エストニア共和国
(Republic of Estonia)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)
一般事情
1.面積
4.5万平方キロメートル(日本の約9分の1)
2.人口
約134万人(2011年)
3.首都
タリン ※タリン歴史地区(旧市街)は世界遺産。
4.言語
エストニア語
5.宗教
プロテスタント(ルター派)、ロシア正教等
6.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1219年 | デンマーク人が進出し、タリン市を築く。 |
1346年 | ドイツ騎士団が進出し、領有。 |
1629年 | スウェーデン領となる。 |
1721年 | 北方戦争の結果ロシア領となる。 |
1918年 | 独立を宣言。 |
1920年 | ソ連と平和条約を締結。 |
1940年 | ソ連に併合。 |
1990年8月20日 | エストニア最高会議が独立回復に関する決定を採択。 |
1991年9月6日 | ソ連国家評議会がバルト三共和国の国家独立に関する決定を採択。 |
2004年3月 | NATO加盟 |
2004年5月 | EU加盟 |
2010年12月 | OECD加盟 |
2011年1月 | ユーロ導入 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
トーマス・ヘンドリク・イルヴェス大統領(2006年10月9日就任、任期5年、3選禁止)
3.議会
一院制(任期4年)、議席数101(比例代表制)
4.政府
(1)首相 アンドルス・アンシプ首相(改革党)(2005年4月就任、2007年4月及び2011年4月再任)
(2)外相 ウルマス・パエト外相(改革党)(2005年4月就任、2007年4月及び2011年4月再任)
5.内政
(1)第3次アンシプ内閣の成立
2005年4月、第一次アンシプ内閣が発足。2007年3月の総選挙の結果、政権与党の一端を担っていた改革党が第1党の座につき、アンシプ首相が再任。第2次アンシプ内閣は、当初改革党、祖国共和同盟及び社民党との3党連立政権であったが、社民党の離脱により、改革党と祖国共和同盟の2党による少数連立与党政権となった。アンシプ政権は2008年経済危機以降、国内経済の建て直しを第一に掲げた。その結果、インフレ収束、財政努力等により、ユーロ圏参加基準を満たすことに成功し、2011年1月1日、クローンからユーロに移行した。2011年3月6日に行われた国会議員選挙の結果、再び改革党が第一党となり、4月6日には改革党と祖国共和同盟の連立による第3次アンシプ内閣が成立した。
(2)イルヴェス新大統領の選出
2006年9月23日、エストニア大統領選挙(間接投票)の決選投票が行われ、イルヴェス欧州議員が現職のリューテル大統領をおさえて大統領に選出された(2006年10月9日就任)。イルヴェス大統領はスウェーデンで生まれ、米国で教育を受け、1996〜1998年及び1999〜2002年に外相を務めた経歴を持つ。2011年8月29日に大統領選挙が予定されている。
外交・国防
1.外交
(1)外交基本方針
独立以来、欧州への復帰を目指し、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)加盟を最大の外交目標とし、2004年3月及び5月にそれぞれ加盟を実現した。また、2010年6月にはOECDへの加盟条約に署名が行われ、同年12月に正式加盟。
- (イ)バルト諸国間協力及びバルト・北欧協力の推進
1993年9月 バルト三国自由貿易協定署名
1993年11月 バルト三国平和維持大隊設置決定
1994年6月 バルト三国閣僚理事会設置- (ロ)ロシアとの善隣関係の構築
1994年 駐留ロシア軍の撤退完了
1999年 国境条約案が画定
2005年 国境条約署名(未発効)- (ハ)EU及びNATOへの加盟プロセス
2002年11月 NATO加盟招請
2002年12月 EU加盟招請
2004年3月 NATO加盟
2004年5月 EU加盟
2011年1月 ユーロ導入 - (ロ)ロシアとの善隣関係の構築
(2)ロシアとの関係
