タジキスタン共和国
(Republic of Tajikistan)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年6月現在)
一般事情
1.面積
約14万3,100平方キロメートル(日本の約40%)(出典:CIS統計委員会)
2.人口
710万人(2010年:国連人口基金)
3.首都
ドゥシャンベ(Dushanbe)
4.民族
タジク系(79.9%)、ウズベク系(17.0%)、キルギス系(1.3%)、ロシア系(1.0%)、その他(0.8%)
(タジキスタン共和国統計年鑑)
5.言語
公用語はタジク語(イランのペルシア語やアフガニスタンのダリー語などとともにイラン語派の西方方言群に属する。現在タジク共和国で使用されているタジク語北西方言は、ウズベク語などテュルク諸語との接触により文法や語彙の面で大きな影響を受けている)。ロシア語も広く使われている。
6.宗教
タジク人の中ではイスラム教スンニ派が最も優勢。パミール地方にはシーア派の一派であるイスマーイール派の信者も多い。
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
紀元前4世紀 | アレクサンドロス大王により制圧 |
紀元前250頃 | グレコ・バクトリア王国成立 |
1〜3世紀 | クシャーン朝による支配 |
6世紀中頃〜 | テュルク系遊牧民(突厥)の侵入、次第に住民のテュルク化が始まる |
7世紀 | ソグド人の活動が最盛期に |
8世紀以降 | アラブ勢力の侵入、土着のイラン系住民がイスラーム教を受容。テュルク系諸民族がこれらイラン系住民をタジクと呼ぶようになる |
9世紀後半〜10世紀 | イラン系のサーマーン朝成立(文芸・学問の発展) |
13世紀 | モンゴル帝国の支配 |
14世紀後半〜15世紀 | ティムール帝国の支配 |
16世紀 | シャイバーン朝の支配 |
18〜19世紀 | ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国の支配 |
1860年代 | 現在のタジキスタン北部がロシア帝国に併合 |
1890年代 | パミール地方の大部分がロシア帝国に併合 |
1924年 | 中央アジアの民族・共和国境界画定により、ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国内にタジク自治ソヴィエト社会主義共和国が成立 |
1929年 | ウズベク共和国から分離し、タジク・ソヴィエト社会主義共和国に昇格 |
1990年2月 | ドゥシャンベ事件(アルメニア難民移住への抗議行動を契機とする騒乱事件) |
1990年8月23日 | 共和国主権宣言 |
1991年8月31日 | 国名を「タジキスタン共和国」に変更 |
1991年9月9日 | 共和国独立宣言 |
1992年5月 | タジキスタン内戦状態に |
1992年11月19日 | ラフモノフ最高会議議長就任 |
1994年11月6日 | ラフモノフ大統領選出 |
1997年6月27日 | タジキスタン内戦の最終和平合意成立 |
1999年11月6日 | ラフモノフ大統領再選 |
2006年11月6日 | ラフモノフ大統領再選 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
エマムアリ・ラフモン大統領(2006年11月選出、任期7年)
(2007年4月に「ラフモノフ」から「ラフモン」に改姓)
3.議会
二院制
上院 「国民議会」(任期5年、定数33、前回上院選挙は2010年3月25日)
下院 「代表者会議」(任期5年、定数63、前回下院選挙は2010年2月28日)
4.政府
(1)首相 アキル・アキロフ
(2)外相 ハムラーハン・ザリフィ
5.内政
(1)独立直後の1992年、旧共産党勢力とイスラム勢力を含む反対派との対立から内戦状態となった。同年11月大統領制から議会指導制へ移行。ラフモノフ最高会議議長(現ラフモン大統領)はCIS合同平和維持軍の派遣要請等、国内和平達成を目指して積極的な外交を展開、1994年に暫定停戦合意が達成され、これを受けて国連安保理は国連タジキスタン監視団(UNMOT)派遣を決定した。また同年11月には大統領制が復活、それに伴う大統領選ではラフモノフ最高会議議長が当選(得票率60%)。その後も断続的な戦闘状態が続いたが、1997年6月に最終和平合意が達成された。同内戦により多くの犠牲者が出た。
