ウガンダ共和国
(Republic of Uganda)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年8月現在)
一般事情
1.面積
24.1万平方キロメートル(ほぼ本州大)(陸地面積19.7万平方キロメートル)
2.人口
3,270万人(2009年)(世銀)
3.首都
カンパラ(標高1,312メートル)
4.民族
バガンダ族、ランゴ族、アチョリ族等
5.言語
英語、スワヒリ語、ルガンダ語
6.宗教
キリスト教(6割)、伝統宗教(3割)、イスラム教(1割)
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1962年 | 独立(旧宗主国 英国) |
1963年 | 共和制移行 |
1966年 | オボテ首相によるクーデター(オボテ大統領) |
1971年 | アミン少将によるクーデター(アミン大統領) |
1979年 | アミン大統領失脚(ルレ大統領) |
1979年 | ルレ大統領失脚(ビナイサ大統領) |
1980年 | オボテ大統領復帰 |
1985年 | オケロ将軍によるクーデター |
1986年 | ムセベニ中将によるクーデター ムセべニ大統領就任 |
1996年 | 大統領・国会議員選挙。ムセべニ大統領当選。 |
2001年3月 | ムセべニ大統領再選 |
2001年6月 | 国会議員選挙 |
2006年 | 大統領・国会議員選挙(2月)。ムセベニ大統領三選。 |
2011年 | 大統領・国会議員選挙(2月)。ムセベニ大統領四選。 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ヨウェリ・カグタ・ムセべニ(Yoweri Kaguta Museveni)大統領(任期2011年まで)
3.議会
一院制
4.政府
(1)首相名 Amama Mbabazi(アママ・ムババジ)
(2)外相名 Sam Kutesa(サム・クテサ)
5.内政
(1) 独立以来、クーデター等が繰り返されたが、現在のムセべニ政権が1986年に発足して以来、政情は安定している。1996年5月、2001年3月に大統領選挙を実施し、ムセベニが再選された。
2000年6月の国民投票では与党「国民抵抗運動(NRM)」による一党統治体制が支持されたが、2005年7月の国民投票で複数政党制への回帰が決定された。また、同年8月には議会で憲法が改正され、大統領任期制限が撤廃された。これらを受けて、2006年3月複数政党制の下で大統領・国会議員選挙が実施され、ムセベニ大統領が三選を果たし、与党NRMが勝利した。
(2) 北部地域では、20年に及ぶ反政府組織「神の抵抗軍」(LRA)との戦闘が続いたが、ウガンダ国軍による相当作戦等の進展によりLRAは拠点を国外に移した。2006年8月以降、のウガンダ政府とLRAの間で南部スーダン政府の仲介による和平交渉が行われたが、LRA側が最終和平合意書への署名を拒否したため、ウガンダ・コンゴ(民)・南部スーダンの3か国による共同の軍事掃討作戦が行われ、LRAの勢力は縮小した。北部地域の治安回復に伴い、一時は200万人近くに達した国内避難民の大半が帰還。残る国内避難民の帰還促進と社会の復興・開発が課題となっている。
外交・国防
1.外交基本方針
アフリカ連合(AU)への参加を含めたアフリカ諸国との連携を図る一方、直接投資の誘致の観点から米国・EU等の先進諸国、更にインド、中国等アジア諸国との関係強化に努めている。また、タンザニア、ケニア等との間で地域内協力を推進しており、2001年1月に東アフリカ共同体(EAC)が発足(2006年11月にルワンダとブルンジが加盟し、現在は5か国)。2005年1月に発効したEAC関税同盟が、5年間の移行期間を経て2010年1月に完成した。 2009年11月にはEAC共通市場創設議定書(2010年7月開始)に署名し、より広範な市場統合を目指している。
周辺国との間では、スーダン南北和平の進展に伴って対スーダン関係が改善し、主要輸出先となっている。かつてウガンダ政府軍による軍事介入のため関係が悪化したコンゴ(民)との関係も、信頼醸成のための多国間枠組みの構築により改善されている。また、ソマリアに展開しているAUソマリア治安維持部隊(AMISOM)に対しては、部隊を派遣する等、東アフリカの安定に貢献している。
2.軍事力
(1)予算 230百万ドル(ミリタリー・バランス2011)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 約45,000人(ミリタリー・バランス2011)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
(農) 鮮魚、コーヒー、紅茶、綿花、タバコ
(鉱) 銅、コバルト、金
(工) 繊維、タバコ、セメント、砂糖、醸造
2.GNI
152億米ドル(2009年、世銀)
3.一人当たりGNI
460米ドル(2009年、世銀)
4.経済成長率
7.0%(2009年、世銀)
5.インフレ率
13.4%(2009年、世銀)
6.失業率
N.A.
