シエラレオネ共和国
(Republic of Sierra Leone)
出典:外務省 各国・地域情勢(2010年10月現在)
一般事情
<大西洋に面した英語圏の国>
1.面積
71,740平方キロメートル
2.人口
約600万人(2008年、UNFPA)
3.首都
フリータウン(FREETOWN)
4.民族
メンデ族、テムネ族、リンパ族、クレオール(黒人と白人との混血)
5.言語
英語(公用語)、メンデ語、テムネ語他
6.宗教
イスラム教60%、キリスト教10%、アニミズム信仰30%
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
18世紀末 | イギリス等からの解放奴隷の居住地となる |
1808年 | イギリス領植民地 |
1961年4月 | イギリス連邦の一員として独立 |
1971年4月 | 共和国となる |
1978年5月 | 新憲法制定、単一政党制導入 |
1986年1月 | モモ大統領就任 |
1987年3月 | クーデター未遂 |
1992年4月 | 軍事クーデター |
1992年5月 | ストラッサー大尉を議長(元首)とする暫定政府発足 |
1996年1月 | ビオ准将による無血クーデター |
1996年2月 | 大統領・議会選挙 |
1996年3月 | カバ大統領就任 |
1997年5月 | 軍事クーデター |
1997年6月 | 軍事革命評議会議長であるコロマ少佐が国家元首に就任 |
1998年3月 | 軍事革命評議会が駆逐されカバ大統領がフリータウンに帰還 |
1999年7月 | ロメ和平合意が成立 |
1999年10月 | 国連安保理は、ロメ和平合意を実施するための「国連シエラレオネミッション(UNAMSIL)」の派遣を決定 |
2000年5月 | RUF(革命統一戦線)による国連PKO要員500名の拘束事件が発生 |
2000年11月 | シエラレオネ政府、RUF間で停戦合意成立 |
2001年5月 | 武装解除の実施方法について政府、RUF間で合意成立 |
2002年1月 | カバ大統領が武装解除完了宣言 |
2002年3月 | カバ大統領が国家非常事態の終了宣言 |
2002年5月 | 大統領・議会選挙実施。現職のカバ候補が圧倒的多数の得票率で再選 |
2004年2月 | カバ大統領がDDR委員会の解散を宣言 |
2005年12月 | UNAMSIL完全撤退 |
2006年1月 | 「国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSIL)」活動開始 |
2007年8月 | 大統領・議会選挙実施 |
2007年9月 | 大統領選挙決選投票実施。コロマ大統領就任 |
2008年12月 | 「国連シエラレオネ総合平和構築事務所(UNIPSIL)」活動開始 |
2009年3月 | 与野党支持者間の衝突による「3月暴動」発生 |
2009年4月 | UNIPSILの仲介で与野党の共同コミュニケ発足 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
アーネスト・バイ・コロマ大統領(任期5年間)
(Ernest Bai Koroma)2007年9月就任
3.議会
国民議会(一院制)
4.政府
(1)首相 (ポストなし)
(2)外相 ザイナブ・バングーラ(Zainab Bangura)外務・国際協力大臣
5.内政
(1)シエラレオネでは、1991年に反政府軍(RUF)が蜂起し、同国で産出されるダイヤモンドを財源に、反政府戦闘行為が断続的に継続。1996年3月、大統領選挙を経てカバ大統領が就任したが、1997年5月、政府軍下級兵士による軍事クーデターによりカバ大統領はギニアへ脱出。1998年にECOWAS監視団(ECOMOG)によってクーデター派が駆逐され、カバ大統領の合法政権が復帰した。1999年10月、国連安保理は、政府勢力と反政府勢力の間の和平合意を実施するための「UNAMSIL(国連シエラレオネミッション)」の派遣を決定し、DDR計画(元兵士の武装・動員解除、及び社会復帰)が展開された。以後、2000年5月にRUFによる国連PKO要員拉致事件が続き、再び緊張が高まったが、ECOWAS諸国の仲介により、2000年11月のシエラレオネ政府とRUFとの間での停戦合意、更に、2001年5月の両者間の武装解除の実施方法についての合意がなされる等、状況は平静化した。2002年1月18日、カバ大統領は、DDR計画の進捗状況に鑑み、シエラレオネにおける武装解除の完了宣言を行い、また、右に続き、同年3月1日には国家非常事態の終了宣言がなされる等、和平に向けての進捗が見られた。同年5月、大統領・議会選挙が自由・公正かつ平和裡に実施され、カバ候補が再選された。
