ウルグアイ東方共和国
(Oriental Republic of Uruguay)

出典:外務省 各国・地域情勢(2011年7月現在)

一般事情

1.面積

17.6万平方キロメートル(日本の約半分)

2.人口

334万人(2009年、世銀)

3.首都

モンテビデオ(約140万人)

4.民族

欧州系90%、欧州系と先住民の混血8%、黒人系2%

5.言語

スペイン語

6.宗教

キリスト教(カトリック)が多数であるが、伝統的信仰を守る先住民も存在(憲法で信仰の自由を保障)

7.略史

年月 略史
1825年 独立宣言(8月25日、独立記念日)
1903年 バジェ大統領、民主主義政策、社会保障整備を推進
1973年 極左テロ鎮圧により軍部台頭、議会閉鎖(軍政化)
1984年 軍部及び政党関係者の合意により民政移管を発表
1985年3月 サンギネッティ大統領就任(コロラド党)(民政移管)
1990年3月 ラカジェ大統領就任(国民党)
1995年3月 サンギネッティ大統領就任(コロラド党)
2000年3月 バジェ大統領就任(コロラド党)
2005年3月 バスケス大統領就任(FA(拡大戦線)党(左派))
2010年3月 ムヒカ大統領就任(FA(拡大戦)党(左派))

政治体制・内政

1.政体

立憲共和制

2.元首

ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ大統領(任期5年、連続再選禁止)

3.議会

二院制(上院31名、下院99名、共に任期5年、上院議長は副大統領が兼任)

主要政党の議席数

上院 FA(拡大戦線)17、国民党9、コロラド党5
下院 FA(拡大戦線)50、国民党30、コロラド党17、その他2

4.政府

(1)首相名 なし(副大統領 ダニーロ・アンヘル・アストリ・サラゴサ)

(2)外相名 ルイス・レオナルド・アルマグロ・レメス

5.内政

 保守系二大政党であるコロラド党、国民党及び1970年代より伸長した左派勢力(拡大戦線)党)を基盤とする民主主義国。

 1973年から1985年まで軍事政権。その後サンギネッティ(コロラド党)、ラカジェ(国民党)、バジェ(コロラド党)各大統領は、民主主義の回復・発展、市場開放、財政改革等を中心とした政策を展開。

 2004年10月、大統領選・両院議会選が実施され、バスケスEP-FA総裁(進歩会議・拡大戦線党:現在のFA)が選出された結果、ウルグアイ初の左派政権が誕生した(2005年3月発足)。また、FAは、上下両院で過半数をおさえたほか、2005年5月の地方選挙でも勢力を更に拡大した。

 バスケス前政権は基本的に穏健な政策を展開。社会的弱者への対策を重視し、発足早々に弱者対策の実施を担当する「社会開発省」を創設し、「国家社会緊急行動計画」を策定。また、行政(省庁再編)、税制(所得分配公正化)、司法(手続簡素化)等の諸改革や地方分権化に重点的に取り組んだ。以て、貧困率の削減(2005年29.8→2008年20.3%)や実質賃金増大(2005年〜2009年21.8%増)の成果を得て、政権終盤の2010年2月時点で80%を超えていた。

 2009年11月の大統領選挙決選投票では、バスケス前政権での成果等を受け、かつて左派ゲリラであったムヒカ大統領が当選、2010年3月1日に大統領として就任した。ムヒカ政権は、「教育」、「治安」、「住居」及び「インフラ」を今政権中の主要課題として位置づけ、野党勢力にも配慮しつつ、国家改革(公務員改革)に着手。5か年予算計画案でも上記主要課題への予算配分に尽力するなど精力的な政権運営を実施してきた。他方、就任1年目は支持基盤の労組との関係が悪化し、争議数が前政権の2倍に増加するなど、国民生活にも影響が出る事態を招いた。また、農業、技術振興(農業・工業等)、観光、港湾などの地域的ハブ機能の拡大も進めている。

外交・国防

1.外交の概要

 小国の立場を踏まえた堅実外交を展開。緩衝国(バッファ・ステート)として、近隣の大国たるブラジル、アルゼンチンとの関係及び両国間でのバランス維持を特に重視。国連平和維持活動(PKO)に27,000人以上の要員を派遣(2009年11月末現在)するなど、メルコスール、米州機構(OAS)、リオ・グループ等の地域機構を通じた外交活動にも積極的である。また、イグレシアス米州開発銀行(IDB)前総裁、オペルティ第53回国連総会議長・前ラテンアメリカ統合連合(ALADI)事務局長(前政権の外相)、ラカルテ元世界貿易機関(WTO)上級委員会委員等、資質の高い国際人を輩出。

