ニカラグア共和国
(Republic of Nicaragua)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年3月現在)
一般事情
1.面積
129,541平方キロメートル(北海道と九州を合わせた広さ)
2.人口
約574万人(2009年世界銀行)
3.首都
マナグア
4.民族
混血70%、ヨーロッパ系17%、アフリカ系9%、先住民4%
5.言語
スペイン語
6.宗教
カトリック教
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1502年 | コロンブスにより「発見」 |
1573年 | グアテマラ総督領に編入 |
1821年 | 独立宣言 |
1823年 | 中米諸州連合結成 |
1838年 | 完全独立 |
1936年 | ソモサ将軍政権掌握 |
1979年 | サンディニスタ革命 |
1984年 | 大統領選挙 |
1985年 | オルテガ大統領就任 |
1990年2月 | 大統領選挙 |
1990年4月 | チャモロ大統領就任 |
1997年1月 | アレマン大統領就任 |
2002年1月 | ボラーニョス大統領就任 |
2007年1月 | オルテガ大統領就任 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ダニエル・オルテガ・サアベドラ大統領(任期5年、連続再選禁止)
3.議会
一院制、議員数92名、任期5年
4.政府
(1)首相名 首相職無し
(2)外相名 サムエル・サントス・ロペス
5.内政
(1)1936年にアナスタシオ・ソモサ・ガルシア将軍が大統領に選出されて以来、1979年までの43年間ソモサ一族が独裁政治を続けたが、1970年代末になると、ソモサ独裁に反対する中道・左派が幅広く結集し、1979年7月、武力によりソモサ独裁政権を倒し、サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)主導による革命政権を樹立した(サンディニスタ革命)。
(2)その後、革命政権は急速に左傾化し、国内の政治闘争が深刻化した。同時に、1981年に米国でレーガン政権が発足し、反革命武装勢力「コントラ」への支援と対ニカラグア経済制裁が行われた。内戦が激化するとともに、ハイパーインフレ等により経済活動は滞り、ニカラグア社会は極度に混乱・疲弊した。
(3)1987年の中米和平合意に沿って、1988年、政府・反政府勢力との間で暫定停戦合意が成立。1990年には、国連等による国際監視の下、大統領選挙が実施され、国民野党連合(UNO)で親米保守派のチャモロ候補が勝利した。チャモロ政権は、平和構築、民主化、経済自由化という大変革に着手し多くの成果を残した。
(4)1997年に発足したアレマン政権(立憲自由党:PLC)は、経済自由化を推し進める政策をとり、経済構造、行政組織、司法制度改革等を実施したが、1999年以降は、野党FSLNと政治合意を結び二大政党に有利に働くよう憲法改正や選挙法の改正を行った。
(5)2002年1月に発足したボラーニョス政権(PLC)は汚職に対して断固たる対応をとり、アレマン政権時代の汚職を厳しく追求し、アレマン元大統領を逮捕にまで追いやったが(2002年12月)、この逮捕をきっかけとして与党PLC主要派閥アレマン派との関係が悪化し、国会における支持基盤を失った。さらに、PLCアレマン派は野党FSLNと政治合意を結び、ボラーニョス大統領と対立するなど内政危機に陥ったが、米州機構等の仲介が功を奏し、情勢は安定、ボラーニョス大統領は2007年1月に任期満了を迎えた。
(6)2006年11月の大統領選挙で約38%の得票率で当選したオルテガ候補は、2007年1月、17年ぶりに政権に復帰した。オルテガ大統領は政権発足後、主要課題である貧困削減に向け、低所得者向けプログラム等を推進しているが、こうした社会政策の実施に際し、裨益層に偏りがあるとの指摘も一部にある。
(7)2008年11月に行われた統一市長選挙では、約7割の市長ポストを与党FSLNがおさえたが、与党に不当に有利になるような選挙の実施運営方法がとられたとの疑念が国内外から発せられた。
