モロッコ王国
(Kingdom of Morocco)
出典:外務省 各国・地域情勢(2010年8月現在)
一般事情
1.面積
44.6万平方キロメートル(日本の約1.2倍 西サハラ除く)
2.人口
3,123万人(2008年 世銀)
3.首都
ラバト
4.民族
アラブ人(65%) ベルベル人(30%)
5.言語
アラビア語(公用語)、フランス語
6.宗教
イスラム教スンニ派がほとんど
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
7世紀 | アラブ人の侵入 |
1912年3月 | フェズ条約によりフランスの保護領となる。 |
1956年3月 | フランスより独立 |
1961年2月 | モハメッド5世急逝。ハッサン皇太子国王即位。 |
1975年11月 | 西サハラ非武装越境大行進(緑の行進) |
1989年2月 | アラブ・マグレブ連合条約調印 |
1991年9月 | 西サハラ「停戦」成立 |
1992年9月 | 憲法改正 |
1994年6月 | フィラリ内閣 |
1996年9月 | 憲法改正に係わる国民投票 |
1998年3月 | ユスフィ内閣 |
1999年7月 | ハッサン2世逝去。モハメッド6世国王(シディ・モハメッド皇太子)即位。 |
2002年11月 | ジェットゥ内閣発足 |
2003年5月 | ムーレイ・アル・ハッサン皇太子誕生 |
2007年10月 | エル・ファシ内閣発足 |
政治体制・内政
1.政体
立憲君主制
2.元首
モハメッド6世国王(His Majesty the King Mohammed VI)(1999年7月即位)
3.議会
二院制(1996年9月の憲法改正により一院制から移行)
下院:325議席 任期5年 直接選挙。比例代表制。予め30議席を女性に割り当てる制度あり。
上院:270議席 任期9年 地方議会議員等から選出する間接選挙。3年毎に3分の1(90名ずつ)改選。
4.政府
首相: アッバス・エル・ファシ(His Excellency Mr. Abbas EL FASSI)(2007年9月〜)
外相: タイエブ・ファシ・フィフリ(His Excellency Mr. Taib FASSI FIHRI)(2007年10月〜)
5.内政
(1)1999年7月に即位したモハメッド6世国王は、基本的に前国王の政策を継承する一方、大胆な人事刷新を行い、新体制を固めた。現国王は、貧困撲滅、失業・雇用等の社会問題及び教育問題といった国民に軸足を置いた政策を重視している。
(2)故ハッサン2世国王時代の1996年、憲法改正により二院制を導入し、総選挙を実施。2002年9月にはモハメッド6世国王統治下で初めての下院選挙が行われ、その後ジェットゥ内閣が発足した。
(3)2003年5月16日、カサブランカにおいて同時爆弾テロ事件が発生し、フランス人3名、スペイン人3名、イタリア人3名の死者を含む45名(うち実行犯12名)の犠牲者が出た。この事件では、国内イスラム過激主義「サラフィア・ジハディア」に系譜する組織のメンバーが逮捕された。2007年3月にはカサブランカ市内のインターネット・カフェで自爆事件(市民4名が負傷)が発生。同年4月にはカサブランカ市内で治安当局による捜査中、3人の容疑者が自爆する事件(警察1名が死亡)が発生した。また、同月にはカサブランカ市中心街の米国文化センター前で、2件の連続自爆テロ事件(市民1名が負傷)が発生した。いずれの事件も犯行声明等出されておらず、治安当局は犯人に関する詳細を明らかにしていない。
(4)2007年9月7日、総選挙が実施され、「独立党(PI)」(連立与党第2党)が第1党へと躍進した。同年9月20日、モハメッド6世国王はアッバス・エル・ファシPI党首を首相に任命し、10月15日、新内閣が発足した。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)アフリカ北西部に位置するモロッコは、同じアラブ・イスラム諸国との関係に加え、アフリカ、地中海諸国の一員として、これらの国との密接な関係を有している。また、地理的に隣接する欧州や歴史的に関係の深い米国とも良好な関係を有するなど、柔軟で多角的な外交を行っている。
(2)モロッコの最大の外交課題は西サハラ(旧スペイン領)の帰属問題。同地域は、現在はモロッコの実効支配下にあるが、これに抵抗するポリサリオ戦線は、「サハラ・アラブ民主共和国」の樹立を宣言している。国連は、同地域の帰属を問う住民投票を提案し、これに基づいて、1991年以降「国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)」を派遣しているが、有権者認定手続を巡るモロッコとポリサリオ戦線側の対立から、住民投票の実施の目処は立っていない。