(2)国内情勢は、最大時で17,000名の要員で展開したUNAMSILによる治安維持及び軍・警察の機能強化により安定が保たれ2004年9月に全ての州における第一義的な治安維持の責任をシエラレオネ警察に返還するプロセスを完了。UNAMSILは2005年12月末日に完全撤退した。UNAMSILの活動は1)統治体制の確立、2)DDR、3)治安回復及び軍・警察の体制確立、4)ダイヤモンド採掘・売買のコントロール、5)グッド・ガバナンス構築を柱とするものであったが、それぞれの任務について大きな成果が見られアフリカPKOにおけるグッド・プラクティスとして国際社会からの称賛を得た。2006年1月より平和維持プロセスに移行すべく国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSL)が活動を開始。UNIOSLの後継として2008年10月より政治・平和構築分野に活動を絞った小規模な国連シエラレオネ統合平和事務所(UNIPSIL)が活動中。
(3)2007年8月及び9月には、カバ大統領の任期満了に伴い、大統領・議会選挙及び大統領選挙決選投票が平和裡に行われ、野党全人民議会党(APC)のアーネスト・コロマ氏が新大統領に就任した。同選挙は、2005年末の国連PKO撤退後初の選挙であり、国連平和構築委員会(PBC)の最初の検討対象国ともなっているシエラレオネの平和と安定にとっての試金石として国際社会からも注目された。
(4)コロマ大統領は、政権発足時より電力供給を始めとしたインフラ復興、閣僚との年間契約に基づく公共部門改革、汚職撲滅、保健等の諸課題に取組んでいる。国内の治安は概ね安定しており、内戦復興期から開発期に入りつつある。
外交・国防
1.外交基本方針
非同盟主義、各国の主権尊重、内政不干渉を基軸とし、地域レベルにおいてはMRU(マノ河同盟)、ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)の一員として協力するなど、近隣諸国との関係は密接。
2.軍事力(ミリタリーバランス2007年版)
(1)予算 約2,610万ドル(ミリタリー・バランス2005-2006年)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 13,000人(うち海軍200人)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
鉱業(ダイヤモンド等)、農業(コーヒー、ココア)
2.GNI
17.8億米ドル(2008年、世銀)
3.一人当たりGNI
320ドル(2008年、世銀)
4.経済成長率(実質)
4.0%(2009年推定、EIU)
5.物価上昇率
12.2%(2009年、EIU)
6.失業率
N/A
7.総貿易額(2009年推定、EIU)
(1)輸出 231百万ドル
(2)輸入 429百万ドル
8.主要貿易品目
(1)輸出 ダイヤモンド、金紅石、ボーキサイト、ココア
(2)輸入 石油、米
9.主要貿易相手国(2008年、EIU)
(1)輸出 ベルギー、米、蘭、加
(2)輸入 中国、コートジボワール、米、ブラジル
10.通貨
レオン
11.為替レート
1米ドル=4,000レオン(2010年4月現在)
12.経済概況
シエラレオネでは、従来から一次産品(ダイヤモンド、金、鉄鉱石ボーキサイト、カカオ、コーヒーなど)が高い輸出能力を有し、主要な外貨獲得源となっていた。約12年にわたる内戦の結果、鉱物資源の輸出停止、国民の大部分を占める農民が難民・国内避難民となったことによる農業生産の大幅低下、及び社会的インフラの破綻等により経済は著しく停滞した。