(2)1999年9月に憲法改正の国民投票、同年11月に大統領選挙、2000年に議会選挙が行われ、和平プロセスは完了した。UNMOTはその任務を終了し、同国復興支援のため新たに国連タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が設立された(UNTOPは2007年任務終了)。
(3)2006年11月に実施された大統領選挙では、ラフモノフ大統領が約80%の得票率を得て圧勝し、再選された。
(4)隣接するアフガニスタンの情勢がタジキスタンに与える影響は大きく、タリバン政権崩壊後治安上の脅威は低減したが、テロ、武器・麻薬流入問題が深刻である。
(5)2010年2月28日、下院議会選挙を実施し、ラフモン大統領が党首を務める与党人民民主党が圧勝。
外交・国防
1.外交基本方針
(1)全方位的外交を模索。しかしロシアからの投資、ロシア軍の国内駐留等、経済・軍事面でロシアへの依存度は大きい。
(2)米国とは、9.11事件以降、「テロとの闘い」への支持から、米軍等の空域使用、軍事施設使用を許可している。
(3)中国からは、多額の借款供与、インフラ整備支援を受けており、関係を深めている。
(4)アフガニスタンと国境を接するタジキスタンは同国の安定化に強い関心を有しており、カルザイ暫定政権成立後のアフガン復興への国際社会の協力を呼びかけている。
(5)ウズベキスタンとは双方とも自国内に相手国民族を抱え、また双方が相手国の反政府勢力を匿っているとの主張を行う複雑な関係である。ウズベキスタンはタジキスタンからの航空路再開や査証免除協定に関する提案に消極的。 更に、国境付近の地雷除去問題、水・エネルギー問題を抱えている。
2.軍事力
総兵力8,800人(陸軍7,300人、空軍1,500人)、準兵力7,500人
フランス軍、インド軍、ロシア陸軍が駐留
(ミリタリー・バランス2010)
経済
1.主要産業
農業(綿花)、アルミニウム生産、水力発電
2.GDP
56.4億ドル(2010年:IMF)
3.一人当たりGDP
740.52ドル(2010年:IMF推定値)
4.経済(実質GDP)成長率
6.5%(2010年:IMF)
5.物価上昇率
6.5%(2010年:IMF)
6.失業率
2.3%(2009年:CIA)
7.貿易額
(1)輸出 11.5億ドル
(2)輸入 28.56億ドル
(2009年:WTO)
8.主要貿易品目
(1)輸出 非貴金属(主にアルミニウム)、繊維・繊維製品(主に綿花・綿花製品)、輸送機関・車両・設備、鉱物、植物製品
(2)輸入 鉱物(主にボーキサイト)、輸送機関・車両・設備、化学製品、植物製品、非貴金属、食料加工品
(タジキスタン共和国統計年鑑)
9.主要貿易相手国
(1)輸出 中国、トルコ、ロシア、ウズベキスタン、イラン、チェコ、オランダ
(2)輪入 ロシア、カザフスタン、中国、ウズベキスタン、ウクライナ、アラブ首長国連邦、トルクメニスタン、トルコ
(タジキスタン共和国統計年鑑)
10.通貨
ソモニ(Somoni:2000年10月30日導入)(CIS統計委員会)
11.為替レート
1ドル=4.65ソモニ(2011年6月現在:タジキスタン国立銀行)
12.経済概況
(1)旧ソ連諸国の中では最貧国。独立後の紛争で生活水準全般が低下。内戦の克服により経済の成長に転じたが、依然として失業率も高く経済状態は厳しい。IMF、世銀と協力しつつ経済発展及び開発をすすめているが、当面外国からの支援が必要である。2008年10月の世界金融危機以降は、経済的に関係の深いロシア、カザフスタンの景気後退の影響を受け、海外出稼ぎ労働者からの送金も減少。GDPの成長は鈍化している。
(2)綿花栽培を中心とする農業、牧畜が主要産業。工業部門では繊維産業が比較的発達している。小規模ではあるが、亜鉛、錫のほかウラン、ラジウム、ビスマスなどの希少金属の鉱床を有している。また、水資源が豊富。
(3)1995年5月10日独自通貨「タジク・ルーブル」を導入したが、2000年10月に「ソモニ」に変更。
経済協力
1.日本の援助実績
(1)有償資金協力 なし
(2)無償資金協力 約137.52億円(2009年度までの累計/文化・草の根無償等を含む)
(3)技術協力 約36.86億円(2009年度まで累計)
(4)タジキスタン和平支援パッケージ:1998年8月武見外務政務次官(当時)の同国訪問時に、故秋野UNMOT政務官の遺志を引き継ぎ、同国の和平と民主化に資する研修員受け入れを表明。1998年から5年間で500名招待(1999年からの3次にわたる民主化セミナーを含む)。
2.主要援助国
米、独、スウェーデン、スイス、英
暦年 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 米 56.4 | スイス 10.0 | 日本 9.9 | 独 8.3 | 加 6.5 | 104.8 |