モロッコは、2007年4月、住民投票の代替案として、モロッコの主権下で西サハラ地域に自治権を付与するとの案を国連に提出。これを受け、国連安保理は西サハラ問題の解決のため、当事者(モロッコとポリサリオ戦線)に前提条件なしで交渉に入るよう要請することを主旨とする決議1754を全会一致で採択。同決議に基づき、2007年6月から2008年3月にかけて、国連事務総長特使の仲介の下、モロッコ、ポリサリオ戦線及び近隣国(アルジェリア、モーリタニア)の参加を得た直接交渉が計4回開催されたが、その後、直接交渉プロセスは中断している。2009年1月、新しい仲介役としてロス国連事務総長特使が任命され、同年8月及び2010年2月、ロス特使により、第5回直接交渉に向けた非公式会合が開催されたが、次回の直接交渉の目処は立っていない。
2.軍事力(ミリタリーバランス2010)
(1)予算 31億9,000万ドル(2009年)
(2)兵役 徴兵制(18ヶ月)
(3)兵力 19.6万人(陸軍 17.5万人、海軍 7800人、空軍 1.3万人)予備役15万人
3.その他主要外交問題等
(1)対欧米諸国との関係
モロッコは、2008年、EUから包括的なパートナーシップである「前進的地位」を付与されており、欧州との市場統合など欧州諸国との関係強化に力を入れている。
フランスは、かつて宗主国であったという歴史的な関わりとともに、モロッコにとって最大の貿易相手国であり、経済・技術協力、人的交流等極めて緊密な関係にある。
また、ジブラルタル海峡を挟んで隣接するスペインは、歴史的にも結びつきが強い。王室間交流も活発。2007年11月、モロッコ領内のスペインの飛び地であるセウタ、メリリャ両市をホアン・カルロス国王夫妻が訪問したことで、モロッコの強い反発を招き、駐スペイン・モロッコ大使が一時的に本国に召還されるなど関係が緊張したこともあるが、全般的に両国関係は良好である。
対米関係については、米国の独立を正式に認めた最初の国と自負するモロッコは、中東問題や西サハラ問題の解決に欠かせない国として、対米政策を重視している。
(2)アラブ・マグレブ連合(AMU)
1989年に発足したAMUは、外交、経済、文化、安全保障面における域内協力の促進と、アラブ・イスラムの連携強化を目的とした地域経済協力機構である(事務局はモロッコの首都ラバトにある)。モロッコの他にアルジェリア、チュニジア、モーリタニア、リビアが参加している。モロッコ・アルジェリア間の問題(西サハラ問題、アルジェリア側の国境閉鎖、査証問題)等が原因で、90年代半ばからAMUの活動は低迷した。両国間の問題が解決されないため、現在でも、首脳会談の再開など、AMUの再活性化が実現していない。現在、AMUは、経済面を中心とした統合を進めていくべく模索中。
(3)中東和平問題
中東和平問題に関して、モロッコは、アラブ諸国の中でもイスラエルに対して現実的且つ柔軟な対応をとってきており、故ハッサン2世前国王の時代には、相互に貿易事務所を有していた。イスラム諸国会議機構(OIC)では、故ハッサン2世前国王がアル・コッズ(エルサレム)委員会を発足させ、パレスチナ支援を行った。モハメッド6世現国王も引き続き委員長として活動している。また、2008年12月のガザ情勢の悪化を受けて、物資の供給、負傷者の移送等の緊急人道援助を実施した。
経済
1.主要産業
農業(麦類、ジャガイモ、トマト、オリーブ、柑橘類、メロン)、水産業(タコ、イカ、鰯)、鉱業(燐鉱石)、工業(繊維・皮革製品・食品加工)、観光業
2.GNI
805.4億米ドル(2008年 世銀)
3.一人当たり国民所得(>GNI per capita)
2,580米ドル(2008年 世銀)
4.経済成長率
5.8%(2008年 世銀)
5.物価上昇率
3.1%(2008年 世銀)
6.失業率
9.6%(2008年モロッコ高等計画委員会)
7.総貿易額・主要貿易品目(2008年、モロッコ為替局)
(1)輸出(F.O.B) 199億ドル 燐鉱石・燐酸関連、衣類、食料品、電気・電子部品
(2)輸入(C.I.F) 416億ドル 機械・設備類、エネルギー、材料(化学・金属・プラスチック)、消費財
8.主要貿易相手国(2008年モロッコ為替局)
(輸出)(1)フランス、(2)スペイン、(3)インド、(4)ブラジル、(5)イタリア等
