レソト王国
(Kingdom of Lesotho)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
3.0万平方キロメートル(日本の九州の約0.7倍)
2.人口
207万人(2009年:世銀) 人口増加率0.8%(2009年:世銀)
3.首都
マセル(Maseru)
4.民族
バソト族
5.言語
英語(公用語)、ソト語
6.宗教
大部分がキリスト教
7.国祭日
10月4日(独立記念日)
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1868年 | バソトランドとして英国保護領に |
1966年10月 | 英領独立 |
1970年1月 | ジョナサン首相による憲法停止 |
1970年4-12月 | 国王モシェシェ二世オランダ亡命(帰国後、政治不関与を宣言) |
1986年1月 | クーデターによりレカーニャ国軍司令官が政権掌握 |
1990年3月 | 国王モシェシェ二世英国亡命 |
1990年11月 | モシェシェ二世廃位、レツィエ三世即位 |
1991年4月 | クーデターによりラマエマ大佐が政権掌握 |
1993年3月 | 下院総選挙実施(23年ぶり) |
1994年8月 | レソト危機(レツィエ三世、憲法停止及び議会・内閣の解散を一方的に宣言) |
1995年1月 | レツィエ三世退位、モシェシェ二世即位 |
1996年1月 | モシェシェ二世交通事故死 |
1996年2月 | レツィエ三世復位 |
1998年5月 | 下院総選挙実施 |
2002年5月 | やり直し下院総選挙実施 |
2005年4月 | 第1回地方自治体選挙実施 |
2007年2月 | 下院総選挙実施 |
政治体制・内政
1.政体
立憲君主制
2.元首
レツィエ三世(King Letsie III)
3.議会
二院制(上院は勅撰、下院は選挙により選出)
4.政府
(1)首相名 パカリタ・モシシリ(Pakalitha Bethuel Mosisili)
(2)外相名 ケネス・ツェコア(Kenneth Tsekoa)
5.内政
1998年5月の下院総選挙では、レソト民主会議(LCD)が80議席中79議席を獲得し、圧勝。しかしながら、選挙に不正があったとして野党支持者が選挙のやり直しを要求。事態は首都マセルでの警察と群衆の衝突に発展し、南部アフリカ開発共同体(SADC)軍の介入も招いた。その後、SADC代表団仲介の下、与野党間の政治対話が行われ、2000年に再選挙を行うこと、現行の小選挙区制を見直すこと等の合意に達した。
結局、再総選挙は2002年5月25日に実施され、LCDが小選挙区で圧勝、軍政時代に独裁政党だったバソト国民党(BNP)は比例区で票を伸ばし野党第一党となった。右選挙は国際的な選挙監視の下、平和的かつ自由に実施され、アフリカで最も民主的な選挙と言われた(日本も監視員を1名派遣)。2005年には、同国初となる地方自治体選挙も平和裡かつ民主的に実施され、LCDが総議席の76%を獲得する勝利を収めた。
2007年2月には、独立後6回目となる総選挙が実施され、LCDが過半数を制し、引き続き政権を担っている。
外交・国防
1.外交
レソトは地理的・経済的に南アに大きく依存しているため、対南ア関係の維持・調整を最重要視(レソトの輸入品は南アからの産品が約7割を占めるほか、南ア鉱山への出稼ぎ労働者からの送金が大きな収入源となっている)。
英連邦のほか、AU、SACU、SADC等に加盟し、地域協力の推進に熱心に取り組んでいる(COMESAからは1997年に脱退)。
南ア、米国、EU、中国、リビア、アイルランド(総領事)等が外交団を派遣しているが、2005年7月、英国政府は在レソト高等弁務官事務所の閉鎖を決定した。
2.軍事力
(1)予算 32.3百万ドル(2005年)
(2)兵力 陸軍約2,000人、空軍約110人
経済(単位:米ドル)
1.主要産業
農業(メイズ、ソルガム、小麦)、牧畜業
2.GNI
20.4億米ドル(2009年:世銀)
3.一人当たりGNI
980米ドル(2009年:世銀)
4.経済成長率
0.9%(2009年:世銀)
5.物価上昇率
3.4%(2009年:世銀)
6.失業率
約23%(2006年)
7.貿易総額(2009年:EIU)
(1)輸出 7.159億米ドル
(2)輸入 16.676億米ドル
8.主要貿易品目
(1)輸出 衣料品、食料品、靴、畜産品
(2)輸入 工業製品、食料・家畜、機械製品
9.主要貿易相手国(2007年:EIU)
(1)輸出 米(59.7%)、SACU(19.0%)、ベルギー(17.0%)
(2)輸入 SACU(85.4%)、台湾(4.9%)、香港(4.2%)、中国(2.6%)
10.通貨
ロチ(Loti)(複数マロチMaloti)(南アのランドと等価)
11.為替レート
1米ドル=約6.9マロチ(2011年5月現在)
12.経済概況
