フィジー共和国
(Republic of Fiji)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年5月現在)

一般事情

1.面積

1万8,270平方キロメートル(四国とほぼ同じ大きさ)

2.人口

849,218人(2009年、世界銀行)

3.首都

スバ

4.民族

フィジー系(57%)、インド系(38%)、その他(5%)(2007年、政府人口調査)

5.言語

英語(公用語)の他、フィジー語、ヒンディー語を使用

6.宗教

フィジー系はほぼ100%キリスト教、インド系はヒンズー教、回教。
全人口に占める割合はキリスト教52.9%、ヒンズー教38.2%、回教7.8%

7.略史

年月 略史
1643年 蘭人探検家タスマン、フィジー諸島の北部発見
1874年 英国の植民地となる
1970年10月10日 英国より独立(立憲君主制)(国名:フィジー)
1987年5・9月 ランブカ中佐による無血クーデター
1987年10月 英連邦から離脱し、共和制へ移行(国名:フィジー共和国)
1990年7月 フィジー系を優遇する改正憲法発布
1997年9月 英連邦再加盟
1998年7月 民族融和を目指す新憲法発効(国名:フィジー諸島共和国)
1999年5月 労働党党首のチョードリーが初のインド系首相に就任
2000年5月 武装グループによる国会占拠事件が発生
2000年7月 ガラセを首班とする暫定文民政府が発足
2001年9月 総選挙を経てガラセが首相に就任
2006年5月 ガラセ首相が再任
2006年12月 バイニマラマ国軍司令官による無血クーデター、セニランガカリを暫定首相に任命
2007年1月 セニランガカリ暫定首相辞任、バイニマラマ司令官が暫定首相に就任、暫定内閣が発足
2009年4月 国名を「フィジー共和国」に変更

政治体制・内政

1.政体

共和国

2.元首

ラトゥ・エペリ・ナイラティカウ(Ratu Epeli Nailatikau)大統領(2009年11月就任)

3.議会

二院制
 上院 議員数32名、任期5年(解散あり)、下院解散時には上院も解散
 下院 議員数71名、任期5年(解散あり)

4.政府

(1)首相 ジョサイア・ヴォレンゲ・バイニマラマ(Josaia Vorege Bainnimarama)

(2)外務大臣 ラツ・イノケ・クンブアンボラ(Ratu Inoke Kubuabola)

5.内政

(1)フィジーは主に先住民フィジー系と英国植民地時代に移住してきたインド系住民からなる社会であるが、政治面ではフィジー系の優遇政策がとられてきたこと等により、民族間の政治的対立が存在し、独立以来現在まで数度に亘りクーデターを経験している。

(2)2006年5月の総選挙で再選を果たしたガラセ(フィジー系)政権は、労働党を含めた複数政党内閣を組閣し、フィジー系、インド系の対立の改善をはかる姿勢を見せたものの、2000年の議会占拠事件関係者への恩赦等をめぐり、同関係者の徹底的糾弾等を求めるバイニマラマ国軍司令官との対立が同年10月頃から深刻化。同年12月、同司令官は行政権の奪取と非常事態宣言を施行し、無血クーデターを断行した。2007年1月、同司令官が暫定首相に就任し、暫定内閣が発足した(その後2008年1月に内閣改造、閣僚数は従来の17名(含む首相)から13名に減少)。

(3)2007年5月、事態の収束等を受け、暫定政権は非常事態宣言を解除した。また、フィジーの民主化に関する共同作業グループが太平洋諸島フォーラム(PIF)に設置され(2007年4月)、民主化に向けたロードマップが策定された。これを踏まえ、暫定政府は2007年10月のPIF首脳会議(於トンガ)において、2009年3月までに総選挙を実施することを公約した。

(4)しかし、2008年6月、同暫定首相は上記公約は実施不可能と表明、2009年1月のフィジー問題に関するPIF特別首脳会合(「バ」暫定首相欠席)では、フィジーが本年末までの総選挙日を設定し、かつその選挙日を5月1日までに対外的に公表しない場合には、フィジーのPIF各種会合への参加資格停止等厳しい措置を検討するとの内容がコミュニケに盛り込まれた。

(5)これに対し、フィジー政府は、「選挙制度改革が先決であり選挙はその後である」との立場を主張し、5月1日までに上記コミュニケに沿った行動をとらなかったため、翌2日からフィジーのPIF関連会合への参加資格が停止された。