(8)2011年11月、次期大統領選挙が実施される予定。憲法で連続再選が禁じられているが、オルテガ大統領は出馬に意欲。2009年10月、ニカラグア最高裁は、オルテガ大統領の申し立てに対し、同じく憲法が定める「法の下の平等」原則に大統領連続再選禁止規定が抵触するとして、現職大統領の次期大統領立候補(連続再選)を可能とする判断を行った。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)サンディニスタ政権時代は、キューバやソ連等社会主義諸国との関係が緊密であったが、チャモロ政権以後、米国との関係を修復し全方位外交を展開。2007年1月に発足したオルテガ政権では、米州人民ボリバル同盟(ALBA)への参加を通じたベネズエラやキューバとの関係が一層緊密化するとともに、イランやロシアとの関係を強化している。移民や貿易面においては深いつながりを有する米国との関係も維持されているものの、オルテガ大統領の反米的発言も目立つ。
(2)中米統合推進(中米司法裁判所所在)
(3)台湾と外交関係あり。
2.軍事力(2008年ミリタリーバランス)
(1)予算 36百万ドル(2007年)
(2)兵役 徴兵制なし(チャモロ政権の時代に廃止)
(3)兵力 14,000人(陸軍12,000人、空軍1,200人、海軍800人)
(2007年ミリタリーバランス)
経済
1.主要産業
農牧業(コーヒー、牛肉、落花生、サトウキビ、とうもろこし、米、バナナ)、マキラ製品(保税区で生産された衣類等)
2.名目GDP(中銀)
約6,149百万ドル(2009年)
3.一人当たりGDP(中銀)
1,070.8ドル(2009年)
4.経済成長率(中銀)
−1.5%(2009年)
5.物価上昇率(中銀)
0.9%(2009年)
6.失業率(中銀)
8.2%(2009年)
7.総貿易額(中銀)
(1)輸出(FOB)2,386.8百万ドル(2009年)
(2)輸入(CIF)3,927.2百万ドル(2009年)
8.主要貿易品目(中銀)
(1)輸出(2009年) コーヒー、牛肉、エビ、砂糖
(2)輸入(2009年) 中間財、消費財、石油製品
9.主要貿易相手国(中銀)
(1)輸出(2009年) 米国、エルサルバドル、ベネズエラ、ホンジュラス、コスタリカ
(2)輸入(2009年) 米国、ベネズエラ、コスタリカ、メキシコ、グアテマラ
10.通貨
コルドバ
11.為替レート(中銀)
1米ドル=20.3コルドバ(2009年平均)
12.外貨準備高(中銀)
約1,422.8百万ドル(2009年)
13.対外債務残高(中銀)
約3,660.9百万ドル(2009年)
14.経済概況
(1)1990年に発足したチャモロ政権以降ニカラグアは、内戦で破壊された経済の再建のため、経済安定化、構造調整、累積債務削減に重点を置く政策を講じ、1995年には経済成長率4.2%を達成した。また、1990年に1万%を越えていたインフレ率も、1997年には7.3%まで減少した。しかし、1980年代内戦時の負の遺産を拭い切れず、現在も同国は中南米における最貧国の一つである。
(2)2007年のオルテガ政権発足後は、2008年の国際原油価格及び食糧価格の高騰によるインフレ(一時、年率24%)、2009年11月に実施された統一市長選挙後の内政の混乱による欧米諸国からの援助と海外投資の減少はあったものの、ベネズエラからの巨額の経済協力の影響等もあり、良好な経済パフォーマンスを維持。これについてはIMFも評価しており、2010年10月、IMFは経済プログラム(拡大信用供与ファシリティ)の延長を承認。
(3)ニカラグアは重債務貧困国(HIPC)に認定されており、2001年9月には貧困削減戦略ペーパーが完成し、債務救済に関する協議が行われた。また、構造調整政策を進めるため、2002年に新規貧困削減成長ファシリティー(PRGF)に関するIMFとの合意に達し、2003年には「国家開発計画」も策定された。こうした努力により、2004年1月にHIPC完了時点(コンプリーション・ポイント)に到達し、対外債務60億ドルのうち45億ドル相当の債務免除が認められ、我が国も約130億円の債権放棄を行った。しかしながら依然として、ニカラグアの貧困は深刻で、現政権の最重要政策課題は貧困削減。オルテガ政権は、農村部での飢餓撲滅・生産振興を目的とした「飢餓ゼロ計画(アンブレ・ゼロ)」等の社会プログラムを推進している。
(4)米・中米・ドミニカ(共)自由貿易協定(DR-CAFTA)が、2006年4月に発効。メキシコとの間では、1997年12月自由貿易協定(FTA)に調印し、1998年発効。2008年1月に台湾、2009年1月にパナマとFTAに調印。2010年5月中米EU経済連携協定合意。現在、カナダ及びチリとの間でもFTA締結に向けて交渉中。
経済協力
1.日本の援助実績(単位:億円)
(1)有償資金協力(2008年度まで、E/Nベース) 210.79億円
(2)無償資金協力(2008年度まで、E/Nベース) 678.99億円
(3)技術協力実績(2008年度まで、JICAベース) 177.80億円
2.主要援助国(2007年、支出純額、単位:百万ドル)
