レバノン共和国
(Republic of Lebanon)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)
一般事情
1.面積
10,452平方キロメートル(岐阜県程度)
2.人口
約410万人(2009年世銀)
3.首都
ベイルート
4.民族
アラブ人(95%)、アルメニア人(4%)、その他(1%)(2009年:CIA The World Factbook)
5.言語
アラビア語(仏語及び英語が通用)
6.宗教
キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)等18宗派
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
16世紀 | オスマン・トルコの支配下に入る |
1920年 | 仏の委託統治領となる |
1943年 | 仏より独立 |
1975年 | レバノン内戦始まる |
1978年 | イスラエルのレバノン侵攻 |
1989年 | ターイフ合意(国民和解憲章)成立 |
1990年 | 内戦終結 |
2000年 | イスラエル軍南レバノンから撤退 |
2005年 | シリア軍レバノンから撤退 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ミッシェル・スレイマン大統領(2008年5月就任)
3.議会
一院制(128議席 キリスト教徒とイスラム教徒が同数 任期4年)
4.政府
(1)首相名 ナジーブ・ミーカーティー(2011年6月就任)
(2)外相名 アドナーン・マンスール(2011年6月就任)
5.内政
レバノンには18の宗派が存在し、各宗派に政治権力配分がなされ、バランスの確保に意が用いられている(大統領 マロン派、首相 スンニ派、国会議長 シーア派)。
2005年2月にラフィーク・ハリーリ元首相が暗殺されて以降、国内ではイスラム教シーア派のヒズボラなど親シリア派と故ハリーリ元首相の次男サアド・ハリーリ氏を中心とするイスラム教スンニ派のグループなどの反シリア派が激しく対立してきたが、2009年6月に実施された国会総選挙で、反シリア派が引き続き議席の過半数を確保する勝利を収めると、同年11月にはサアド・ハリーリ氏が首相に就任し、親シリア派も含めた「挙国一致内閣」を樹立した。
2011年1月、ハリーリ元首相暗殺事件の真相究明のための国際法廷である「レバノン特別法廷」が近く起訴状を発出するという動きを巡り、国内が緊張、親シリア派の野党系閣僚が一斉辞任。連立内閣が崩壊。
2011年6月、ミーカーティー首相率いる新内閣組閣。
外交
1.全般
レバノンは、シリアとは伝統的に緊密な関係にあり、内戦開始以降のシリア軍レバノン駐留(1976〜2005年)に見られるように、長くシリアの強い影響下にあったが、国内外の圧力もあり、2008年にレバノン、シリア間の外交関係が正常化。
中東和平問題に関しては、レバノン・シリア両トラックの一体性を強く主張し、公正かつ包括的な和平を求めている。中でもレバノンは、民族宗派間の人口バランスを崩すパレスチナ難民のレバノンへの帰化を拒否し、難民の帰還権を強硬に主張する立場をとっている。また、ヒズボラなど対イスラエル抵抗組織の活動を許容する立場を示している。アラブ連盟の一員であり、アラブ諸国との外交に重点。また、旧宗主国である仏とも緊密な関係にある。
2.対イスラエル
1970年代にパレスチナ勢力がレバノンに流入して以降、レバノンは中東和平問題に巻き込まれ、1978年には南レバノンを占領される。2000年5月には、イスラエルが占領地である南レバノンから撤退したが、レバノンはシェバア農地が依然としてイスラエルに占領されたままであるとして、イスラエル軍の撤退を求めている。これにより、シェバア農地周辺におけるヒズボラの抵抗運動は現在も継続。
2006年7月には、ヒズボラがイスラエル軍を襲撃し兵士8名を殺害、2名を拉致したことから、イスラエルとヒズボラ間の戦闘が勃発し、双方に多数の死傷者が出た(翌8月、安保理決議1701が採択され停戦が発効)。引き続き、シェバア農地を含めたシリア・レバノン間の国境の画定やヒズボラ等国内武装勢力の武装解除などを内容とする安保理決議1559、1680、1701をはじめとする関連安保理諸決議の完全履行が課題。
3.対シリア
シリアが歴史的経緯からレバノンを特別の同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後も推定約1万4千人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきたこともあり、その間、レバノン自体も親シリアの政体によって統治されてきた。しかし、2005年2月にハリーリ元首相が暗殺されると、脱シリア支配が国内で声高に叫ばれ、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、シリアが05年4月に軍をレバノンから撤退。その後、2008年10月にレバノンとシリアは外交関係樹立を宣言する共同声明に調印し、関係正常化を実現した。
4.対米
米は、レバノン内戦中に多国籍軍へ派兵したが、83年にはヒズボラによる自爆攻撃で海兵隊員241名が一度に犠牲になる事件が発生したこともあり、その後、米軍は撤退。
