イラク共和国
(Republic of Iraq)
概況
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)
基礎データ
(1) 首都
バグダッド(人口約500万人〜600万人)
(2) 面積
約43.74万平方キロメートル(日本の約1.2倍)
(3) 人口
約2,710万人(2004年推定:世銀)
(4) 言語
アラビア語、クルド語(共に公用語)他
(5) 民族
アラブ人(シーア派約6割、スンニー派約2割)、クルド人(約2割)、トルクメン人、アッシリア人等
(6) 宗教
イスラム教(スンニー派、シーア派)、キリスト教他
(7) 政体
共和制
(8) 元首
ジャラール・タラバーニー大統領(2010年11月11日選出)
(9) 政府
2010年3月7日の国会選挙を受け、2010年12月21日、国会において閣僚名簿が承認され、新政権は発足(任期4年)。
(10)国会
2005年12月15日に国会選挙実施。2006年3月16日に初会合開催。
2010年3月7日に国会選挙実施。
(11)GDP
821億ドル(2010年推定値、IMF)
(12)所得水準(一人あたりGDP)
2,563ドル(2010年推定値、IMF)
(13)確認石油埋蔵量
1,150億バレル(2010年:BP統計、世界第4位)
1. 政治プロセス
日付 | 内容 |
---|---|
2004年6月28日 | 連合暫定施政当局(CPA)からイラク暫定政府に統治権限を移譲 |
2005年1月30日 | 国会選挙実施。投票率58% |
2005年4月28日 | 移行政府発足 |
2005年10月15日 | 憲法草案についての国民投票実施。同月25日承認。(投票率約63%。賛成約79%) |
2005年12月15日 | 憲法に基づく国会選挙(2006年2月最終結果発表) |
2006年3月16日 | 国会初会合開催 |
2006年4月22日 | 国会において新政府の国会議長にマシュハダーニー氏(スンニー派)、大統領にタラバーニー氏(クルド)が選出され、同大統領が首相にマーリキー氏(シーア派)を指名 |
2006年5月20日 | 国会において首相含む 40名の閣僚名簿が承認され、任期4年のイラク新政府が発足 |
2008年1月12日 | 旧バアス党員の復職に関する「責任と公正」法案が採択 |
2008年9月24日 | 地方選挙法がイラク国会で採択 |
2008年11月27日 | イラク国会が、米軍駐留に関する協定案を承認 |
2009年1月31日 | キルクーク県及びクルディスタン地域3県を除くイラク14県において地方議会選挙実施 |
2009年7月25日 | クルディスタン地域大統領及び議会選挙実施。バラザーニー同地域大統領が再選 |
2009年12月6日 | 選挙法改正案付帯決議採択。これを受け、大統領府は国会選挙日程を2010年3月7日と発表 |
2010年3月7日 | イラク国会選挙実施。投票率62% |
2010年6月1日 | イラク国会選挙結果確定 |
2010年6月14日 | イラク国会初会合 |
2010年11月11日 | イラク国会再開。マーリキー首相が首班指名、タラバーニー大統領及びヌジャイフィ国会議長が選出 |
2010年12月20日 | 閣僚名簿が国会で承認され、第2次マーリキー政権が発足 |
2.治安状況
(1)引き続き不安定であり、散発的にテロ事件が発生しているが、2007年夏以降の治安情勢は、大幅に改善。
(2)2008年5月、マーリキー首相はイラク治安部隊によるサドル派マハディ軍掃討を断行。
(3)2009年1月1日、米軍駐留に関する協定が発効。2009年6月30日、駐留米軍戦闘部隊のイラク都市部からの撤収が完了。それまで、イラク18県中、計13県で治安権限が多国籍軍からイラク側に移譲されていたが、7月1日、残りの5県についてもイラク側に移譲。
(4)駐留イラク米軍は、2010年8月19日に戦闘任務を終了し、5万人規模に縮小。2011年末までに全ての部隊が撤収予定。
3.国際社会の動き
2007年
