チュニジア共和国
(Republic of Tunisia)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年3月現在)
一般事情
1.面積
16万3,610平方キロメートル(日本の約5分の2)
2.人口
1,043万人(2009年、世銀)
3.首都
チュニス
4.民族
アラブ人(98%)、その他(2%)
5.言語
アラビア語(公用語)、フランス語(国民の間で広く用いられている)
6.宗教
イスラム教スンニ派(多数派)、キリスト教およびユダヤ教(少数派)
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
紀元前9世紀より都市国家カルタゴとして栄えた。ベルベルとフェニキアの文化が融合する | |
紀元前146年 | ローマ帝国がカルタゴを征服 |
439年 | ゲルマン系ヴァンダル族がカルタゴを占領し、ヴァンダル帝国を建設 |
533年 | 東ローマ帝国のビザンチンがヴァンダル帝国を滅ぼし、ビザンチン文化が開花 |
7世紀 | アラブ侵入、イスラム化の始まり |
1574年 | オスマン帝国の属州となる |
1881年 | フランスの保護領となる |
1956年3月 | フランスより独立。翌年7月、共和制に移行し、ブルギバ大統領就任 |
1959年6月 | 共和国憲法発布 |
1987年11月 | ベン・アリ大統領就任 |
1989年4月 | ベン・アリ大統領当選 |
1994年3月 | ベン・アリ大統領再選 |
1999年10月 | ベン・アリ大統領三選 |
2004年10月 | ベン・アリ大統領四選 |
2009年10月 | ベン・アリ大統領五選 |
2011年1月 | ムバッザア暫定大統領就任 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首(暫定大統領)
フアード・ムバッザア(His Excellency Mr. Fouad MBAZAA)(2011年1月に暫定大統領に就任)
3.議会
2002年の憲法修正法により二院制に移行(それ以前は代議院のみ)
代議院(日本の衆議院に相当)
議席数214(地方区:161、全国区:53)
任期5年
評議院(日本の参議院に相当)
議席数126(大統領任命:41、地方自治体代表:43、労組代表:42)
任期6年(3年毎に半数改選)
4.政府
2011年1月、ムバッザア暫定大統領の下で新内閣が発足。
(1)首相 ベジ・カイド・エセブシ(His Excellency Mr. Beji CAID ESSEBSI)(2011年2月〜)
(2)外相 モハメド・ムルディ・ケフィ(His Excellency Mr. Mohamed Mouldi KEFI)(2011年2月〜)
5.内政
(1)独立以来のブルギバ大統領に引き続き1987年以降、ベン・アリ大統領は強力なリーダーシップを発揮し、近代化・西欧化を推進する一方で、社会主義運動及びイスラム過激主義運動を弾圧し、政治的安定を維持してきた。一方で、複数政党制を中心とした民主化の一層の推進が課題となっていた。
(2)2002年5月、大統領選挙の被選挙権に関する規定を含む憲法改正案が国民投票で可決。大統領の再選制限(4期以上は不可)が削除されるとともに、立候補年齢制限が75歳にまで引き上げられたことにより、ベン・アリ大統領(1936年9月3日生)は、2004年更には2009年の大統領選挙においても立候補が可能となった。2009年10月の大統領選挙及び総選挙でベン・アリ大統領は5選を果たし、与党は大勝した。
(3)2010年12月にチュニジア中南部で発生した貧困・雇用対策を求める大規模抗議デモを機に、チュニジア各地でデモが発生。住民と治安部隊の間で衝突が起きた。2011年1月、反政府デモ・暴動が急速に拡大・深刻化する中、ベン・アリ大統領は国外に脱出、憲法規定に従い、ムバッザア代議院議長が暫定大統領に就任。野党指導者を含む新内閣が発足したが、同新内閣の閣僚の多くがベン・アリ前政権時からの留任だったため、国民から強い反発を受け、1月27日、ガンヌーシ首相を含め前政権時の3名の閣僚のみを留任させた改造内閣が誕生。しかし、その後も、ベン・アリ政権下で11年以上首相を務めたガンヌーシ首相の退陣を要求するデモが断続的に発生し、2月27日に同首相は辞任。同日、ムバッザア暫定大統領は、ガンヌーシ首相の後任として、カイド・エセブシ氏(ブルギバ大統領時代の外相)を首相に任命。
