スリランカ民主社会主義共和国
(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年8月現在)
一般事情
1.面積
6万5,607平方キロメートル(北海道の約0.8倍)
2.人口
約2,063万人(2010年央推計)
3.首都
スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ
4.民族
シンハラ人(72.9%)、タミル人(18.0%)、スリランカ・ムーア人(8.0%)(一部地域を除く値)
5.言語
公用語(シンハラ語、タミル語)、連結語(英語)
6.宗教
仏教徒(70.0%)、ヒンドゥ教徒(10.0%)、イスラム教徒(8.5%)、ローマン・カトリック教徒(11.3%)(一部地域を除く値)
7.国祭日
2月4日(独立記念日)
8.略史
年月 | 略史 |
---|---|
紀元前483年 | ヴィジャヤ王子(シンハラ族の祖といわれる)スリランカ上陸。シンハラ王朝建設 |
紀元前250年 | 仏教伝来 |
紀元1505年 | ポルトガル人来航(海岸地帯を植民地化) |
1658年 | オランダ人来航(海岸地帯を植民地化) |
1802年 | アミアン条約によりスリランカは英国植民地となる |
1815年 | キャンディー王朝が滅亡し、全島が英国の植民地化 |
1948年 | 英連邦内の自治領として独立 |
1956年 | バンダラナイケ首相就任。シンハラ語のみを公用語とする公用語法成立。 |
1972年 | 国名をスリランカ共和国に改称(英連邦内自治領セイロンから完全独立) |
1978年2月 | ジャヤワルダナ大統領就任(実権のある大統領制の発足) |
1978年9月 | 国名をスリランカ民主社会主義共和国に改称 |
1983年7月 | 大騒擾事件、LTTEとの内戦本格化 |
1987年7月 | スリランカ、インド和平合意成立、インド平和維持軍(IPKF)がスリランカへ進駐 |
1987年11月 | 憲法改正(シンハラ語及びタミル語を公用語と規定。州評議会制度を導入) |
1989年1月 | プレマダーサ大統領就任 |
1990年3月 | IPKF完全撤退 |
1991年5月 | ラジブ・ガンディー印元首相暗殺 |
1993年5月 | プレマダーサ大統領暗殺、ウィジェートゥンガ大統領就任 |
1994年11月 | 大統領選挙、クマーラトゥンガ大統領就任 |
1999年12月 | 大統領選挙、クマーラトゥンガ大統領再選 |
2001年12月 | 総選挙で野党統一国民党(UNP)が大勝、ウィクラマシンハ首相就任 |
2002年2月 | 政府とLTTEとの停戦合意成立 |
2002年9月 | 政府とLTTEとの和平交渉開始 |
2003年4月 | LTTEによる和平交渉の一時中断の表明 |
2003年6月 | スリランカ復興開発に関する東京会議 |
2004年4月 | 総選挙で野党統一人民自由連合(UPFA)が勝利。ラージャパクサ首相就任。 |
2004年12月 | スマトラ沖大地震及びインド洋津波により、スリランカ北西部を除く全ての沿岸が被災し、3万人以上が犠牲。 |
2005年8月 | ガディルガマール外務大臣暗殺事件 |
2005年11月 | ラージャパクサ大統領就任 |
2006年2月 | 政府とLTTEとの「停戦合意の実施に関する直接協議」 |
2006年7月 | 東部水門閉鎖問題を契機に戦闘激化 |
2006年10月 | 政府・LTTEによる直接協議 |
2007年7月 | 政府、東部をLTTEより解放 |
2008年1月 | 停戦合意失効 |
2009年5月 | 政府軍、北部LTTE支配地域を全て奪取。内戦終結 |
2010年1月 | 大統領選挙、ラージャパクサ大統領再選 |
2010年4月 | 総選挙で与党統一人民自由連合(UPFA)が圧勝 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
マヒンダ・ラージャパクサ大統領
3.議会
一院制(定数225議席)
4.政府
(1)首相名 D.M.ジャヤラトナ
(2)外相名 G.L.ピーリス
5.内政
スリランカでは、1983年以降25年以上に亘り、スリランカ北・東部を中心に居住する少数派タミル人の反政府武装勢力である「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」が、北・東部の分離独立を目指して活動し、政府側との間で内戦状態となった。2002年2月にノルウェー政府の仲介により停戦合意が成立し、6回の和平交渉が行われたが、2006年7月に双方の武力衝突が再燃し、その後停戦が崩壊した。政府軍はLTTEを徐々に追いつめ、2009年5月、LTTE指導者ら主要幹部を殺害し、LTTEは壊滅した。同年5月19日、ラージャパクサ大統領が議会で戦闘終結を宣言した。なお、この内戦で7万人以上が犠牲となったといわれている。
