ミクロネシア連邦
(Federated States of Micronesia)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年8月現在)
一般事情
1.面積
700平方キロメートル(奄美大島とほぼ同じ)
2.人口
110,728人(2009年、世界銀行)
3.首都
パリキール(1989年11月、コロニアから遷都)
4.民族
ミクロネシア系
5.言語
英語の他、現地の8言語
6.宗教
キリスト教(プロテスタント及びカトリック)
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1500年代 | スペイン人がミクロネシアの島々に来航。 |
1886年 | スペインがマリアナ諸島、カロリン諸島の領有権宣言。 |
1899年 | スペインがミクロネシアの島々を独に売却。 |
1914年 | 第1次大戦始まる。日本は現在のミクロネシア連邦、パラオ、マーシャル、北マリアナを含むミクロネシア(南洋群島)を占領。 |
1920年 | 国際連盟から日本のミクロネシア(南洋群島)委任統治が認められる。 |
1945年 | 太平洋戦争終結。米軍の占領始まる。 |
1947年 | 国連の太平洋信託統治領として米国の統治始まる。 |
1965年 | ミクロネシア議会発足。 太平洋諸島信託統治地域に関する日米協定(ミクロネシア協定)締結。 |
1969年 | 信託統治終了後の政治的地位に関し、米との交渉を開始。その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、その他のミクロネシア地域(現ミクロネシア連邦)がそれぞれ米と個別に交渉することとなる。 |
1978年 | ヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの4州で連邦を構成する憲法草案が住民投票の結果承認される。 |
1979年 | 憲法施行。自治政府発足。初代大統領に日系のトシヲ・ナカヤマ氏が就任。 |
1986年11月3日 | 米国との間で自由連合盟約(コンパクト)(注)発効、独立。 |
1988年12月 | 日本はミクロネシア連邦と外交関係開設。 |
1991年9月17日 | 国連加盟。 |
2004年5月 | 米国との改訂自由連合盟約(改訂コンパクト)発効 |
注※コンパクト:米国の国連信託統治から独立する際に、米国との間で締結した自由連合盟約のこと。1986年から2001年までの15年間、米国から財政支援を受ける一方で、国防と安全保障の権限を米国に委ねている。2003年12月改訂自由連合盟約に署名し、2004年5月に発効。2004年から2023年までの20年間、引き続き米国が財政援助を行うこととなった。
政治体制・内政
1.政体
大統領制(各州1名ずつ選出の4年任期議員4名の中から、2年任期議員10名を含めた全議員14名により選出)
2.元首
エマニュエル・マニー・モリ(Emanuel Manny Mori)大統領(2011年5月再選、任期4年)
3.議会
(1)一院制(4年任期議員数4名、2年任期議員数10名(チューク(旧称トラック)州5名、ポンペイ(旧称ポナペ)州3名、ヤップ州・コスラエ州各1名)(2011年3月総選挙実施済)
(2)政党はなし。
4.政府
閣僚は大統領が任命し議会が承認する。
(1)大統領 エマニュエル・マニー・モリ(Emanuel Manny Mori)(チューク州出身)
(2)副大統領 アリック・アリック(Alik L. Alik)(コスラエ州出身)
(3)外務大臣 ローリン・ロバート(Lorin S. Robert)(チューク州出身)
5.内政
(1)言語、習慣、文化等が異なる4州が連邦を構成していることもあり、政府による雇用、議会の委員長の配分等は総て州の人口比に応じて行われている。大統領も、紳士協定により、各州の輪番制とされているが、必ずしも厳格に適用されているわけではない。政府の課題は種々の面で各州間の利害関係を調整しつつ、如何に経済開発を進め、自立可能な経済を構築するかにある。
(2)2011年5月、大統領選挙でモリ大統領、アリック副大統領が再選された。