 なお、バスケス前政権では、欧米、中国等域外国との関係拡大を推進。特に米国とは、2007年1月にTIFA(貿易投資枠組み協定)を締結。同年3月にはブッシュ前米大統領がウルグアイを訪問し更なる経済関係強化に合意。オバマ政権樹立後もTIFA深化のための協議を継続している。ウルグアイは2011年7月からメルコスール議長国(2011年末まで)であり、EUとはメルコスールの枠組みでのFTA締結交渉を続けている。

 また、2010年12月に、前政権時に採用した地上デジタルテレビ放送EU方式を日本方式に転換した。

2.軍事力

(1)予算 4.3億ドル

(2)兵役 志願制

(3)兵力 陸軍16,234人、海軍5,403人、空軍2,984人(2010年ミリタリーバランス)

経済(単位 米ドル)

1.主要産業

農牧業(牛肉、羊毛、米等)、食品加工業、製造業(羊毛製品、皮革加工品等)、観光、金融

2.GNI

275億米ドル(2008年、世銀)

3.一人当たりGNI

8,260米ドル(2008年、世銀)

4.経済成長率

2007年 2008年 2009年 2010年
経済成長率(%) 7.4 8.9 2.9 8.5

(出所:世銀)

5.物価上昇率

2007年 2008年 2009年 2010年
物価上昇率(%) 8.5 8.8 5.9 6.9

(出所:世銀)

6.失業率

2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年 2010年
失業率(%) 16.9 13.1 12.2 11.6 9.6 7.9 7.6 5.4

(出所:ECLAC)

7.総貿易額

2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
(1)輸出 21.4 19.2 22.8 31.5 37.7 44.0 50.4 71.0 63.9
(2)輸入 29.2 18.7 21.0 29.9 37.5 49.0 50.6 86.5 66.6

(単位:億ドル、出所:ECLAC)

8.主要貿易品目

(1)輸出 肉類、米、皮革品、羊毛

(2)輸入 機械類、輸送機械、化学製品

9.主要貿易相手国(

(1)輸出 ブラジル、アルゼンチン、中国

(2)輸入 ブラジル、アルゼンチン、中国

(2009年、ウルグアイ中銀)

10.通貨単位

ペソ

11.為替レート

1米ドル=18.525ペソ(2011年6月)

12.経済概況

 1999年以降、ブラジル、アルゼンチンにおける経済危機がウルグアイ経済を直撃。これに国内での旱魃や口蹄疫の発生が重なり、ウルグアイ経済は2002年まで連続のマイナス成長を記録。その後、政府による銀行の整理及び国際機関等が金融救済策を提供したことにより、翌年には経済は回復の途についた。この経済危機を教訓として、バジェ政権以降、過度にメルコスールに依存しない対外経済の多角化を積極的に進めた。

 2005年に発足した左派バスケス政権は、前政権のマクロ経済政策路線を維持しつつ、対外債務の返済等国際的義務の履行に努め、国際的な信用も向上。順調に経済成長を続け、2008年9月の世界金融危機の影響を受けるも、2009年後半以降は回復基調に乗り、2010年の経済成長率は8.5%を記録した。

現ムヒカ政権は前政権の経済政策を基本的に踏襲。積極的な投資誘致や再生可能エネルギーの開発を進めているほか、牛肉や穀物の輸出拡大やブラジルの経済成長と建設ラッシュの影響もあり、ウルグアイ保税港及び保税地区を活用した物資輸送におけるハブ化を目指し、港湾及び道路等インフラ整備にも重点を置いている。

13.対外債務

141.9億ドル(2010年、世銀)

経済協力

1.日本の援助実績(2008年度までの累計)

(1)有償資金協力 71.66億円

(2)無償資金協力(E/Nベース) 9.65億円

(3)技術協力実績(JICAベース) 135.58億円

2.主要援助国

(1)西(12.3百万ドル) (2)独(4.0百万ドル) (3)日(2.5百万ドル) (3)仏(2.5百万ドル)(2008年)

二国間関係

1.政治関係等

 1921年9月24日外交関係樹立。1942年1月25日対日断交通告、1945年2月22日対日宣戦布告。1952年12月2日国交回復。経済協力や国際場裡での協力等を中心として友好関係を維持している。近年、経済分野を中心にウルグアイ側の対日関心が高まっている。

 2001年の外交関係樹立80周年には、バジェ大統領(当時)が訪日したほか、ウルグアイでの日本庭園建設等の記念事業・行事を実施。また2003年11月には、清子内親王殿下が皇室として初めてウルグアイを御訪問。2008年9月、高円宮妃殿下が日本人ウルグアイ移住100周年記念式典に臨席された。さらに、2009年12月にはバスケス大統領(当時)が来日し、その際にウルグアイへの太陽光パネル供与に関する合意がなされた。