- 5月3-4日、エジプトのシャルム・エル・シェイクで、イラク・コンパクト発足に関する閣僚級会合、イラクの安定化に関する第1回周辺国拡大外相会合開催。イラクの安定と復興に対する国際社会のコミットメントを確認。安倍総理(当時)の中東訪問の際にも、各国に対し、対イラク支援を働きかけ。
- 9月22日、NYにおいてイラク・ハイレベル会合開催(町村外務大臣(当時)出席)
- 11月3日、トルコ・イスタンブールでイラクの安定化に関する第2回周辺国拡大外相会合開催(小野寺外務副大臣(当時)出席)
- 12月18日、イラク駐留多国籍軍の任務を2008年末まで延長する安保理決議1790号が採択
2008年
- 4月22日、クウェートで第3回周辺国拡大外相会合開催(小野寺外務副大臣(当時)出席)
- 5月29日、スウェーデンで第1回イラク・コンパクト年次レビュー会合開催(宇野外務大臣政務官(当時)出席)
- 12月22日、イラク開発基金に関連する安保理決議案第1859号が採択(多国籍軍のマンデートを延長せず)。同月末に安保理決議に基づくイラク駐留多国籍軍のマンデートが終了。
2009年
- 8月7日、安保理決議1883号により、国連イラク支援ミッション(UNAMI)の権限延長(2010年8月まで)
- 12月21日、イラク開発基金に関連する安保理決議第1905号が採択。(2010年12月末まで延長)。
2010年
- 8月5日、安保理決議1936号により、国連イラク支援ミッション(UNAMI)の権限延長(2011年7月末まで)
- 12月15日、安保理決議1956号により、イラク開発基金の枠組みの半年後の終了を決定。1957号により、大量破壊兵器等に関連する決議の終了、および1958号により、オイル・フォー・フード計画の残余活動の終了を決定。
4.日本の取組
(1)自衛隊による支援
- 陸自については、2004年1月から2006年7月の期間、イラク南部のサマーワを中心としたムサンナー県に陸上自衛隊約600人(延べ約5500人)を派遣。医療、給水、公共設備の復旧整備等の人道復興支援活動を実施。
- 空自については、2004年3月から2008年12月までの間、クウェートを拠点とし、サマーワ、さらに2006年9月からは、バグダッド・エルビルへの空輸活動を実施。
(2)ODAによる支援:最大50億ドル(2003年10月マドリッド会合で表明)
- 15億ドル超の無償資金協力
- 実施状況:プレッジ額(15億ドル)を超える16.9億ドルの支援を実施
- 支援の性格:当面の支援として生活基盤の再建、治安の改善に重点
- 最大35億ドルの基本的に円借款による支援
実施状況:以下の12案件(約24.3億ドル)に関する交換公文及び借款契約調印済み
(1)港湾整備計画(イラク南部ウンム・カスル港)
(2)灌漑セクターローン(イラク全土)
(3)アル・ムサイブ火力発電所改修計画(バグダッド近郊)
(4)サマーワ橋梁・道路建設計画
(5)バスラ製油所改修計画(E/S)
(6)コール・アル・ズベール肥料工場改修計画
(7)原油輸出施設復旧計画
(8)電力セクター復興計画
(9)バスラ上水道整備計画
(10)クルド地域電力セクター計画
(11)クルド地域上水道整備計画
(12)バグダッド下水道施設改善計画
(13)中西部上水道セクターローン
(14)アル・アッカーズ火力発電所建設計画
(15)デラロック水力発電所建設計画
(3)対イラク公的債権削減
- 2005年11月24日、日イラク外相間で交換公文署名。
- 日本の対イラク公的債権を80%(約7,100億円、約60億ドル)削減済。
- 日本は、パリ・クラブ債権国の中で第1位の債権国。
(4)政治プロセスに対する支援
- 選挙支援:
- イラク独立選挙委員会メンバーを日本に招聘し、選挙管理の基礎的知識を研修。(2004年12月、2005年5月)
- 2009年1月31日のイラク地方議会選挙に、香川中東アフリカ局参事官を団長とする選挙監視団を派遣。
- 2009年7月25日のクルディスタン地域選挙に、小川駐イラク大使他から成る選挙監視団を派遣。
- 2010年3月7日のイラク国会選挙に際し、小川イラク復興支援等調整担当大使を団長とする選挙監視団を派遣。
