タイ王国
(Kingdom of Thailand)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年3月現在)
一般事情
1.面積
51万4,000平方キロメートル(日本の約1.4倍)
2.人口
6,338万人(2008年末)
3.首都
バンコク
4.民族
大多数がタイ族。その他、華僑、マレー族、山岳少数民族等
5.言語
タイ語
6.宗教
仏教94%、イスラム教5%
7.略史
タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ、その後アユタヤ王朝(14〜18世紀)、トンブリー王朝(1767〜1782)を経て、現在のチャックリー王朝(1782〜)に至る。1932年立憲革命。
政治体制・内政
1.政体
立憲君主制
2.元首
プミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ9世王)
(1946年6月即位)
3.議会
下院 480名(選挙区400名、比例区80名)
上院 150名(公選76名、任命74名)
4.政府
(1)首相名 アピシット・ウェチャチワ
(2)外相名 カシット・ピロム
5.内政
1997年に成立した憲法に従って、2001年1月に下院選挙が行われ、タイ愛国党の圧勝によりタクシン政権が成立した。2005年2月の下院選挙でもタイ愛国党は圧勝し、同党単独による第2期タクシン政権が成立した。
しかしながら、2006年2月、首相批判の高まりを受け、タクシン首相は下院を解散。その後、同年4月、主要野党ボイコットのまま下院総選挙が行われたが、後に司法当局は選挙を違憲・無効と判じる等の混乱が生じた後、同年9月、陸軍を中心とする政変によりタクシン政権が倒れ、スラユット枢密院顧問官が首相に就任した。
2007年8月、新憲法草案が国民投票で承認され、発効した。同年12月に行われた下院総選挙の結果、第1党となった国民の力党のサマック党首が2008年1月29日、首相に就任。その後憲法改正を巡って反政府活動が活性化し、同年8月には民主化市民連合(PAD)により首相府が占拠されるに至った。こうした中、サマック首相はTV番組への出演が司法当局により違憲とされたことから、9月9日に首相職を失職した。これを受け、ソムチャイ副首相兼教育相が後継者として首班指名を受け、9月25日に新政権が発足したが、PADによる反政府デモが激化し、バンコク国際空港等が占拠される事態となり、大きな社会混乱が生じた。そうした中、憲法裁判所は国民の力党の2007年の選挙違反が党ぐるみの行為と判断し、同党等を解党処分とする旨の判決を言い渡した。これにより、ソムチャイ首相は失職した。その後、野党民主党を軸に連立に向けた協議が行われた結果、アピシット民主党党首が首相に選出され、2008年12月22日、新政権が発足した。
アピシット政権成立後もタクシン元首相を支持する勢力(反独裁民主戦線、UDD、赤シャツ)は依然として活発であり政府批判を強めていた。2010年3月〜5月UDDは、国会の即時解散を求め、バンコク中心部において大規模な反政府抗議活動を展開。5月19日に政府によるデモ解散に向けた行動が実施され、UDD側はデモ終結を宣言した。この間、デモ隊と治安部隊との衝突により邦人1名を含む約90名の死者が発生した。その後、断続的に反政府デモ集会や爆弾事件等が発生しているものの、情勢は沈静化してきている。
外交・国防
1.外交基本方針
タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ、ASEAN諸国との連携と日本、米国、中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。
2.軍事力
(1)予算 1,690億バーツ(2009年度)
(2)兵役 徴兵2年、予備役20万人(2009年)
(3)兵力 正規30万6,600人(陸軍19万人、海軍7万6百人、空軍4万6千人)(2009年)
経済
1.主要産業
農業は就業者の約40%強を占めるが、GDP(2008年)では12%にとどまる。一方、製造業は就業者は約15%だが、GDP(同)の約36%、輸出額の約85%を占める。
2.GDP
2,639億ドル(名目、2009年)
3.一人当たりGDP
3,923ドル(2009年)
4.経済成長率
7.9%(2010年)(予測値)
5.消費者物価指数
104.5(2007年を基準年とする)
6.失業率
1.4%(2009年)
7.総貿易額
(1)輸出 1,524億ドル(2009年)
(2)輸入 1,336億ドル(2009年)
8.主要貿易品目(2008年)
(1)輸出 コンピューター同部品、自動車・同部品、宝石・宝飾品、精製燃料、集積回路
(2)輸入 原油、産業機械、鉄・鉄鋼、化学品、電気機械・同部品
9.主要貿易相手国・地域(2009年)
(1)輸出 1.米国 2.中国 3.日本 4.シンガポール 5.香港
(2)輸入 1.日本 2.中国 3.米国 4.UAE 5.マレーシア
10.通貨
バーツ
11.為替レート
1ドル=約34.33バーツ(2009年平均)
12.経済概況
タイ政府は、日本をはじめとする海外からの直接投資を梃子としつつ、工業化による輸出促進政策を推進した。かかる政策は奏功し、タイは1980年代後半から急速な経済発展を遂げた。その一方で、資本財、中間財等の輸入増大により、経常収支は恒常的に赤字であった。
バーツが米ドルにほぼ固定され、海外で調達された資金が不動産に流れ込むこと等によりタイ経済がバブル的な様相を呈する中、国際的投機筋の動きもあり、バーツ切り下げの圧力が高まった結果、1997年7月タイ政府は、変動相場制を導入、バーツは大きく売り込まれた。このような動きは他のアジア諸国に波及し、いわゆるアジア経済危機が発生した。タイ政府は、IMF及び日本をはじめとする国際社会の支援を受け、不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力し、タイ政府の財政政策を含む景気対策、好調な輸出などにより低迷を続けていた経済は、その後回復に転じた。
