イラン・イスラム共和国
(Islamic Republic of Iran)
出典:外務省 各国・地域情勢(2008年9月現在)
一般事情
1.面積
1,648,195平方キロメートル(日本の約4.4倍)
2.人口
7,042.3万人(2006年10月)(イラン政府発表)
3.首都
テヘラン
4.民族
ペルシャ人(他にアゼリ系トルコ人、クルド人、アラブ人等)
5.言語
ペルシャ語、トルコ語、クルド語等
6.宗教
イスラム教(主にシーア派)、他にキリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教等
7.略史
アケネス朝ペルシャ(紀元前5世紀)、ササン朝ペルシャ(紀元3世紀)時代には大版図を築く。その後、アラブ、モンゴル、トルコ等の異民族支配を受けつつもペルシャ人としてのアイデンティティーを保持し、1925年にパフラヴィ(パーレビ)朝が成立。1979年、ホメイニ師の指導のもと成就したイスラム革命により現体制となる。イラン・イラク紛争(1980年〜1988年)及びホメイニ師逝去(1989年6月)後、1989年にハメネイ大統領が最高指導者に選出され、ラフサンジャニ政権(2期8年)、ハタミ政権(2期8年)を経て、2005年8月にアフマディネジャード政権が発足。来年6月、次期大統領選挙が実施予定。
政治体制・内政
1.政体
イスラム共和制
2.最高指導者
セイエド・アリー・メネイ師(1989年6月)
3.議会
一院制(議長:アリー・ラリジャニ、2008年6月就任)(任期4年、定数290名)
4.政府
(1)大統領名 マフムード・アフマディネジャード(2005年8月就任)
(2)外相名 マヌーチェフル・モッタキ(2005年8月就任)
5.内政
(1)1989年6月3日、ホメイニ師死去。同4日、専門家会議においてハメネイ大統領が最高指導者に選出。
(2)1989年7月28日、憲法改正(首相職を廃止し大統領に行政権を集中化する等の内容)、国民投票により承認。同日の第5期大統領選挙でラフサンジャニ師が当選、同年8月、ラフサンジャニ政権が発足。
(3)1992年5月の第4期国会選挙でこれまで主導権を握っていた「左派」が大敗し、大きく後退。
(4)その後「現実派」と「保守派」間の対立が浮上、「保守派」優位の中で、1993年6月の第6期大統領選挙でラフサンジャニ大統領(「現実派」)が再選。同年10月、第2次ラフサンジャニ政権発足。
(5)1996年3月の第5期国会選挙では「保守派」が優位を維持。
(6)1997年5月の第7期大統領選挙では「改革派(旧左派)」のハタミ師が「保守派」候補を下し圧勝。同年8月に穏健でリベラルなハタミ政権が発足し、市民社会形成を目指す諸改革を推進。
(7)2000年2月の第6期国会選挙で改革派が圧勝。同年5月、改革派が過半数を占める第6期国会が発足。
(8)2001年6月の第8期大統領選挙でハタミ大統領が前回を上回る得票率で再選。同年8月、第2次ハタミ政権発足。
(9)2003年2月の第2期地方評議会選挙では全国主要都市で保守派が圧勝。
(10)2004年2月の第7期国会選挙では、多数の改革派候補者の立候補が認められない中、保守派が圧勝。
(11)2005年6月の第9期大統領選挙では、ラフサンジャニ公益評議会議長との決選投票の末、アフマディネジャード・テヘラン市長が当選。同年8月、アフマディネジャード政権発足。
(12)2006年12月の第4期専門家会議及び第3期地方評議会選挙では、穏健保守派勢力が得票を伸ばし、アフマディネジャード大統領支持勢力は事実上の敗北。
(13)2008年3月の第8期国会選挙では、多数の改革派候補者の立候補が認められない中、保守派が勝利。他方、保守派内の大統領支持派と反大統領派の対立が顕在化。
(14)2008年5月に第8期国会開催。大統領に批判的と目されるラリジャニ氏(前核問題交渉責任者、前国家安全保障最高評議会書記)が国会議長に選出(同年6月)される。
外交・国防
1.外交基本方針
全ての国家、国民との公正かつ相互的な関係構築。
2.最近の動き
(1)核問題
2002年、イラン反体制組織の暴露により、イランが18年間に亘り秘密裏に原子力活動を行っていたことが発覚。核問題の表面化を受け、イランは、問題解決のため、EU3(英・仏・独)との交渉を開始。2005年8月に発足したアフマディネジャード政権は、イランの原子力開発は平和目的であるとし、平和的原子力エネルギーの利用の権利を強調しつつ国際社会の要請を無視する形で原子力開発を推進。イランに対し不信感を強めた国際社会は2006年12月、2007年3月及び2008年3月に制裁措置を含む安保理決議を採択。イラン側は、安保理決議は受け入れないとしつつも、EU3に露・中・米を加えた6か国(EU3+3)に対し、包括的なパッケージ提案を提示(2008年5月)。また、EU3+3側も2006年に提示した包括的提案の改訂版をイラン側に提示(2008年6月)するなど、双方による交渉を通じた問題の平和的・外交的解決の道が模索されている。
