ラトビア共和国
(Republic of Latvia)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年3月現在)
一般事情
1.面積
6.5万平方キロメートル(日本のおよそ6分の1)
2.人口
223.1万人(2010年12月現在、ラトビア中央統計所)
3.首都
リガ(人口約70.6万人。2010年7月現在、バルト三国最大の都市)
4.言語
ラトビア語
5.宗教
プロテスタント(ルター派)、カトリック
6.略史
年月 | 略史 |
---|---|
13世紀初より | ドイツ騎士団が進出し、領有 |
1282年 | リガがハンザ同盟に加盟 |
1583年 | リヴォニア戦争の結果、リトアニア・ポーランド領となる |
1629年 | スウェーデン・ポーランド戦争の結果、一部分がスウェーデン領となる |
1721年 | 北方戦争の結果、大部分がロシア領、残りはポーランド領となる |
1795年 | 第3次ポーランド分割により全土がロシア領となる |
1918年11月18日 | 独立を宣言 |
1920年8月 | ソビエト・ロシアとの間に平和条約締結 |
1940年 | ソ連に編入 |
1990年3月 | 共和国最高会議選挙 |
1990年5月 | 独立回復宣言 |
1991年8月 | 共和国の地位に関する基本法採択 |
1991年9月6日 | ソ連国家評議会バルト三共和国の国家独立に関する決定を採択 |
2004年3月29日 | NATO加盟 |
2004年5月1日 | EU加盟 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
バルディス・ザトレルス大統領(2007年7月8日就任、任期4年)
3.議会
一院制(議席数100、任期4年)
4.政府
(1)首相 バルディス・ドンブロウスキス(政党連合「統一」)
(2)外相 ギルツ=バルディス・クリストウスキス(政党連合「統一」)
5.内政
(1)ザトレルス現大統領は、連立与党4党の推薦を受け、2007年5月の大統領選挙で選出され、7月に新大統領に就任。同大統領は、リガ生まれの外科医で、政治家の経験はないが、旧ソ連時代よりラトビア独立運動に従事。
(2)第一次、第二次カルヴィーティス政権(2004年12月〜2007年12月)
2002年10月の総選挙後、2度の政権交代を経て2004年12月、「国民党」のカルヴィーティス議員団長を首相とする「国民党」、「新時代」、「緑と農民連合」、「ラトビア第一党」からなる4党連立内閣が成立(ただし、2006年4月「新時代」が連立与党から離脱)。2006年10月7日に行われた総選挙では、カルヴィーティス首相率いる「国民党」を中心とする連立与党三党が議席数を増やし、過半数を獲得(51/100議席保持)。これを受けて2006年11月、新たに「祖国と自由」(7議席)を連立与党に加えた第二次カルヴィーティス連立政権(58/100)が発足。2007年後半、カルヴィーティス首相が、汚職摘発委員会委員長の罷免提案を契機として政権内外から批判を受け、12月5日に首相の職を辞任し、内閣が総辞職。
(3)ゴドマニス政権(2007年12月〜2009年3月)
2007年12月14日、ザトレルス大統領がゴドマニス内務相(「ラトビア第一党・ラトビアの道」)を首班候補として指名し、同月20日、同氏を首班とする右派4党連立内閣(構成はカルヴィーティス政権と同じ「国民党」、「緑と農民連合」「ラトビア第一党・ラトビアの道」、「祖国と自由」)が、議会において賛成多数で承認され、新政権が発足した。
2009年1月、経済危機を背景に内政上混乱が生じ、2月20日、連立与党を構成する「国民党」及び「緑と農民連合」が、ゴドマニス首相の辞任を要求、同首相は同日辞任した。(新政権発足まで暫定政権。)
(4)ドンブロウスキス政権(2009年3月〜)
2009年2月26日、大統領はドンブロウスキス欧州議員(新時代)を首相候補に指名。これを機に復帰した「新時代」は同党を含む5党連立内閣を組閣し、3月12日、国会はドンブロウスキス内閣を承認、新政権が発足。新政権は、構造改革と緊縮財政政策を実施しながら、経済危機に対応している中、2009年末以降のIMF及びECとの融資に関する覚書を巡り、連立政権内で見解の相違が表面化し、2010年3月、最大政党であった「国民党」が連立を離脱。これ以降、4党少数派政権となったドンブロウスキス内閣は、難しい政権運営を迫られた。
しかし、2010年10月、4年に1度実施される国会選挙で、ドンブロウスキス政権の中核をなす政党連合「統一」(「新時代」など3党が参加)は、全100議席中33議席を獲得し、第一党となった。11月、ドンブロウスキス首相は再任され、「統一」と「緑と農民連合」の2党からなる連合政権の新内閣が発足した。
外交・国防
1.外交
最大の外交目標であったNATO及びEU加盟をそれぞれ2004年3月及び5月に実現。現政権は、EUにおける国益の増進(2005年6月に欧州憲法条約批准)、NATO及びEUを通じた安全保障の確保と米国との二国間関係強化、対外経済活動の促進、バルト海地域の協力推進等を優先課題としている。
(1)バルト諸国間協力及びバルト・北欧協力の推進
1993年9月 バルト三国自由貿易協定署名
1993年11月 バルト三国平和維持大隊設置決定
1994年6月 バルト三国閣僚理事会設置
(2)ロシアとの善隣関係の構築
隣国ロシアとは、独立回復以来、国境画定交渉を行っており、2007年3月、国境条約に両国の首相が署名。同年12月に、両国外相が批准書の交換を行い、条約が発効し、国境が画定した。
1993年 駐留ロシア軍の撤退完了
2007年3月 ロシアとの国境条約に両国首相が署名
