ニジェール共和国
(Republic of Niger)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)

一般事情

1.面積

<サハラ砂漠の南に位置する内陸国>

1.面積

1,267,000平方キロメートル

2.人口(世銀)

1,467万人(2008年)

3.首都

ニアメ(Niamey)

4.民族

ハウサ族、ジェルマ・ソンガイ族、カヌウリ族、トゥアレグ族、トゥープー族、プール族等

5.言語

フランス語(公用語)、ハウサ語等

6.宗教

イスラム教、キリスト教、原始宗教

7.略史

年月 略史
7〜12世紀 ソンガイ、ガオ、マリ、ボルヌー諸王国の抗争時代
17〜19世紀 トゥアレグ、プール族の支配
1958年9月 フランス共同体に加盟
1958年12月 共和国宣言
1960年8月 独立、デイオリ初代大統領選出
1974年 セイニ・クンチェ中佐による軍事クーデター軍事政権樹立
1987年11月 クンチェ議長の死去に伴い、サイブ政権成立。
1989年9月 国民投票で新憲法承認
1989年12月 選挙によりサイブ大統領選出、民政移管
1990年11月 複数政党制導入
1993年2月 議会選挙及び同年3月大統領選挙(ウスマン大統領選出)
1996年1月 マイナサラ参謀長による軍事クーデター、2月民政移管宣言
1996年5月 新憲法採択、7月大統領選挙及び11月国民議会選挙
1999年4月 マイナサラ大統領暗殺
1999年7月 新憲法国民投票
1999年11月 大統領選挙(タンジャ大統領選出)、国民議会選挙
2004年12月 大統領選挙(タンジャ大統領再選)、国民議会選挙
2007年6月 内閣不信任案可決、セイニ・ウマル内閣発足
2009年8月 大統領三選を可能とする新憲法が国民投票採択、10月国民議会選挙
2010年2月 軍部がタンジャ大統領を拘束、「暫定政権」が発足
2011年3月 大統領選挙(イスフ氏が大統領に選出)

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

イスフ大統領(Mahamadou Issoufou)

3.政府

(1)首相 ブリジ・ラフィニ(Brigi Rafini)

(2)外相 モハメド・バズム(Mohamed Bazoum)

4.内政

 1987年11月、クンチェ議長の死去に伴い、サイブ参謀総長が議長に就任。1989年9月、新憲法の国民投票を行い、同年12月、新憲法下でサイブ議長が初の共和国大統領に選出され民政移管が完結した。その後、1993年2月に国民投票、議会選挙、3月に大統領選挙が実施され、6党の連合体「変革勢力同盟」が軍事政権時代の与党「社会発展国民運動」に勝利し、ウスマン党首が大統領に選出されたが、政治基盤は弱く、政局は不安定化した。1996年1月、マイナサラ参謀長による軍事クーデターが発生し、2月には民政移管宣言、7月には大統領選挙が実施され、マイナサラ新大統領が選出された。

 1999年4月、軍がふたたびクーデターを起こし同大統領が首都ニアメの空港で殺害された後、軍部によって設置された国家和解評議会議長のワンケ少佐が暫定国家元首となり、1999年11月の大統領選挙により、発展社会国民運動(MNSD:旧単一政党)のママドゥ・タンジャ氏が当選。以来、タンジャ大統領の下、安定的な政権運営のもと民主化プロセスが進められた。2004年11月から12月にかけて平穏裡に実施された大統領選挙において現職タンジャ大統領が再選された。2009年8月、国際社会からの批判のなか、タンジャ大統領の現行任期延長及び大統領の三選禁止規定の廃止を含む新憲法採択を問う国民投票が実施され、同月新憲法が公布された。しかし、2010年2月、軍部は大統領公邸を襲撃し、同大統領を拘束。「民主主義復興最高評議会」を立ち上げ、サル・ジボ同評議会議長が「暫定国家元首」に就任した。2011年3月、大統領選挙が行われ、イスフ氏が大統領に選出され、民主政治が回復された。

外交・国防

1.外交基本方針

 非同盟中立を標榜しつつ、近年の厳しい経済状況を背景に旧宗主国であるフランスをはじめ、米国、独、日本等主要先進諸国との関係緊密化に努力。1992年に中国と断交して、台湾との国交を再開したが、1997年には再び中国と国交再開(台湾断交)。

 タンジャ前大統領は、2005年1月から2007年1月までの2年間、西アフリカ経済通貨基金(UEMOA)首脳会議および西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の議長を務めるなど、西アフリカ地域の和平や経済的安定に努力した。