米は、特に2001年の同時多発テロ事件以降、対イスラエル抵抗運動を継続するヒズボラに厳しい目を向けており、同年11月には資産凍結対象テロ組織リストにヒズボラを掲載。仏と共に採択に力を注いだ04年の安保理決議1559、2006年7〜8月の衝突後に採択された決議1701においても、レバノン国内武装勢力の解散・武装解除を求めている。
5.対仏
旧宗主国である仏とは政治、経済など全般的に緊密な関係にある。仏は、内戦後のレバノン復興を目的とした国際会議をこれまで3回(1992年、2002年、2007年)パリでホスト開催するなどイニシアティブを発揮してきた。
国防
1.軍事力(ミリタリーバランス 2009年)
(1)国防費 7億5,100万ドル(2008年時)
(2)兵力 5万6,000人 (陸軍5万3,900人、海軍1,100人、空軍1,000人)
2.国防戦略
南レバノン情勢の安定実現のため、レバノン国軍は国連レバノン暫定軍(UNIFIL)と連携し、後方支援を受けながら南レバノンでのプレゼンスを維持している。国防力増強のため、主に米や仏や伊などの欧州諸国からの軍事支援を受けている。
経済
1.主要産業
金融業、観光業、食品加工業等
2.GDP(名目)
344.5億ドル(一人当たり8,157ドル)(2009年世銀)
3.GDP成長率
8.0%(2009年世銀)
4.インフレ率
3.4%(2009年世銀)
5.失業率
9.2%(2007年推定)
6.貿易
(1)輸出 34億8,400万ドル(2009年 UN data)
主要輸出品=卑金属、化学製品
主要輸出先=シリア、UAE、サウジアラビア、スイス
(2)輸入 162億4,200万ドル(2009年 UN data)
主要輸入品=石油製品、自動車、医薬品
主要輸入元=仏、米、シリア、伊、中、独
7.為替レート
レバノン・ポンド(LBP)
1ドル=1,507レバノン・ポンド(2010年、レバノン中央銀行)
8.経済概況
内戦以前の首都ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれ、中東のビジネス・金融センターとして繁栄していたが、内戦によってシステムが崩壊。1990年の内戦終了以後、経済復興が進められており、ベイルートの街並みなども再び整備されてきているが、2006年のイスラエルとヒズボラの武力衝突で国家全体のインフラ被害などが生じていることもあり、膨大な累積債務(約500億ドル)をどのように解消するかが大きな課題となっている。
経済協力
1.主要援助国
仏、米、伊、スペイン、独(2008年)
2.日本の援助(2009年度末まで)
(1)有償資金協力 130.22億円
(2)無償資金協力 29.28億円
(3)技術資金協力 11.68億円
二国間関係
1.政治関係
(1)日本→レバノン
年月 | 政治関係 |
---|---|
1954年 | 在レバノン公使館開設 |
1959年 | 在レバノン大使館に昇格 |
1986年 | 治安状況の悪化に伴い、館員は、ベイルートから避難し、ダマスカスの仮事務所にて執務。(ベイルートには現地職員を配置。) |
1995年2月 | 大使館員がベイルートに復帰(同年5月本任大使着任) |
(2)レバノン→日本
年月 | 政治関係 |
---|---|
1957年 | 在京レバノン公使館開設 |
1959年 | 大使館に昇格 |
2.経済関係
対日貿易(2009年:財務省貿易統計)
- 輸出 2億3,467万円(卑金属、化学製品等)
輸入 245億8,547万円(自動車、電気製品等)
3.文化関係
文化人招聘、専門家派遣などに加え、文化無償協力を行なっている。
2008年11月には、在外公館文化事業としてトリポリ市において「Japan Week」を開催し、約2,000名の参加を得たほか、2009年5月には、ベイルートにて「日本映画祭」を開催し、計6本の作品を上映して好評を博した。
4.在留邦人数
73人(2009年10月現在)
5.在日当該国人数
103人(2009年:法務省)
6.要人往来
(1)往(1995年以降)
年月 | 要人名 |
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1995年10月 | 福田外務政務次官 |
1997年4月 | 逢沢一郎外務委員長、森喜朗日・レバノン友好議連会長一行 |
1999年1月 | 高村外務大臣 |
2001年8月 | 杉浦外務副大臣 |
2002年6月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2004年8月 | 田中外務大臣政務官 |
2009年12月 | 飯村政府代表(中東和平担当特使) |
2010年11月 | 徳永外務大臣政務官 |
(2)来(1996年以降)
年月 | 要人名 |
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1996年4月 | セニオラ財政担当国務相 |
1996年5月 | ホベイカ電力・水資源相 |
1996年6月 | ハリーリ首相(非公式訪日) |
1997年11月 | ハリーリ首相(公式実務訪問賓客) |
2000年3月 | メルアビー・レバノン・日本友好議員連盟会長 |
2001年2月 | ハリーリ首相(非公式訪日) |
2001年11月 | フレイハーン経済・貿易相 |
2002年7月 | フレイハーン経済・貿易相 |
2002年10月 | ハリーリ首相、ジャーベル・レバノン・日本友好議員連盟会長 |
2004年8月 | アザール国会予算財務委員長 |
7.二国間条約・取極
日本レバノン航空協定 1967年署名
海運及び航空所得相互免税取極 1969年署名