(6)2009年4月、控訴審判決(バイニマラマ暫定首相率いる暫定政権は非合法であり、大統領に対して、新たな暫定首相(caretaker Prime Minister)及び暫定政権(Interim Government)を任命することを命じたもの)を受け、イロイロ大統領はバイニマラマ国軍司令官を今後5年間の政権の首相に任命し、2014年までに総選挙を実施するよう指示するとともに、現行憲法の廃止(abrogation)及び全裁判官の罷免を行い、出版・放送への制限なども含む緊急事態令を発布した。

(7)2009年7月、バイニマラマ首相は「変化のための戦略的枠組み」(A Strategic Framework for Change:2014年9月の総選挙実施に至るまでのロードマップ)を発表。右によれば、2012年9月から2013年9月にかけて新憲法を策定し、2013年9月から約1年間かけて総選挙準備を行うとしている。

(8)また、2009年9月、フィジーは英連邦閣僚行動グループ(CMAG:Commonwealth Ministerial Action Group)が求める民主化プロセスに応じなかったため、同日付でフィジーは英連邦から完全に資格を停止(fully suspended)された。

外交・国防

1.外交

 従来より、豪州、ニュージーランド及び南太平洋諸国との協力関係を重視。しかし、2006年12月のクーデター発生以降、豪州、ニュージーランドとの関係が冷え込む中、近年では中国、ASEAN、アラブ諸国等との関係を重視。
 フィジーの首都スバには、PIF(太平洋諸島フォーラム)事務局、USP(南太平洋大学)など多くの地域協力機関及び国際機関のオフィスがあり、フィジーはこれらの機関で中心的役割を果たしている。
 国連、英連邦、太平洋諸島フォーラム(PIF)などの加盟国であるが、現在は英連邦及びPIFから参加資格を停止されている。また、パプアニューギニア、バヌアツ、ソロモンのメラネシア地域の各国から成るメラネシア先鋒グループ(Melanesia Spearhead Group)の加盟国。

2.国防

(1)兵役 志願制

(2)兵力 2009年現在約3,500名。主な構成は正規軍(Regular Force)、地域軍(Territorial Force:48時間以内の動員のため配置)及び海上部隊(Naval Squadron)。フィジー軍は現在、イラクのPKO活動に約220名、またシナイ半島のPKO活動に約340名を派遣している。

経済

1.主要産業

観光、砂糖、衣料が三大産業

2.GNI

34億米ドル(2009年、世界銀行)

3.一人当たりGNI

3,950米ドル(2009年、世界銀行)

4.GDP実質成長率

−2.5%(2009年、世界銀行)

5.物価上昇率

5.1%(2008年、世界銀行)

6.貿易総額

(1)輸出 12.3億フィジードル(2009年、フィジー統計局)

(2)輸入 28.1億フィジードル(2009年、フィジー統計局)

7.主要貿易品目

(1)輸出 衣類、砂糖、金、魚類、木材チップ

(2)輸入 機械・輸送機器、工業製品、食料品、雑貨品、鉱物燃料、化学品

8.主要貿易相手国

(1)輸出 1)米国、2)豪州、3)英国、4)サモア、5)日本

(2)輸入 1)シンガポール、2)豪州、3)ニュージーランド、4)中国、5)タイ

(2009年、アジア開発銀行)

9.通貨

1フィジードル 44.9円(2010年11月)

10.経済概況

 経済成長率は、2006年12月のクーデター直後の2007年にマイナス6.6%を記録した後、2008年には0.2%と改善したが、2009年の経済成長率は砂糖産業の衰退及び世界経済危機等の影響によりマイナス3%と落ち込んだ。特に、長年にわたりフィジー経済を支えてきた砂糖産業は、機械の老朽化等の問題に加え、農地リースの延長問題など、解決すべき問題が山積みとなっており、多額の累積赤字を抱え、出口の見えない深刻な状況に陥っている。
 2010年のフィジー経済は、観光産業の好転やフィジー製品の輸出増加などの要因により、0%を若干上回る程度であり、2011年もプラス1%程度の成長が見込まれている。

経済協力

1.日本の援助

  2009年度 2009年度までの累計
(1)有償資金協力 なし 22.87億円
(2)無償資金協力 25.96億円 181.01億円
(3)技術協力 7.26億円 230.00億円

2.主要援助国

(1)豪州(19)、(2)日本(16)、(3)ニュージーランド(4)

(単位:百万米ドル、2008-2009年平均、DAC/支出純額ベース)

