メキシコ合衆国
(United Mexican States)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
1億863万人(2010年IMF)
2.面積
196万平方キロメートル(日本の約5倍)
3.首都
メキシコ・シティ
4.民族
欧州系と先住民の混血(60%)、先住民(30%)、欧州系(スペイン系等)(9%)、その他(1%)
5.言語
スペイン語
6.宗教
カトリック(国民の約9割)
7.略史
年 | 略史 |
---|---|
1519年 | エルナン・コルテスの率いるスペイン人が侵入 |
1810年 | メキシコ独立運動の開始 |
1821年 | スペインより独立 |
1846年 | 米墨戦争(〜1848年。国土の半分近くを米国に割譲) |
1910年 | メキシコ革命勃発 |
1917年 | 現行憲法公布 |
1938年 | 石油産業の国有化 |
1982年 | 債務危機発生 |
1986年 | GATT加盟 |
1993年 | APEC参加 |
1994年 | 北米自由貿易協定(NAFTA)発効、OECD加盟、通貨危機発生 |
2000年 | フォックス大統領就任(70年以上続いた制度的革命党政権の終焉) |
2006年 | カルデロン大統領就任(第65代大統領) |
政治体制・内政
1.政体
立憲民主制による連邦共和国
2.元首
フェリペ・カルデロン・イノホサ大統領(2006年12月1日就任、任期6年、再選不可)
3.議会
二院制(上院128、下院500議席)
4.行政府
国民行動党(PAN)政権(中道右派)
(1)首相 なし
(2)外相 パトリシア・エスピノサ・カンテジャノ
5.内政
(1)メキシコ革命の動乱が終結した1920年以降クーデターがなく、政情は安定。1929年以降、強力な与党・制度的革命党(PRI)による長期政権が続いていたが、2000年7月の大統領選挙で、変革を訴えたフォックス候補(PAN)が勝利し、71年に亘るPRI政権に終止符を打った。
(2)フォックス前政権は、マクロ経済の成長と安定を成し遂げ、民主主義の進展にも一定の評価があるが、与党PANが議会で過半数をとれなかったため、構造改革(税制改革、エネルギー改革、労働改革)は困難に直面した。
(3)2006年7月の大統領選挙は、カルデロン与党候補(PAN、元エネルギー大臣)とロペス・オブラドール候補(中道左派連合、前メキシコ市長)の史上稀に見る接戦となり、ロペス・オブラドール候補側より全票数え直しを求める不服申し立てが行われ、2ヶ月間にわたり当選者が決まらない事態が続いた。最終的には同年9月、連邦選挙裁判所が正式にカルデロン候補の当選を発表し、同年12月、カルデロン大統領が就任。
(4)カルデロン大統領は、政権の最優先課題として、治安改善、競争力強化と雇用創出、貧困撲滅などを挙げている。
(5)PANは、大統領選挙と同時に行われた連邦議会選挙でも議席を大幅に伸ばし、上下両院において第一党になったが、いずれも過半数には達しなかった。カルデロン政権は、少数与党として、議会運営が課題であったが、野党との交渉を経て、政権1年目に、国家改革法(行政、立法、司法の各分野にかかる構造改革につながる法案審議について定めた法案)の成立を皮切りに、種々の改革(国家公務員共済庁年金改革、税制改革、選挙改革及び司法改革等)を推進した。特に、2008年10月には、抜本的解決にはならないとの批判はあるものの、長年の懸案であったエネルギー改革法案を成立させた。
(6)カルデロン政権は、就任直後より軍を全面的に投入するなど治安対策に積極的に取り組んでいるが、麻薬組織間の抗争が激化しており、国民は治安対策の成果を感じられない状況にある。
(7)2009年7月の連邦下院議員選挙では、世界金融危機、新型インフルエンザ等の影響による景気の悪化や、麻薬対策強化にもかかわらず、治安情勢の改善が見られなかったことなどにより、与党PANは、大きく議席を失い、野党PRIが第一党に返り咲き、カルデロン政権としては、より難しい国会運営に直面することとなった。
