コソボ共和国
(Republic of Kosovo)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年5月現在)
一般事情
1.面積
10,908平方キロメートル(岐阜県に相当)
2.人口
220万人(2008年、世銀統計)
3.首都
プリシュティナ(人口60万人、推定)
4.民族
アルバニア人(92%)、セルビア人(5%)、トルコ人等諸民族(3%)
5.言語
アルバニア語(アルバニア人)、セルビア語(セルビア人)等
6.宗教
イスラム教(主にアルバニア人)、セルビア正教(セルビア人)等
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
13-14世紀 | 中世セルビア王国及びセルビア正教会の中心地となる。多数のセルビア正教の教会、修道院が建立される。 |
1389年 | コソボの戦いでセルビアがオスマン・トルコに敗退。以後、イスラム教に改宗したアルバニア人がコソボに入植開始。 |
1913年 | バルカン戦争でトルコに勝利したセルビアがコソボを奪回。 |
1918年 | ユーゴスラビア王国の一部となる。 |
1941年 | 第二次世界大戦中、ドイツ、イタリア、ブルガリアに分割占領される。 |
1945年 | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(6共和国で構成)が建国。セルビア共和国の一部として「コソボ・メトヒヤ自治区」が設立。1963年、「コソボ自治州」に改称。 |
1974年 | ユーゴ憲法改正により、コソボは共和国に準じた大幅な自治権(独自の憲法、議会、政府、裁判所)を獲得。 |
1981年 | コソボ自治州の共和国昇格を求めるアルバニア系住民による暴動発生。ユーゴ政府は治安部隊の投入により暴動を抑える一方、コソボ向けの開発援助資金を増大。 |
1989年 | アルバニア系住民とセルビア系住民の対立が深まる中、セルビアはコソボの自治権を大幅に縮小。 |
1990年 | アルバニア系住民が「コソボ共和国」の樹立とセルビアからの独立を宣言。これに対し、セルビアは自治州議会及び政府の機能を停止し、直接統治を開始。アルバニア系住民は武装組織「コソボ解放軍」(KLA)を組織化し、武力闘争開始。 |
1998年 | セルビアがKLA掃討作戦を展開し、コソボの治安情勢と住民の人道状況が急速に悪化。OSCEがコソボ検証ミッションを派遣。 |
1999年3月 | 1999年2月、ランブイエ(仏)にて国際社会の仲介で和平交渉が開始されたが、セルビアがNATO軍のコソボ展開を受け入れず決裂。同年3月末、NATOは、コソボにおける人道的危機が深まったとしてコソボを含むセルビア全域の軍事目標及び経済インフラに対し空爆による攻撃開始。これに対し、セルビアがKLA掃討作戦を強化し、数十万のアルバニア系住民がコソボから流出し難民化(コソボ紛争)。 |
1999年6月 | セルビア治安部隊のコソボ撤収によりNATO空爆終了。国連安保理決議1244号が採択され、国連(UNMIK)による暫定行政が開始され、また、NATO主体の国際安全保障部隊(KFOR)が展開。アルバニア系難民が帰還する一方、約26万人のセルビア人等非アルバニア系住民がコソボからセルビアに避難。 |
2002年4月 | 国連(UNMIK)による「地位の前に水準」政策開始。コソボの地位確定交渉を開始する前提として、コソボによる8つの達成目標(統治機関の構築、法の支配、避難民帰還、地方分権化等)を設定。 |
2005年11月 | 2004年春のアルバニア系住民による暴動発生を契機に、地位確定交渉開始の気運高まる。2005年11月、国連はアハティサーリ元フィンランド大統領を地位交渉仲介特使に任命し、コソボ、セルビア間の仲介交渉に当たらせる。 |
2007年3月 | アハティサーリ国連特使が、国際社会の監督下によるコソボの独立案を国連に勧告。同案を承認する安保理決議案は採択されず。 |
2007年8月 | 米、露、EUの三者(トロイカ)の仲介によるコソボ、セルビア間の地位交渉が再開されたが、同年12月、不調に終わる。 |
2008年2月 | 17日、コソボ議会が「コソボ共和国」の独立を宣言。 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
アティフェテ・ヤヒヤーガ大統領(2011年4月就任、任期5年)
3.議会
1院制(定数120名)
政党名 | 議席数 |
---|---|
コソボ民主党 | 34議席 |
コソボ民主同盟 | 27議席 |
自己決定運動 | 14議席 |