内戦終結後、ラージャパクサ大統領は約29万ともいわれた国内避難民の再定住を進めた。同大統領は任期を2年残し、大統領選挙の繰り上げ実施を決定。2010年1月に大統領選挙が実施され、同大統領が再選された。その後、同年4月に総選挙が実施され、同大統領率いるスリランカ自由党(SLFP)を中核とする与党統一人民自由連合(UPFA)が過半数を大きく上回る144議席を獲得して、引き続き政権運営にあたることとなった。最大野党の統一国民党(UNP)が60議席、北・東部のタミル人を中心に支持を集めたタミル国民連合(TNA)も14議席、シンハラ民族主義政党である人民解放戦線(JVP)が7議席と議席を減らした。2010年11月ラージャパクサ大統領は2期目の任期を開始した。
外交・国防
1.外交
スリランカは非同盟の立場を維持しつつ、歴史的、文化的にも関係が深い隣国インドとは、政治・安全保障上極めて重要な国として良好な関係維持に努めている。また経済社会開発の観点から日本を含む先進諸国との関係強化を重視しており、内戦終結前後から、中国との関係も強化されてきている。また、南アジア地域協力連合(SAARC)の加盟国であり、発足当初よりその発展に積極的に関与し、2006年にはアセアン地域フォーラム(ARF)にも加盟するなど、域内及び東南アジア諸国との協力関係強化にも力を入れている。
2.軍事力
(1)予算 17億ドル(2009年)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 160,900人(陸軍117,900人、海軍15,000人、空軍28,000人)
(出典:ミリタリー・バランス、2010)
経済(単位 米ドル)
(出典:スリランカ中央銀行年報等)
1.主要産業
農業(紅茶、ゴム、ココナツ、米作)、繊維業
2.名目GDP
505億米ドル(2010年)
3.一人当たりGDP
2,399米ドル(2010年)
4.GDP経済成長
8.0%(2010年)
5.物価上昇率
5.9%(2010年コロンボ消費者物価上昇率)
6.失業率
4.9%(2010年)
7.デット・サービス・レイシオ(債務返済額÷総輸出額)
15.2%(2010年)
8.総貿易額(2010年)
(1)輸出 83.0億米ドル
(2)輸入 135.1億米ドル
9.主要貿易品目(2010年)
(1)輸出 工業製品(繊維・衣類製品等)75%、農業製品24%、宝石類1%
(2)輸入 中間財(繊維関連等)58%、資本財22%、消費財(食料品等)19%、その他1%
10.主要貿易相手国(2010年)
(1)輸出 米国(21.1%)、英国(12.3%)、インド(5.6%)、イタリア(5.6%)、ドイツ(4.8%)、ベルギー(4.8%)
(2)輸入 インド(19.0%)、シンガポール(11.6%)、中国(9.2%)、イラン(6.7%)、日本(4.3%)、香港(4.3%)
11.通貨
ルピー
12.為替レート
1米ドル=110.9ルピー(2010年末値)
1ルピー=0.73円(2010年末値)
13.経済概況
スリランカ経済は、伝統的には米と3大プランテーション作物(紅茶、ゴム、ココナッツ)を中心とする農業依存型経済であったが、経済発展とともに製造業や卸・小売業等が拡大し、最近では衣類製品が最大の輸出品目となっている。
2010年のスリランカ経済は、内戦の終結による経済活動の活性化等によって、実質8.0%という過去30年間で最も高い成長率を達成した。経済の拡大を受けて雇用機会も拡大し、失業率は4.9%に低下した(2009年5.8%)。インフレ率は国内の供給体制の改善や補助金を通じた輸入品の国内価格抑制などにより、2010年を通じて一桁台半ばに留まり、年末時点で5.9%となった。輸出はEUからの特恵関税(GSPプラス)の撤廃にも拘わらず拡大した。外貨準備高(年末)は、2008年末には平均月間輸入額の約2.0ヵ月分まで低下したが、内戦終結やIMFのスタンドバイ融資により2010年は同6.4ヵ月分と安定的に推移した。また観光客数も治安の改善を受けて65万人を突破し、観光収入も5.76億ドル(対前年比64.6%増)となった。
経済協力
援助の目的と意義
経済発展に努める同国への社会・経済開発支援は、南アジア地域全体の民主主義の定着と政治的安定及び我が国シーレーンの安全確保に資する。また、和平プロセス進展を後押しする観点からも重要。