(2)ミサイル開発
イランは、イラン・イラク戦争時にイラクからスカッド・ミサイルによる攻撃を受けた経験もあり、ミサイル開発を推進。イランはこれまでに1998年7月、2000年7月及び10月、2002年5月、2003年6月、2004年8月及び10月、2006年11月に中距離弾道ミサイル「シャハーブ3」の発射実験を実施したと発表。また、2007年11月にはナッジャール・イラン国防軍需相がイランは射程2000キロメートルのミサイル「アシュラ」を開発・製造している旨発言した。更に、2008年7月には新型「シャハーブ3」の発射実験を成功裏に実施した旨発表。2008年2月、ナッジャール国防軍需相は、イランが2008年6月に人工衛星「オミード」を初めて独自に打ち上げる旨発言したが、いまだその打ち上げは行われていない。
(3)中東和平
イランはイスラエルを承認していない。イランは、中東和平問題につき、全てのパレスチナ難民が帰還した上で、全ての当事者による国民投票(レファレンダム)を実施し、彼らが自らの運命を決めるべきとの立場。
2005年8月に就任したアフマディネジャード大統領は、故ホメイニ師の「イスラエルは地図上から抹消されるべき」との発言を繰り返し、国際社会から厳しい非難を浴びている。
2006年4月、イランはハマス主導のパレスチナ政府に対し、5000万ドルの支援を表明しており、ハマスとの間で緊密な関係を有しているとされている。また、ヒズボラとの密接な関係についても指摘されているが、イランはヒズボラへの武器支援については強く否定しており、イラン政府は、「ヒズボラには政治的、外交的、精神的支援のみを与えており、イスラエル・レバノン間の戦争に軍事的に介入する意志はない」としている。
(4)人権
国連人権委員会(現人権理事会)においては、1982年以来イランの人権状況に懸念を表明し改善を求める決議が採択されてきた。ハタミ政権発足以降は、決議には同政権の改革努力を評価する積極的な記述が増え、2002年には本決議が否決され、また、2003年には決議自体の審議も行われなくなった。しかし、2006年の人権理事会では、1503手続でイランの人権状況が取り上げられ、審議継続が無投票で決定された。その後、2007年3月の人権理事会において1503手続に基づくイランの人権状況の審議打ち切りが採択された。
国連総会第三委員会では、1985年以降イランの人権状況に関する決議が提起されており(除く1991年、2002年)、2007年も12月の国連総会本会議において決議が採択された。
3.軍事力
(1)国防予算 約66億ドル(2006年)(The Military Balance 2007)
(2)組織 最高指導者を最高司令官とする国防組織を有し、軍隊は、「正規軍」、「革命ガード」及び「治安維持軍」から構成。前二者が国防、後者は国内の治安維持を担当。
(3)兵力 54.5万人<)
(The Military Balance 2007)経済
1.主要産業
石油関連産業
2.GNP
1,885億ドル(2005年度暫定値、IMF)
3.一人当たりGNP
2,802ドル(2005年度暫定値、IMF)
4.GDP成長率
5.8%(2007年、IMF)
5.物価上昇率
20.7%(2007年6月〜2008年6月、イラン中央銀行2008年7月発表)
6.失業率
10.7%(2008年3月〜2008年6月、イラン統計センター発表)
7.総貿易額
(1)輸出 755億3,700万ドル(2006年3月〜2007年3月)
(2)輸入 492億9,200万ドル(2006年3月〜2007年3月)
8.主要貿易品目
(1)輸出 原油
(2)輸入 機械、車両、鉄鋼
9.主要貿易相手国(2006年度、IMF)
(1)輸出 1)日本 2)中国 3)トルコ 4)伊 5)韓国
(2)輸入 1)独 2)中国 3)アラブ首長国連邦 4)韓国 5)仏
10.為替レート
1$=約9,290リアル(2008年8月4日、イラン中央銀行発表)
11.石油
(1)確認埋蔵量 1,375億バーレル(シェア11.4%)(2006年末)(世界第2位)