(輸入)(1)フランス、(2)スペイン、(3)サウジアラビア、(4)イタリア、(5)中国等
9.通貨
モロッコ・ディルハム(MAD)
10.為替レート
1米ドル=7.7503DH(2008年平均、モロッコ中央銀行)
11.外貨準備高
234億ドル(2008年、モロッコ中央銀行)
12.経済概況
(1)モロッコは農業を基盤とし、工業化については漸進的に進めていくという基本政策を採っている。また、自由市場経済を採用している。
(2)経済のグローバル化に対処するため、民営化や新投資憲章の制定等を行い、投資環境の整備による民間部門への外国投資の受け入れ拡大を図るとともに、各種補助金の削減、税制政策による財政再建に取り組んでいる。最近では構造調整政策が功を奏し、着実な回復振りを示してきているとともに、各種投資優遇措置をとるなどして投資環境を整備しつつある。
(3)1996年2月、EUとの間で、2010年迄に自由貿易圏を設立する趣旨のパートナーシップ協定を締結し(2000年3月発効)、2004年6月には米国との間で自由貿易協定(FTA)を締結した(2006年1月発効)。また、チュニジア、エジプト及びヨルダンとのFTAとなるアガディール協定(2007年4月発効)のほか、対トルコFTAを締結している(2006年1月発効)。
(4)若年層を中心とした高失業率問題、社会層間・地域間の貧富格差、低い識字率等が社会問題となっているため、世銀の勧告を受け、高度成長による雇用の創出、社会層間・地域間の格差是正を基本理念とする、社会経済開発5カ年計画(2000-2004)を実施した。
(5)2005年5月、モハメッド6世国王は、2005年から2010年を対象期間とした「人間開発に係る国家イニシアティブ(INDH)」を発表し、人間開発を中心に据えた貧困削減と社会・地域間格差是正のためのイニシアティブをとっている。
(6)近年、様々な分野の経済開発戦略を発表し、積極的に国家開発を進めている。
モハメッド6世国王は、2001年に国内経済の中心に観光業を据え、2010年迄の訪モロッコ外国人観光客の1,000万人達成を目標に掲げた「Vision2010」(通称アジュール計画)を発表し、観光客数を順調に増加させているが、2010年迄の目標達成は困難であるため、目標年を2016年に変更し、引き続き目標達成に努めている。
2005年には、繊維等伝統セクターの伸張と自動車部品等の成長セクター開発を主眼においた振興計画(Plan Emergence)を策定。2008年には、自給自足率向上及び農産物輸出高増加を目標とする農業近代化計画(Plan Maroc Vert)、2009年2月には、雇用創出、工業分野のGDP増加、輸出増加等を目標とする産業振興のための国家プログラム(Plan National pour l’Emergence Industrielle)、同5月には、長期的な輸出総額増加を目標とする輸出促進計画(Maroc Export Plus)、同9月には、持続的漁業運営、品質等パフォーマンス向上、付加価値付与による競争力増強等を目標とするモロッコ漁業戦略、同10月には、官公庁への手続の電子化や、インターネットの普及を目指す国家情報技術開発計画(Maroc Numeric 2013)を発表した。
また、再生可能エネルギーの利用促進も目指しており、2009年11月には、太陽エネルギー利用による発電容量を2000MW(現在の総発電容量の38%に相当)、年間発電量を4500GW(現在の総発電量の18%に相当)まで増加し、2020年における発電容量のうち、再生可能エネルギーが占める割合を42%(うち太陽光14%、風力14%、水力14%)とすることを目指す太陽エネルギー発電統合プロジェクトを発表した。
経済協力
1.主要援助国(2007年 単位:百万ドル)
(1)フランス(218.8)、(2)ドイツ(142.8)、(3)スペイン(84.8)、(4)イタリア(83.8)、(5)日本(64.6)
2.日本の援助(2008年度までの累積)
(1)有償資金協力 2,228.48億円(E/Nベース)
(2)無償資金協力 326.19億円(E/Nベース)
(3)技術協力 307.87億円(JICA実績ベース)
3.経済協力概況
(1)日本は、モロッコの主要産業である農業、水産業の開発・振興、農業用水・飲料用水確保のための水資源開発、基礎インフラ整備、都市部との地域格差是正のための地方開発及び環境分野において、円借款供与、無償資金協力及び技術協力を実施している。
