セネガル共和国
(Republic of Senegal)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)

一般事情

1.面積

197,161平方キロメートル(日本の約半分)

2.人口

1,270万人(2008年、UNFPA)

3.首都

ダカール

4.民族グループ

ウォロフ44%、プル23%、セレール15%他

5.言語

フランス語(公用語)、ウォロフ語など各民族語

6.宗教

イスラム教95%、キリスト教5%、伝統的宗教

7.国祭日

4月4日(独立記念日)

8.略史

年月 略史
9世紀 テクルール王国
13-16世紀 ジョロフ王国
15世紀 ポルトガル人来航
1783年 フランスへの帰属
1960年4月 セネガル共和国としてフランスより独立
1981年1月 ディウフ首相、大統領に就任
2000年3月 ワッド大統領選出
2002年9月 フェリー船「ジョーラ号」沈没事故
2007年2月 ワッド大統領再選

政治体制・内政

1.政体

共和制

2.元首

アブドゥライ・ワッド大統領(Abdoulaye WADE)

3.議会

二院制(上院及び国民議会)

4.政府

(1)首相 スレイマン・ンデーネ・ンジャイ (Soulayemane Ndéné NDIAYE)

(2)外相 マディケ・ニョン (Madické NIANG)

5.内政

(1)独立以来、社会党政権のもとで内政は安定して推移してきたが、長期政権に対する国民の不満が高まり、2000年3月の大統領選挙では変革を求める声を背景に、ワッド・セネガル民主党(PDS)党首がデュフ大統領を破り大統領に当選した。初めての政権交代が平穏裡に行われた事実は、セネガルにおける民主主義の定着を内外に印象づけることとなった。2007年2月の大統領選挙でワッド大統領は再選を果たし、同年6月の国民議会選挙では主要野党がボイコットし、現与党PDSを中心とする連立政党(Coalition Sopi)が圧勝したことから、2期目を迎えたワッド大統領は1期目に引き続き安定した政治基盤を獲得することとなった。しかしながら、2009年3月の地方選挙では主要都市で野党が勝利したことから、2012年の大統領選挙に向けたワッド大統領の政権運営が注目される。

(2)ガンビアによってセネガル北部と隔離され、民族・宗教も異なる南部カザマンス地方では、一部住民が結成した「カザマンス民主勢力運動」(MFDC)による分離独立運動が武力闘争化し、不安定な状態が続いている。1999年1月、ディウフ大統領(当時)はカザマンスを訪問し、MFDCの最高指導者とされるディアマクン神父と会談し、2000年11月に停戦のための協議実施に合意。しかし、翌2001年にMFDC内部で路線対立を巡る分裂が生じ、政府との交渉は停滞。その後2004年12月に内務大臣とディアマクン神父間で和平合意書が署名され、カザマンス地方の復興のための対話が進められるも、2009年9月頃よりMFDCの内部分裂が強まり、政府軍とMFDCとの抗争が再燃・活発化している。

外交・国防

1.外交基本方針

(1)旧宗主国フランスとの協調を基軸としつつも、多くの先進国とも友好関係を構築する、穏健な現実路線外交を取る。最近では、非同盟運動G15やG77グループでの活動を通じ、第三世界諸国との関係が強いが、とりわけアラブ諸国との絆は伝統的に強い。中国との関係では、1996年に中国にかわって台湾を承認していたが、2005年10月、中国との外交関係を回復。

(2)また、国際機関、とりわけアフリカ連合 (AU)、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)といったアフリカ地域機関へも積極的に関与している。国連平和維持活動についても、「国連イラク・クウェート監視団(UNIKOM)」、「国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)」、「国連コンボ暫定行政ミッション(UNMIK)」、「国連シエラレオネ・ミッション(UNAMSIL)」、「国連コンゴ民主共和国ミッション(MONUC)」、「国連中央アフリカ・ミッション(MINURCA)」(1998年−2000年)等に参加している。また、マダガスカルやモーリタニア等での政治危機においても調停役を務めるなど、紛争解決や人道援助活動でも国際社会と歩調を合わせ積極的な貢献を行っている。

(3)ワッド大統領は、「アフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」策定においてイニシアティヴを取り、2001年9月11日の米同時多発テロ事件を受けて「テロ対策アフリカ協定(Pacte africain contre le terrorisme)」の締結を提唱、同協定策定のための首脳級会合をダカールで開催するなど、国際社会におけるアフリカのプレゼンス高揚に指導力を発揮している。また、近年行われた先進国首脳会議(G8サミット)にNEPAD提唱国の一つとして招かれるなど、アフリカにおけるリーダーの一人として国際的に認知されている。

2.軍事力(ミリタリーバランス2010年版)

(1)予算 2億1,700万ドル(2008年)

(2)兵役 あり(2年間、選抜徴兵制)

(3)兵力 13,620人(陸軍11,900、海軍950、空軍770)

経済

1.主要産業

農業(落花生、粟、綿花)、漁業(まぐろ、かつお、えび、たこ)

2.GNI

130.6億ドル(2009年、世銀)

3.一人当たりGNI

1,040ドル(2009年、世銀)

4.経済成長率

2.2%(2009年、世銀)

5.インフレ率

-0.5%(2009年、世銀)

6.失業率

N/A

7.総貿易額

(1)輸出 15億8,740万ドル(2007年、EIU)

(2)輸入 32億5,310万ドル(2007年、EIU)

8.主要貿易品目(2005年)