2001年2月に発足したタクシン政権は、従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え、農村や中小企業の振興策を打ち出した(「ドュアル・トラック・ポリシー」)。これらの内需拡大政策の効果と見られる個人消費の活性化等もあり、経済は2007年頃まで比較的高い成長を続けた(タクシン政権は、2006年9月にクーデターにより崩壊)。
2008年、内政の混乱に加え、リーマン・ショックに端を発した世界経済危機の外需減退を受けて、輸出が減速を始め、景気は低迷した。2008年、2009年の成長率は、それぞれ2.5%、−2.3%と近年にない低いものとなった。これに対しタイ政府は、大規模な財政支出による景気刺激策をとりつつ、経済の下支えを図った。その後、海外の輸出市場の景気回復にともない、タイ経済も回復。タイ政府は、2010年の成長予測を7.9%、2011年を3.5〜4.5%としている。
経済協力
1.日本の援助実績(2009年度)
(1)有償資金協力 44.6億円(E/Nベース)
(2)無償資金協力 2.3億円(E/Nベース)
(一般無償資金協力については、1993年度を以て卒業)
(3)技術協力実績 24億円(実績ベース)
二国間関係
1.政治関係
日・タイ両国は伝統的に友好関係を維持。皇室・王室間の交流も親密。近年、両国は二国間関係にとどまらず、東南アジア地域及び国際社会の諸問題についても緊密な対話と協力を実施している。1998年以降外交・防衛当局者協議を開催してきている。
2.経済関係
1980年代後半以降、日本企業は円高を背景に積極的にタイに進出し、タイの経済成長に貢献。現在、在バンコク日本人商工会議所への加盟企業は約1,300社を数える。1997年7月に顕在化した通貨経済危機に関し、日本は大規模な資金的・人的協力を実施。日タイ経済連携協定の発効により、両国の経済関係の更なる緊密化が期待される。またメコン地域開発を進める上での日本の重要なパートナーである。
(1)日本からタイへの輸出入
- (イ)貿易額(財務省貿易統計、単位:億円)
-
2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 輸出 16,485 18,537 21,922 24,776 26,651 30,093 30,514 20,697 輸入 13,145 13,759 15,253 19,625 19,625 21,536 21,522 14,952
- (ロ)主要品目
- 輸出 半導体等電子部品、鉄鋼、自動車の部品、原動機、自動車
輸入 音響・映像機器、魚介類及び同調整品、電算機類(含周辺機器)、半導体等電子部品、科学光学機器
(2)日本からタイへの直接投資(タイ投資委員会、認可ベース)
- 589憶バーツ(2009年)
3.文化関係
日、タイ間では、従来より文化人・青少年等の往来をはじめ伝統的音楽、舞踊の公演など各般にわたる文化面での交流が活発に行われている。
2007年は日タイ修好120周年に、また2009年は日メコン交流年に当たり、一年を通じて様々な事業が行なわれた。
4.在留邦人数
45,805人(2009年10月)
5.在日当該国人数
42,686人(2008年12月31日現在)(外国人登録者)
6.要人往来(2005年以降)
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
2005年1月 | 町村外務大臣 |
2005年8月 | 秋篠宮殿下 |
2006年6月 | 天皇皇后両陛下(タイ国王即位60周年記念式典) |
2007年3月 | 秋篠宮殿下 |
2009年1月 | 中曽根外務大臣 |
2009年4月 | 麻生総理、中曽根外務大臣(ASEAN関連首脳会議:中止) |
2009年7月 | 中曽根外務大臣 |
2009年10月 | 鳩山総理大臣(ASEAN関連首脳会議) |
2010年8月 | 岡田外務大臣 |
(2)来
年月 | 要人名 |
---|---|
2005年5月 | カンタティー外相(ASEM外相会合) |
2005年8月 | タクシン首相 |
2006年4月 | タクシン首相(非公式訪問) |
2006年5月 | カンタティー外相(タイ・フェスティバル) |
2006年8月 | シリントーン王女殿下 |
2006年10月 | チュラポーン王女殿下 |
2007年2月 | ニット外相(日タイ修好120周年開幕式典) |
2007年4月 | スラユット首相 |
2007年10月 | チュラポーン王女殿下 |
2007年11月 | ニット外相(日タイ経済連携協定(第1回合同委員会)) |
2008年1月 | ニット外相(日メコン外相会議) |
2008年5月 | ノパドン外相(タイ・フェスティバル) |
2008年9月 | チュラポーン王女殿下 |
2009年1月 | ソムサワリー王女殿下 |
2009年2月 | アピシット首相 |
2009年11月 | アピシット首相、カシット外相(日メコン首脳会議) |
2010年1月 | カシット外相(アジア中南米協力フォーラム) |
2010年10月 | シリントン王女殿下 |
2010年11月 | チュラポーン王女殿下 |
7.二国間条約・取極
修好宣言(1887年)
航空協定(1953年)、文化協定(1955年)、貿易取極(1958年)、技術協力協定(1981年)、青年海外協力派遣取極(1981年)、租税条約(1990年)、経済連携協定(2007年)、受刑者移送条約(2010年)