1991年の独立後、国境問題を巡りロシアと交渉。1999年には7年に亘る交渉を経て国境画定に関する条約の仮調印に至り、2005年5月、モスクワにて両外相により正式に署名された。しかし、6月にエストニア議会が国境条約批准法を可決した際に追加した前文を巡り、8月にロシアは同条約への署名を撤回する旨の大統領令を発令。未だ発効していない。
2.主要国際機関加盟状況
1991年9月 国連加盟
1991年9月 OSCE加盟
1992年5月 IMF加盟
1992年6月 世銀加盟
1993年5月 欧州評議会加盟
1999年11月 WTO加盟
2010年12月 OECD加盟
3.国防
(1)予算 約40億5,293万クローン(2010年)(国防省予算)
(2)兵力 国防軍は陸(3,300人)、海(300人)、空(200人)あわせて3,800人程度(常備兵力)。
4.その他
2007年12月 シェンゲン条約(陸路・海路)加盟(空路は2008年3月30日加盟)
経済
1.主要産業
主要産業は製造業、不動産業等。製造業においては、機械、鉱産物、金属製品等が主要輸出品。近年は建設等の分野も発展している。
エネルギー資源関連では、オイルシェールを産出、主として発電に利用している。
2.GDP
193億ドル(2009年、IMF)
3.一人当りGDP
14,402ドル(2009年、IMF)
4.GDP実質成長率
▲13.9%(2009年、IMF)
5.物価上昇率
▲1.7%(2009年、IMF)
6.失業率
13.8%(2009年、IMF)
7.貿易額
(1)輸出 104.2億ドル(2009年国連統計)
(2)輸入 113.4億ドル(2009年国連統計)
8.主要貿易品目
(1)輸出 機械、鉱産物、食品
(2)輸入 鉱産物、機械、食品
9.主要貿易相手国
(1)輸出 フィンランド、スウェーデン、ラトビア
(2)輸入 フィンランド、リトアニア、ラトビア
(2009年Eurostat)
10.通貨
ユーロ(2011年1月導入、ユーロ導入以前はクローン。1ユーロ=15.64クローンの対ユーロ固定制)
11.経済概況
(1)民主化・市場経済化
独立以来、一貫して諸改革を推進し、民主化・市場経済化を果たした。
(2)外国企業依存型経済体質
北欧系資本の投資が盛んで、流通、金融・保険分野では外国資本が市場を占有している。
(3)経済成長とユーロ導入
- (イ)経済成長と失業:
2000年に入ってからは、段階的税制改革やIT産業の発展等により成長率が回復。2006年の成長率は内需主導で10%となったが、2009年第2四半期には▲16.6%と最も深刻な経済危機を経験した。
失業率は2000年以降経済成長に歩調をあわせて低下したが、2010年には経済危機の影響で上昇し、年平均16.9%となった。しかし、2010年第4四半期には13.6%と減少傾向を見せている(エストニア統計庁)。長期的には、少子・高齢化もあり、労働力不足が懸念されている。- (ロ)物価上昇率:
独立直後はハイパー・インフレ(1,000%超)を経験したが年々沈静化。2008年は、住居関連、燃油、食品等の価格上昇の煽りを受けて対前年比10.4%となったが、それ以降は落ち着いた推移を見せた。2009年にはデフレに転じ対前年比▲1.7%となった。2011年4月現在、世界的な物価上昇の影響を受け若干のインフレ傾向となっている。- (ハ)ユーロ加盟:
2004年に欧州通貨制度の為替相場メカニズム(ERM II)に参加し、2007年1月からのユーロ導入を目標に政策運営を行ってきたが、2006年4月、政府は石油価格の影響でインフレ基準の達成が困難となったことから、導入を一時見送った。しかし、その後のインフレ収束、財政努力等により、ユーロ圏参加基準を満たすことに成功し、2011年1月1日からユーロが導入された。 - (ロ)物価上昇率:
(4)EU各国が主要貿易相手
貿易は、1991年独立後ロシアに依存する割合を順次減らし、1995年のEUとの自由貿易協定発効後はEUの占める割合が50%以上となり、2009年には、輸出入の約70%以上をEU諸国が占めている。最大貿易相手国は、輸出でフィンランド、スウェーデン、ラトビア、輸入でフィンランド、リトアニア、ドイツとなっている。
(5)IT技術の進展:電子政府、ネット・バンキング等の普及が顕著。
二国間関係
1.政治関係
(1)日・エストニア関係
- (イ)1921年1月、日本はエストニアの独立を正式に承認(1919年3月には事実上の承認を行っている)