2006 | 米 43.6 | スイス 11.9 | スウェーデン 8.9 | 独 8.7 | 日本 8.0 | 91.8 |
2007 | 米 34.9 | スウェーデン 13.9 | 独 12.6 | スイス 11.2 | 日本 9.4 | 106.0 |
2008 | 米 59.9 | 独 22.1 | スウェーデン 12.5 | スイス 11.9 | 英 7.7 | 114.1 |
2009 | 米 40.5 | 日本 26.2 | 独 26.1 | スイス 12.9 | スウェーデン 9.1 | 140.3 |
(出典:DAC/International Development Statistics )
二国間関係
1.政治関係
(1)国家承認日 1991年12月28日
(2)外交関係開始日 1992年1月26日
(3)日本大使館(駐在官事務所)開設 2002年1月16日
駐日タジキスタン大使館開設 2007年11月28日
2.経済関係
(1)日本の対タジキスタン貿易通関(2009年:財務省貿易統計)
- 輸出 8.6億円(建設用・鉱山用機械、自動車等)
輸入 35.6万円(ゴム製品等)
(2)2006年12月、官民合同のタジキスタン経済ミッションを派遣。
3.文化関係
文化無償資金協力 5件
2003年度 タジキスタン歴史考古学博物館に対する展示及び保存機材供与(45.9百万円)
2004年度 サドリディーンアイニー・アカデミック劇場に対する楽器供与(49.5百万円)
2005年度 国立音楽院音楽器材整備計画(45.9百万円)
2006年度 タジキスタン国営テレビ・ラジオ委員会移動中継車用機材整備計画(45.9百万円)
2008年度 国営サフィーナテレビ局番組ソフト整備計画(39.1百万円)
4.在留邦人数
39人(2011年6月現在)
5.在日当該国人数
63人(2011年6月現在:法務省)
6.要人往来
(1)往(1998年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1998年8月 | 武見外務政務次官(秋野UNMOT政務官殺害事件の調査及びタジキスタン和平構築に関する意見交換) |
1999年8月 | 武見外務政務次官 |
2000年2月 | 武見参議院議員(議会選挙監視団団長) |
2000年7月 | 鈴木宗男衆議院議員、武見敬三参議院議員 |
2001年10月 | 鈴木宗男衆議院議員 |
2002年1月 | 鈴木宗男衆議院議員 |
2003年8月 | 武見参議院議員(国際淡水フォーラム) |
2004年8月 | 川口外務大臣(中央アジア歴訪) |
2008年7月 | 古川法務政務官 |
2010年9月 | 衆議院外務委員会公式派遣議員団(団長:鈴木宗男外務委員長) |
(2)来(1992年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1992年10月 | ホリクナザロフ外相等(旧ソ連支援東京会議) |
1996年10月 | アジモフ首相等(タジキスタン支援国会合) |
2000年3月 | ナザロフ外相等 |
2001年1月 | ヌリ・イスラム復興党党首 |
2001年2月 | ジヤエフ非常事態大臣 |
2001年2月 | ハイルロエフ下院議長 |
2001年5月 | ラフモノフ大統領(タジキスタン支援国会合、実務訪問賓客) |
2002年1月 | ナザロフ外相(アフガニスタン復興支援国際会議) |
2003年3月 | ラフモノフ大統領(第3回世界水フォーラム、実務訪問賓客) |
2005年9月 | ソリエフ経済大臣(万博賓客) |
2006年6月 | ナザロフ外務大臣(「中央アジア+日本」第2回外相会合) |
2007年12月 | ラフモン大統領(第1回アジア・太平洋水サミット、実務訪問賓客) |
7.二国間条約・取極
1994年4月7日 日本と旧ソ連邦間で結んだ条約の承継を確認
8.その他
1998年7月、秋野国連タジキスタン監視団(UNMOT)政務官を含む4人のUNMOT要員が、首都ドゥシャンベ東方の町ラビジャール近くで殉職。秋野氏は、日本政府が国連の要請に基づき、1998年4月よりタジキスタンに派遣していた。1999年3月16日タジキスタン最高裁判所は容疑者3名に対して死刑判決を下した。
2000年10月〜2001年11月、高橋博史前在ウズベキスタン大使館参事官を国連タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)に上級政務官として派遣した。