リトアニア共和国
(Republic of Lithuania)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
6.5万平方キロメートル
2.人口
323.0万人(2011年4月現在)(リトアニア統計局)
3.首都
ビリニュス(人口約54万9000人)
4.言語
リトアニア語
5.宗教
主にカトリック
6.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1236年 | リトアニア大公国成立 |
1336年 | ヨガイラ王、ポーランド王を兼ねる(リトアニア・ポーランド王国成立) |
1569年 | リヴォニア戦争によりポーランドと同盟(二民族一共和国) |
1795年 | 第3次ポーランド分割により大部分がロシア領となる |
1918年 | 独立を宣言 |
1920年 | ソ連より独立 |
1940年 | ソ連に併入 |
1990年2月 | 共和国最高会議選挙 |
1990年3月 | 独立回復宣言 |
1991年9月6日 | ソ連国家評議会バルト三共和国の国家独立に関する決定を採択 |
2001年5月 | WTO加盟 |
2004年3月 | NATO加盟 |
2004年5月 | EU加盟 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ダリア・グリボウスカイテ大統領(2009年7月就任)
3.議会
一院制(議席数141、任期4年)
4.政府
祖国同盟、国家復興党、自由中央同盟、リベラルムーブメントによる連立政権
(1)首相 アンドリウス・クビリウス(祖国同盟)
(2)外相 アウドロニス・アジュバリス(祖国同盟)
5.内政
(1)1992年10月及び11月、独立後初めての議会選挙が行われ、旧共産党系の民主労働党が第一党となり政権獲得。
(2)1993年2月、大統領制導入を規定した新憲法に基づき、大統領選挙が実施され、ブラザウスカス民主労働党党首(当時)が大統領に就任。
(3)以来、大統領及び議会の自由選挙が実施され、民主主義が定着。
(4)2008年10月、任期満了に伴う議会選挙が実施され、8年に亘る社会民主党の支配に終止符が打たれ、2008年12月、祖国同盟、国家復興党、リベラルムーブメント及び自由中央同盟による中道保守連立政権として、クビリウス首相率いる第15代内閣が発足。クビリウス政権は税制改革を軸に財政健全化を目指す政策を推進し、現在は雇用創出のため外国企業の投資誘致にも積極的に取り組んでいる。
(5)2009年5月、大統領選挙が行われ、同年7月、リトアニア史上初の女性大統領ダリア・グリボウスカイテ大統領が誕生。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)リトアニアは、1990年の独立後、欧州への復帰を目指し、北大西洋条約機構(NATO)及び欧州連合(EU)への加盟を最大の外交目標とし、2004年に加盟を実現した。現政権の外交の柱は、EU及びNATOとの協力関係重視、旧ソ連邦諸国の民主化支援、対露外交、国連重視。
(2)イラクやアフガニスタンに要員を派遣するなど国際貢献に積極的(イラクからは2008年12月に撤退)。2005年からはアフガニスタン・ゴール県においてNATO地域復興支援チーム(PRT)を主導している。
(3)ロシア及びポーランドとの関係
1991年に2つの条約締結(「国家関係の基本に関する条約」、「カリーニングラード地域の経済・文化・社会協力に関する条約」)により政治問題を解決したこと、及び他のバルト諸国のようにロシア人マイノリティー問題が大きくないこと(ロシア語系住民約8%。エストニアでは約3割、ラトビアでは約4割)等から、ロシアとは比較的良好な関係を維持している。ロシアとの国境画定条約については、リトアニア議会は1999年10月、ロシア議会は2003年5月にそれぞれ批准した。
また、ロシアの飛び地であるカリーニングラード州への通行問題(リトアニア領土を通過)については、2002年11月の露EUサミットにおいて、簡易通行証を導入すること等が合意され、2003年7月から導入された。
ポーランドとの間では、1994年4月に「友好善隣条約」を締結している。
(4)EU加盟プロセス
2002年12月 EU加盟招請
2003年5月 国民投票の結果、圧倒的多数で賛成。
2004年5月 EU加盟
(5)NATO加盟プロセス
1994年 「平和のためのパートナーシップ(PfP)」に参加
1998年 他のバルト諸国とともに「米・バルト憲章」を締結。
2002年11月 NATO加盟招請
2004年3月 NATO加盟
(6)2011年はOSCE議長国を務める。
2.主要国際機関加盟状況
1991年9月 国連加盟
1991年10月 OSCE加盟