(3)政府の主要政策は、(イ)漁業・農業・観光を軸とする経済的自立の達成、(ロ)伝統文化の保持と近代化の調和ある国家形成、(ハ)連邦を構成する4州(ポンペイ、チューク、コスラエ、ヤップ)の政治的統合の強化。
(4)米国との改訂自由連合盟約(改訂コンパクト、2004年5月発効)の履行及び履行状況全般に対する連邦政府の監督を強化。改訂コンパクト期限切れとなる2023年に向けて、海外援助依存からの脱皮を目指す。
外交・国防
1.外交
(1)基本外交方針は、(イ)自由連合関係にある米国との緊密な関係、南太平洋諸国(特に近隣諸国(マーシャル、パラオ)との協力関係)、 ASEAN諸国との友好的な関係及び日本との友好・経済的関係の促進、(ロ)国際社会における地位の向上、(ハ)国際社会のメンバーとしての責任遂行。
(2)2007年12月、モリ大統領は第一期就任後初来日し、福田総理との首脳会談を行う等、日本との友好関係の促進に努めている。また、中国との関係も経済援助を含め緊密化しており、モリ大統領は訪日後、同国を訪問しその際に大使館が開設された。
(3)2008年9月、森元総理は、モリ大統領の招待を受け特派大使として、外交関係樹立20周年記念式典出席等のためポンペイ、チューク、コスラエ州を訪問した。また、外国要人として、初めて連邦議会で演説を行うなど二国間関係強化に努めた。
(4)2008年11月、モリ大統領は、麻生総理と首脳会談を行い、また中曽根外務大臣主催の昼食会に出席し意見交換を行った。また、高知県を訪問し、親類らと交流した。
(5)2008年11月現在、63ヶ国と外交関係を開設している。
2.国防
米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシア連邦の安全保障、国防上の権限は米国が有する。また、ミクロネシア市民が米軍兵士に採用されており、2003年3月のイラク戦にもミクロネシア出身兵士が参加している。
なお、ミクロネシア連邦内に米軍の軍事基地はない。
経済
1.主要産業
水産業、観光業、農業(ココナッツ、タロイモ、バナナ等)
2.GNI
2.5億米ドル(2009年、世界銀行)
3.一人当たりGNI
2,220米ドル(2009年、世界銀行)
4.経済成長率
−15.14%(2009年、世界銀行)
5.物価上昇率
4.9%(2008年、世界銀行)
6.総貿易額
(1)輸出 16.2百万米ドル
(2)輸入 142.7百万米ドル
(2007年、FSM国際貿易統計)
7.主要貿易品目
(1)輸出 魚類(マグロ)、ビートル・ナッツ
(2)輸入 食糧及び飲料製品(含む飲料水)、燃料及び機械油、機械類
8.主要貿易相手国
(1)輸出 米国、日本
(2)輸入 米国、シンガポール、日本
9.通貨
米ドル
10.経済概況
貨幣経済と伝統的自給経済が混在。国内の生産性は高くなく、生活必需品の多くを輸入に依存しており、貿易収支は恒常的に赤字。基本的には同国の経済は米国のコンパクトによる経済援助により成り立ってきたといえる。経済自立化への努力の一環として、アジア開発銀行(ADB)など国際機関の協力を得て経済改革を開始し、国家財政の安定化、国営企業の民営化、投資環境の改善、民間部門の開発に努めている。
経済協力
1.日本の援助
2009年度実績 | 2009年度までの累計 | |
---|---|---|
(1)有償資金協力 | なし | なし |
(2)無償資金協力 | 23.46億円 | 184.51億円 |
(3)技術協力 | 2.07億円 | 71.13億円 |
2.主要援助国
(1)米国(89.71)、(2)日本(7.30)、(3)豪州(1.20)
(単位:百万米ドル、2007-2008年平均、DAC)
二国間関係
1.政治関係
1988年12月 日本との外交関係開設
1989年5月 在本邦ミクロネシア連邦大使館開設
1995年1月 在ミクロネシア連邦兼勤駐在官事務所開設
2008年1月 在ミクロネシア連邦兼勤駐在官事務所の大使館格上げ
2008年4月 在パラオ兼勤駐在官事務所及び在マーシャル兼勤駐在官事務所兼轄開始
(2010年1月 在パラオ兼勤駐在官事務所兼轄終了)
2.経済関係
(1)貿易額(2010年度、財務省貿易統計)