(1)輸出 魚介類、精油、リン酸製品、落花生製品

(2)輸入 食料品、石油製品、投資財

9.主要貿易相手国(2006年)

(1)輸出 マリ、インド、フランス、イタリア

(2)輸入 フランス、ナイジェリア、イギリス、オランダ

10.通貨

CFAフラン

11.為替レート

655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)

12.対外債務残高

35億ドル(2009年、世銀)

13.経済概況

 経済は、落花生栽培などの農業が中心で、一次産品価格の低迷などにより、財政赤字、国際収支赤字、対外債務問題が恒常化していた。このような状況の中で、1994年1月のCFAフラン切り下げ以降、政府が緊縮財政、構造調整、民営化などに努力した結果、経済は比較的安定成長を維持しており、インフラも押さえられていたが、近年の石油価格の高騰により、物価は上昇傾向にある。

 また、セネガル政府は、2015年までに貧困を半減させることを目標に、2000年に中間「貧困削減戦略文書」(PRSP)を採択し、2002年には最終版PRSPを策定した。2006年には、2006年〜2010年を対象とする第二次PRSP策定され、現在第三次PRSPを策定中。

経済協力

1.日本の援助実績(単位:億円)

(1)有償資金協力(2009年度まで、E/N(交換公文)ベース)155.20(債務免除除く)

(2)無償資金協力(2009年度まで、E/Nベース)993.17

(3)技術協力実績(2009年度まで、JICAベース)324.24

2.主要援助国(2008年、単位:百万ドル)

(1)フランス(189.03) (2)加(73.31) (3)米(71.63) (4)西(59.12) (5)蘭(37.90)

二国間関係

1.政治関係

1960年10月4日 セネガル(1960年4月独立)を承認。

1962年1月 日本大使館をセネガルに開設。

1975年9月 セネガル大使館が東京に開設。

(1)両国関係は従来より良好。サンゴール大統領の訪日(1979年)、皇太子同妃両殿下(当時)のセネガル訪問(1984年)、ディウフ大統領の訪日(1988年)、ワッド大統領の訪日(2003年、2008年)、松本外務大臣、高橋外務副大臣、菊田外務大臣政務官(2011年)等、要人往来活発。

(2)セネガルは日本が主催するアフリカ開発会議(TICAD)プロセスに積極的に参画。2011年5月、ダカールにて第3回TICAD閣僚級フォローアップ会合を開催。

(3)なお、1995年9月より、3ヶ月以内滞在の邦人旅行者に対し、査証免除が実施されている。

2.経済関係

(1)対日貿易

(イ)貿易額(2010年 JETRO)
対日輸出 10億2,200万円
対日輸入 48億4,837万円
(ロ)主要品目
輸出 水産物等
輸入 ダンプカー、繊維のトウ

(2)進出日本企業(2010年10月) 8社

3.文化関係

他のアフリカ諸国と比較して非常に緊密。

(1)文化無償協力の他、セネガルでは、俳句普及活動をはじめとして、日本文化の紹介事業を行い、セネガルより報道関係者、文化人を招待している。

(2)2002年6月のサッカーW杯において、セネガルのナショナル・チームはキャンプ地の静岡県藤枝市に滞在。選手と地元住民との交流を通じ、友好関係が一層深まった。

4.在留邦人数

203人(2009年10月現在)

5.在日当該国人数

285人(2008年12月現在)

6.要人往来(2000年以降)

(1)往

年月 要人名
2000年4月 有馬前文部大臣(UNESCO主催会議出席)
2000年9月 石破農水政務次官
2001年2月 浦部内閣官房副長官補(総理特使)
2002年1月 山口泰明衆議院議員(総理特使)
2004年5月 緒方JICA理事長
2004年8月 桜井新参議院議員、長浜博行衆議院議員、能勢和子衆議院議員、高橋千秋参議院議員(国際人口問題議員懇訪問国)
2004年8月 村田吉隆衆議院議員、北村誠吾衆議院議員(日・AU友好議連)
2005年1月 小野寺外務大臣政務官
2006年7月 田村公平参議院議員、松下新平参議院議員、山内俊夫参議院議員(参議院ODA調査団訪問国)
2006年8月 伊藤外務大臣政務官
2007年12月 宇野外務大臣政務官
2008年9月 西村外務大臣政務官(アフリカ貿易・投資促進ミッション(中・西部ミッション)団長)
2011年1月 菊田外務大臣政務官
2011年5月 松本外務大臣、高橋外務副大臣(第3回TICAD閣僚級フォローアップ会合)

(2)来

年月 要人名
2001年12月 ガッジョ外相、ディオップ経済・財政大臣(TICAD閣僚レベル会合)
2002年9月 ワッド大統領(立ち寄り)
2003年2月 プイユ中小企業・商業大臣(WTO非公式会合)
2003年3月 サール・エネルギー・水大臣、シー農業大臣(世界水フォーラム)
2003年5月 ワッド大統領(公式実務賓客)
2003年9月 ワッド大統領(TICAD III)
2005年4月 ディアーニュ環境・自然保護大臣(愛・地球博)
2008年5月 ワッド大統領、ディオップ経済・財政大臣(TICAD IV)
2008年7月 ワッド大統領(北海道洞爺湖サミット)
2010年10月 カ環境・自然保護滞水地・人造湖大臣(COP10)
2011年6月 ファダイ保健・予防大臣(MDGsフォローアップ会合)

7.二国間条約・取極

1976年11月2日 貿易取極

1979年4月18日 青年海外協力隊派遣取極

1991年10月14日 漁業協定

2011年5月1日 技術協力協定