(8)しかし、カルデロン大統領の支持率は一時低迷したものの60%近くに回復し(2011年4月世論調査結果)、2010年から2011年始めの地方選挙では、与党PANは、野党・民主革命党(PRD)と協力しつつ、退潮傾向に一定の歯止めをかける結果となった。2012年7月には次期大統領選挙及び連邦上下両院議員選挙が予定される。
外交・国防
1.基本外交政策
(1)歴史的教訓から主権尊重、内政不干渉、民族自決、紛争の平和的解決等が外交の基本原則。
(2)外交関係多角化、先進国の仲間入りを目指し、1992年に米国、カナダとの北米自由貿易協定(NAFTA)を締結。1993年にはAPEC参加、1994年にはOECD加盟。
(3)カルデロン大統領は、米国との関係を最重視しつつ、中南米諸国との関係再構築・強化を重視する姿勢を示している。フォックス前政権と同様に、伝統的な「中立・不干渉主義」から一歩踏みだし、「責任ある外交」をスローガンに、国際場裡におけるメキシコのプレゼンスの拡大を目指す姿勢を示している。この一環として、2009年から2010年に日本とともに国連安保理非常任理事国を務めたほか、昨年、気候変動分野でもCOP16の議長国を務め、更に2012年にはG20を主催するなど積極的な外交を展開している。
(4)メキシコ国民にも直結する最大の外交課題は、米国との不法移民、麻薬及び麻薬と関連した治安問題の解決である。治安分野では、メリダ・イニシアティブにより、米国からヘリコプターの供与、税関・警察当局への各種機材の提供、研修の実施等の協力を受けている。
2.国防政策
メキシコの軍隊は、他の中南米諸国の軍隊に比し小規模で、内政上に占める影響力も小さい。軍隊の任務は、外的侵略からの防衛というよりは、国内治安維持と災害緊急援助である。近年は、特に麻薬取締活動を重視している。
(1)国防予算 約46億ドル(2010年ミリタリーバランス)
(2)兵役 志願制と短期徴兵制
(3)兵力 28万人(2011年ミリタリーバランス)
経済
1.主要経済指標
2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
GDP(億ドル)(IMF) | 7,055 | 7,002 | 7,596 | 8,485 | 9,517 | 10,352 | 10,957 | 8,822 | 10,391 |
一人当りGNI(ドル)(世銀) | 6,010 | 6,370 | 6,930 | 7,310 | 7,870 | 9,400 | 10,232 | 8,920 | n.a. |
実質経済成長(%)(INEGI) | 0.7 | 1.3 | 4.4 | 3.0 | 4.8 | 3.3 | 1.35 | -6.5 | 5.4 |
消費者物価上昇率(%)(中銀) | 5.7 | 3.98 | 5.19 | 3.33 | 4.05 | 3.76 | 6.53 | 3.57 | 4.40 |
完全失業率(全国%)(INEGI) | 2.98 | 3.41 | 3.92 | 3.58 | 3.60 | 3.72 | 3.97 | 5.47 | 5.37 |
対外債務残高(億ドル) | 1,392 | 1,307 | 1,175 | 1,215 | 1,199 | 1,199 | 1,942 | 1,646 | n.a. |
輸出(億ドル)(INEGI) | 1,610 | 1,648 | 1,880 | 2,142 | 2,500 | 2,721 | 2,913 | 2,067 | 2,985 |
輸入(億ドル)(INEGI) | 1,687 | 1,706 | 1,968 | 2,218 | 2,661 | 2,833 | 3,086 | 2,112 | 3,015 |
外貨準備高(億ドル)(中銀) | 466 | 549 | 618 | 672 | 972 | 799 | 928 | 874 | 1,085 |
(出典:墨政府、墨中銀、IMF、世銀)
2.主要貿易相手国
1994年のNAFTA締結以降、米国との経済関係が強まり、輸入全体の約48%、輸出全体の約80%を米国が占める
(2010年墨経済省)
3.通貨
1ドル=約11.6ペソ(2011年5月墨中銀)
4.経済概況