2011年3月の東日本大震災の発生を受けて、ウルグアイ政府からはコンビーフ4,600缶の物資支援に加え、50万米ドルの義援金の寄付があった。

2.経済関係

(1)対日貿易(財務省貿易統計)

(イ)貿易額(単位:百万円)
   2002年 2003年 2004年 2005年 2006年
総額 10,354 11,693 12,706 14,849 20,678
日本からの輸入 6,543 6,782 6,843 5,953 7,932
日本への輸出 3,811 4,911 5,863 8,896 12,746
  2007年 2008年 2009年 2010年  
総額 20,213 24,652 13,552 16,629  
日本からの輸入 9,210 10,908 6,718 7,262  
日本への輸出 11,003 13,744 6,834 9,367  
(ロ)主要品目
輸出 羊毛、ラノリン、魚介類
輸入 自動車、合成ゴム、タイヤ

(2)日本からの直接投資
 累計47件 37百万ドル(1951〜2004年の累計)進出企業 4社

(3)国際金融機関等による資金協力

(イ)運輸セクター・ローン(世銀・JBIC協融)
 1989年4月 118億2,400万円(8,080万ドル)
(ロ)ウルグアイによる円建て私募債発行(サムライ債)
 1989年8月 25億円
 1994年10月 100億円
 2001年2月 300億円
 2007年3月 300億円
 2011年5月 400億円

3.文化関係

文化無償17件 計6.78億円(2009年度までの累計)

4.在留邦人数

388人(日系人約540人)(2009年)

5.在日当該国人数

119人(2010年)

6.要人往来

(1)往(1984年以降)

年月 要人名
1984年 北川外務政務次官
1985年 安田特派大使(サンギネッティ大統領就任式)
1986年 倉成外相、 田村通産相(GATT閣僚会議出席)
1990年3月 熊谷特派大使(ラカジェ大統領就任式)
1992年6月 竹下元総理
1995年3月 伊藤特派大使(サンギネッティ大統領就任式)
1996年7月 小川政務次官
2000年3月 谷特派大使(バジェ大統領就任式)
2001年8月 植竹外務副大臣
2003年11月 清子内親王殿下
2004年7月 有馬政府代表(ALADIへの日本側オブザーバー参加記念式典出席)
2004年12月 小野寺外務大臣政務官
2005年3月 河村特派大使(バスケス大統領就任式)
2008年9月 高円宮妃殿下(日本人移住100周年記念式典出席)
2009年2月 西村外務大臣政務官
2010年4月 郡司農林水産副大臣(WTOケアンズ・グループ閣僚会合)

(2)来(1989年以降)

年月 要人名
1989年2月 バリオス外相(大喪の礼参列)
1989年4月 ダブリェー予算企画庁長官(輸銀融資調印)
1989年6月 セルビーノ経済・財務相(私募債調印)
1989年9月 サンギネッティ大統領(公式実務訪問)、バリオス外相、セルビーノ経済・財務相
1989年11月 セルビーノ経済財務相
1990年11月 トマシーノ最高裁長官(即位の礼)
1991年7月 ブラガ経済財務相(IDB名古屋総会)、モンテスデオカ工業・エネルギー・鉱業大臣(訪日経済ミッション)
1992年10月 グロス外相(外務省賓客)
1993年9月 アブレウ外相(ガットウルグアイ・ラウンド説明)
1994年4月 アチェ工業・エネルギー鉱業大臣(訪日経済ミッション)、アエド予算企画庁長官(訪日経済ミッション)
1995年7月 ガスパリ農牧水産大臣(米・牛肉の対日輸出ミッション)
1997年1月 ラモス外相(在ペルー日本大使公邸占拠事件ウ国政府立場説明)
1997年10月 ラモス外相(第2回日本・メルコスール高級事務レベル協議)
1998年6月 サンギネッティ大統領(第5回日本IDB経済交流促進シンポジウム)
1999年2月 オペルティ外相(国連総会議長)
2001年4月 バジェ大統領(公式実務訪問)
2004年7月 ボルダベリ観光相(観光振興ミッション)
2005年4月 アストリ経済財務相(IDB沖縄総会出席)
2006年11月 レプラ工業エネルギー鉱業大臣
2009年2月 ペルドモ下院議長
2009年12月 バスケス大統領、バス外務大臣、ガルシア経済財務大臣、センディック工業・エネルギー鉱業大臣
2010年11月 クレイメルマン工業エネルギー鉱業相
2011年5月 ロレンソ経済財務相

7.二国間条約・取極

1934年 通商航海条約
1974年 査証免除取極
1989年 技術協力協定