日本の援助の重点分野
2004年4月に国別援助計画を策定。重点分野は以下の2点。
- (1)平和の定着と復興支援
- 「人道・復旧支援」、「国造り」のための支援
- (2)中・長期開発ビジョンに沿った支援
- (イ)経済基盤整備に向けた制度改革に対する支援
(ロ)外貨獲得能力向上に対する支援
(ハ)貧困対策に対する支援
(1)日本の援助実績
(イ)有償資金協力(2010年度まで、E/Nベース) 8,260.25億円(内2010年度実績 331.10億円)
(ロ)無償資金協力(2010年度まで、E/Nベース) 1,956.81億円(内2010年度実績 27.49億円)
(ハ)技術協力実績(2009年度まで、JICA経費実績ベース) 652.86億円(内2009年度実績 24.53億円)
(2)主要援助国
1)中国(25.4%) 2)インド(14.8%) 3)日本(13.5%)
(2010年、スリランカ財務省資料)
(カッコ内数値は援助国・機関の合計に占める割合)
注※なおDAC諸国合計に占める割合は以下となっている(2009年、DAC資料)。
1)日本(24.5%) 2)オーストラリア(11.7%) 3)デンマーク(9.7%)
(3)津波復興支援
2004年12月のインド洋大津波によりスリランカでは3万人以上が死亡、約100万人が被災した。日本は直ちに緊急医療チームを派遣し、緊急・復旧支援として80億円の無償資金協力、また中・長期的支援として約100億円の円借款を供与した。
二国間関係
1.政治関係
1952年の国交樹立以来、日本とスリランカとの間には、特に大きな政治的懸案もなく、貿易、経済・技術協力を中心に良好な関係が続いている。
日本は2002年の停戦合意以降、「平和の定着」への貢献に資するとの観点から、明石康元国連事務次長を「スリランカにおける平和構築及び復興・復旧担当政府代表」に任命し、定期的にスリランカに派遣し、関係者への働きかけを行うとともに、2003年3月に第6回和平交渉を箱根で開催、同年6月には「スリランカ復興開発に関する東京会議」を開催する等、スリランカ和平プロセスを積極的に支援してきた。また、「スリランカ復興開発に関する東京会議」の4共同議長国(日本、米国、ノルウェー、EU)は、定期的にスリランカ和平プロセスの状況をモニターするために会合を重ねてきた。
2009年5月の内戦終結後、要人往来の機会などを通じ、スリランカが永続的和平と持続的発展を達成するために、国民和解に向けた努力を重ねるよう働きかけるとともに、スリランカ政府の努力を支援している。
2.経済関係
(1)貿易額は約743.9億円(2010年)で、日本はスリランカにとって重要な貿易相手国(輸入は第5位、輸出は第11位)。
- 日本の輸出 551.4億円
日本の輸入 192.5億円- 日本の主要輸出品目 自動車、一般機械、化学原料、繊維品、電気機械
日本の主要輸入品目 紅茶、水産物(まぐろ、えび)、繊維製品(2010年、日本財務省貿易統計)
- 日本の主要輸出品目 自動車、一般機械、化学原料、繊維品、電気機械
(2)2009年の日本からスリランカへの直接投資は、約45億ルピー(約36億円)。
(3)2010年10月現在、日系進出企業は55社。うち現地法人化されていない企業は19社(支店4社、駐在員事務所・出張所等15社)で、現地法人化された日系企業は36社(うち100%日系企業23社、合弁企業他13社)。欧米諸国や日本への製品輸出を目的とする製造業が多数を占める。主要進出企業は、ノリタケ、富士電気化学(現地法人FDKランカ)、YKK、新日本空調や、三菱商事、三井物産、伊藤忠等の商社、大成建設、熊谷組等の建設会社など。
3.文化関係
(1)文化無償協力、21世紀東アジア青少年大交流計画、国費留学生の受入れ、日本語教育普及、各種展示事業等を実施。
(2)日本は2009年度までの累計で23件案件、約979.70百万円を文化無償資金協力(草の根文化無償資金協力を含む)により供与。
(3)2008年9月から11月まで東京国立博物館において、同博物館、読売新聞社、スリランカ政府の共催による、スリランカ文化遺産展が開催された。同展では、150点を超える仏教を中心とした文化遺産が展示され、期間中、天皇皇后両陛下の行幸啓があった他、約8万人が訪れた。
4.在留邦人数
886人(2010年10月現在、在スリランカ日本大使館調査)
5.在日当該国人数
8,973人(2009年12月末日現在、法務省)
6.主な要人往来
(1)往(1981年以降)
年月 | 要人名 |