レソトは後開発途上国(LDC)の一つであり、旱魃等により慢性的な食糧不足に悩んでいる。同国の主産業は製造業(繊維産業)、農業(メイズ、小麦、サトウモロコシ)、建設業。わずかながらダイヤモンド等の鉱物資源も産出する。南ア鉱山への出稼ぎ労働者の収入がレソト経済の重要な収入源となっているが、近年は減少傾向。また、通貨ロチが南ア・ランドとペッグされていることによるインフレ対策が喫緊の課題。HIV/AIDS問題(成人感染率23.6%)も深刻。
製造業では南アや米国向けの衣類や靴(輸出の約70%を占める)が主力製品。米国のアフリカ成長機会法(AGOA)の恩恵を受け、繊維産業は急成長を遂げたが、2005年1月1日、WTO多国間繊維協定が終結し、アジア系企業の米国への直接輸出が可能となると、レソトに進出していた台湾や中国系企業は相次いで撤退、レソト経済は大打撃を受けた。
水資源や水力発電による電力を南アに供給する河川開発計画「レソト・ハイランド・ウォーター・プロジェクト」は、建設業を始めとする経済を牽引。同プロジェクトは、1986年にレソト・南ア政府が共同建設及び南アへの水資源の輸出等に係る協定を締結したことにより開始され、現在は4フェーズ中フェーズ1が終了した所である。現時点での南アへの輸出は水資源が主であるが、フェーズ2以降は電力輸出が本格化する予定。
レソトは南アフリカ、ボツワナ、ナミビア、スワジランドと共に「南部アフリカ関税同盟」(SACU)を形成している。これらの国々は、レソトの貿易主要相手国であり(総輸入先の約85%がSACU(2007年))、また、SACUからの交付金収入はレソト財政収入の約50%を占めている。
経済協力(単位 億円)
1.日本の援助実績(2009年度までの累計)
(1)有償資金協力 なし
(2)無償資金協力 94.17億円
(3)技術協力実績 9.55億円
2.主要援助国(2008年)(百万ドル)
(1)アイルランド(20.91) (2)米国(13.65) (3)日本(13.16) (4)英国(7.91) (5)ドイツ(7.41)
二国間関係
1.政治関係
年月 | 政治関係 |
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1966年10月4日 | 独立と同時に国家承認 |
1967年以来 | 在プレトリア総領事館(南ア)を通して領事関係を維持 |
1971年7月 | 在ザンビア大使館兼轄による外交関係樹立 |
1990年4月 | 日本を兼轄していた在中国レソト大使館閉鎖 |
1993年1月 | 在南ア大使館に兼轄変更 |
1995年3月 | 在中国レソト王国大使館兼轄再開 |
2006年10月 | 駐日レソト大使着任(在中国レソト大使館の兼轄解除) (2007年1月大使館開館) |
2.経済関係
(1)日本の対レソト貿易
- (イ)貿易額(2010年:財務省貿易統計)
- 輸出 0.70億円
輸入 1.35億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 繊維機械、自動車
輸入 衣類
(2)日本からの直接投資 なし
3.文化関係
なし
4.在留邦人数
4人(2009年10月)
5.在日当該国人数
50人(2009年12月)
6.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2005年5月 | 福島啓史郎外務大臣政務官 |
2005年11月 | 日・AU友好議連(矢野哲朗参議院議員、小渕優子衆議院議員、山内俊夫参議院議員) |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1966年11月 | ジョナサン首相 |
1972年10月 | マコアエ建設通信大臣 |
1987年6月 | ポロロ農業大臣 |
1988年12月 | モラポ国務大臣(三木元総理葬儀への参列) |
1989年2月 | モシェシェ二世国王(大喪の礼参列) |
1989年3月 | レツィエ外務大臣 |
1990年11月 | ラマエマ軍事評議会委員(即位の礼参列) |
1993年10月 | バホロ大蔵・計画・人材開発大臣(アフリカ開発会議(TICAD)出席) |
1998年10月 | ケツォ財務・開発計画大臣(TICAD II出席) |
1999年10月 | モレツァネ・レソト国立大学長(オピニオンリーダー) |
2001年12月 | ツェコア財務・開発計画大臣(TICAD閣僚レベル会合出席) |
2002年11月 | ツェコア外務大臣 |
2003年3月 | モレレキ天然資源大臣(第3回世界水フォーラム出席) |
2003年9月 | タハネ財務開発大臣(TICAD III出席) |
2003年12月 | モエラネ公共事業運輸大臣 |
2005年10月 | モレレキ外務大臣(外務省賓客) |
2006年11月 | モレレキ外務大臣 |
2007年8月 | モシシリ首相 |
2008年5月 | モシシリ首相(TICAD IV出席) |
7.二国間条約・取極
1977年5月 査証免除取極
8.外交使節
(1)当該国駐箚日本国大使(兼轄、南アフリカ常駐)
(2)本邦駐箚大使リチャド・ラモエレツィ特命全権大使