(2)生産量 434.3万B/D(シェア5.4%)(2006年)(世界第4位)
(3)可採年数 86.7年(2006年末)
((1)〜(3)はBP統計2007年版)
(4)石油収入 624億5,800万ドル(2006年3月〜2007年3月)(イラン中央銀行発表)
12.ガス
(1)確認埋蔵量 28.13兆立方メートル(シェア15.5%)(2006年末)(世界第2位)
(2)生産量 1050億立方メートル/年(シェア3.7%)(2006年)(世界第4位)
((1)〜(2)はBP統計2007年版)
13.経済概況
(1)イランは世界第2位の石油及び天然ガス埋蔵量を有する有数の産油国。民間資本は商業が中心であるが、農畜産業も盛んで食糧自給率は70%。
(2)ハタミ前政権は、為替レートの一本化、直接税法改正等の経済構造改革を実施。2002年5月、新外国投資法が成立し、同年10月、同法施行法令が公布された。しかし、高インフレ率や高失業率等の問題は解決されず。
(3)アフマディネジャード政権は、「公正な分配」を大きな政策の柱とし、貧困の撲滅、汚職の追放、地方の開発等を重視した政策を実施すると共に、ガソリン割当制の導入や行政計画庁の解体など大胆なイニシアティヴを発揮。他方で、大統領の経済運営については、深刻化するインフレ問題や、第4次5カ年計画(2005年3月〜2010年3月)、ハメネイ最高指導者による、2025年に地域第一の大国となることを目指す「20年の展望」(2004年公表)等の国の長期的目標に沿った形で経済政策が進められていないとの批判が示されている。
(4)米国は、1995年の大統領令で米企業によるイランとの取引を禁止し、1996年には、イラン向け石油・ガス開発投資を行った外国企業に対し制裁を課す対イラン・リビア制裁法(ILSA)を成立させ、対イラン経済制裁を実施。2001年8月、同法は2006年8月まで5年間延長された。その後、2006年9月30日、ILSAを継承する内容の「イラン自由支援法案(IFSA)」が成立。
経済協力
1.我が国の援助実績(単位:億円)(2007年)
(1)円借款(E/Nベース)2007年度までの累計 810.28
(2)無償資金協力(E/Nベース)2007年度までの累計 36.29
(3)技術協力(経費ベース)2007年度までの累計 211.61
2.DAC主要援助国のODA実績(2006年、単位:100万ドル)
(1)ドイツ(3838) (2)フランス(15.4) (3)スペイン(12.37) (4)オーストリア(3.4) (5)ノルウェー(2.64)
※2006年の日本のODA実績は、-7.32百万ドル(注:過去の政府貸付等については、イラン側の返済金額を差し引いた金額)。
二国間関係
1.政治関係
(1)1929年8月、在イラン公使館開設(国交開設)。1930年7月、在日イラン公使館開設。1942年4月、対日断交。1953年11月、国交再開。1955年2月、大使館に昇格。1977年1月、在ホラムシャハル日本国総領事館を開設したが、1981年よりイラン・イラク戦争のため一時閉鎖(1997年4月、正式に閉鎖)。
(2)1958年5月、モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー国王訪日。1960年11月、皇太子同妃殿下イラン訪問。1978年9月、福田赳夫総理イラン訪問。
(3)2000年10月末、ハタミ大統領がイラン大統領として初めて訪日(イラン元首級としても42年ぶり)。
(4)アフマディネジャード政権成立後も、2005年11月のバーホナル国会第一副議長訪日、2006年2月-3月のモッタキ外相訪日、同年7月のマシャーイー副大統領兼文化遺産観光庁長官訪日、2007年8月のアリーアーバーディ副大統領兼体育庁長官訪日、同年10、11、12月及び2008年6月の小野寺外務副大臣のイラン訪問等、要人往来が行われている。2008年6月3日、福田総理は、食糧サミット(於:ローマ)の傍らにおいて、アフマディネジャード大統領と両国首脳としては8年ぶりの日・イラン首脳会談を実施。また、両国間の外相会談は、2006年以降、12回(電話会談9回を含む)実施されている。
2.経済関係
(1)対日貿易
- (イ)貿易額 (単位:億ドル)
-
1990年 1996年 2000年 2004年 2005年 2006年 2007年 対日輸出 35 32 53.0 82.6 103.5 111.1 127.4 対日輸入 16 7 5.7 11.2 13.5 11.7 13.3 合計 51 39 58.7 93.8 117.0 122.8 140.7 (World Trade Atlas)
