キルギス共和国
(Kyrgyz Republic)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)

一般事情

1.面積

19万8,500平方キロメートル(日本の約2分の1)

2.人口

560万人(2010年:国連人口基金)

3.首都

ビシュケク(Bishkek)

4.民族

キルギス系(64.9%)、ウズベク系(13.8%)、ロシア系(12.5%)、ドウンガン系(1.1%)、ウクライナ系(1.0%)、その他ウイグル系、タタール系など(キルギス共和国国勢調査)

5.言語

キルギス語が国語(ロシア語は公用語)

6.宗教

主としてイスラム教スンニ派(75%)、ロシア正教(20%)、その他(5%)

7.略史

年月 略史
17-18世紀頃までにキルギス人の民族形成が進行
18世紀後半-19世紀前半 コーカンド・ハン国による支配
1855-1876年 ロシア帝国に併合
1918年 ロシア革命後、ロシア連邦共和国内の「トルキスタン自治ソヴィエト社会主義共和国」の一部となる
1924年 中央アジアの民族・共和国境界確定により、ロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる
1926年2月 キルギズ自治ソヴィエト社会主義共和国成立
1936年 ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1990年6月 オシュ事件(キルギス人とウズベク人の民族間衝突)
1990年10月 アカーエフ大統領就任
1990年12年12日 「キルギスタン共和国」に改名、主権宣言
1991年8月31日 共和国独立宣言
1993年5月 国名を「キルギス共和国」に変更
2005年4月 政変によりアカーエフ大統領辞任
2005年7月 バキーエフ大統領当選
2009年7月 バキーエフ大統領再選
2010年4月 政変によりバキーエフ大統領辞任
2010年6月 南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突
2010年6月 国民投票により、新憲法採択
2010年7月3日 オトゥンバエヴァ大統領就任
2010年10月10日 議会選挙実施
2010年12月 連立与党結成・新内閣発足

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

ローザ・イサコヴナ・オトゥンバエヴァ大統領(2010年7月就任、任期2011年末まで)

3.議会

一院制(定数120)。2003年の憲法改正により二院制から一院制に移行。2007年10月の新憲法採択により定数を75から90に、2010年7月の新憲法案では120に拡大。

4.政府

(1)首相 アルマズベク・アタムバエフ

(2)外相 ルスラン・カザクバエフ

5.内政

外交・国防

1.外交

(1)ロシアとの良好な関係維持を重視(特に安全保障面、貿易等経済面で、密接な関係を有する)しつつ、中国や米国といった大国の中でのバランス外交を標榜。

(2)地域内協力に熱心で、CISの枠内で、1996年3月にロシア、ベラルーシ及びカザフスタンと関税同盟条約及び統合強化条約を締結(両条約には後にタジキスタンが参加)。関税同盟は後にユーラシア経済共同体に発展。上海協力機構(2007年議長国、同年8月ビシュケクにおいて首脳会合開催)、CIS集団安全保障条約機構(2008年議長国、同年10月ビシュケクにおいて首脳会合開催)等にも積極的に参加。

(3)1998年10月、同国はCIS諸国で初のWTO(世界貿易機関)加盟国となった。

2.軍事

(1)総兵力10,900人(陸軍8,500人、空軍2,400人)、準兵力9,500人(ミリタリー・バランス2010)

(2)1997年及び1998年、米軍及び中央アジア・コーカサスの一部諸国の軍隊と合同で、中央アジア合同軍事演習(Tsentrazbat)を実施。また、キルギスは、上海協力機構の枠内で実施されている対反テロ共同軍事演習に、しばしば参加。

(3)2001年12月以降、米軍がアフガニスタンにおける対テロ作戦実施のためキルギス・マナス空港に駐留している。2009年2月、米軍に8月18日までの駐留期限終了を通告したが結局、同年6月、米・キルギス両国は、同基地の名称をマナス中継輸送センターとして、実質的な継続使用の協定に合意。2010年4月の政変後、キルギス新政権と米国は、同センターの使用契約を2011年7月13日まで1年間自動延長。2010年12月、アタムバエフ首相が、議会演説においてマナス中継輸送センターの合意を今後4年間順守すると言及。

