ペルー共和国
(Republic of Peru)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年8月現在)
一般事情
1.面積
約129万平方キロメートル(日本の約3.4倍)
2.人口
29.8百万人(2011年(推定)ペルー統計情報庁)
3.首都
リマ
4.民族
先住民45%、混血37%、欧州系15%、その他3%
5.言語
スペイン語(他にケチュア語、アイマラ語等)
6.宗教
国民の大多数はカトリック教
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1821年 | スペインから独立 |
1968年〜1980年 | 軍事政権 |
1980年〜1985年 | ベラウンデ政権 |
1985年〜1990年 | ガルシア政権 |
1990年〜1995年 | フジモリ第一期政権 |
1995年〜2000年 | フジモリ第二期政権 |
2000年〜2001年 | フジモリ第三期政権、同政権退陣、パニアグア暫定政権 |
2001年〜2006年 | トレド政権 |
2006年〜2011年 | ガルシア政権 |
2011年〜 | ウマラ政権 |
政治体制・内政
1.政体
立憲共和制
2.元首
大統領 オリャンタ・ウマラ・タッソ
3.議会
一院制(130名)
4.政府
首相 サロモン・レルネル
外相 ラファエル・ロンカリオロ
5.内政
1980年民政移管。その後深刻化した経済危機、テロ問題は、フジモリ政権下の改革断行もあり沈静化した。2000年11月、第3期フジモリ政権が崩壊し、暫定政権を経て、2001年、トレド政権が発足。
トレド大統領は、マクロ経済が好調な一方で、雇用創出、貧困対策、汚職撲滅等の公約の履行は容易ではなく、厳しい政権運営を強いられた。
2006年に成立したガルシア政権は、貧困対策を重視し、地方分権、緊縮財政、成長、再分配、世界におけるペルーの地位の強化を主要政策目標として挙げ、経済の安定と財政規律を維持した。また、雇用創出、インフレ抑制及び民主的秩序の保護と国際経済危機への対応にも取り組んだ。貧困対策の一環として、極貧層への現金支給プログラム(フントス)、電化、公立学校の教員評価及び研修プログラム等を実施しつつ、順調な経済成長を達成したが、地方を中心に、鉱業活動等に対する地域住民による抗議運動が恒常的に発生し、警察との衝突により、死傷者が発生することもあった。
2010年10月には統一地方選挙が実施された。2011年4月には大統領選挙、国会議員選挙が実施された。大統領選挙は過半数を獲得した候補がなく、ウマラ候補とケイコ・フジモリ候補の上位2名による6月5日の決選投票の結果、ウマラ候補が当選、7月28日就任(任期は2016年7月27日まで)。
ウマラ大統領は、社会的包摂を伴う経済成長を掲げている。
外交・国防
1.外交基本方針
ガルシア政権は、近隣諸国との関係強化、特に中南米太平洋岸諸国との連携を重視し、穏健な外交を展開。アンデス共同体(CAN)加盟国。メルコスールの準加盟国。自由貿易協定(FTA)の締結を積極的に進め、2006年4月、米国とのFTA(自由貿易協定)に署名し、2009年2月に発効した。その他、カナダ、シンガポール、中国、韓国は発効済み、EFTA、メキシコ、EU、パナマ、コスタリカと署名済み。2010年3月より、TPP交渉にも参加。日本とは、2009年5月、EPA交渉が開始され、2010年11月に交渉完了、2011年5月に署名。
ウマラ大統領は、南米諸国との関係を時に重視し、CAN及び南米諸国連合(UNASUR)との関係強化を表明している。
2.軍事力
(1)予算 12億ドル(2010年予算)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 11.5万人
(ミリタリー・バランス2011)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
製造業、農牧業、鉱業
2.GDP
1,535億ドル(2010年、ペルー中銀)
3.一人当たりGNI
5,196ドル(2010年、世銀)
4.GDP成長率
8.8%(2010年、ペルー中銀)
5.物価上昇率
2.08%(2010年、ペルー統計情報庁)
6.失業率
6.9%(2010年末、ペルー中銀)
7.総貿易額
(1)輸出 355.65億ドル
(2)輸入 288.15億ドル
(2010年、ペルー中銀)
8.主要貿易品目
(1)輸出 銅、金、繊維製品、魚粉
(2)輸入 工業用中間財、燃料・潤滑油、工業用資本財
(2010年、ペルー中銀)
9.地域別貿易動向
(1)輸出 米国、中国、スイス、カナダ、日本、ドイツ、チリ
(2)輸入 米国、中国、ブラジル、エクアドル、日本、コロンビア、メキシコ
(2010年、ペルー税務監督庁)
10.通貨
ヌエボ・ソル
11.為替レート
1ドル=2.75ヌエボ・ソル(2011年7月:ペルー中銀)
12.経済概要
2001年にプラス成長へ転じて以降、内需の拡大、鉱産物等の国際価格の高止まり等により、高成長が継続し(2007年9.0%、2008年9.8%)、同時に低インフレ(2007年3.9%、2008年5.8%)も実現してきた。2008年には、複数の有力格付け会社から投資適格グレードを獲得した。ガルシア政権は、従来のマクロ経済の枠組み及び財政規律を維持し、債務支払いの促進、輸出促進、民間投資誘致を進めた。国際金融危機発生後は、輸出入の約2割を依存する米国の景気後退により、輸出(繊維製品、農産品)の減少が予想されるとともに、政府の税収減及び民間投資の鈍化が見込まれることから、約15億ドル相当に上る景気刺激策にも拘わらず、2009年は1.5%程度の成長にとどまった。しかしながら、財政規律の維持及び潤沢な外貨準備高等により、2010年は8.8%と中南米では有数の成長率を記録した。