- (ロ)主要品目(2007年)
-
- イラン→日本: 原油(96%)、LPG(3%)
〔我が国への原油輸入量49.9万B/D(12.1.%。サウジアラビア、アラブ首長国連邦に次ぐ第3位の原油供給国)(2007年)〕 - 日本→イラン: 一般機械(30%)、輸送用機器(28%)、鉄鋼(13%)
- イラン→日本: 原油(96%)、LPG(3%)
(2)我が国からの直接投資(単位:百万ドル)
- 1992年度 378
1993年度以降 ゼロ(1979〜2007年累計529)
(3)経済ミッションの往来
1990年3月 経団連ミッション訪問
1991年9月 経団連ケシュム島視察ミッション訪問
1993年2月 経済同友会代表団訪問
1998年7月 経団連ミッション訪問
2001年7月 政府派遣経済使節団訪問
2006年5月 イラン商工鉱会議所代表団の来日(日本/東京商工会議所主催のイラン・ビジネス・セミナー)
3.文化関係
(1)1958年、日本・イラン文化協定締結。
(2)人物交流は中東地域において最も盛ん(国費留学生の約4割)。
(3)1997年7月、2003年5月在京イラン大使館の主催によりイラン文化週間が開催。
(4)1998年10月、1999年10月、在イラン日本大使館の主催によりテヘランにて日本文化週間・月間が開催された他、2003年2月には日本文化紹介事業が実施された。
(5)2006年8月〜2007年9月まで「ペルシャ文明展 〜 煌く7000年の至宝 〜 」が東京、愛知、北海道、福岡、大阪にて実施。約7000年前にさかのぼる古代ペルシャの歴史を、イラン国立考古学博物館を中心とする約200点の展示物を通じて紹介。
4.在留邦人数等
717(2008年6月現在の登録者数)
(日系企業 35社、2008年6月現在の登録社数)
5.在日当該国人数等
5,198人(2006年12月末現在の登録者数、法務省統計)
6.主な要人往来(イラン・イスラム共和国成立1979年以降)
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
1979年10月 | 江崎通産大臣 |
1983年8月 | 安倍外務大臣 |
1986年1月 | 藤尾自民党政調会長 |
1987年6月 | 倉成外務大臣 |
1989年7月 | 藤尾自民党特使(ホメイニ師弔問使節) |
1991年3月 | 藤尾日・イラン友好議連会長 |
1991年5月 | 中山外務大臣(日・イラン友好議連代表団) |
1992年5月 | 橋本衆議院議員(前蔵相) |
1998年4月 | 高村外務政務次官 |
1998年10月 | 中馬衆議院外務委員長一行 |
1999年8月 | 高村外務大臣 |
2000年8月 | 日・イラン友好議員連盟代表団(中山太郎会長、尾身幸次会長代理、福田康夫幹事長、日本側議連として9年ぶり) |
2001年7月 | 平沼経済産業大臣 |
2001年8月 | 丸谷外務大臣政務官 |
2001年8月 | 野呂田芳成衆議院予算委員長一行 |
2001年10月 | 高村総理特使 |
2001年11月 | 吉田公一衆議院外務委員長 |
2001年12月 | 民主党議員団(池田元久議員、近藤昭一議員、内藤正光議員、岩本司議員) |
2002年1月 | 緒方アフガニスタン支援総理特別代表 |
2002年5月 | 川口外務大臣 |
2002年9月 | 渡部恒三衆議院副議長 |
2002年11月 | 中山総理特使(イラク問題) |
2003年3月 | 公明党議員団(浜四津敏子代表代行、遠山清彦議員) |
2003年5月 | 自民党議員団(塩崎恭久議員、下地幹郎議員、大村秀章議員) |
2003年6月 | 公明党議員団(太田昭宏幹事長代行、遠山清彦議員) |
2003年6月 | 岡本総理補佐官 |
2003年12月 | 岡本総理補佐官 |
2004年1月 | 川口外務大臣 |
2004年2月 | 公明党議員団(浜四津敏子代表代行、遠山清彦議員、メソポタミア湿原視察) |
2004年5月 | 高村総理特使 |
2004年5月 | 斉藤斗志二衆議院イラク特委委員長、中谷元同委委員 |
2004年8月 | 橋本元総理(国際環境会議参加) |
2005年1月 | 逢沢外務副大臣 |
2006年4-5月 | 民主党議員団(岡田克也元代表、渡辺周議員、若林秀樹議員) |
2005年5月 | 川口総理補佐官 |
2006年8月 | 自民党議員団(逢沢一郎幹事長代理、渡辺博道副幹事長総括、菅原一樹副幹事長) |