2007年5月 ラトビア国会、国境条約批准
2007年10月 ロシア議会、国境条約批准
2007年12月 ラトビア・ロシアの両外相が批准書を交換
2010年12月 ザトレルス大統領、ロシアを公式訪問
2.国防
(1)国軍は、陸(950人)、海(550人)、空(300人)軍などからなっている他、ボランティアによる国土防衛隊(約9,000人)がある。最高司令官は大統領。徴兵制は2007年に終了した。国軍は、陸、海、空など合わせて約5000人(補給部隊などを含む)。
(2)予算は約1.9億ユーロ(2010年度予算)
3.主要国際機関加盟状況
1991年9月 国連加盟
1991年10月 OSCE加盟
1992年4月 IMF加盟
1992年7月 世銀加盟
1993年5月 欧州評議会加盟
1999年2月 WTO加盟(バルト3国で最初)
2004年3月 NATO加盟
2004年5月 EU加盟
経済
1.主要産業
木材関係品、繊維製品、漁業、金属加工品
2.GDP(名目)
253億ドル(2010年 IMF)
3.一人当たりGDP
11.466ドル(2010年 IMF)
4.経済成長率
▲18%(2009年 IMF)
5.インフレ率
▲1.4%(2009年 IMF)
6.失業率
17%(2009年 IMF)
7.総貿易額
(1)輸出 70億ドル(2009年 UN Comtrade)
(2)輸入 91億ドル(2009年 UN Comtrade)
8.主要貿易品目
(1)輸出 一次産品、木材及び同加工品、鉄・非合金鋼
(2)輸入 一次産品、石油・ガス
9.主要貿易相手国(2009年 Eurostat)
(1)輸出 リトアニア、ロシア、エストニア
(2)輸入 リトアニア、ドイツ、ロシア
10.通貨
ラッツ(1993年3月5日導入)
11.為替レート
1ラッツ=約156円(2011年1月現在)
対ユーロ固定制(1ユーロ=約0.70ラッツ)
12.経済概況
(1)金融危機の影響
ロシア金融危機(1998年8月)の影響を受け、1999年にはGDP成長率が3.3%にまで低下したが、従来より推進してきた貿易相手国の多角化もあり、2000年以降、経済情勢は急速に回復し、着実な経済成長を記録。
(GDP成長率:1999年3.3%、2000年6.9%、2001年8.0%、2002年6.5%、2003年7.2%、2004年8.7%、2005年10.6%、2006年11.9%、2007年10.3%(出典:ラトビア中央統計所))
しかし、2008年後半の世界的金融危機の影響を受け、経済状況が悪化。2008年11月ラトビアはIMFに支援を要請し、同年12月末、IMFが融資を決定したほか、EU、北欧・バルト諸国、世銀等がラトビアへの支援を表明(融資額の内訳(2009年〜2011年):EU 31億ユーロ、IMF 17億ユーロ、世銀 4億ユーロ等)。経済成長率はマイナス18%(2009年)となり、失業率は2010年3月に最大の17.3%に達した。
2010年、第3四半期のGDPが前年同期比プラス2.5%となり、失業率にも回復の兆しが見え始めている。消費者物価指数は2009年10月から2010年8月まで、前年同月比でマイナスのデフレであったが、同9月以降プラスに転じている。
(2)トランジット産業
ラトビア政府は、リガ及びヴェンツピルスの2港を自由貿易港に、リエパーヤ及びレーゼクネを特別経済区に指定し、外国企業を誘致して、中継貿易を推進している。通過貨物は、石油及び石油関連製品が半分以上を占め、CIS諸国と西欧諸国を結ぶ経路が主なルートとなっている(なお、貿易相手国としてはEU諸国が主流となりつつある。)。
(3)2005年4月、ユーロ参加への最終段階(ERM2)に入り、2014年のユーロ導入を目指している。
(4)1999年2月に世界貿易機関(WTO)にバルト3国で初めて加盟した。
二国間関係
1.政治関係
(1)戦前日本はリガに公使館を有していたが、1940年、ソ連によるラトビアの併合に伴い同公使館を閉鎖。
(2)1991年9月 日本はバルト三国に政府ミッションを派遣。
同年9月6日 国家承認。
同年10月10日 外交関係開設。
(3)1992年6月 在スウェーデン日本大使館が兼轄開始
(4)2000年1月 在ラトビア日本大使館開設
(5)2006年4月 駐日ラトビア大使館開設
2.貿易関係(出典:財務省貿易統計2009年)
対ラトビア輸出 20億円
対ラトビア輸入 37億円
3.在留邦人数
29人(2011年1月現在)
4.在留ラトビア人数
54人(2007年12月現在)
5.要人往来(2000年以降)
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2001年12月 | 植竹外務副大臣 |
2006年7月 | 中馬内閣府特命担当大臣(閣僚の戦略的外国訪問) |
2006年10月 | 岩屋外務副大臣 |
2007年5月 | 天皇皇后両陛下 |
2007年8月 | 田中財務副大臣 |
2009年10月 | 江田参議院議長 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
2001年9月 | カルヴィーティス経済相 |
2002年3月 | ベーヨーニス環境相(第3回世界水フォーラム) |
2006年2月 | パブリクス外相(外務省賓客) |
2006年4月 | カルヴィーティス首相 |
2007年6月 | パブリクス外相 |
2008年5月 | シュレッセルス運輸大臣 |
2009年1月 | ゴドマニス首相(実務訪問賓客) |
2009年3月 | ダウゼ国会議長(衆議院議長招待) |
6.その他
姉妹都市:神戸市とリガ市、北海道東川町とルーイエナ町
友好議員連盟:日本では1996年7月、ラトビアでは2006年12月以降設立。