コソボ将来同盟中心の選挙連合 | 12議席 |
新コソボ連盟 | 8議席 |
小数民族系12政党 | 25議席 |
4.政府
コソボ民主党、新コソボ連盟、少数民族系11政党からなる連立政権
首相 ハシム・サチ首相(コソボ民主党党首)(2008年1月就任、2011年2月再任、任期4年)
5.内政
(1)独立後、憲法の制定、国家機関の創設、法体系の整備など着実な国造りに努めている。サチ政権は、新コソボ連盟、少数民族系11政党と連立を組み、議会内で過半数の勢力を占めている。
(2)内政の課題は、法の支配の確立と、コソボ独立に反対するセルビア系住民との融和にある。法の支配については、2008年2月末からコソボへの派遣が開始されたEUによる法の支配ミッション(約2千名の警察官、税関吏、司法専門家。通称、EULEX)による支援を受けて汚職・組織犯罪等の対策に取り組んでいる。
(3)一方、コソボ北部のセルビア系住民は、セルビアから行政サービスを受けており、コソボへの統合に反対している。また、1999年のコソボ紛争時にセルビアに避難した26万人の非アルバニア系住民(内、セルビア系は23万人)の帰還はほとんど進展しておらず、難民の帰還及び少数民族の保護が課題となっている。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)コソボ独立の承認国(2011年5月現在、75か国)を増やし、国連等国際機関への加盟を達成することが当面の外交目標。また、将来のEU加盟等、欧州・大西洋統合を目標とする。
(2)2010年7月、国際司法裁判所が、コソボの独立宣言は国際法に違反しないとの勧告的意見を発表し、また、同年9月、国連総会が、EUにコソボ・セルビア間の対話プロセスを促進する用意があることを歓迎する旨の決議を採択しており、2011年3月からコソボはEU仲介の下、セルビアとの対話を実施している。
2.軍事力
(1)1999年以来、NATO主体のコソボ国際安全保障部隊(KFOR、約5,000名)が駐留している。
(2)2009年1月、軽武装のコソボ治安部隊(KSF、約3,000名)が創設され、災害対策及び警察以外の治安を担当。
経済
1.主要産業
サービス業(68%)、工業(20%)、農業(12%)(2008年、世銀統計)
2.GNI
54億米ドル(2008年、世銀統計)
3.国民一人当たりGNI
3,240米ドル(2009年、世銀統計)
4.経済成長率
5.4%(2008年、世銀統計)
5.物価上昇率
−2.4%(2009年、コソボ統計局)
6.失業率
45.4%(2009年、コソボ統計局)
7.貿易額
輸出: 1.65億ユーロ
輸入: 19.35億ユーロ
(2009年、コソボ統計局)
8.主要貿易品目
輸出: 鉱物性生産品、卑金属、食料品
輸入: 機械類、鉱物性生産品、食料品
(2009年、コソボ統計局)
9.主要貿易相手国
輸出: イタリア、アルバニア、マケドニア
輸入: マケドニア、ドイツ、セルビア
(2009年、コソボ統計局)
10.通貨
ユーロ(1999年に導入)
11.経済概要
コソボは、旧ユーゴで最も開発が遅れた地域であり、旧ユーゴ及びセルビアからの援助に依存していたため、自立的な経済構造を有していない。主要産業の農業は小規模な家族経営が大半。褐炭、亜鉛等の鉱物資源を有しているが、近年、設備投資がほとんど行われていない。現在、恒常的な貿易赤字と税収の不備、電力不足、若年層を中心とする大量の失業など課題が山積している。住民の多くは海外移民からの送金、外国援助に依存している。
なお、コソボのアルバニア系住民は欧州一高い出生率を有し、過去50年間で人口が4倍に急増(1948年の46万人から1998年には183万人へ)しており、旧ユーゴ地域では最も人口密度の多い国(1平方キロ当たり197人)となっている。
二国間関係
1.政治関係
(1)日本は2008年3月18日、コソボを国家として承認し、2009年2月25日付で外交関係を開設。
(2)日本は在オーストリア大使館がコソボを管轄。
(3)コソボは2010年3月、サミ・ウケリ(Mr. Sami UKELLI)大使を初代駐日大使として日本に派遣。
2.経済関係
(1)日本の対コソボ貿易額・品目(2010年)
- 輸出: 約0.6億円(化学製品、事務用機器)
輸入: 96万円(バッグ類、プラスチック製品)
(2)日本の直接投資:なし
3.経済協力
2009年度までの累計として、草の根・人間の安全保障無償資金協力を中心とする無償資金協力1.36億円、及び技術協力としてJICA研修員受入れ(合計38名、1.06億円相当)を実施。
4.在留邦人数
10名(2010年10月現在)