(4)独立以来一貫して初等教育の普及と高等・専門教育の充実に力を入れている。義務教育対象年齢は6歳から16歳、期間は9年。また、女性の権利保障と社会進出を重視した法整備も進められてきた。特に、一夫多妻の禁止と世俗的法に基づいた離婚の権利(1956年)、女性の参政権(1959年)が保障されている。バースコントロールの普及にも積極的である。他方、ベン・アリ政権下では、言論・報道の自由、情報アクセスの自由の制限、政府による検閲等、政府による人権の抑圧が指摘されていたことから、これらの問題解決が新内閣にとっての課題となっている。
6.治安
(1)2002年4月、南部ジェルバ島において自爆テロが発生し、ドイツ人観光客14名を含む19名が犠牲となった。その後、当局の徹底した取締りによりテロは発生していなかったが、2006年末から2007年初めにかけて、チュニス市郊外において、治安部隊と武装集団の銃撃戦が発生した。報道によれば、当該武装集団はイスラム過激派とされている。
(2)2008年6月、チュニジア南西部のガフサ県ルディエフにおいて、失業者と治安当局との衝突が発生し、1名が死亡、20名以上が負傷した。チュニジア政府は直ちに軍を派遣し同地の治安は回復した。
(3)2010年12月から2011年1月にかけてチュニジア各地で実施された市民によるデモで、市民と治安部隊が衝突したことにより多くの死傷者が発生し、2011年1月以降非常事態宣言が発令されている。
外交・国防
1.外交基本方針
非同盟中立。米、仏等欧米諸国と緊密な関係。穏健かつ現実的な外交政策。中東和平プロセスを支持するとともに、アフリカ問題への関与にも積極的。かつては中東和平多国間協議をホストするなど、中東和平問題への関与も積極的であったが、近年目立ったイニシアティブは取っていない。また、サルコジ仏大統領の提唱で2008年7月に発足した「地中海のための連合(UPM)構想」を支持している。
2.軍事力(ミリタリーバランス2010年)
(1)予算 5億3,400万ドル
(2)兵役 徴兵選抜制(12か月)
(3)兵力 35,800名(陸軍27,000名 海軍4,800名 空軍4,000名)
3.主要外交問題
(1)近隣諸国との治安協力
毎年、チュニスにおいてアラブ内相会議を開催する等、近隣との治安協力体制の強化を図っている。2001年には、アルジェリアとの間で二国間軍事協力協定を締結した。また、アルジェリア、イタリアとの間で二国間軍事合同委員会を開催している。
(2)対欧米諸国との関係
チュニジアの輸出先の約76%(2008年)は欧州が占め、約2,500社のEU諸国企業(2008年)がチュニジアに進出している。今後は、EU諸国との更なる経済交流の拡大が目標。
2008年4月には、サルコジ仏大統領がチュニジアを国賓として訪問した機会には、約500名のチュニジア・フランス両国の経済人の参加を得て、チュニジア・仏経済フォーラムが開催された。
同9月には、ライス米国務長官が北アフリカ諸国訪問の一環として、チュニジアを訪問し、ベン・アリ大統領及びアブダッラー外相との間で、地域情勢、テロとの闘い等につき意見交換を行った。なお、チュニジアと米は、二国間通商・投資合同評議会及び防衛合同委員会を定期的に開催している。
(3)地中海諸国との関係
チュニジアは、仏が提唱した「地中海のための連合(UPM)」構想に賛同し、2008年7月にパリで開催された創設首脳会議にもベン・アリ大統領が参加。なお、当初、チュニジアはUPMの事務局候補地として立候補していたが、同事務局はバルセロナに設置されることとなった。
チュニジアは、北アフリカ5か国が加盟するアラブ・マグレブ連合(AMU)を通じた地域内経済交流の活発化、治安協力等を重視している。なお、AMU事務局長のポストは代々チュニジアが務めており、ベン・ヤヒア現事務局長はチュニジアの元外相である。
(4)中東和平問題への取組
チュニジアは1990年代に多数の中東和平に関する多国間協議を主催するなど、同問題に積極的に関与していた。1996年のネタニヤフ政権誕生後、チュニジアはイスラエルから利益代表を召還、その後1999年のバラク政権誕生を受けて利益代表の相互交換に合意していたが、2000年9月のイスラエル・パレスチナ間の衝突以降、再開計画は中断している。
パレスチナ解放機構(PLO)は、1982年にベイルートからチュニスに本部を移転したが、オスロ合意後の1994年にガザ地区に移転した。チュニジアは、アッバース・パレスチナ自治政府大統領を支持しており、2008年12月、イスラエルによるガザ地区攻撃の際も同攻撃を非難する声明を発表した。
(5)サハラ以南アフリカ諸国との関係
アフリカ連合(AU)およびアフリカ開発のための新パートナーシップ(NEPAD)を通じて、政治・経済的協力関係を築いている。また、現在まで、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ナミビア、ソマリア、ルワンダ、ブルンジ、コンゴの紛争に平和維持軍を派遣している。
経済
1.主要産業
(1)サービス業(46%)観光業、情報通信産業 等
