リベリア共和国
(Republic of Liberia)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
<米国解放奴隷の建国の地>
1.面積
111,370平方キロメートル(日本の約3分の1)
2.人口
約360万人(2009年:国勢調査)
3.首都
モンロビア(MONROVIA)
4.民族
ゴラ族、クペレ族、クル族、バサ族等16部族
5.言語
英語(公用語)、その他各部族語
6.宗教
国民の90%が伝統宗教、その他にキリスト教とイスラム教
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
19世紀初頭 | アメリカより解放された奴隷の移住地として発展 |
1847年7月 | 独立 |
1971年7月 | トルバート大統領就任 |
1980年4月 | ドー曹長クーデターにより国家元首に就任 |
1985年10月 | 総選挙によりドー元首大統領に選出される(民政移管) |
1988年3月 | 政府転覆未遂事件発生 |
1988年7月 | 政府転覆未遂事件発生 |
1989年12月 | 内戦勃発 |
1990年9月 | ドー大統領殺害 |
1995年8月 | アブジャ合意(全紛争当事者8派) |
1996年8月 | 新たな和平プロセス日程合意 |
1997年8月 | 大統領・副大統領・上院・下院選挙 第3共和制発足(チャールズ・テイラー大統領就任) |
1998年10月 | ECOMOG(ECOWAS監視団)、和平を目途に完全撤退 |
2002年2月 | 反政府勢力、リベリア和解民主連合(LURD)が蜂起 |
2003年6月 | 反政府勢力、LURD及びリベリア民主運動(MODEL)が蜂起、首都モンロビアに進攻 17日、政府と反政府軍による停戦合意署名(於:ガーナ) |
2003年8月 | テイラー大統領、ナイジェリアへ亡命 ECOWASによるECOMIL軍の派遣 18日、包括和平合意締結 |
2003年9月 | 国連安保理決議1509による「国連リベリアミッション(UNMIL)」の設置 |
2003年10月 | 移行政府発足(ブライアント移行政府議長就任) |
2005年10月 | 大統領及び上院・下院選挙 |
2005年11月 | 大統領選挙(決選投票) |
2006年1月 | ジョンソン=サーリーフ大統領就任 |
2006年4月 | テイラー元大統領、ナイジェリアからシエラレオネ特別法廷へ移送 |
2006年6月 | テイラー元大統領、シエラレオネからオランダ・ハーグへ移送 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
エレン・ジョンソン=サーリーフ(Ellen Johnson - Sirleaf)大統領(2006年1月就任、任期5年)
3.議会
二院制(上院・下院)
4.政府
(1)首相名 ポスト無
(2)外相名 トーガ・マッキントッシュ(Toga G. Mcintosh)
5.内政
1989年以降、断続的に内戦が行われていたが、2003年4月頃から政府と反政府勢力(リベリア和解・民主連合及びリベリア民主運動)との間で戦闘が激化。2003年6月17日、ECOWASの調停により停戦合意が成立したものの、その後戦闘が再開。反政府勢力の首都への進攻、米国の介入等の結果、テイラー大統領は2003年8月11日にナイジェリアへ亡命。2003年8月18日に政府側と反政府側等との間で包括和平合意が締結され、同合意に基づき、2003年10月14日に移行政府が発足。2005年10月及び11月の選挙を経て、2006年1月16日にジョンソン=サーリーフ女史がアフリカ初の民選女性大統領に就任し、着実に国の再建が進められている。2011年には、内戦終結後はじめてリベリア選挙管理委員会が実施する総選挙が予定されている。
外交・国防
1.外交基本方針
基本的には非同盟中立の立場をとりつつ、穏健な外交路線とともに近隣諸外国との関係を強化してきたが、シエラレオネの内戦時には、同国原産のダイヤモンドと引き替えに武器を供与しているとして、安保理制裁が発動される等、国際社会から圧力が高まった。2003年移行政府発足後、近隣各国との関係は徐々に改善し、2006年1月就任のサーリーフ大統領も善隣友好外交を展開し、マノ河同盟(MRU)、ECOWAS、AUを始めとする周辺諸国との関係改善にも努力している。内戦終了後、シエラレオネ、ギニア等へ流出した難民の帰還が懸案となり、国連による帰還オペレーション終了後も、リベリア政府は帰還促進に尽力中。
2.軍事力
兵力:約2,400人、予算:N/A
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
鉱業(金、ダイヤモンド)
農林業(天然ゴム、木材)
2.GNI
6.4億ドル(2008年:世銀)
3.一人当たりGNI
160米ドル(2009年:世銀)
4.経済成長率(実質)
4.6%(2009年推定:EIU)
5.物価上昇率
7.4%(2009年推定:EIU)
6.失業率
N/A
7.総貿易額(2009年推定:EIU)
(1)輸出 160百万ドル
(2)輸入 550百万ドル
8.主要貿易品目
(1)輸出 ゴム、金、ダイヤモンド等
