トーゴ共和国
(Republic of Togo)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)
一般事情
1.面積
56,785キロ平方メートル
2.人口
660万人(2009年 UNFPA)
3.首都
ロメ(Lome)
4.民族グループ
エヴェ族(約35%)をはじめ40の部族からなる
5.言語
フランス語(公用語)、エヴェ語、カブレ語他
6.宗教
伝統的宗教67%、カトリック18%、イスラム教10%、プロテスタント5%
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1884年 | ベルリン会議によりドイツ領(トーゴランド) |
1919年 | フランス委任統治(東トーゴランド) |
1946年 | フランス信託統治 |
1960年4月 | 独立・初代大統領にオリンピオ氏就任 |
1963年1月 | オリンピオ大統領殺害、グルニッキー大統領就任 |
1967年1月 | 軍事クーデター(エヤデマ中佐) |
1972年1月 | エヤデマ中佐が元首・大統領に選出 |
1979年12月 | エヤデマ将軍・第三共和国初代大統領に当選 |
1986年12月 | エヤデマ大統領三選 |
1991年8月 | コフィゴー首相の暫定政府 |
1991年12月 | 軍が首相を拘留、国民統合暫定政府 |
1992年3月 | 国民投票により第4共和制憲法採択 |
1992年11月 | 首都で無期限ゼネスト突入 |
1993年2月 | 首都市民20〜30万人が国内外に退避(ガーナ、ベナン等へ) |
1993年3月 | エヤデマ大統領襲撃事件 |
1993年7月 | 民主化に向けたワガドゥグ国際合意成立 |
1993年8月 | 大統領選挙(エヤデマ大統領再選) |
1994年2月 | 国民議会選挙で野党勢力勝利 |
1994年5月 | コジョ新内閣成立 |
1996年9月 | クルツェ新内閣成立 |
1998年6月 | 大統領選挙(エヤデマ大統領再選) |
2000年10月 | 内閣改造 |
2002年7月 | コフィ・サマ内閣成立 |
2002年10月 | 国民議会選挙 |
2002年12月 | 内閣改造 |
2003年6月 | 大統領選挙(エヤデマ大統領再選) |
2003年7月 | 内閣改造 |
2005年2月 | エヤデマ大統領逝去 |
2005年4月 | 大統領選挙(フォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣当選) |
2005年6月 | エデム・コジョ内閣成立 |
2006年9月 | ヤウォヴィ・アボイボ内閣成立 |
2007年12月 | マリ内閣成立 |
2008年9月 | ジルベール・フォッスン・ウングボ内閣成立 |
2010年3月 | フォール・ニャシンベ大統領再選 |
2010年5月 | 第2次ウングボ内閣成立 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
フォール・エソジンナ・ニャシンベ大統領
3.議会
国民議会
4.政府
(2010年5月付内閣)
(1)首相 ジルベール・フォッスン・ウングボ(Gilbert Fossoun HOUNGBO)
(2)外務・協力大臣 エリオットゥ・オイヌ(Elliott OHIN)
5.内政
1967年のクーデターでエヤデマ大統領が権力を掌握して以来、西アフリカでもっとも安定した国のひとつに数えられていた。1990年には民主化の動きが高まり、10月に与党RPT(トーゴ国民連合)が同年末の憲法改正国民投票実施を発表、1991年3月には野党支持派により首都で流血を伴う大衆デモが発生、その後も不穏な政治的暴力事件が続発、1993年2月には、軍の民衆への発砲から、ロメ市民の3分の1〜2分の1が国内外に退避。1994年2月に国民議会選挙が行われ、野党側が過半数の議席を獲得、同年4月に野党第2党のコジョ氏が首相に任命され、民主化プロセス開始。
1998年6月大統領選挙でのエヤデマ大統領再選をめぐり、与野党間の政治的緊張が高まり、EU等の仲介により、1999年7月末に与野党間合意署名、2002年10月に国民議会選挙実施。その後、憲法が改正され2003年6月の大統領選挙にはエヤデマ大統領に立候補の道が開かれ再選。2005年2月エヤデマ大統領が逝去し、大統領継承問題につき混乱がみられた後、アバス・ボンフォ氏(国民議会副議長)が暫定大統領に就任した。2005年4月の大統領選挙により、エヤデマ大統領の子息であるフォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣が大統領に就任。
2005年6月、穏健派野党のコジョ党首を首相とする国民和解内閣が成立(全閣僚の半数にあたる15閣僚が野党系)。2006年8月、連立に加わらない主要野党も含めた各政党間の和解対話の結果、包括的政治合意が実現し、9月、アボイボ内閣が成立。2007年10月には、国民議会選挙が民主的に実施され、12月にマリ内閣成立。2008年9月、マリ首相は、国際社会からの信頼回復という自らに課された任務を全うしたとして辞職し、ウングボ内閣が成立。なお、ウングボ首相は2005年12月より国連開発計画(UNDP)アフリカ局長を務め、TICAD IVの開催に尽力した人物である。2010年3月には、大統領選挙が平和裡に実施され、ニャシンベ大統領が再選した。
外交・国防
1.外交
穏健な非同盟中立路線が基調。1992年末以降の民主化の行き詰まりから主要国が援助を凍結。その後、1995年頃から徐々に再開されていたが、主要援助国は1998年6月に行われた大統領選挙を契機とする与野党の対立等、内政問題の推移を注視。アフリカ域内では、積極的に紛争の平和的解決に努力。リビア・チャド関係の正常化、モーリタニア・セネガル間の紛争調停、ナイジェリア・カメルーン国境紛争に関与する等、その外交手腕は評価されている。エヤデマ大統領は1997年にはザイール(現コンゴ民主共和国)紛争問題でモブツ、カビラ両派の会談を実現、また、1999年中はECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)議長としてギニアビサウ紛争、シエラレオーネ紛争、また、2002年コートジボワール危機仲介の役割を積極的に果たした。