(1)メキシコは1990年代前半にAPEC参加(1993年)、NAFTA発効(1994年)、OECD加盟(同年)を実現。1994年12月に通貨危機が発生。その後、深刻なリセッションを経験するも、危機を境に生じたペソ安により貿易収支が黒字に転化。GDP成長率も1996、1997年は5%超の高成長を記録。1999年及び2000年には、好調な米国経済と石油価格高騰を背景に輸出が拡大。
(2)近年のGDP成長率は、2004年4.0%、2005年3.1%、2006年4.9%と好調に推移。2007年以降は米国経済の悪化を受けた自動車など輸出製造業の不振等の影響で3.2%、2008年は1.5%と低下。2009年は、世界的な経済危機の影響により、-6.5%となったが、2010年は5.4%に回復した。
二国間関係
1.政治関係
伝統的に友好関係。外交関係樹立は1888年11月30日(第二次大戦後の再開は1952年)。1997年には、日本人のメキシコ移住100周年。2009年から2010年は日本メキシコ交流400周年。
2.経済関係
2002年10月、ロスカボスにおける日墨首脳会談で日墨経済連携(EPA)強化のための協定の締結交渉を開始することで合意。同協定は、2004年9月17日にメキシコにおいて小泉総理とフォックス大統領間で署名され、2005年4月1日に発効。
(1)対メキシコ貿易
- (イ)貿易額(百万ドル)(出典:IMF)
-
2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 対メキシコ輸出 5,211 4,087 3,766 3,643 5,190 対メキシコ輸入 2,388 2,008 1,791 1,781 2,174 収支 2,823 2,080 1,975 1,862 3,016 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 対メキシコ輸出 6,881 9,280 10,176 9,948 6,835 対メキシコ輸入 2,542 2,838 3,169 3,824 2,796 収支 5,028 6,442 7,007 6,124 4,038
- (ロ)シェア(2009年IMF)
- 日本の全貿易額に占めるメキシコのシェア: 輸出1.18% 輸入0.51%
メキシコの全貿易額に占める日本のシェア: 輸出1.22% 輸入2.65% - (ハ)主要品目
- 日本の主要輸出品目: 自動車及び部品、音響・映像機器の部品等
日本の主要輸入品目: 科学光学機器、鉱物資源、豚肉等
(2)投資
2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | |
---|---|---|---|---|---|
対メキシコ直接投資 | -3,075億円(※) | 589億円 | 330億円 | 199億円 | 691億円 |
※一部投資引き上げによるマイナス。
日墨EPA発効後も自動車メーカーや自動車部品メーカー等がメキシコで新工場や販売会社を設立する等、新規・追加投資案件が発表されている。進出企業数428社。(2010年10月現在)。
(3)日墨EPAの効果
両国の貿易量は、2005年のEPA発効後、2008年まで大幅に増加。2009年は世界的な経済危機の影響により減少したが、2010年は、発効前の2004年比でメキシコ→日本約49%増、日本→メキシコ約30%増。
2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 | 2010年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
両国の貿易量 | 約7,962億円 | 約10,447億円 | 約14,078億円 | 約15,756億円 | 約14,263億円 | 約8,977億円 | 約11,430億円 |
(4)経済協力
- (イ)有償資金協力(2009年度までの累計供与額 2,295.68億円)
- (ロ)無償資金協力(2009年度までの累計供与額 59.31億円)
- (ハ)技術協力(2009年度までの累計 693.42億円)
- (ロ)無償資金協力(2009年度までの累計供与額 59.31億円)
3.文化関係
- 日墨文化混合委員会(1976年より随時開催)