1992年4月 IMF加盟
1992年7月 世銀加盟
1993年5月 欧州評議会加盟
2001年5月 WTO加盟
2004年3月 NATO加盟
2004年5月 EU加盟
3.国防
(1)国防費 501百万米ドル(2009年)(出典:ミリタリー・バランス2010)
(2)兵力 陸軍7,190人、海軍470人、空軍950人(出典:ミリタリー・バランス2010)
(3)徴兵制 2008年9月に廃止
経済
1.主要産業
石油精製業、食糧・飲料生産業、電力生産・配電業(2009年末イグナリナ原発閉鎖により現在は縮小)
2.GDP(名目)
363.6億ドル(2010年:IMF)
3.一人当たりGDP
11,043ドル(2010年:IMF)
4.GDP実質成長率
1.33%(2010年:IMF)
5.物価上昇率
3.62%(2010年:IMF)
6.失業率
17.1%(2010年第4四半期:リトアニア統計局)
7.総貿易額
(1)輸出 165億ドル
(2)輸入 183億ドル
(2009年:UN Comtrade)
8.主要貿易品目
(1)輸出 石油製品、自動車及びその他の輸送車両(*)、家具
(2)輸入 石油及び原油、天然ガス、医薬品
* 自動車は主に他国からの輸入車を再輸出する中継貿易。
(2009年:UN Comtrade)
9.主要貿易相手国
(1)輸出 ロシア(13.2%)、ラトビア(10.0%)、独(9.7%)、ポーランド(7.2%)
(2)輸入 ロシア(30.1%)、独(11.2%)、ポーランド(10.0%)、ラトヴィア(6.4%)
(2010年:リトアニア統計局)
10.通貨
リタス(1993年6月25日導入)
11.為替レート
1リタス=約33.1円(2011年6月現在)
対ユーロ固定制(1ユーロ=3.4528リタス)
12.経済概要
(1)経済概況
独立以来、市場経済化に向けた諸改革を推進し、特に1996年の保守連立政権成立以降、積極的な大規模民営化等を通じ、マクロ経済指標は大幅に改善した。外国からの直接投資の増大、輸出入の拡大により、近年は7%台の経済成長率を達成してきたが(リトアニア統計局)、2008年後半からの世界的金融危機の影響を受け、経済状況は急激に悪化。2009年の経済成長率はマイナス14.96%(IMF)。クビリウス政権は財政支出削減、税制改革を主軸とする経済危機政策を実施し、財政赤字削減及び景気回復にむけ尽力している。
(2)ロシア依存型からEU中心型への貿易体質の転換
独立後、対ロシア貿易は徐々にその割合を縮小。1998年のロシア金融危機により、特に農業製品の対ロシア輸出が激減し、経済成長率が大幅に低下した経験などから、貿易相手国の多様化、ロシア依存型貿易からの脱却が進められている。
(3)ユーロ・ペッグ制への移行及びユーロ圏への加盟
従来、1ドル=4リタスで米ドル・ペッグ制を導入していたが、EU諸国との結びつきを重視し、2002年2月、1ユーロ=3.4528リタスのユーロ・ペッグ制を導入した。リトアニア政府は、2007年1月からの自国通貨のユーロへの切り替えを目指したが、ユーロ導入の要件の一つであるインフレ率が基準を上回り、ユーロ導入が認められなかった。政府は2014年のユーロ導入を目指している。
(4)エネルギー問題
EU加盟時の条件であったチェルノブイリ型原発イグナリナ原発2号基が2009年末に運転を停止したため、同原発閉鎖後の電力供給等に関するエネルギー問題への対策が急務とされている。具体的にはイグナリナ原発に代わる代替原発の建設、リトアニアとスウェーデン、リトアニアとポーランドをつなぐ電力リンクの建設計画が進められている。エネルギー資源のロシア依存を縮小し、EU内における「エネルギーの孤島」状態からの脱却が課題。
二国間関係
1.政治関係
(1)外交関係
日本は戦前もリトアニアと外交関係を有し、カウナス(当時の首都)に領事館を有していたが、1940年リトアニアのソ連併合に伴い同領事館を閉鎖。リトアニアのソ連からの独立に際し、1991年9月に我が国はバルト三国に政府ミッション(新井大使)を派遣し、バルト三国の平和裡の独立に関し支持を表明し、同年9月6日に国家承認、10月10日に外交関係を開設した。その後、1992年6月、在デンマーク大使館の兼轄が開始され、1997年1月に首都ビリニュスに在リトアニア大使館が開設された。2008年6月に明石美代子大使が初代特命全権大使として着任。
なお、リトアニアは、1999年3月、東京に大使館を開設している。
(2)親日感情
日本は戦前にカウナス市に領事館を設置しており(1939年1月〜1940年8月)、杉原千畝副領事(ポーランド等から逃れてきたユダヤ系避難民等に対して日本通過ビザを発給した)が同領事館に勤務していたことが広く知られていることもあり、両国関係は伝統的に良好。2001年10月には、杉原千畝生誕100周年を記念し、首都ビリニュス及びカウナスで桜の記念植樹が行われ、式典にはアダムクス大統領も出席した。また、ビリニュス市内には、早稲田大学が寄贈した「杉原モニュメント」があり、桜が寄贈された辺り一帯は「杉原千畝桜公園」と命名されている。