2.軍事力(2006年)

陸軍 5,200人、空軍 100人、憲兵隊 1,400人、国家警察 1,500人、共和国防衛隊 2,500人  計 10,700人

経済

<ウラン生産と農牧業が中心>

1.主要産業

農林漁業、鉱業、サービス業

2.GNI(世銀)

54億米ドル(2009年)

3.一人当たりGNI(世銀)

340ドル(2009年)

4.経済成長率(世銀)

7.0%(2009年)

5.インフレ率(世銀)

4.3%(2009年)

6.総貿易額(2009年、EIU)

(1)輸出 10億ドル

(2)輸入 18億ドル

7.主要貿易品目(2009年、EIU)

(1)輸出 ウラニウム、畜産、ササゲ豆

(2)輸入 資本財、食品、石油製品

8.主要貿易相手国(2009年、EIU)

(1)輸出 仏、ナイジェリア、米、ガーナ

(2)輸入 中国、仏、オランダ、アルジェリア

9.通貨

CFAフラン

10.為替レート

655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)

11.経済概況

 ニジェール経済は伝統的な農牧業と1970年代半ばより急成長したウラン産業が外貨収益の柱となっている。産業の多角化が進んでおらず、経済状態は降雨状況や周辺国との関係などの外部要国に大きく左右される。2005年には、干ばつと砂漠バッタの発生による被害を受け、深刻な食糧不足に陥った。低迷していたウラン価格が2003年以降上昇を続けるなど明るい要因はあるも、タンジャ前大統領による新憲法制定に至る過程で米国等が新規援助の停止に踏み切るなど、なお同国経済をとりまく状況は厳しい。

12.対外債務(世銀)

9億ドル(2009年)

経済協力

1.我が国の援助実績(2008年度まで、有償・無償はE/Nベース、技術はJICAベース)

(1)有償資金協力 32.00億円

(2)無償資金協力 534.79億円

(3)技術協力実績 183.39億円

2.主要援助国(2009年、百万ドル)

(1)仏(67.83) (2)米(45.86) (3)スペイン(23.98) (4)ベルギー(21.88) (5)ドイツ(20.96)

二国間関係

<安定した友好関係>

1.政治関係

 我が国は、ニジェールの独立(1960年8月3日)以来、友好関係を維持。近年、経済技術協力を中心に両国関係は緊密化してきた。2010年2月のクーデター後、我が国との関係は一時停滞したが、2011年3月の大統領選挙を受け、関係は正常化。

 我が方公館:在コートジボワール大使館(兼轄)
 先方公館:在中国大使館(兼轄)

2.経済関係

(イ)対日貿易額(2009年、JETRO)
輸出 4,300万円
輸入 15億円
(ロ)主要品目
輸出 測定・検査機器等
輸入 再輸出品、ダンプカー

3.文化関係

 文化無償により、1987年度視聴覚機材(青年の家)、1999年度スポーツ機材(国立青年スポーツ学院)、2005年度放送機材(国営ラジオ・テレビ局)を供与した。

4.在留邦人数

98人(2009年10月現在)

5.在日当該国人数

11人(2011年6月現在)

6.要人往来

(1)往(1992年以降)

年月 要人名
1997年2月 菅野参議院議員(日・ニジェール友好協会会長)
2006年7月 日・AU友好議員連盟(三原朝彦、三ッ矢憲生、西村明宏、伊藤忠彦衆議院議員)
2008年2月 中山外務大臣政務官

(2)来(1980年以降)

年月 要人名
1983年10月 ディアロ外務大臣
1986年9月 セイニ・クンチェ最高軍事評議会議長(国賓)
1989年2月 ウマル首相(大喪の礼)
1989年10月 スンナ鉱山エネルギー大臣
1990年11月 ムタリ国民議会議長(即位の礼)
1998年10月 マヤキ首相(TICAD(アフリカ開発会議) II)、ナバスーア計画大臣(TICAD II)
2000年6月 ウマル商業・産業大臣(小渕前総理葬儀)
2001年12月 ミンダウドゥ外相(TICAD閣僚レベル会合)
2003年9月 ミンダウドゥ外相(TICAD III)
2008年5月 ウマル首相、ミンダウドゥ外相(TICADW)

7.二国間条約・取極

貿易取極締結(1962年11月5日)
青年海外協力隊派遣取極締結(1983年5月18日)