- 憲法制定支援:
憲法制定支援セミナーを開催(於、東京、2005年6月)し、ハサニー国会議長を代表とする14名の代表団が訪日。 - 国民融和セミナー:各宗派・民族の党首、国会議員等を招聘し、これまでに3回実施。(2007年、2008年、2009年)
(5)経済強化を通じた支援
- 2008年7月2日、3日、日・イラク経済関係強化のため、両国政府の協力により、7月2日、3日、アンマンにおいて、「日・イラク経済フォーラム」を開催。イラクからハーシミー副大統領、ハリーリ産業鉱物資源大臣等、日本側から中野経産副大臣(当時)、宇野外務大臣政務官(当時)が出席し、総勢約250名が参加。
- 2009年1月28日、安倍総理特使のイラク訪問時、両国間のエネルギー・電力等分野での協力促進等を内容とする日イラク・パートナーシップ宣言を発出。
- 2009年3月1日、小川郷太郎イラク復興支援等調整担当大使を団長として、外務省、経済産業省および民間企業12社からなるイラク経済ミッションが、バグダッドを訪問。マーリキー首相、ハーシミー副大統領への表敬を行った他、サーレハ副首相、石油大臣、運輸大臣、通信大臣他関係省庁ハイレベルとの意見交換を行った。
- 2009年7月10日、シャハリスターニー石油大臣、ハリーリ産業鉱物資源大臣等から構成される投資誘致ミッションが訪日し、イラク投資セミナーを開催。総勢約270名が参加。
- 2009年12月20日、バグダッド国際空港(BIAP)において、第2会日イラク経済フォーラムを開催。日本側から、武正外務副大臣、松下経済産業副大臣、渡経団連副会長ほか、官民あわせて約100名が参加。イラク側は、マーリキー首相、イーサーウィー副首相、ズィーバーリー外相等閣僚ほか、イラク国営・民間企業関係者約200名が参加。更に翌21日、バスラ・日イラク経済フォーラムがバスラ空港で開催され、日本側より、官民あわせて約40名、イラク側より約80名が参加。
- 2011年2月7日、坂場イラク復興支援等調整担当大使を団長として、外務省、経済産業省及び民間企業10社ならびに政府関連機関3機関からなるイラク経済ミッションが、バグダッドを訪問。マーリキー首相への表敬を行った後、シャハリスターニー副首相、ガドバーン首相府顧問会議議長、アーラジー国家投資委員会委員長、シャンマ石油省次官、マハディ電力省顧問らと意見交換を行った。
- 2011年6月4-6日、坂場イラク復興支援等調整担当大使を団長として、日本の民間企業および関連機関の約20社・団体が参加するイラク経済ミッションが、イラク南部バスラ県を訪問した。イラク滞在中、ミッション一行は、県投資委員会委員長他との意見交換を行い、バスラ県を管轄するエネルギー関係の公社数社の幹部との意見交換を目的としたビジネス会合を開催した。
5.文化関係(2003年以降の主なもの)
(1)教育
- 国際交流基金によるサマーワ地域中高教員招聘(2004年10月)
- 2005年より国費留学生の募集再開(2006年に日本研究留学生として2名招聘)
(2)文化
- バクダッド国立博物館館長の招聘(2004年3・4月)
- イラク現代演劇グループ「アル・ムルワッス」の招聘(2004年10月)
- 2003年より国際交流基金スキームにより「おしん」「プロジェクトX」をイラクのテレビ局にて放映
(3)スポーツ
- イラク代表サッカーチームの訪日支援(2004年2月)
- スポーツ交流支援事業によるイラク柔道連盟会長招聘(2004年2・3月)
- 青年スポーツ省(ムサンナー県)に対するサッカー用具の供与(2004年5月)
- イラク・オリンピック委員会に対するスポーツ器材の供与(2004年8月引渡)
- イラク柔道連盟事務局長、柔道選手の招聘(2006年1月)
- イラク・レスリング協会メンバーの招聘(2007年8月)
6.日本との関係
<政治関係>
年月 | 内容 |
---|---|
1939年11月 | 日本側公使館がバグダッドに開館 |
1955年12月 | イラクは在京公使館を設立 |