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1981年3月 | 皇太子同妃両殿下(当時) |
1987年8月 | 倉成外務大臣 |
1990年5月 | 海部総理大臣 |
1992年11月 | 秋篠宮同妃両殿下 |
1993年5月 | 海部俊樹特派大使(プレマダーサ大統領国葬参列) |
1996年11月 | 福田総理特使(ジャヤワルダナ元大統領国葬参列) |
2000年8月 | 野呂田芳成総理特使(日スリランカ議連会長) |
2000年10月 | 福田康夫特派大使(バンダラナイケ前首相国葬参列) |
2002年4月 | 野呂田芳成総理特使(国交樹立50周年) |
2002年11月 | 明石政府代表 |
2003年1・2・5・9月 | 明石政府代表 |
2004年1・5・10月 | 明石政府代表 |
2005年2・5・12月 | 明石政府代表 |
2003年1月 | 川口大臣 |
2003年8月 | 矢野外務副大臣 |
2004年12月 | 福島外務大臣政務官 |
2005年1月 | 谷川外務副大臣 |
2005年6月 | 逢沢外務副大臣 |
2005年8月 | 福島外務大臣政務官(カディルガマール外務大臣国葬参列) |
2006年4月 | 福田日本スリランカ協会会長 |
2006年5・10月 | 明石政府代表 |
2007年6月 | 明石政府代表 |
2008年1月 | 明石政府代表 |
2008年8月 | 野呂田日スリランカ議連会長 |
2009年1・5・6月 | 明石政府代表 |
2009年7月 | 福田康夫総理特使 |
2009年10月 | 西村智奈美外務大臣政務官 |
2010年6月 | 明石政府代表 |
2011年5月 | 菊田真紀子外務大臣政務官 |
(2)来(1979年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1979年9月 | ジャヤワルダナ大統領(国賓) |
1984年5月 | ジャヤワルダナ大統領(非公式) |
1985年4月 | プレマダーサ首相(科学万博賓客) |
1985年11月 | プレマダーサ首相(非公式) |
1986年8月 | プレマダーサ首相(非公式) |
1987年7月 | プレマダーサ首相(非公式) |
1989年2月 | ジャヤワルダナ元大統領(大喪の礼参列) |
1990年7月 | ヘーラット外相(花博賓客・外務省賓客) |
1990年11月 | ウィジェートゥンガ首相(即位の礼参列) |
1991年4月 | ジャヤワルダナ元大統領(非公式賓客) |
1994年2月 | ハミード外相(外務省賓客) |
1996年5月 | クマーラトゥンガ大統領(公式実務訪問) |
2000年6月 | セナナヤケ観光・民間航空大臣(小渕前総理合同葬参列) |
2000年10月 | ガディルガマール外務大臣 |
2002年2月 | ピーリス憲法問題大臣(外務省賓客) |
2002年11月 | フェルナンド外務大臣 |
2002年12月 | ウィクラマシンハ首相 |
2003年6月 | ウィクラマシンハ首相、チョクシー大蔵大臣、ピーリス憲法問題大臣、ハキーム港湾開発大臣、モラゴダ経済改革大臣(スリランカ復興開発に関する東京会議出席) |
2003年11月 | モラゴダ経済改革大臣(ウィクラマシンハ首相特使) |
2004年2月 | モラゴダ経済改革大臣 |
2004年5月 | ヘーラット文化・国家遺産大臣 |
2004年9月 | ガディルガマール外務大臣 |
2005年2月 | アムヌガマ財務計画大臣 |
2005年9月 | アムヌガマ財務計画大臣 |
2006年5月 | サマラウィーラ外務大臣 |
2007年2月 | ラージャパクサ大統領顧問 |
2007年3月 | ロクバンダーラ国会議長 |
2007年5月 | アヌラ・バンダラナイケ国家遺産大臣 |
2007年6月 | ボーゴラガマ外務大臣 |
2007年12月 | ラージャパクサ大統領 |
2008年8月 | サマラシンハ災害管理・人権担当大臣 |
2008年9・11月 | ウィクラマナヤケ首相、アベーワルダナ文化・国家遺産大臣 |
2008年10月 | ウィクラマナヤケ首相 |
2009年5月 | ピーリス輸出振興・国際貿易大臣 |
2009年9月 | ウィクラマナヤケ首相 |
2010年7月 | ピーリス外相、ラージャパクサ経済開発相 |
2011年2月 | サマラシンハ・プランテーション産業相 |
2011年6月 | アマヌガマ国際資金協力担当上級大臣 |
7.二国間条約・取極
貿易取極、二重課税防止条約、青年海外協力隊派遣取極、投資保護協定、航空協定、技術協力協定