(2)モロッコは、漁業・道路保守等の分野においてアフリカ諸国に対する南南協力実績を有しており、2003年9月に、日本のサハラ以南アフリカ諸国に対する技術協力を推進するため、日本との間で「アフリカにおける南南協力推進のための日・モロッコ三角技術協力計画」に関する枠組み文書の署名を行った。
4.最近の主要案件
第二次地方村落妊産婦ケア改善計画(2006年無償)、河川流域保全計画(2006年有償)、都市環境改善計画(2006年有償)、下水道整備計画(2006年有償)、洪水対策機材整備計画(2007年無償)、地方道路整備計画(2007年有償)、地方給水計画(V)(2007年有償)、太陽光を利用したクリーンエネルギー導入計画(2009年無償)、地方都市上水道整備計画(2009年有償)、地中海道路建設計画(U)(2009年有償)
二国間関係
1.政治関係
(1)1956年6月19日に日本はモロッコの独立を承認し、1961年10月1日に在モロッコ大使館を開設した。モロッコは1965年11月5日に在本邦大使館を開設。
(2)日本とモロッコは、1956年の外交関係樹立以来、皇室・王室間の親交もあり、伝統的に良好な関係にある。今後も一層の相互理解と交流によって率直な政治対話関係を構築し、経済協力・交流関係の促進を目指す。
2.経済関係
(1)貿易額・主要貿易品目(2008年、モロッコ為替局)
対日輸出 226百万ドル 魚介類(タコ、イカ等)、燐鉱石関連、寒天
対日輸入 739百万ドル 乗用車、産業用車両、機械類
(2)日本からの直接投資額(単位:百万ドル)
2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 |
---|---|---|---|---|---|
1.25 | 0.45 | 1.36 | 2.85 | 8.01 | 6.44 |
(3)2003年10月にJETROビジネス・ミッションが、2006年に10月に北アフリカ産業投資調査団がモロッコを訪問し、投資環境の整備状況について調査を行った。また、駐日モロッコ大使館は、JETRO、UNIDO及び中東協力センターの協力を得て、毎年東京や地方各都市でモロッコ経済投資セミナーを開催し好評を博している。また、2009年12月に東京で開催された日・アラブ経済フォーラムには、エネルギー担当大臣を団長とするモロッコ代表団が参加し、太陽エネルギー利用による発電の利用促進等に関して日本との協力を呼びかけた。
(4)日本の観光客数は、2001年の9.11事件の影響により、2000年の約2.3万人から、2001年の約1.5万人まで急激に減少し、その後横ばい状態にある。主な邦人旅行者は、団体ツアー客及び若者の個人旅行者であるが、冬季を中心に欧州在住の邦人観光客も増えている。2008年における日本人観光客数は約1.6万人。
3.文化関係
(1)毎年国費留学生の受入れの他、文化人招聘及び派遣、スポーツ交流等を実施。
(2)モハメッド5世大学を始めとする4機関で日本語講座が開かれており、JICAのシニア・ボランティアが日本語教師として活動している。
(3)要請に基づき、文化無償協力を行っているほか、大使館の事業として各種文化事業を実施している。
(4)2006年には、日本との外交関係樹立50周年の慶節を迎え、両国において文化事業を中心に様々な記念事業が開催された。
4.在留邦人数
314名(2010年8月)
5.在日当該国人数
561名(2010年8月)
6.要人往来
(1)日本国要人のモロッコ訪問
年月 | 要人名 |
---|---|
1987年6月 | 倉成外務大臣(二国間訪問) |
1991年9月 | 皇太子殿下(モロッコ招待) |
1994年4月 | 羽田外務大臣(GATT閣僚級会合出席)、福田外務政務次官(中東・北アフリカ・サミット出席) |
1995年10月 | 羽田外務大臣(GATT閣僚級会合出席)、福田外務政務次官(中東・北アフリカ・サミット出席) |
1996年5月 | 高円宮・同妃両殿下 |
1997年3月 | 南原日本輸出入銀行副総裁 |
1997年4月 | 西垣海外経済協力基金(OECF)総裁 |
1997年7月 | 衆議院代表団(団長:渡辺恒三副議長)、小杉文部大臣 |
1998年8月 | 高村外務政務次官、長瀬海外経済協力基金(OECF)副総裁 |
1999年1月 | 中川農林水産大臣、藤田JICA総裁 |
1999年7月 | 高円宮殿下、橋本前総理大臣(故ハッサン2世国王葬儀参列) |
1999年8月 | 衆議院議運委員会議員団(団長:中川秀直委員長) |
2000年6月 | 高円宮同妃両殿下 |
2000年7月 | 東JICA副総裁 |
