)

(1)米(95) (2)ノルウェー(18.6) (3)イタリア(16.4) (4)オランダ(12.5) (5)デンマーク(7.2)

二国間関係

1.政治関係

1993年5月24日 独立と同時に承認

1993年9月1日 外交関係樹立

2.経済関係

(1)日本の対エリトリア貿易

(イ)貿易額(2007年)
輸出 3.89億円
輸入 0.40億円
(ロ)主要品目
輸出 乗用車、バス、トラック
輸入 自動車の部々品

(2)日本からの直接投資
 実績なし

3.文化関係

 

4.在留邦人数

10人(2007年12月現在)

5.在日当該国人数

13人(2006年12月現在)

6.要人往来

(1)往

年月 要人名
1994年9月 政府経済協力調査団
1997年7月 経済協力政策協議調査団
1999年2月 青木アフリカ紛争問題担当大使
2000年5月 経済協力政策協議調査団
2003年10月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2004年7月 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使
2005年11月 大島国連大使
2006年7月 日・AU友好議連訪問団(団長:岩永峯一衆議院議員)

(2)来

年月 要人名
1995年5月 ペトロス外相
1995年9月 ベラキ情報・文化相
1995年12月 サレ・メケ水産資源相(持続的漁業国際会議出席)
1998年10月 アブレヘ土地・水・環境大臣代行(第2回アフリカ開発会議)
2001年12月 アブダッラー外相(TICAD閣僚レベル会合)
2003年9月 イサイアス大統領(第3回アフリカ開発会議出席)
2004年11月 ウォルダイ国家開発大臣(AATIC)
2005年6月 アリ・サイード・アブダッラー外相(愛・地球博)
2008年3月 アフメド・ハジ・アリ漁業大臣

7.二国間条約・取極

2005年12月 日本・エリトリア技術協力協定

8.外交使節

(1)エリトリア駐箚日本国大使 田稔久特命全権大使(2010年9月着任兼轄、ケニア駐在)

(2)本邦駐箚エリトリア大使 エスティファノス・アフォワキ・ハイレ特命全権大使(2003年5月着任)