(2)製造業(16%):繊維、機械部品、電機部品、食品加工 等
(3)農業(11%):小麦・大麦・柑橘類・オリーブ・なつめやし 等
※分野毎(サービス業、製造業、農業)の割合は、2009年の実質GDPに占める割合)
2.GNI
388億米ドル(2009年、世銀)
3.一人当たり国民所得(GNI per capita)
3,720米ドル(2009年、世銀)
4.経済成長率
3.1%(2009年、世銀)
5.物価上昇率
3.8%(2009年、世銀)
6.失業率
13.3%(2010年、チュニジア国立統計局:ILO基準)
7.総貿易額・主要貿易品目(2009年、チュニジア国立統計局)
輸出(FOB) 144億米ドル 機械部品、電機部品、衣類
輸入(CIF) 190億米ドル 機械、電化製品、原油、天然ガス
8.主要貿易相手国(2009年、チュニジア国立統計局)
輸出 (1)フランス(30%)、(2)イタリア(21%)、(3)ドイツ(9%)、(4)リビア(6%)、(5)英国(5%)
輸入 (1)フランス(20%)、(2)イタリア(16%)、(3)ドイツ(9%)、(4)中国(5%)、(5)スペイン(5%)
9.通貨
チュニジア・ディナール(TND)
10.為替レート
1米ドル=1.4326TND(2011年1月25日現在、チュニジア中央銀行)
11.経済概況
(1)2008年秋からの世界金融危機に対応するため、2010年5月、チュニジア政府は第11次経済社会開発5ヶ年計画(2007-2011年)を途中で総括した上で第12次経済社会開発5ヶ年計画(2010-2014年)に置換。但し、第12次計画は、2009年秋に実施された大統領選挙に当選したベン・アリ大統領(当時)の選挙公約を具体化する目的で作成されており、今後の第12次計画の継続性は不透明。
(2)1987年からのベン・アリ政権下で、チュニジアは着実な経済発展を遂げ、ここ数年は、年率5%程度の安定した経済成長を継続した。一方で、30歳以下が人口の過半を占める人口構成等に起因して、雇用対策、特に若年高学歴層の雇用対策が大きな課題となっていた。ベン・アリ政権は、外国企業の誘致や観光による地域開発を進めていたが、2010年の失業率は13.3%と依然として高く、特に最終学歴が大卒以上の失業率は、20%を超えている。
(3)2009年のチュニジア経済は、金融危機に伴うヨーロッパ実体経済悪化により、(1)経済成長の鈍化(2008年:4.5%→2009年:3.1%)、(2)失業率の悪化(2008年:12.4%→2009年:13.3%)、(3)輸出額の減少(2008年比18%減)、(4)観光客数の減少(2008年比2%減)等、の影響を受けた。
(4)1995年7月、EUとの間に自由貿易圏を設立する趣旨のパートナーシップ協定を締結し、2008年1月1日、工業製品に関する関税撤廃が導入された。また地中海地域アラブ諸国(モロッコ、エジプト、ヨルダン)との間でもFTA(The Arab Mediterranean Free Trade Agreement (通称:アガディール協定))を締結する等、経済の自由化を推進している。
経済協力
1.主要援助国(2008年 単位:100万米ドル 出典:OECD)
(1)フランス(160)、(2)日本(54)、(3)ドイツ(27)、(4)スペイン(16)、(5)ベルギー(8)
注1:支援総額は478
注2:支援総額には欧州委員会(EC)の230を含む
2.日本の援助(2008年度までの累計)
(1)有償資金協力 2,193.83億円(交換公文ベース)
(2)無償資金協力 36.72億円(交換公文ベース)
(3)技術協力実績 206.70億円(JICA経費ベース)
3.最近の主要案件
(1)有償資金協力(円借款)
- チュニス大都市圏洪水制御計画(2007年度)、総合植林計画(II)(2007年度)、首都圏通勤線電化計画(II)(2009年度)
(2)無償資金協力
- 南部地下水淡水化計画(2009年度、環境プログラム無償資金協力)
(3)技術協力
- 1. 技術協力プロジェクト: 品質/生産性向上プロジェクト(2009年〜2011年)
- 2. 第三国研修(南南協力): 廃水処理(イラク向け、フェーズ2)(2009年〜2011年)、イエメン向け水産学校教官養成(2009年〜2011年)、リプロダクティブヘルス・HIV対策(フェーズ2)(2009年〜2011年)
- 3. 地球規模課題対応国際科学技術協力: 乾燥地生物資源の機能解析と有効利用(2009年〜2014年)
二国間関係
1.政治関係
日本は1956年6月26日にチュニジアを承認し、1969年2月5日に在チュニジア大使館を開設。開発・国際協力担当相がほぼ毎年訪日している等、特にチュニジアからの要人来訪が盛ん。1985年以来定期的に「日・チュニジア合同委員会」が日本、チュニジアで交互に開催され、二国間関係全般、中東情勢、アジア情勢等について幅広い意見交換が行われている。