- (ロ)両国間では外交関係が開設され、日本はタリンに外交官出張所を有していたが1940年、ソ連によるエストニア併合に伴い同出張所を閉鎖
- (ハ)1991年9月、日本はバルト三国に政府ミッションを派遣し、バルト三国の平和裡の独立に支持を表明。9月6日、国家承認。10月10日、新たな外交関係開設
- (ニ)1993年1月、在エストニア大使館開設
- (ホ)1996年9月、在京エストニア大使館開設
- (ヘ)1999年12月一般旅券に対する査証免除措置の相互実施
- (ト)2010年1月、初代常駐大使として星秀明大使を任命
- (ロ)両国間では外交関係が開設され、日本はタリンに外交官出張所を有していたが1940年、ソ連によるエストニア併合に伴い同出張所を閉鎖
(2)近年の日・エストニア関係(2004年以降)
- (イ)2004年11月、リューテル大統領が来日し、天皇皇后両陛下との御会見、小泉総理(当時)との首脳会談等が行われた。
- (ロ)2006年7月、中馬内閣府特命担当大臣(当時)が、日本閣僚として初めてエストニアを訪問(総理特使)。サヴィサール経済相(訪問時首相代行)と会談を行った。
- (ハ)2007年5月、天皇皇后両陛下がエストニアを御訪問になり、イルヴェス大統領夫妻との御会見、同大統領夫妻主催昼食会等が行われた。
- (ニ)2008年2月、パエト外相が外務省賓客として訪日し、高村外務大臣と会談を行った。
- (ホ)2010年2月、アンシプ首相が実務訪問賓客として訪日し、鳩山総理と会談を行った。
- (ヘ)2010年12月、オユランド欧州議会議員(元外相)が外務省の招へいプログラムにより訪日した。
- (ト)2011年5月、伴野外務副大臣がエストニアを公式訪問し、アンシプ首相、パエト外相他と会談を行った。
- (ロ)2006年7月、中馬内閣府特命担当大臣(当時)が、日本閣僚として初めてエストニアを訪問(総理特使)。サヴィサール経済相(訪問時首相代行)と会談を行った。
2.経済関係(出典:財務省貿易統計2009年)
(1)日本との二国間貿易
- (イ)エストニアからの輸入 57.1億円(木製品等、木材、魚介類等)
(ロ)エストニアへの輸出 43.4億円(自動車、ゴム製品、科学光学機器等)
(2)日本との投資関係
東洋経済『海外進出企業総覧』(2009年)に掲載されているエストニアへの日系進出企業は2社(Olympus Estonia Oue(オリンパス・フィンランドの100%出資、2003年5月設立、医療機器販売)、SMC
Pneumatics Estonia OU(SMC・ニューマティクス・スウェーデンの100%出資、2001年操業、空気圧機器の販売))。統計に計上される1億円超の案件はなし。(出典:2009年日銀国際収支統計)。なお、エストニア法務省の企業登録によれば、2009年10月1日現在、日系企業(現地法人化された日系企業)は14社存在するが、いずれも小規模。
3.在留邦人
65人(2010年10月現在)
4.在日当該国人数
84人(2009年12月現在の外国人登録者数)
5.要人往来
(1)往(2002年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
2002年5月 | 植竹外務副大臣 |
2002年9月 | 尾辻財務副大臣 |
2006年7月 | 中馬内閣府特命担当大臣(総理特使) |
2007年5月 | 天皇皇后両陛下 |
2011年5月 | 伴野外務副大臣 |
(2)来(2001年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
2001年9月 | パルノヤ経済相(JETRO・バルト三国各政府共催「バルト三国展」) |
2002年6月 | オユランド外相 |
2004年10月 | リューテル大統領(実務訪問賓客)、アンシプ経済通信相(現首相:リューテル大統領(当時)に帯同して訪日) |
2008年2月 | パエト外相(外務省賓客) |
2010年2月 | アンシプ首相(実務訪問賓客) |
2010年12月 | オユランド欧州議会議員(元外相)(21世紀パートナーシップ促進招へい) |
6.その他
1996年3月 日本エストニア友好議員連盟設立
2011年4月 エストニア日本友好議員連盟再設立