リヒテンシュタイン公国
(Principality of Liechtenstein)
出典:外務省 各国・地域情勢(2009年6月現在)
一般事情
1.面積
160平方キロメートル(小豆島にほぼ相当)
2.人口
約35,000人(2006年末時点)
3.首都
ファドーツ(人口約5千人)
4.民族
主としてゲルマン民族(外国人約34%)
5.言語
独語
6.宗教
カトリック約80%、プロテスタント約7%
7.ナショナル・デー
8月15日
8.略史
ヨハン・アダム・アンドレアス侯が、1699年、シェレンベルク領(現在の低地部)を、ついで1712年、ファドーツ領(現在の高地部)をそれぞれ購入し、公国の基礎を固める。
年月 | 略史 |
---|---|
1719年 | 神聖ローマ帝国カール6世が両領に対し自治権を付与、リヒテンシュタイン公国に昇格。 |
1852年 | オーストリアと関税同盟締結。 |
1919年 | オーストリアが第1次大戦に敗北、ハプスブルク帝国崩壊。 →リヒテンシュタイン、オーストリアとの関税同盟を解消。 |
1921年 | 憲法制定 |
1923年 | スイスと関税同盟を締結、スイス・フランの導入。 |
1975年 | OSCE(欧州安全保障協力機構)加盟 |
1990年 | 国際連合加盟 |
1991年 | EFTA(欧州自由貿易連合)正式加盟 |
1995年 | EEA(欧州経済地域)加盟、WTO加盟 |
2003年 | 憲法改正 |
政治体制・内政
1.政体
立憲君主制
2.元首
ハンス・アダム2世(Hans Adam II)(第15代公爵)
3.議会
一院制、全25議席。議員の任期は4年。選挙区は、ウンターラント(低地地区、15議席)とオーバーラント(高地地区、10議席)。
4.政府
(1)首相 クラウス・チュッチャー(祖国連合、VU)
(2)外相 アウレリア・フリック(進歩市民党、FBP)(女性)
5.内政
(1)1989年11月、フランツ・ヨーゼフ2世の逝去に伴い、ハンス・アダム2世が即位。その後、2004年8月、ハンス・アダム2世はアロイス皇太子を摂政(国家元首代行)として全権を移譲。
(2)政府・議会
- 政府は、首相を含めて5名の閣僚によって構成される。閣僚の任期は4年。
- 1938年から1997年まで、祖国連合(VU)及び進歩市民党(FBP)の連立政権が続いたが、1997年2月の議会選挙の結果、進歩市民党が議席を減らし、同4月から祖国同盟の単独政権が誕生。
- その後、2001年2月の議会選挙で進歩市民党が単独過半数を獲得、同4月から祖国同盟に代わって進歩市民党の単独政権が発足した。
- 2005年3月の議会選挙では、祖国連合(VU)、進歩市民党(FBP)が共に単独過半数を獲得できなかったことから、両党の連立政権が発足。
- 2009年2月の議会選挙では、祖国連合(VU)が25議席中13議席と単独過半数を獲得したものの、祖国連合と進歩市民党(FBP)の連立政権が維持された。
【現在の政権】(2009年3月発足)
- 首相(兼財務、家族・男女機会均等) クラウス・チュッシャー(VU)
- 副首相(兼経済、交通、建設) マルティン・マイヤー(FBP)
- 外相(兼司法、文化) アウレリア・フリック(FBP)
- 健康、社会、環境・土地利用・農林業大臣 レナーテ・ミュスナー(VU)
- 内相(兼教育、スポーツ) フーゴー・クヴァーデラー(VU)
(3)地方政治
11のゲマインデ(地方自治体)がある。最も人口が多いのはシャーン(約5700人)、最も少ないのはプランケン(約360人)。
外交・国防
1.非武装中立
1866年の普墺戦争を契機として非武装中立政策をとるに至り、今日まで同政策を維持している。
2.スイスとの特殊関係
リヒテンシュタイン公国の在外公館は在スイス大使館及び欧州評議会(ストラスブール)常駐代表等に限られ、他の多くについては、スイスがリヒテンシュタインの利益代表を務める(1919年の合意に基づくもの。)。
3.軍事力
軍は1868年に最終的に解消。その後は軍を有さず。
経済
出典:リヒテンシュタイン統計局他
1.GDP総額
45.5億ドル(2008年)
2.一人当たり国民所得
データ無し
3.失業率
2.9%(2007年)
4.主要産業
精密機械、医療機器、国際金融、切手
5.貿易(2008年)
輸出 34.9億ドル
輸入 20.5億ドル
6.通貨
スイス・フラン(CHF)(2009年6月現在、1スイスフラン=約90円)
二国間関係
1.政治関係
伝統的に友好な関係。我が国との正式な外交関係樹立は1996年6月。
2.経済関係
対日貿易、直接投資については統計なし。
3.在留邦人数
13人(2006年10月現在)
4.在日リヒテンシュタイン人
5人(2006年4月)
5.最近の要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
1984年、1985年 | 徳仁親王殿下は英国御修学中、二度にわたりリヒテンシュタイン家の招待により御訪問。 |
1986年 | 大来左武郎顧問 |
1988年 | 紀宮殿下 |
1989年 | 礼宮殿下フランツ・ヨーゼフ2世の葬儀に参列 |
1996年3月 | 遠山文部省顧問(前文化庁長官) |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1986年 | ハンス・アダム皇太子同妃両殿下 |
1989年 | 大喪の礼にハンス・アダム皇太子同妃両殿下参列 |
1990年 | 即位の礼にアロイス皇太子参列 |
1998年 | 長野五輪の際にノラ王女(IOC委員) |
6.二国間条約・取極
我が国はスイスとの間の査証免除取極等をリヒテンシュタインとの間にも適用。