1985年12月 第1回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
1989年 3月 第2回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
1994年10月 第3回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
1998年 6月 第4回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
2003年 6月 第5回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
2008年 3月 第6回 日・チュニジア合同委開催(於 東京)
2010年 5月 第7回 日・チュニジア合同委開催(於 チュニス)
2.経済関係
(1)日本の対チュニジア貿易額(出典:財務省貿易統計、単位:億円、2009年)
- 輸入(CIF) 135(対前年比 ▲22%): クロマグロ (71)、衣類(38)
- 輸出(FOB) 80(対前年比 ▲33%): 自動車(15)、半導体(7)、農業機械(5)
(2)日本からの進出企業数 10社(現地法人化された企業を含む)
3.文化関係
(1)国費留学生の受入れ
(2)映画・TV番組・音楽・スポーツ交流
(3)文化無償協力の実施
(4)学術交流
(5)文明間の対話交流
(6)姉妹都市提携(瀬戸市・ナブール市等)
(7)NGO交流
4.在留邦人数
111名(2011年2月28日現在)(2011年1月に非常事態宣言が発令されて以降、発令時に175名いた在留邦人の一部はチュニジアを出国)
5.在日当該国人数
432名(2011年1月現在)
6.要人往来(肩書きは当時)
(1)往(1982年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1982年1月 | 渡辺蔵相 |
1982年6月 | 安倍通産相 |
1983年8月 | 竹内衆議院外務委員長、 桜内元外相 |
1988年6月 | 浜田外務政務次官 |
1991年6月 | 木部日・アラブ友好議連会長 |
1991年7月 | 森喜朗衆議院議員(公式訪問団) |
1992年10月 | 園田厚生政務次官 |
1994年3月 | 石橋日・チュニジア友好議連幹事長 |
1996年4月 | 森喜朗衆議院議員・衛藤征二郎衆議院議員 |
1996年6月 | 高円宮同妃両殿下(公式訪問) |
2000年9月 | 荒木総括政務次官 |
2001年1月 | 町村文部科学大臣 |
2001年5月 | 衛藤征二郎衆議院議員 |
2001年8月 | 衛藤征二郎衆議院議員、土屋品子衆議院議員 |
2002年5月 | 松浪外務大臣政務官 |
2002年9月 | 武藤元外相、松岡衆議院議員、西川衆議院議員 |
2003年7月 | 不破衆議院議員、緒方参議院議員 |
2003年9月 | 参議院公式訪問団(団長:本岡副議長) |
2003年10月 | 川口外務大臣 |
2004年3月 | 有馬政府代表 |
2004年5月 | 有馬政府代表、森元総理、杉浦衆議院議員、山本明彦衆議院議員(日AU友好議連) |
2004年8月 | 長浜衆議院議員、能勢衆議院議員、高橋千秋参議院議員(公式訪問) |
2004年8月 | 町村衆議院議員、渡海衆議院議員 |
2005年4月 | 河井外務大臣政務官、松田岩夫参議院議員 |
2005年11月 | 竹中総務大臣(世界情報社会サミット) |
2005年12月 | 衆議院予算委員会派遣議員団 |
2006年1月 | 河野衆議院議長(公式訪問) |
2006年7月 | 矢野哲朗参議院議員、椎名一保参議院議員 |
2006年8月 | 伊藤信太郎外務大臣政務官 |
2007年8月 | 西村康稔衆議院議員、山際衆議院議員 |
2008年3月 | 宇野外務大臣政務官 |
2008年7月 | 桜井環境副大臣 |
2008年7月 | 三原自民党国際局長一行(立憲民主連合(RCD)党大会参加) |
2008年7月 | 小池晃参議院議員(立憲民主連合(RCD)党大会参加) |
2008年11月 | 高橋千秋参議院議員 |
2009年6月 | 緒方JICA理事長 |
2009年12月 | 山東参議院副議長、家西悟参議院議員、木庭健太郎参議院議員 |
2010年1月 | 飯村政府代表 |
2010年7月 | 松下経済産業副大臣 |
2010年12月 | 前原外務大臣・大畠経済産業大臣(第2回日本・アラブ経済フォーラム) |