7.貿易額(2009年)(世銀)
(1)輸出 37.52億ドル
(2)輸入 55.56億ドル
8.主要貿易品目(2010年)
(1)輸出 鮮魚、コーヒー、紅茶、綿花、タバコ
(2)輸入 石油・石油製品、車両、鉄鋼
9.主要貿易相手国・地域(2010年:ウガンダ統計局)
(1)輸出 スーダン(18.9%)、コンゴ(民)(15.2%)、ケニア(13.2%)、ルワンダ(8.5%)、UAE(5.6%)
(2)輸入 インド(14.5%)、ケニア(11.6%)、中国(8.8%)、UAE(8.3%)、日本(6.5%)
10.通貨
ウガンダ・シリング(U.shs)
11.為替レート
1米ドル=2,420 U.shs(2011年7月)
12.経済概況
独立以来、度重なる内乱により1980年代後半まで経済は混乱したが、1987年以降世界銀行・IMFの支援を得て構造調整政策を積極的に推進し、マクロ経済が安定し、サハラ以南アフリカにおいて最も成長率の高い国の一つとなった。包括的な国家開発計画である貧困撲滅行動計画(PEAP)の第1次改訂版(2000年)は、世界銀行・IMFから世界最初の貧困削減戦略文書(PRSP)として認定され、2000年3月に他国に先駆けて重債務貧困国(HIPC)イニシアティブに基づく債務削減が行われた。2004年には第3次PEAPを策定し、特に農産物を中心とした輸出産品の多様化、付加価値の付与を優先課題として貧困削減に向けた一層の努力を行ってきた。2010年4月に成長と雇用創出に一層重点を置いた5か年国家開発計画(NDP)を発表し、2010/11年度から実施。
2008年央以降は国際食糧・原油価格の高騰をきっかけとしてインフレ率が上昇、世界的景気後退による影響はあるが、経済は堅調に推移している。
経済協力(単位 億円)
1.日本の援助実績
(1)有償資金協力(2009年度までの累積、ENベース)195.4
(2)無償資金協力(2009年度までの累積、ENベース)459.87
(3)技術協力実績(2009年度までの累積、JICAベース)168.37
2.主要援助国(2008年、百万ドル)
(1)米(352.9) (2)蘭(82.9) (3)デンマーク(82.6) (4)アイルランド(80.9) (5)ノルウェー(75.0)
二国間関係
1.政治関係
年月 | 内容 |
---|---|
1962年10月 | ウガンダの独立とともに承認 |
1965年3月 | 在ケニア日本大使館兼轄 |
1973年12月 | 在京ウガンダ大使館開設 |
1986年2月 | 現ムセべニ政権を承認 |
1987年8月 | 在京ウガンダ大使館財政事情により閉鎖 |
1994年9月 | 在京ウガンダ大使館再開 |
1997年3月 | 在ウガンダ日本大使館開設 |
2.経済関係
(1)日本の対ウガンダ貿易(2010年)
- (イ)貿易額
- 輸出 161.13億円
- 輸入 4.27億円
- (ロ)主要品目
- 輸出 自動車(70.3%)、金属(20.1%)
- 輸入 ごま(32.2%)、魚介類(22.9%)、コバルト(21.9%)、コーヒー(10.9%)
(2)日本からの直接投資
進出企業 5社(シャツ・メリヤス加工、自動車)
3.文化関係
(1)日本より文化無償協力として、マケレレ大学に対する印刷機材(4,980万円、2003年度)、国立競技場に対し体育機材(4,800万円、1991年度)、国立文化センターに対し照明・音響機材(4,700万円、1988年度)、教育省に対し理科実験機材(2500万円、1980年度)を実施。
(2)マケレレ大学法学部長(1984年度)、キーリャ・マケレレ大学副学長(1988年度)招聘。
4.在留邦人数
265人(2011年7月現在)
5.在日当該国人数
486人(2009年12月末日現在登録者数)
6.要人往来
(1)往
年月 | 要人名 |
---|---|
1976年 | 木村俊夫元外務大臣 |
1985年 | 森山眞弓政務次官 |
1988年 | 浜田卓二郎政務次官 |
1999年 | 鈴木宗男官房副長官 |