(3)最近の日・リトアニア関係
(イ)2005年7月、ブラザウスカス首相夫妻(環境相、文化相も同行)が愛・地球博リトアニア・ナショナルデーに出席するため、博覧会賓客として訪日した。
(ロ)2006年に新たな外交関係開設15周年を迎え、同5月には麻生外務大臣が日本の閣僚として初めてリトアニアを訪問した。7月には中馬内閣府特命担当大臣が訪問。8月にはキルキラス首相が訪日し、小泉総理、麻生外務大臣等と会談した。
(ハ)2007年5月には、天皇皇后両陛下は、リトアニアを含むバルト三国を初めて御訪問になり、各国大統領より心温まる歓迎をお受けになり、また、各国国民と親しくお会いになり、心を通わせる多くの機会を得られた。
(ニ)2009年1月に伊藤外務副大臣がリトアニアを訪問し、ウシャツカス外相他と会談を行った。
(ホ)2009年5月にベトナム・ハノイにおけるASEM外相会合の機会に、中曽根外務大臣がウシャツカス外相と会談を行った。また、2010年2月に武正外務副大臣がユクネヴィチーネ国防大臣兼外務大臣代行(当時)とミュンヘンでの国際会議出席の機会に会談を行った。
(ヘ)2010年11月にアジュバリス外相が訪日し、前原外務大臣と会談した。
(ト)2011年5月に伴野外務副大臣がリトアニアを訪問、ビリニュスにてセクモカス・エネルギー大臣らを招いて会食を行い、カウナスを訪問した。
2.経済関係
日本との二国間貿易
- (イ)貿易収支(出典:財務省貿易統計2009年、金額単位:億円)
-
年 輸出(日本→リトアニア)
(前年同期比増減)輸入(リトアニア→日本)
(前年同期比増減)収支 2004年 45.5 44.8% 20.9 -19.9% 24.6 2005年 62.5 37.3% 21.5 2.9% 41 2006年 84.4 35.1% 23.5 9.2% 60.9 2007年 128.8 52.6% 25.7 9.4% 103.1 2008年 100.5 -22.0% 30.5 18.7% 70 2009年 27.3 -72.8% 24.5 -19.7% 2.8 2010年 41.2 50.9% 25.2 2.9% 16
- (ロ)主要貿易品目(出典:財務省貿易統計2010年)
- 輸出(日本→リトアニア): 繊維製品、自動車、電気機器・機械類
輸入(リトアニア→日本): 光学機器、家具、繊維製品
3.経済協力
独立後、日本輸出入銀行(現国際協力銀行)による世銀及び欧州復興開発銀行(EBRD)との協調融資等を実施した。1996年にODA対象国となって以来、文化無償協力(1997年以降)や研修員受入、専門家派遣を中心とした技術協力を実施してきたが、EUやNATOに加盟を果たし、急速に発展を遂げているリトアニアは、2006年度の文化無償資金協力を最後に卒業した。
4.観光
リトアニアからの日本訪問者数:年間1,266人(2009年)
日本からのリトアニア訪問者数:年間7,654人(2010年)
(出典:国際観光振興機構(JNTO))
5.在留邦人数
50人(2011年4月現在)
6.在日リトアニア人数
173人(2010年2月現在)
7.要人往来(2000年以降)
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2001年12月 | 植竹外務副大臣 |
2006年5月 | 麻生外務大臣 |
2006年7月 | 中馬内閣府特命担当大臣 |
2007年5月 | 天皇皇后両陛下 |
2009年1月 | 伊藤外務副大臣 |
2011年5月 | 伴野外務副大臣 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
2001年4月 | アダムクス大統領(公式実務訪問賓客)、ヴァリョニス外相、ケヴィシャス文化相 |
2001年10月 | ライニス経済副大臣(JETRO主催「バルト三国展」) |
2002年1月 | バルチーティス運輸相 |
2004年3月 | パウラウスカス国会議長 |
2005年7月 | ブラザウスカス首相(博覧会賓客)、クニドロタス環境相(公式随員)、プルドニコヴァス文化相 |
2006年8月〜9月 | キルキラス首相 |
2010年10月 | スラボナビチウス教育科学大臣(STSフォーラム) |
2010年11月 | アジュバリス外相 |
2011年2月 | シュバーダス・エネルギー副大臣 |
8.その他
姉妹都市:久慈市(岩手)・クライペダ市(1989年)
1996年7月 日本リトアニア友好議員連盟設立
2001年4月 日本リトアニア友好協会設立