2010年12月 | 柳澤光美参議院議員、米長晴信参議院議員、佐藤正久参議院議員(参議院ODA調査団) |
(2)来(1990年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1990年6月 | ケリル外相 |
1990年11月 | カルイ首相(即位の礼) |
1991年6月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
1992年2月 | ナブリ計画相 |
1993年4月 | ハナシ国際関係・外国投資相付長官 |
1994年10月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
1994年11月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
1996年2月 | ベン・レジェブ農相 |
1996年5月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
1996年6月 | ムリカ環境・国土整備大臣 |
1996年7月 | ベン・アリ大統領(国賓)、ベン・ヤヒア外相、アブダッラー大統領府報道官 |
1998年4月 | ムバッザア代議院(下院)議長(衆議院招待) |
1998年5月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
1998年6月 | ファヤラ外務国務長官(第4回日・チュニジア合同委) |
1999年5月 | ガンヌーシ国際協力・外国投資相 |
1999年11月 | マウイ観光・余暇・伝統工業相 |
2000年3月 | フリーア通信相 |
2000年5月 | メルダッシ国際協力・外国投資相 |
2000年6月 | ムバッザア代議院(下院)議長(小渕総理葬儀) |
2000年10月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
2001年5月 | メルダッシ国際協力・外国投資相(投資セミナー出席) |
2001年11月 | ベン・ヤヒア外相(外賓) |
2002年2月 | メルダッシ国際協力・外国投資相(投資セミナー出席) |
2002年12月 | ベン・ヤヒア外相 |
2003年5月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2003年9月 | ガンヌーシ首相、ジュイニ開発・国際協力相(TICAD III) |
2004年5月 | ベン・ヤヒヤ外相 |
2004年6月 | ベン・ヤヒヤ外相 |
2004年7月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2005年4月 | ハッダード観光相 |
2005年5月 | ワーリイ通信技術相 |
2005年6月 | ガンヌーシ首相(愛・地球博)、ジュイニ開発・国際協力相 |
2005年10月 | テッカリ司法・人権相(大統領特使) |
2006年1月 | ケシュリッド保健相 |
2006年5月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2006年7月 | アブダッラー外相 |
2007年4月 | ジュイニ開発・国際協力相 |
2008年3月 | シティウイ外務国務長官(第6回日・チュニジア合同委) |
2008年4月 | カッラール評議院(上院)議長(参議院議長招へい) |
2008年5月 | ガンヌーシ首相、ジュイニ開発・国際協力相(TICAD IV) |
2008年10月 | ブウニ高等教育・学術研究・テクノロジー相(STSフォーラム、日本・アフリカ科学技術大臣会合) |
2009年7月 | アブダッラー外相(外賓) |
2009年10月 | エル・バスティ文化・遺産保存相(「古代カルタゴとローマ展」開会式出席) |
2009年12月 | ジュイニ開発・国際協力相(第1回日本・アラブ経済フォーラム) |
2010年10月 | テッカリ高等教育・科学研究相(STSフォーラム、日本・アフリカ科学技術大臣会合) |
2010年10月 | ムリカ首相顧問大臣(生物多様性条約COP10ハイレベル会合) |
7.二国間条約・取極
1956年 査証免除取極(日仏査証免除取極を独立後も継続)
1960年3月 貿易取極
1974年7月 青年海外協力隊派遣取極
8.二国間交流
(1)
日・AU(アフリカ連合)議員連盟チュニジア委員会(会長 森喜朗衆議院議員)
チュニジア・日本友好議員連盟(会長 カメル・シリギ代議院議員)
(2)
日本チュニジア協会(会長 小野安昭前駐チュニジア日本大使)
チュニジア日本友好協会(会長 ヌルディーンヌ・メジュドゥーブ元駐日チュニジア大使)