2.軍事力
(1)予算 67百万ドル(2009年)
(2)兵役 (選抜)徴兵制(2年)
(3)兵力 8,550名(陸軍8,100名、海軍200名、空軍250名)、憲兵隊750名 (2010年)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
農業(綿花、カカオ、コーヒー)
鉱業(リン鉱石)
2.GNI
29億米ドル(2009年 世銀)
3.一人当たりGNI
440米ドル(2009年 世銀)
4.経済成長率
3.4%(2010年 EIU)
5.インフレ率
1.4%(2010年 EIU)
6.総貿易額
(1)輸出 825百万ドル
(2)輸入 1,292百万ドル
(2010年 EIU)
7.主要貿易品目
(1)輸出 セメント、燐鉱石
(2)輸入 石油製品、資本財、食品
(2008年 EIU)
8.主要貿易相手国
(1)輸出 ドイツ、ガーナ、ブルキナファソ、インド
(2)輸入 中国、仏、オランダ、インド
(2009年 EIU)
9.通貨
CFAフラン
10.為替レート
655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)
11.経済概況
農業がGDPの約40%、労働人口の約70%を占める。主要外貨獲得源であるリン鉱石、綿、コーヒー、カカオの国際市況低迷等の外的要因により財政赤字、対外債務等が厳しい状況にあったことに加え、1990年後半より、政治的混乱も加わり経済は更に落ち込んでいたが、1994年の通貨切り下げ後穏やかながら改善の方向にあった。IMF/世銀との間で1994〜1997年の拡大構造調整を行い、一応の評価を得ており、今後の経済再建が期待されていた。しかしながら、近年の食料及び燃料価格高騰や、主要産業である綿花やリン鉱石の市場価格の下落、2008年の南部における大洪水による被害が同国経済に与えた影響は大きい。
12.対外債務
16.4億ドル(2009年 世銀)
経済協力(単位 億円)
1.日本の援助実績
(1)有償資金協力(2009年度まで、EN(交換公文)ベース) 93.46
(2)無償資金協力(2009年度まで、EN(交換公文)ベース) 150.64
(3)技術協力実績(2009年度まで、JICAベース) 8.46
2.主要援助国
(1)フランス(127.68)、(2)蘭(13.2)、(3)英(9.0)、(4)独(8.44)、(5)スペイン(3.45) (日本0.33)
(2008年 単位:百万ドル)
二国間関係
1.政治関係
日本はトーゴ独立直後1960年4月27日に政府承認。
両国関係は要人往来の増加及び経済協力関係の強化により進展。同国内政の正常化を受けて、1996年よりトーゴの経済再建に向けて経済・技術協力を再開。
我が方公館: 在コートジボワール大使館(兼轄)
先方公館: 駐日トーゴ大使館 ボジョナ・アレワビア・デラリ・アクレソ臨時代理大使(2010年10月〜)
2.経済関係
(1)対日貿易(2009年貿易統計)
- (イ)貿易額
- 輸出 0.61億円
輸入 16.5億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 カカオ豆、卑金、再輸入品
輸入 アクリル・合成繊維類、乗用車
(2)進出企業(2010年) 2社
3.文化関係
文化無償により、1990年度教育・文化番組制作機材(国営テレビ局)を供与。
4.在留邦人数
1人(2009年3月現在)
5.在日当該国人数
22人(2009年現在)
6.要人往来
(1)往(1985年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1985年3月 | I.P.U(列国議会同盟)会議参加のため10名の衆・参議員団(団長:奥田敬和衆議院議員) |
2006年7月 | 日・AU友好議員連盟(三原朝彦、三ッ矢憲生、西村明宏、伊藤忠彦衆議院議員) |
(2)来(1985年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1985年1月 | アリピュイ財務相、アドド計画・工業相 |
1986年8月 | アドド計画工業相 |
1987年8月 | バルケ計画・鉱山相 |
1987年9月 | バルナボ国民議会副議長(弔問特使) |
1988年3月 | バルケ計画・鉱山相、バルナボ国民議会副議長 |
1988年12月 | バルナボ国民議会副議長(弔問特使) |
1989年2月 | エヤデマ大統領(大喪の礼) |
1989年4月 | エヤデマ大統領(非公式) |
1990年2月 | バルケ計画・鉱山相、ジョンド工業相 |
1990年11月 | エヤデマ大統領(即位の礼) |
1993年10月 | ヤンチャブレ計画相(TICAD アフリカ開発会議) |
1998年10月 | バルケ財務・民営化担当国務大臣(TICAD II(第2回アフリカ開発会議)) |
2001年12月 | プレ計画・国土整備、住宅都市計画大臣 |
2003年9月 | デババ・バレ経済・財政・民営化大臣(TICAD III(第3回アフリカ開発会議)) |
2008年5月 | マリ首相、ニネヴィ外相(TICAD IV(第4回アフリカ開発会議)) |
2009年2月 | エサオ外務・地域統合大臣 |
2010年11月 | エサオ大臣、外務・協力問題担当大統領顧問 |
2011年6月 | ニャシンベ大統領、エクエ計画・開発・国土整備担当大臣(MDGsフォローアップ会合) |
7.二国間条約・取極
1963年10月 貿易取極