13.対外債務残高
199億ドル(2010年12月、ペルー中銀)
経済協力(単位:億円)
1.日本の援助実績
(1)有償資金協力(2009年度まで、E/Nベース) 3,957.49
(2)無償資金協力(2009年度まで、E/Nベース) 591.31
(3)技術協力実績(2009年度まで、JICA実績ベース) 474.37
2.主要援助国
(1)米国(634.92) (2)スペイン(475.90) (3)ドイツ(245.02) 日本(128.12)
(2005年から2009年までの5か年合計額、DAC統計、支出純額ベース、単位:百万ドル)
二国間関係
1.政治関係
1873年6月外交関係樹立(中南米諸国の中で、最初に日本と外交関係を樹立)。伝統的に良好な友好協力関係にあり。
なお、2009年は日本人移住110周年を迎えた。
2.経済関係
(1)対日貿易
- (イ)貿易額(2010年、財務省)
- 輸出 1,911億円
輸入 873億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 銅、魚粉、亜鉛、銀
輸入 自動車、鉄鋼製品、タイヤ
(2)日本からの直接投資
- 187百万米ドル(2009年末、ペルー民間投資促進庁)
(3)進出企業数 38社(2010年10月)
3.文化関係
考古学、人類学等を中心に日本のアンデス社会研究の中心的対象国となっており文化交流も活発。また、約9万人の日系人の存在等もあり、日本語学習熱は極めて高く、毎年日本文化週間が開催されている。
4.在留邦人数
3,132人(2010年10月) 日系人推定9万人(世界第3番目の規模)
5.在日当該国人数
54,636人(2010年末、法務省)
6.要人往来
(1)往(1958年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1958年 | 三笠宮同妃殿下 |
1959年 | 岸首相 |
1967年 | 皇太子同妃両殿下 |
1979年 | 園田外相 |
1982年 | 鈴木総理 |
1989年 | 近藤鉄雄衆議院議員(移住90周年祭) |
1990年 | 土屋参院議長、粕谷特派大使(衆議院議員) |
1995年7月 | 江藤隆美衆議院議員(特派大使) |
1996年8月 | 橋本総理 |
1996年12月 | 池田外相 |
1997年3月 | 高村政務次官 |
1997年4月 | 池田外相 |
1997年5月 | 橋本総理 |
1999年5月 | 清子内親王殿下(移住100周年) |
2000年7月 | 三塚博衆議院議員(特派大使) |
2001年7月 | 遠山文部科学相(特派大使) |
2006年7月 | 山中外務大臣政務官(特派大使) |
2008年6月 | 新藤経済産業副大臣、宇野外務大臣政務官(APEC貿易担当大臣会合) |
2008年8月 | 松村経済産業大臣政務官(APEC中小企業大臣会合) |
2008年11月 | 中曽根外務大臣及び二階経済産業大臣(APEC閣僚会議)、麻生総理大臣(公式訪問及びAPEC首脳会議) |
2009年6月 | 常陸宮同妃両殿下(移住110周年記念式典出席) |
2009年9月 | 原口総務大臣 |
2010年3月 | 吉良外務大臣政務官 |
2011年6月 | 山花外務大臣政務官 |
2011年7月 | 鳩山由紀夫衆議院議員(特派大使) |
(2)来(1990年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1990年 | フジモリ次期大統領 |
1991年 | フジモリ大統領(IDB総会) |
1992年3月 | フジモリ大統領(国賓) |
1993年6月 | フジモリ大統領(非公式)、デ・ラ・プエンテ首相兼外相 |
1993年11月 | セルパ最高裁長官 |
1993年11月 | ヨシヤマ民主制憲議会議長(衆議院議長招待) |
1994年2月 | ゴールデンベルグ首相兼外相 |
1994年6月 | フジモリ大統領(非公式) |
1995年8月 | チャベス国会議長(衆議院議長招待) |
1995年9月 | フジモリ大統領(立ち寄り) |
1996年11月 | フジモリ大統領(立ち寄り) |
1997年4月 | ホイ・ワイ国会議長 |
1997年7月 | フジモリ大統領(橋本総理招待) |
1998年6月 | フジモリ大統領(IDB・輸銀共催シンポジウム出席) |
1998年11月 | フジモリ大統領(立ち寄り、2回) |
1999年5月 | フジモリ大統領(公式実務) |
2000年6月 | ブスタマンテ首相(小渕前総理葬儀) |
2000年11月 | フジモリ大統領(立ち寄り) |
2006年11月 | ガルシア・ベラウンデ外相 |
2008年3月 | ガルシア大統領(公式実務訪問、5閣僚随行) |
2009年2月 | ガルシア・ベラウンデ外相(外務省賓客)、アラオス通商観光大臣 |
2009年5月 | ブラック環境大臣(オピニオン・リーダー招待) |
2009年8月 | コルネホ運輸通信大臣(総務省招待) |
2009年11月 | ガルシア大統領(実務訪問、2閣僚随行) |
2010年6月 | ペレス通商観光大臣(APEC貿易担当大臣会合) |
2010年10月 | ブラック環境大臣(COP10出席) |
2010年11月 | ガルシア大統領(APEC首脳会議、ガルシア・ベラウンデ外相同行)、フェレイロス通商観光大臣(APEC閣僚会議) |
2011年5月 | フェレイロス通商観光大臣(EPA署名) |
2011年6月 | ジャンピエトリ第一副大統領 |
7.二国間条約・取極
1961年 通商協定
1972年 査免取極(1971年12月締結、1972年2月発効)
1979年 青年協力隊派遣取極
1980年 技術協力基本協定
1985年 文化協定
2009年 投資協定(2008年11月署名、2009年12月発効)