2000年9月 | 石破農水政務次官、参議院議員団(団長:菅野参議院副議長) |
2000年10月 | 保田JBIC総裁 |
2001年11月 | 川口環境大臣、植竹外務副大臣(COP7マラケシュ会合出席) |
2002年3月 | 瓦衆議院議員他(列国議会同盟(IPU)マラケシュ会合出席)、広海JICA副総裁 |
2002年4月 | 畠山JETRO理事長 |
2002年5月 | 片山総務大臣、松浪外務大臣政務官 |
2002年9月 | 小坂衆議院議員、小此木衆議院議員、片山総務大臣(国際電気通信連合(ITU)全権委員会議出席) |
2003年6月 | 太田農林水産副大臣 |
2004年5月 | 森前総理、杉浦衆議院議員、山本明彦衆議院議員 |
2004年8月 | 町村衆議院議員、渡海衆議院議員 |
2004年12月 | 逢沢外務副大臣、上田財務副大臣(未来のためのフォーラム出席) |
2005年4月 | 河井外務大臣政務官 |
2006年8月 | 金田外務副大臣 |
2007年5月 | 矢野参議院国会対策委員長、山内俊夫参議院議員、二之湯参議院議員 |
2007年8月 | 西村衆議院議員、山際衆議院議員、古田岐阜県知事 |
2008年2月 | 中山外務大臣政務官 |
2009年1月 | 矢野参議院議員 |
2009年11月 | 武正外務副大臣(拡大中東・北アフリカ(BMENA)構想「未来のためのフォーラム」第6回閣僚級会合出席) |
2009年12月 | 参議院議員団(団長:山東参議院副議長)(モロッコ参議院招待) |
2010年6月 | 舟山農林水産大臣政務官(国際捕鯨委員会(IWC)年次会合出席) |
(2)モロッコ要人の訪日
年月 | 要人名 |
---|---|
1995年10月 | サヘル漁業・海運大臣 |
1995年12月 | ファシ・フィフリ外務・協力長官(外務省賓客) |
1997年10月 | ムーサッダク大蔵大臣付商・工・手工業担当(TICAD・準備会合出席) |
1998年6月 | タグーアン設備大臣 |
1998年9月 | カイアリ農業・農村・漁業開発大臣付漁業担当特命大臣 |
1998年10月 | タイブ外務・協力省事務次官(TICAD II) |
1999年2月 | ラディ衆議院議長(我が方衆議院議長招待) |
2000年2月 | エッサイド参議院議長(我が方参議院議長招待) |
2001年9月 | シバートゥ漁業大臣 |
2001年12月 | ファシ・フィフリ外務国務長官(TICAD閣僚レベル会合出席)、シュクルーニ女性・家族・児童・障害者担当特命大臣、(第2回児童の商業的搾取に反対する世界会議出席) |
2002年1月 | ベナイッサ外務・協力大臣(アフガニスタン復興閣僚会議出席) |
2002年4月 | ラフリミ・アラミ社会経済・中小企業・手工業大臣 |
2002年6月 | ハッジ郵政・通信技術・情報担当国務長官 |
2003年3月 | ムーレイ・ラシッド王子(第3回世界水フォーラム) |
2003年3月 | ラエンセル農業・農村開発大臣 |
2003年9月 | ブフラル外務事務次官(TICAD III) |
2004年11月 | メシャホリ貿易大臣(TICAD III アジア・アフリカ貿易投資会議出席) |
2005年2月 | ララ・サルマ国王妃及びムーレイ・アル・ハッサン皇太子(非公式) |
2005年3月 | ララ・アミナ王女(長野スペシャル・オリンピックス) |
2005年6月 | ララ・サルマ同王妃(愛・地球博賓客、モロッコ・ナショナルデー(7月1日)に参加)、アシャアリ文化相 |
2005年11月 | モハメッド六世国王(国賓)(ベナイッサ外務・協力大臣他閣僚同行) |
2006年4月 | ラエンセル農業・農村開発大臣 |
2006年6月 | ベナイッサ外務・協力大臣(日・モロッコ政策協議出席) |
2006年7月 | ブサイド公共部門近代化担当大臣 |
2008年5月 | エル・ファシ首相(TICAD IV出席) |
2008年10月 | シャミ商工業・新技術大臣(我が国招待) |
2009年12月 | ベンハドラ・エネルギー・鉱山・水利・環境大臣(第1回日・アラブ経済フォーラム出席) |
2010年3月-4月 | アフヌッシュ農業・海洋漁業大臣(我が国招待) |
7.二国間条約・取極
1960年 貿易取極
1985年 漁業協定
8.二国間交流
(1)日本・モロッコ友好議員連盟
モロッコ・日本友好議員連盟
(2)日本・モロッコ協会(会長 日向精義元駐モロッコ大使)
モロッコ・日本友好協会(会長 ゲラウイ元保健大臣)