二国間関係

1.政治関係

1970年10月 フィジー独立と同時に同国を承認
1979年1月 日本側大使館スバに開設
1981年1月 在京フィジー大使館開設
1987年12月 新政府承認(黙示)
1990年7月 在大阪名誉領事任命(1998年9月まで)
2000年9月 新政府承認(黙示)
2009年4月 在大阪名誉領事任命

2.経済関係

(1)貿易額(2009年度、財務省貿易統計)

フィジーからの輸入 50百万米ドル
フィジーへの輸出 30百万米ドル

(2)進出日本企業数 14社(2008年)

3.在留邦人数

502名(2009年10月現在)

4.在日当該国人数

204名(2009年、法務省在留外国人統計)

5.要人往来

(1)往(1980年以降)

年月 要人名
1980年 長谷川四郎衆議院議員(独立10周年記念式典特派大使)
1985年 中曽根総理、安倍外相
1987年 倉成外相
2001年 小島外務大臣政務官、森前総理
2002年 植竹外務副大臣
2003年9月 秋篠宮同妃両殿下
2006年8月 小池環境大臣
2006年10月 有馬政府代表(第18回日・PIF域外国対話)
2008年8月 参議院ODA調査団(団長:溝手顕正 参議院議員)
2010年5月 西村外務大臣政務官

(2)来(1980年以降)

年月 要人名
1980年 マラ首相(公賓)
1982年 ギオニンバラビ外務・観光相(外務省賓客)
1985年 マラ首相(科学万博賓客)
1986年 シキバウ外相(外務省賓客)
1988年 マラ首相
1988年 カミカミザ蔵相(高級実務者招聘)
1989年 ブニンボンボ貿易・商業相
1989年 ピカリング観光・航空・エネルギー相
1989年 ガニラウ大統領夫妻(大喪の礼)
1990年 マラ首相、ピカリング観光・航空・エネルギー相
1990年 ボキニ森林相(花博賓客)
1990年 ガニラウ大統領(即位の礼)
1991年 ゴネレヴ第二次産業・協同組合相(高級実務者招聘)
1992年 マニュエリ蔵相
1993年 ベシクラ副首相兼フィジー系人問題・地域開発相
1994年 ナゾラ国家計画・地域開発・他民族問題担当相、タイ保健・福祉相、ディムリ情報・放送・通信相、マニュエリ自治・移民・青少年・雇用・スポーツ相、パウエル観光・民間航空相ブニンボンボ大蔵・経済開発相
1994年 ランブカ首相夫妻(公式実務訪問賓客)
1994年 ボキニ農業・林業・漁業相、ア・コイ商業・産業・貿易・公営企画相
1995年 カウキモーゼ住宅・都市開発・環境相(高級実務者招聘)
1995年 ボレ外務・観光・民間航空相(非公式)
1996年 ボレ外務・観光・民間航空相(世銀観光会議)
1997年 ランブカ首相、ボレ国家計画相(第1回太平洋・島サミット)
2000年 チョードリー首相(第2回太平洋・島サミット)
2001年 マラ前大統領(大阪シンポジウム)
2001年 バイニマラマ軍司令官(環太平洋ラグビー選手権大会)
2001年6月 タボラ外務・砂糖相
2002年4月 ガラセ首相、ヤンバキ観光・文化・遺産・民間航空相
2002年10月 ガラセ首相(PIF議長)(外務省賓客)
2003年3月 ドラウニンダロ公共事業エネルギー大臣(水フォーラム)
2003年5月 ガラセ首相(第3回太平洋・島サミット)
2003年12月 ジンク労働・労使関係・生産性大臣
2004年2月 タボラ外務・貿易相(英連邦貿易担当大臣ミッション)
2004年6月 バイニマラマ軍司令官
2004年9月 ナイラティカウ国会議長
2005年6月 ジンク労働・労使関係・生産性大臣
2005年6月 ナイヴァル保健大臣
2005年6月 ガラセ首相(博覧会賓客)
2005年6月 チョードリ労働党党首
2006年5月 タボラ外相(第4回太平洋・島サミット)
2006年10月 ベティロボニ観光大臣
2007年12月 チョードリ財務大臣(第1回アジア・太平洋水サミット(於:大分))
2010年10月 クンブアンボラ外務・国際協力・民間航空大臣(太平洋・島サミット中間閣僚会合)

6.二国間条約・取極

1962年 英国との租税(所得)条約
1980年 航空協定
1982年 青年海外協力隊派遣取極

7.外交使節

(1)フィジー駐箚日本国大使
 吉澤裕特命全権大使(2008年10月着任)

(2)本邦駐箚フィジー大使
 イシケリ・マタイトガ特命全権大使(2009年10月着任)