2002年の内戦終結以降、国際社会の支援により、国内経済、行財政及び地方コミュニティの再建を進めている。現在の主な経済部門は、農業(GDPの約50%)と鉱業。主にドナーによるインフラ復興支援により、サービス部門(GDPの約30%)も好調。主に農業・鉱業の回復により、2002年以降、経済は順調に回復し、2004〜2006年は7%台の経済成長を遂げた後、2007年6.4%、2008年5.5%(推定)と若干減速しながらも順調に推移していたが、世界経済危機の影響で2009年は、さらなる減速が懸念されている。
2008年12月、コロマ大統領は、第二次貧困削減戦略(2009年〜2011年)の指針となる「変化のためのアジェンダ」を発表し、インフラへの多額の投資、社会サービス(教育、保健、衛生)の充実、民間部門開発による経済成長を通した大幅な貧困削減を目指している。2010年4月、妊娠中、授乳中の母親及び5歳未満の子供への医療を無料提供する「フリーヘルスケア」を導入。
経済協力(単位 億円)
1.日本の援助実績
(1)円借款(2008年度まで、交換公文ベース)20.00
(2)無償資金協力(2008年度まで、交換公文ベース)144.67
(3)技術協力(2008年度まで、JICA経費実績ベース)25.24
2.主要援助国(2006年)(百万ドル)
(1)英国(88.1) (2)オランダ(47.1) (3)イタリア(44.3) (4)フランス(41.7) (5)ドイツ(36.5)
二国間関係
1.政治関係
1961年独立と同時に同国を承認。
日本側公館:
1962年8月より在リベリア大使館が兼轄
1991年6月より在ガーナ大使館が兼轄
先方公館:
在中国大使館が兼轄
2.経済関係
(1)対日貿易
- (イ)貿易額(2009年 日本財務省貿易統計)
- 対日輸出 4億0,256万円
対日輸入 21億9,567万円 - (ロ)主要品目
- 対日輸出 非金属鉱物製品等
対日輸入 乗用自動車、貨物自動車等
(2)日本からの直接投資
進出企業:0
3.文化関係
在フリータウン名誉総領事の助力を得て文化交流をはかっていく。
4.在留邦人数
18人(2009年10月現在)
5.在日当該国人数
44人(2008年12月末現在)
6.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2003年7月 | 黒柳徹子国連児童基金(UNICEF)報善大使 |
2005年1月 | 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使 |
2006年6月 | 佐藤アフリカ紛争・難民問題担当大使兼国連改革担当大使 |
2006年7月 | 日・AU議連西部アフリカ訪問団(小此木団長) |
2007年8月 | 浜田外務大臣政務官 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
1969年5月 | スティーブンス首相 |
1979年2月 | コンテ外務大臣他閣僚代表団 |
1983年3月 | コンテ外務大臣 |
1987年9月 | コロマ運輸通信担当国務大臣 |
1989年2月 | コロマ外務大臣(大喪の礼) |
1990年10月 | タキ天然資源大臣 |
1990年11月 | コロマ外務大臣(即位の礼) |
1993年10月 | カルボ外務長官代行、カリム大蔵開発経済企画長官(第1回アフリカ開発会議(TICAD I)) |
1996年9月 | ジョナ国連常駐代表(オピニオン・リーダー) |
1998年10月 | ジョナ大蔵大臣(第2回アフリカ開発会議(TICAD II)) |
2001年12月 | JDロジャース開発経済計画副大臣(TICAD閣僚レベル会合) |
2003年9月 | ダラミー開発経済計画大臣(第3回アフリカ開発会議) |
2005年10月 | シセイ開発計画副大臣他(JICA国際協力研修) |
2008年1月 | バングーラ外務・国際協力大臣(PBCシンポジウム) |
2008年5月 | コロマ大統領、バングーラ外相(TICAD IV) |
7.二国間条約・取極
1991年7月 日・シエラレオネ民間漁業協定