- ミクロネシア連邦からの輸入 5.1億円
ミクロネシア連邦への輸出 10億円
(2)進出日本企業数 6社(2010年10月現在)
3.在留邦人数
112名(2010年10月現在)
4.在日ミクロネシア人数
32名(2009年、法務省在留外国人統計)
5.要人往来
(1)往(1989年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1991年 | 鈴木外務政務次官(SPF域外国対話出席) |
1995年4月 | 栗山駐米大使(大使館開設記念) |
1998年8月 | 長谷川元駐豪大使(政策対話ミッション) |
1998年8月 | 武見政務次官(SPF域外国対話出席) |
2001年9月 | 森喜朗元総理 |
2004年8月 | 関谷勝嗣参議院議員(APPU会議) |
2006年8月 | 沓掛哲男防災大臣(総理特使) |
2008年9月 | 森喜朗元総理(特派大使、外交関係樹立20周年記念式典出席等) |
2011年7月 | 菊田真紀子外務大臣政務官(特派大使、大統領就任式出席等) |
(2)来(1989年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1989年 | ハグレルガム大統領(大喪の礼) |
1990年 | ハグレルガム大統領(即位の礼) |
1992年 | オルター大統領(外賓、SPF議長として招聘) |
1997年5月 | エーサ蔵相、タケシ外相(ADB総会) |
1997年10月 | ネナ大統領、イロン外相(日・SPF首脳会議) |
1997年12月 | ファルカム副大統領(気候変動枠組条約第三国締約国会議(COP3)) |
1998年1月 | ファルカム副大統領(対ミクロネシア支援国会合) |
1998年11月 | プレトリック保健大臣(原子力施設視察ミッション) |
1999年1月 | ネナ大統領(外賓、SPF議長として招聘) |
2000年4月 | ファルカム大統領(第2回太平洋・島サミット) |
2000年6月 | ファルカム大統領(故小渕元総理合同葬) |
2001年3月 | ファルカム大統領夫妻(公式実務訪問賓客) (イエシ外相代行、マックイルラット法相ら同行) |
2003年3月 | スサイア運輸・通信:インフラ大臣(第3回世界水フォーラム) |
2003年5月 | イエシ外相(第3回太平洋・島サミット) |
2003年11月 | クリスチャン国会議長(APPU総会) |
2005年4月 | ウルセマル大統領(実務訪問賓客) |
2005年8月 | キリオン副大統領(博覧会賓客) |
2006年5月 | ウルセマル大統領、アネファル外相、スサイア経済大臣(第4回太平洋・島サミット) |
2006年10月 | クリスチャン国会議長、アリク外交委員長(独立20周年記念レセプション) |
2007年11月 | モリ大統領、ロバート外務大臣(第1回アジア・太平洋水サミット(於:大分)) |
2008年11月 | モリ大統領、ロバート外務大臣、クリスチャン資源・開発大臣(外交関係樹立20周年記念レセプション、高知訪問) |
2009年5月 | モリ大統領、ロバート外務大臣、クリスチャン資源・開発大臣(第5回太平洋・島サミット) |
2010年10月 | ロバート外務大臣(太平洋・島サミット中間閣僚会合) |
2010年11月 | モリ大統領、ロバート外務大臣(独立24周年記念レセプション) ヘンリー資源開発大臣(生物多様性条約第10回締約国会議) |
6.二国間条約・取極
1988年8月 青年海外協力隊派遣取極、その他経協関係の取極多数
1989年9月 JOCVの派遣開始
1999年6月 国際協力事業団(JICA)現地駐在員事務所開設
(JICA事務所ステイタス取得 2004年4月)
2001年4月 シニアボランティア派遣開始
2005年8月 技術協力協定締結
7.外交使節
(1)ミクロネシア連邦駐箚日本国大使
鈴木 栄一特命全権大使
(2)本邦駐箚ミクロネシア連邦大使
ジョン・フリッツ特命全権大使
(3)在伊丹ミクロネシア連邦名誉総領事
荒木 芳雄名誉総領事
(4)在釧路ミクロネシア連邦名誉総領事
栗林 延次名誉総領事