2002年1月 | 人口問題議員懇談会(桜井新参議院議員他4議員) |
2004年8月 | 田中和コ外務大臣政務官 |
2006年7月 | 小坂憲次文部科学大臣 |
2006年8月 | 日AU友好議連東部訪問団(村田吉隆衆議院議員、北村誠吾衆議院議員) |
2007年2月 | 浜田昌良外務大臣政務官 |
2007年4−5月 | UNICEF議連(谷垣禎一衆議院議員、中森ふくよ衆議院議員、山際大志郎衆議院議員) |
2009年3月 | 福田康夫特派大使 |
2009年6月 | 橋本聖子外務副大臣 |
2010年7月 | 西村智奈美外務大臣政務官 |
(2)来(1987年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1987年 | ムキイビ外務大臣 |
1988年 | カブウェジェレ外務担当国務大臣 |
1989年 | キセカ首相・カブウェジェレ外務担当国務大臣(大喪の礼) |
1990年 | セモゲレレ外務(地域)担当国務大臣(即位の礼) |
1991年 | キヨンガ大蔵大臣 |
1993年10月 | ムセべニ大統領・ンカンギ大蔵大臣(TICAD) |
1994年9月 | ムセべニ大統領(公式実務訪問賓客) |
1998年2月 | カダガ地域協力担当国務大臣(EAC閣僚使節団) |
1998年10月 | クテサ計画投資担当国務大臣(TICAD II) |
1999年6月 | ンサドゥ情報担当国務大臣(非公式) |
2000年6月 | カテガヤ第一副首相兼外務大臣(小渕恵三前総理葬儀) |
2001年4月 | カテガヤ第一副首相兼外務大臣(大統領特使) |
2001年9月 | キヨンガ前保健大臣(感染症対策シンポジウム) |
2001年12月 | ワカパブロ第三副首相兼外務大臣(TICAD 閣僚会合) |
2002年4月 | ルグンダ水・土地・環境大臣(ナイル流域水閣僚円卓会議) |
2002年6月 | マクブヤ教育スポーツ大臣(非公式)、バソガ情報担当国務大臣(非公式) |
2003年3月 | ルグンダ水・土地・環境大臣、ムタガンバ水担当国務大臣、ミゲレコ・エネルギー担当国務大臣(水フォーラム閣僚会合) |
2003年9月 | ムセべニ大統領、ブティメ外務(経済協力)担当国務大臣、クテサ投資担当国務大臣兼財務・計画・経済開発大臣(TICAD III) |
2003年12月 | オタフィーレ水・土地・環境大臣 |
2004年8月 | ンシバンビ首相(鈴木善幸元総理葬儀) |
2004年11月 | クテサ投資担当国務大臣、キゴジ投資庁長官(TICADアジア・アフリカ貿易投資会議) |
2005年1月 | アリ第一副首相兼災害対策・難民問題担当大臣(国連防災世界会議) |
2005年9月 | ミゲレコ観光貿易産業大臣(万博賓客) |
2006年8月 | ンシバンビ首相(橋本龍太郎元総理、自民党・内閣合同葬儀) |
2006年10月 | オネック農業・漁業・畜産大臣、ババ副大統領府担当国務大臣 |
2007年7月 | カムントゥ産業担当国務大臣(オピニオン・リーダー) |
2007年8月 | カジュラ第二副首相兼公共サービス大臣(宮澤喜一元総理葬儀) |
2007年10月 | スルマ財務・計画・経済開発大臣 |
2008年5月 | ムセベニ大統領、クテサ外相、キネワカ貿易相、スルマ財務相、ナサシラ建設交通相(TICAD IV) |
2008年8月 | ムグメ外務次官 |
2009年6月 | クテサ外相(外務省賓客) |
2009年10月 | ムエシゲ農業・畜産・水産大臣 |
2010年3月 | ムスンバ地域協力担当国務大臣 |
2010年8月 | オケロ国際問題担当国務大臣(21世紀パートナーシップ) |
7.二国間条約・取極
青年海外協力隊派遣取極(1970年12月)(1999年8月改訂)
技術協力協定(2005年12月)
8.外交使節
(1)当該国駐箚日本国大使 皆川 一夫 特命全権大使(2011年4月より)
(2)本邦駐箚ウガンダ共和国大使 ワッスワ・ロッキー・ビリッグワ特命全権大使(2006年3月より)