(4)2003年10月以降、集団安全保障条約機構(CSTO)の枠内で、露空軍(カント基地)が駐留している。

経済

1.主要産業

農業・畜産業(GDPの約3割)、鉱業(金採掘)

2.GDP

46.15億ドル(2010年:IMF)

3.一人当たりGDP

863.65ドル(2010年:IMF推定値)

4.経済(実質GDP)成長率

-1.4%(2010年:IMF)

5.物価上昇率

7.8%(2010年:IMF)

6.失業率

1.8%(2009年:CIA)

7.総貿易額

(1)輸出 22.92億米ドル

(2)輸入 38.98億米ドル

(2009年:WTO)

8.主要貿易品目

(1)輸出 貴金属・真珠・宝石、化学製品、鉱物製品、繊維製品、野菜・果物

(2)輸入 鉱物製品、機械設備、化学製品、運輸関連製品、食料

(キルギス共和国統計委員会)

9.主要貿易相手国

(1)輸出 スイス、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、UAE

(2)輸入 ロシア、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、米国

(キルギス共和国統計委員会)

10.通貨

ソム(Som:1993年5月10日導入)(CIS統計委員会)

11.為替レート

1ドル=45.50ソム(2011年6月現在:キルギス国立銀行)

12.経済概況

(1)産業構造

キルギスの主要産業は農業及び牧畜業(GDPの約3割)、農畜産物を加工する食品加工業、金採掘を中心とする鉱業である。また、水資源が豊富。

(2)経済改革及び経済成長率

キルギスは、独立後、1992年の価格自由化を皮切りに、IMFの緊縮財政勧告に従って急進的市場改革路線を推進した。ソ連崩壊の混乱の中で経済不振が続いたが、1996年に独立後初めてGDPがプラスに転じた。その後、1998年ロシア金融危機の影響を受け、財政が逼迫するなど危機もあったが、基本的にはプラス成長が続いている。(但し、2002年及び2005年はクムトール金鉱の金生産の減少の影響もあってマイナス成長)。

2008年10月以降は、世界金融危機の直接的な影響は見られないものの、経済的に関係の深いロシア、カザフスタンの景気後退の影響を受け、海外出稼ぎ労働者からの送金も減少し、GDPの成長が鈍化している。

2010年4月の政変時に、政府機関やスーパー等が略奪・破壊・放火に遭い、さらに6月の南部におけるキルギス系・ウズベク系住民による大規模な衝突により、住宅、学校や病院等の公共施設、上下水道、電力供給施設等が破壊される等、キルギス国内で甚大な損害を受けた。

(3)累積債務問題

2002年3月にパリクラブにおいてリスケが合意されている。

経済発展と貧困撲滅は重要な課題であり、国民所得も低く外国からの援助が必要。対外債務規模(約20億ドル、GDPの約90%)に鑑み、国内で重債務貧困国(HIPC)プログラム参加の可否が議論されたが、2007年2月不参加が決定された。

経済協力

1.日本の援助実績

(1)有償資金協力 256.65億円(2010年度までの累計)

(2)無償資金協力 141.1億円(2010年度までの累計)

(3)技術協力 103.12億円(2009年度までの累計)

2.主要援助国

米、独、日、英、スイス

DAC諸国のODA実績(過去5年)(支出純額ベース)(百万ドル)
暦年 1位 2位 3位 4位 5位 合計
2005年 米 40.8 独 27.6 日本 21.0 英 9.4 スイス 9.3 125.8
2006年 米 50.3 独 17.9 日本 17.2 スイス 16.5 英 11.2 123.6
2007年 米 39.8 独 25.0 日本 15.7 英 13.0 スイス 10.6 118.7
2008年 米 63.6 独 21.3 英 13.7 日本 12.3 スイス 10.8 121.7
2009年 米 52.5 独 24.0 スイス 18.2 日本 17.8 英 8.9 139.6

(出典:DAC/International Development Statistics)