(2)輸入 機械・運搬機器、食物、石油製品
9.主要貿易相手国(2008年推定、EIU)
(1)輸出 インド、ポーランド、ドイツ、南アフリカ
(2)輸入 南アフリカ、シンガポール、日本、中国
10.通貨
リベリア・ドル
11.為替レート
1米ドル=約72リベリアドル(2010年6月現在)
12.経済概況
戦乱により約27万人の死者、約79万人の難民・避難民が出たと言われ、世銀の報告によれば、1989年末に11億ドルであったGDPは一時2.5億ドルまで激減するなど、国家経済は著しく疲弊。その後ドナーによる復興支援及び難民の帰還による経済活動の回復などにより、2007年のGDPは約7.2億ドルとなり経済は順調に成長。貧困削減戦略に基づき、復興努力が行われている。マクロ経済については、ドナーによる復興支援や難民帰還による経済活動の活性化、国内情勢の安定に伴う投資の増加、農業分野の復興、主要輸出品であるゴムの国際市場価格の上昇等に加え、大規模な鉄鉱採掘の再開、木材の禁輸解除、ダイヤモンドの制裁解除(2007年5月)が大きなプラス要因となり、実質GDP成長率は2007年26.9%、2008年8.6%と上昇傾向が続いた。食糧・原油価格の高騰、及びゴム・鉄鉱石等の主要輸出産品の価格下落の影響を受け、2009年の成長率は4.6%(推定)に止まった。インフレ率は、2007年13.7%、2008年17.5%と上昇しており、国内不安の材料にもなっている。
経済協力
1.経済協力概況
従来日本は、食糧増産援助、保健医療及び電力分野等を中心とする無償資金協力、研修員受入及び青年海外協力隊派遣などを中心とする技術協力により国づくりを支援してきた。しかし、内戦の激化に伴い1990年5月以降は通常の二国間援助は停止し、難民・避難民に対する人道支援、和平に向けての地域間協力、また和平達成後はDDR実施支援、帰還難民の受入、コミュニティ復興を通じた再定住化支援を中心とした援助を国際機関を通じて実施してきた。2006年1月にジョンソン=サーリーフ大統領がアフリカ初の民選女性大統領として就任以来、国家再建に向けた積極的な取組を日本として高く評価。治安状況の改善等を踏まえ、2007年2月にワシントンDCで開催された支援国会合において二国間経済協力の再開を表明し、目下、保健とインフラを中心に、国家再建への支援を行っている。
2.日本の援助実績(億円)
(1)円借款(2009年度までの交換公文ベース) 58.00
(2)無償資金協力(2009年度までの交換公文ベース) 154.06
(3)技術協力実績(2009年度までのJICA経費実績ベース) 46.24
3.主要援助国(2008年、百万ドル)
(1)ドイツ(316.6) (2)米国(276.0) (3)ノルウェー(33.8) (4)英国(32.4) (5)フランス(26.8)
二国間関係
1.政治関係
1961年9月 外交関係樹立
1969年2月 リベリア大使館が東京に開設
1973年1月 日本側大使館をリベリアに開設
(1990年5月 日本側大使館員の国外退避)
2004年1月 日本側大使館を閉鎖、在ガーナ大使館による兼轄
2.経済関係
(1)対日貿易
- (イ)貿易額(2008年)(日本財務省貿易統計)
- 対日輸出 8,434万円
対日輸入 1,386億6,729万円 - (ロ)主要品目
- 対日輸出 石油製品等
対日輸入 船舶、一般機械等
(2)日本からの直接投資
日本の対リベリア直接投資は、日本の民間船舶の便宜置籍が多い関係上、サハラ以南のアフリカ諸国の中でも上位に位置する。年度によってかなりの差はあるものの2006年の投資額は、約116億円。
3.在留邦人数
5人(2010年6月現在)
4.在日リベリア人数
25人(2008年12月末現在)
5.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
1972年1月 | 吉田重延特派大使 |
1981年7月 | 愛知外務政務次官 |
2004年4月 | 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使 |
2006年1月 | 伊藤外務大臣政務官(総理特使) |
2006年7月 | 日・AU議連西部アフリカ訪問団(小此木団長) |
2006年11月 | 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使兼国連改革担当大使 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1970年7月 | トルバート副大統領 |
1973年3月 | ニール経済計画大臣 |
1980年3月 | ジョンソン=サーリーフ財務大臣(当時) |
1983年11月 | イーストマン外務大臣(立寄り) |
1987年3月 | タブマン財務大臣 |
1989年2月 | モニバ副大統領(大喪の礼) |
1998年10月 | カプタン外務大臣(TICAD II) |
2007年3月 | ジョンソン=サーリーフ大統領、ワレス外務大臣、サイェ財務大臣、ジョンソン=モリス法務大臣 |
2008年5月 | ジョンソン=サーリーフ大統領(TICAD IV) |
6.二国間条約・取極
1978年8月 青年海外協力隊派遣取極