1960年1月 | 第二次大戦中の閉鎖を経て、日本側公使館は大使館に格上げされた。同年、在京イラク公使館も大使館に格上げ |
1991年1月 | イラクによるクウェート侵攻・併合に抗議 |
1991年9月 | 在イラク日本大使引き上げ |
→以降、日本は、イラクとの二国間関係は関連安保理決議の履行状況等を踏まえながら進めるとの立場 | |
2004年6月28日 | 連合暫定施政当局(CPA)よりイラク暫定政府に統治権限が移譲。イラク暫定政府の発足を受け、日本は同政府を承認した |
2004年9月13日 | 鈴木敏郎特命全権大使を任命(1991年9月10日に片倉邦男大使が駐イラク特命全権大使を免ぜられて以降約13年ぶり) |
2004年10月5日 | ジュマイリー駐日イラク特命全権大使が着任(1993年7月31日、ラシードM.S. アル・リファーイ前大使が離任して以来11年ぶり) |
2006年3月15日 | 山口寿男特命全権大使を任命 |
2007年3月8日 | 門司健次郎特命全権大使を任命 |
2008年7月29日 | 小川正二特命全権大使を任命 |
2009年4月11日 | ジュマイリー駐日イラク特命全権大使が離任 |
2010年6月1日 | フェーリ駐日イラク特命全権大使が赴任 |
2010年10月26日 | 長谷川晋特命全権大使を任命 |
2011年6月21日 | イラク閣僚評議会は、東日本大震災の被災者を支援するため、1,000万ドルの義援金供与、及びイラク産原油輸入に係る日本企業の求めに応じることを承認。 |
<要人往来>
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2003年3月 | 茂木外務副大臣(総理特使) |
2003年5月 | 茂木外務副大臣(総理特使) |
2004年12月 | 大野防衛庁長官(サマーワ) |
2004年12月 | 冬柴・武部両幹事長(サマーワ) |
2005年12月 | 額賀防衛庁長官(サマーワ) |
2006年8月3日 | 麻生外務大臣(バグダッド。1987年9月倉成外務大臣以降初) |
2008年6月25日 | 甘利経済産業大臣(バグダッド) |
2008年12月21-22日 | 橋本副大臣(バグダッド、サマーワ) |
2009年1月28日 | 安倍元総理(総理特使)(バグダッド) |
2009年12月20日 | 武正外務副大臣、松下経済産業副大臣(バグダッド) |
2011年1月10日 | 大畠経済産業大臣(バグダッド) |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
2003年10月 | アッラーウィー暫定商務大臣(10月期GC議長)、オベイディー保健省副大臣 |
2003年12月 | バグダッド市評議会議員10名 |
2003年1月 | サッファール保健省副大臣 |
2004年3月 | アッバーディー暫定通信相、ウルーム3月期統治評議会議長、ラヒーム暫定工業・鉱物相、ラシード暫定水資源相、ウブード暫定農業相、マアジューン暫定労働・社会問題相、カリーム暫定環境相 |
2004年10月 | ハッサーニ・ムサンナー県知事、イラク復興信託基金東京会合代表団:サーレハ暫定政府副首相(団長)、ハーフェズ計画開発協力大臣、サーマッラーイ電力大臣、ハキーム通信大臣、アルワーン保健大臣 |
2005年3月 | ゼイン暫定産業・鉱物省副大臣 |
2005年6月 | アル・ハサニー移行国会議長 |
2005年10月 | ベルワーリー都市・公共事業相 |
2005年11月 | ズィーバーリー外相 |
2005年12月 | ジャアファリー首相及びウルーム石油相 |
2006年10月 | シャハリスターニー石油相 |
2007年3月 | ハーシミー副大統領 |
2007年4月 | マーリキー首相 |
2008年6月 | アーニー大統領府長官 |
2009年6月 | ズィーバーリー外相 |
2009年7月 | シャハリスターニー石油相、ハリーリ産業鉱物資源相 |
2010年1月 | シビービ・イラク中央銀行総裁 |
2010年10月 | アルハッサン・ズィカール県知事 |