(1)スペイン(115.1) (2)米国(76.5) (3)デンマーク(43.5) (4)スウェーデン(41.9) (5)オランダ(37.0)
二国間関係
1.政治関係
正常な外交関係を有する。
年月 | 外交関係 |
---|---|
1935年2月 | 外交関係樹立。 |
1941年12月 | 外交関係中断。 |
1952年11月 | 外交関係再開。両国は1963年にそれぞれ大使館に昇格させた。 |
2.経済関係
対日貿易
- (1)貿易額(2010年、財務省貿易統計)
- 輸出 19.63億円
輸入 73.28億円 - (2)主要品目
- 輸出 コーヒー、牛肉、ゴマ
輸入 自動車等
3.文化関係
一般文化無償資金協力累計 10件 4.14億円
4.在留邦人数
149名(2009年10月現在)
5.在日当該国人数
75名(2009年)
6.要人往来
(1)往(1967年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1967年 | 村上勇特派大使(ソモサ大統領就任式) |
1974年 | 坂田道太特派大使(ソモサ大統領就任式) |
1977年 | 永野重雄経済使節団 |
1987年 | 列国議会同盟(IPU)議員団(団長 小宮山重四郎衆議院議員) |
1990年 | 唐沢俊二郎特派大使(チャモロ大統領就任式) |
1991年 | 鈴木宗男外務政務次官 |
1993年 | 土屋義彦埼玉県知事 |
1997年1月 | 佐々木満特派大使(アレマン大統領就任式) |
1998年12月 | 斉藤斗志二衆議院議員 |
1999年6月 | 土屋品子衆議院議員 |
2001年8月 | 山口泰明外務大臣政務官 |
2002年1月 | 斉藤斗志二特派大使(ボラーニョス大統領就任式) |
2003年 | 若林秀樹参議院議員 |
2005年2月 | 有馬政府特使(外交関係樹立70周年記念式典) |
2005年10月 | 常陸宮同妃両殿下 |
2006年8月 | 猪口邦子内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画) |
2007年1月 | 松島みどり特派大使(オルテガ大統領就任式) |
2008年6月 | 西村康稔衆議院議員 |
(2)来(1985年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1985年 | レビテス観光庁長官、バレンスエラ建設相、ルイス対外協力相 |
1988年 | カルデナル文化相、ヒュッペル大蔵相 |
1989年 | ルイス対外協力相、ヒュッペル大蔵相(大喪の礼参列) |
1990年 | トレホス最高裁長官(即位の礼参列) |
1991年 | チャモロ大統領(公式実務訪問)、ロサーレス労働相(高級実務者招待) |
1992年 | セサル国民議会議長(参議院招聘) |
1993年 | クルーガー対外協力相(PDD東京特別会合) |
1994年 | レアル外相(外務省賓客) |
1996年 | レアル外相(日・中米フォーラム)、ベリー教育相 |
1996年12月 | モンタルバン外相(就任直前。中堅指導者招聘) |
1997年10月 | マルティネス厚生相 |
1998年7月 | ソロルサノ水道庁長官 |
1999年2月 | ロブレト対外協力庁長官 |
2000年5月 | アレマン大統領 |
2000年6月 | エスコバル国会議長(小渕前総理葬儀) |
2000年12月 | ロブレト教育相 |
2000年12月 | マレンコ水産庁長官 |
2002年6月 | モラーレス通商振興副大臣(IWC下関会合) |
2002年11月 | ゴメス対外経済協力庁長官(中米エンカウンター・イン東京) |
2002年11月 | サルボ保健相 |
2004年5月 | ゴメス経済協力庁長官 |
2004年6月 | ボラーニョス大統領(公式実務訪問)、カルデラ外相(公式実務訪問随員)、アラーナ通商産業振興相(公式実務訪問随員) |
2005年7月 | カルデラ外相(外務省賓客) |
2005年8月 | リソ副大統領(日本・中米首脳会議出席/博覧会賓客)、カスティージョ特使(中米展) |
2006年11月 | サルボ農牧相 |
2008年7月 | マルティネス運輸インフラ大臣 |
2009年10月 | モラレス副大統領(科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム) |
2010年1月 | サントス外相(FEALAC外相会合) |
7.二国間条約・取極
1991年 青年海外協力隊派遣取極
2001年 技術協力協定