二国間関係

1.政治関係

(1)国家承認日 1991年12月28日

(2)外交関係開設日 1992年1月26日

(3)日本大使館開館 2003年1月27日(駐日キルギス大使館は2004年4月に開館)

1991年12月の独立以降、積極的なODA供与も背景に両国関係は進展。

また1995年5月、日本は市場経済化促進のための人材育成を目的とする「キルギス日本人材開発センター」を首都ビシュケクに開設。

1999年8月、南部バトケン州にて国境を越えて侵入してきた武装勢力による邦人誘拐事件が発生。10月に無事解放。

2.経済関係

日本の対キルギス貿易(2010年:財務省貿易統計)

輸出 31.5億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)
輸入 0.2億円(アルミニウム及び、同合金)

3.文化関係

(両国間には当初旧ソ連との間で締結、その後キルギスとの間で承継した文化協定あり。)

文化無償資金協力 4件

1993年度 国立オペラバレエ劇場に対する楽器供与(50百万円)
1995年度 国立テレビ・ラジオ協会に対するスタジオ機材(48.4百万円)
1998年度 国立高等音楽院に対する楽器供与(46.6百万円)
2003年度 国立図書館に対するマイクロフィルム機材及び印刷機材(42.7百万円)

4.在留邦人数

145人(2011年6月現在)

5.在日当該国人数

220人(2011年6月現在:法務省)

6.要人往来

(1)往(1992年以降)

年月 要人名
1992年4月 渡辺外務大臣
1997年7月 対ロシア・中央アジア対話ミッション(団長:小渕恵三衆議院議員)
1997年9月 麻生経済企画庁長官
1999年8月 武見外務政務次官
2002年4月 杉浦外務副大臣
2002年7月 杉浦外務副大臣
2003年1月 土屋外務大臣政務官
2004年8月 川口外務大臣
2005年7月 福島外務大臣政務官
2005年8月 川口総理大臣補佐官
2005年11月 衆議院外務委員会公式派遣議員団(団長:原田義昭外務委員長)
2006年8月 海部元総理大臣
2008年7月 山本経済産業大臣政務官

(2)来(1992年以降)

年月 要人名
1992年10月 チングイシェフ首相(旧ソ連支援東京会議)
1993年4月 アカーエフ大統領(公式実務訪問)
1994年11月 ジュマグーロフ首相(第1回日本・キルギス経済合同会議)
1996年10月 ジュマグーロフ首相(キルギス支援国会合)
1996年11月 ジュマグーロフ首相(第3回日本・キルギス経済合同会議)
1997年5月 コイチュマノフ経済大臣訪日(アジア開発銀行年次総会(福岡))
1998年8月 アブドゥラザコフ国務長官(アカーエフ大統領訪日先遣隊)
1998年10月 アカーエフ大統領(非公式)
2000年2月 ムラリエフ首相(第5回 日本・キルギス経済合同会議)
2001年6月 バキーエフ首相(EBRD主催「中央アジア諸国への投資促進会議」)
2001年11月 イマナリエフ外務大臣(外務省賓客)
2002年1月 イマナリエフ外務大臣
2003年11月 オトルバエフ副首相(UNCTAD第4回投資諮問評議会)
2004年1月 アイトマートフ外務大臣(外務省賓客)
2004年4月 アカーエフ大統領(実務訪問賓客)
2005年6月 ボルジュロヴァ副首相代行
ムラリエフ経済産業貿易大臣(万博賓客)
2006年6月 ジェクシェンクロフ外務大臣(「中央アジア+日本」第2回外相会合)
2006年9月 ルステンベコフ非常事態大臣(防災能力向上研修)
2007年11月 バキーエフ大統領(実務訪問賓客)
2007年12月 ヌル・ウル・ドスボル副首相(第1回アジア・太平洋水サミット)
2008年11月 アブドゥラザコフ元国務長官(秋の外国人叙勲)
2009年5月 スラマイノフ運輸通信大臣(無償資金協力関係)
2010年12月 イサコフ運輸通信大臣(無償資金協力関係)

7.二国間条約・取極

1993年4月 日ソ間で結んだ条約の承継を確認
2004年10月 日・キルギス技術協力協定署名