- 日墨グローバル・パートナーシップ研修計画(旧称:日墨交流計画)(1971年に発足、現在は毎年最大50名ずつの研修生を1年間、経費受入国側負担で交換。2011年6月現在までの派遣・受入実績は、合計約4,000名。)
- 日墨学院(1977年開校、日墨両国の子弟をともに教育する学校。1974年、田中総理のメキシコ訪問時に具体化)
- 2004年9月の小泉総理メキシコ訪問の際、日墨文化サミット開催に合意。2005年9月第1回会合をメキシコ・シティにて開催。2006年7月第2回会合を金沢で開催。
- 2009年から2010年にかけて日本メキシコ交流400周年が双方で祝賀され、日本においては2009年9月26日千葉県御宿町にて名誉総裁である皇太子殿下ご臨席の下、記念式典が行われ、メキシコにおいては、2009年11月に桜の記念植樹、日本ブランド展、日本メキシコ祭等が開催された。
4.在留邦人数
6,937名(2010年10月現在)
5.日系人数
17,753名(2008年10月現在)
6.在日メキシコ人数
1,995名(2009年末現在)
7.友好協会等
日墨友好議員連盟(1979年設立)
メキシコ日本商工会議所(1964年設立)
8.要人往来(1994年以降)
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
1994年 | 伊藤特派大使(セディージョ大統領就任式) |
1995年 | 中曽根元総理大臣 |
1996年 | 斎藤参議院議長、橋本総理大臣夫妻 |
1997年 | 秋篠宮同妃両殿下 |
1998年 | 町村文部大臣、竹山科技庁長官 |
1999年 | 海部元総理 |
2000年 | 中山特派大使(フォックス大統領就任式) |
2001年 | 綿貫衆議院議長、平沼経済産業大臣、参議院議員団 |
2002年 | 小泉総理(APEC首脳会議) |
2003年 | 川口外務大臣、亀井農林水産大臣、平沼経産大臣、橋本元総理、倉田参議院議長 |
2004年 | 橋本元総理、小泉総理 |
2006年 | 中川昭一農林水産大臣、皇太子殿下、橋本元総理、中川秀直特派大使(カルデロン大統領就任式) |
2007年 | 麻生外務大臣 |
2008年 | 渡海文科大臣 |
2010年 | 直嶋経産大臣、赤松農林水産大臣、小沢環境大臣、横路衆議院議長、松本環境大臣 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1993年 | サリーナス大統領 |
1995年 | グリア外務大臣、ブランコ商工大臣、セディージョ大統領 |
1996年 | オルティス大蔵大臣、グリア外務大臣、ブランコ商工大臣 |
1997年 | セディージョ大統領(国賓) |
1998年 | ブランコ商工大臣、グリーン外務大臣 |
1999年 | ブランコ商工大臣 |
2000年 | グリーン外務大臣、グリア大蔵大臣、ブランコ商工大臣 |
2001年 | フォックス大統領(公式実務訪問賓客)、デルベス経済大臣、ナバーロ観光大臣 |
2002年 | カスタニェーダ外務大臣、ヒル大蔵大臣、フレンク厚生大臣 |
2003年 | リッチティンヘル環境大臣、フォックス大統領(国賓)、デルベス外相、カナレス経済大臣 |
2004年 | ウサビアガ農牧大臣、カナレス経済大臣、ジャクソン上院議長 |
2005年 | ウサビアガ農牧大臣、カナレス経済大臣、ルエヘ環境資源大臣、デルベス外務大臣、ヒル大蔵大臣 |
2006年 | マジョルガ農牧大臣、エリソンド観光大臣(2回)、ヒル大蔵大臣 |
2007年 | ソホ経済大臣、セルメーニョ下院議長、エスピノサ外務大臣 |
2008年 | カルデロン大統領、エスピノサ外務大臣(2回) |
2010年 | カルデロン大統領(2回(公式実務訪問賓客含む))、エスピノサ外務大臣(5回)、コルデロ大蔵公債大臣、ルイス経済大臣(2回)、マジョルガ農牧大臣(3回)、モリナール通信運輸大臣、ケッセル・エネルギー大臣、エルビラ環境天然資源大臣、フェラーリ経済大臣 |
2011年 | ラミレス下院議長 |
9.二国間条約
1954年 文化協定
1969年 通商協定
1972年 航空協定、査証相互免除取極
1978年 観光協定
1986年 技術協力協定
1996年 租税条約
2005年 経済連携協定