2006年11月 | 松浪健四郎議員、後藤斎議員(第7回アジア国会平和連合総会出席) |
2007年10月 | 小野寺外務副大臣 |
2007年11月 | 小野寺外務副大臣 |
2007年11月 | 尾身幸次議員 |
2007年12月 | 小野寺外務副大臣 |
2008年6月 | 小野寺外務副大臣 |
2008年6月 | 田村耕太郎議員 |
2008年8月 | 山中(火華)子議員 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1984年4月 | ヴェラヤティ外務大臣 |
1985年2月 | ナバヴィ重工業大臣 |
1985年6月 | ガゼルニ住宅都市建設大臣 |
1985年7月 | ラフサンジャニ国会議長(ヴェラヤティ外務大臣同行) |
1987年11月 | ヴェラヤティ外務大臣 |
1988年12月 | ガラズィ郵政大臣 |
1989年2月 | ミール・サリム副大統領(大喪の礼弔問使節) |
1990年11月 | モアエリ大統領顧問(即位の礼祝賀使節) |
1991年9月 | 日・イラン友好議連代表団(ソブハノラヒ団長他) |
1993年3月 | キャルバスチ・テヘラン市長 |
1993年10月 | キャルバスチ・テヘラン市長 |
1994年5月 | アガザデ石油大臣 |
1997年12月 | エブテカール副大統領兼環境庁長官 |
1998年2月 | ハーシェミタバー副大統領兼体育庁長官 |
1998年9月 | サヴォジ国会内務委員長一行 |
1998年12月 | ハラズィ外務大臣 |
1999年10月 | ローハニ国会副議長(国家安全保障最高評議会書記) |
2000年5月 | ホッジャティ道路運輸大臣 |
2000年6月 | アブタヒ大統領府長官(小渕総理弔問使節) |
2000年9月 | モハジェラニ文化イスラム指導大臣 |
2000年10-11月 | ハタミ大統領(ハラズィ外務大臣、ザンギャネ石油大臣同行、公賓) |
2001年2月 | ザンギャネ石油大臣 |
2001年7月 | モハジェラニ「文明間対話」国際センター所長 |
2001年10月 | イラン・日本友好議員連盟(ラフマーニ・ハリリ会長、ジャミーレ・キャディーヴァル議員他3名) |
2001年11月 | ハラズィ外務大臣 |
2002年1月 | ハラズィ外務大臣 |
2002年9月 | ザンギャネ石油大臣 |
2002年10月 | レザー・ハタミ国会副議長(アフマディ議員、ナマズィ議員同行) |
2002年12月 | アンサーリ国会計画・予算・決算委員長一行 |
2003年1月 | モオタメディ郵政大臣 |
2003年3月 | ピータラフ・エネルギー大臣 |
2003年5月 | ハッダードアーデル議員訪日(イラン文化週間出席) |
2003年8月 | ハラズィ外務大臣 |
2004年3月 | ローハニ国家安全保障最高評議会書記 |
2004年4月 | メフル・アリーザーデ副大統領兼体育庁長官 |
2005年2月 | ハラズィ外務大臣 |
2005年4月 | シャリアトマダリ商業大臣(愛・地球博) |
2005年5月 | ベヘシュティ文化遺産観光庁文化財保存研究センター長 |
2005年5月 | ショーラカー副大統領兼行政計画庁長官 |
2005年7月 | バーホナル国会第一副議長(オピニオンリーダー招待) |
2005年8月 | マルアシ副大統領兼文化遺産観光庁長官 |
2006年2月 | モッタキ外務大臣(外賓) |
2006年7月 | マシャーイー副大統領兼文化遺産観光庁長官 |
2006年8月 | ハタミ前大統領(世界宗教者会議) |
2007年3月 | シャリアトマダリ外交関係戦略評議会メンバー(オピニオンリーダー招待) |
2007年6月 | アッバースプール国会教育・研究委員長他2名 |
2007年8月 | アリーアーバーディ副大統領兼体育庁長官(アジア地域スポーツ担当大統領会合) |
2007年12月 | ファッターフ・エネルギー相(アジア太平洋水サミット) |
2008年2月 | ジャヴァード・ラリジャニ司法権国家人権最高評議会事務局長兼司法権長国際問題担当顧問 |
7.二国間条約・取極
1939年 修好条約
1953年 国交再開のための交換公文
1958年 文化協定
1958年 経済技術協力協定
1963年 司法共助取極
1974年 査証免除取極(1992年4月より一部につき一時停止)
8.外交使節
(1)城田 安紀夫 特命全権大使(2007年12月4日 信任状捧呈)
(2)セイエド・アッバース・アラグチ 特命全権大使(2008年3月11日 信任状捧呈)