ベネズエラ・ボリバル共和国
(Bolivarian Republic of Venezuela)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年4月現在)
一般事情
1.面積
912,050平方キロメートル(日本の約2.4倍)
2.人口
28.6百万人(2009年、IMF)
3.首都
カラカス(人口450万人)
4.民族
混血66%、白人22%、黒人10%、先住民2%
5.言語
スペイン語(公用語)
6.宗教
国民の大多数はカトリック
7.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1811年 | スペインより独立 |
1819年 | 大コロンビア共和国成立 |
1830年 | 同国から分離、ベネズエラ共和国として独立 |
1958年 | 民主制復帰、以後選挙により大統領を選出 |
1999年12月 | 新憲法発効により、国名がベネズエラ・ボリバル共和国となる。 |
政治体制・内政
1.政体
共和制
2.元首
ウゴ・チャベス・フリアス大統領
(1999年2月就任。2000年7月及び2006年12月に再任。任期は6年(2013年1月まで)、連続再選可)
3.議会
一院制(167議席、任期5年、連続再選可)
4.政府
(1)首相名 首相職無し
(2)外相名 ニコラス・マドゥ−ロ・モロス外相
5.内政
ベネズエラでは1958年以降、二大政党による民主的な政治体制が継続してきた。しかし、これら二大政党は、国内の貧困問題に対して効果的な政策を実施してこなかったことから、低所得者層を中心に国民の不満が高まっていた。1999年2月、低所得者層の高い支持を得てチャベス大統領が就任し、同大統領は国内の貧困及び犯罪増加は過去40年間の二大政党幹部による政治、司法の私物化、汚職が原因であるとして、新憲法制定を始めとする抜本的な政治改革を実行した。2000年7月には新憲法の下、大統領、国会議員、州知事等選挙を実施し、チャベス大統領が再選された。
チャベス政権の発足当初は、反政府勢力や伝統的支配層の抵抗から、チャベス大統領の改革は思うように進まず、2002年4月には一時暫定政権が発足するという政変劇が発生し、また、その年の12月には2か月に及ぶ大統領の罷免を求めるゼネストが発生するなど政情は不安定であった。しかし、同ゼネスト後、政府はベネズエラ石油公社(PDVSA)を掌握し、経済活動に対する国家管理が進んだ。その後、チャベス大統領は徐々に自らの支持基盤を整え、貧困層に対する支援活動を推進し、国民の高い支持を受けて2004年には大統領罷免国民投票で留任を勝ち取った。2005年12月の国会議員選挙においては、追いつめられた野党側が選挙直前に候補者を取り下げて選挙の正当性を否定し、反政府世論の再燃を狙ったが、結果的に国会議席を失い、国会は与党(ベネズエラ統一社会党:PSUV)が議席を独占することとなった。さらに2006年12月の大統領選挙では、チャベス大統領が国民の圧倒的な支持を得て再選された。
現在、チャベス大統領は「21世紀の社会主義」建設を標榜しつつ、現体制の強化を進めている。2009年2月、大統領を含む公選職にある全ての者の再選制限を撤廃する憲法修正を試み、その是非を問う国民投票で勝利したことで、2012年の大統領選挙に立候補することが可能となった。一方、2010年9月の国会議員選挙では、与党が勝敗ラインと考えていた3分の2以上の議席獲得には至らず、与党の国会議席を142議席から98議席に減らした。
外交・国防
1.外交基本方針
チャベス大統領は油価高騰を背景に石油を外交カードに用いつつ、多極的な外交を展開している。中南米地域に対しては、米主導の米州自由貿易地域(FTAA)に対抗して中南米独自の統合構想(米州ボリバル代替統合構想(ALBA))を提唱しており、現在、キューバ、ボリビア、ニカラグア、エクアドル等がこの構想に賛同している。また、近年、イラン、ロシア等との関係を強化してきている。
米国との関係は、政治面では、2002年4月の政変劇への米国の関与疑惑以降、チャベス大統領の対米批判は激化し、国際場裡において米国及びブッシュ大統領を名指しで非難するなど舌戦を展開した。オバマ政権に対しては関係改善の期待も見られるが、大幅な関係改善には至っていない。また、経済面においては、ベネズエラの原油輸出総量の約42%(2010年)が米国向けとなっており、近年減少傾向にあるものの、石油を中心とする両国の経済関係は依然密接である。
2.軍事力
(1)予算 約33億米ドル(2010年)
(2)兵役 2年間
(3)兵力 115,000人(陸軍63,000人、海軍17,500人、空軍11,500人、国家警備隊23,000人)
(「The Military Balance」2010年)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
鉱業(石油、鉄鉱、ボーキサイト)、石油化学、製鉄、アルミ製錬
2.GDP
2,852億ドル(2010年:IMF)
3.一人当たりGDP
9,773ドル(2010年:IMF)
4.GDP成長率
−1.9%(2010年:IMF)
5.物価上昇率
27.2%(2010年:ベネズエラ中銀)
6.失業率
8.5%(2010年:ベネズエラ国立統計院)
7.総貿易額
(1)輸出 642億ドル(2010年:ベネズエラ中銀)
(2)輸入 380億ドル(2010年:ベネズエラ中銀)
8.主要貿易品目
(1)輸出 原油及び石油製品、鉄鋼、アルミニウム
(2)輸入 工業用原料、機械、輸送機器、建築資材
9.主要貿易相手国
(1)輸出 米国、コロンビア、蘭、エクアドル、英
(2)輸入 米国、コロンビア、中国、伯、墨
10.通貨
ボリバル・フエルテ
11.為替レート
1米ドル=4.30ボリバル・フエルテ(2011年1月から:固定為替制)
12.経済概況
(1)資源
べネズエラは、世界有数の石油産出国であり、同国経済は石油収入に大きく依存している。石油の確認可採埋蔵量は1,723億バレル(2009年末)と世界第2位を誇り、メキシコに次ぐ中南米第2位の原油生産国である。またオリノコ川北岸には超重質油(オリノコタール)が存在し、それが可採埋蔵量に認められた場合、埋蔵量は世界一のサウジアラビアを凌駕する3000億バレルに達するとも言われる。さらに天然ガスの確認埋蔵量は5.67兆立方メートル(2009年)と世界第8位で、この他にも鉄鉱石、ボーキサイト、金、ダイヤモンド等を豊富に産出する。
(2)最近の動き
チャベス大統領は、2001年11月以降、炭化水素法、土地及び農村開発法など、国家経済の根幹に関わる49の法律を制定して改革を推し進めた。これに対し民間部門は強硬に反対し、2001年12月の12時間ゼネスト、2002年4月の政変(クーデター騒ぎ)、同年12月のチャベス大統領の罷免を求めた2か月に及ぶ大規模ゼネスト等が相次いで発生。その結果、2002年の経済実績は大幅に悪化した。その後は、石油価格の高騰に後押しされる形で経済成長を遂げたものの、2008年後半からは、国際原油価格の急落や国際経済危機の影響を受けた。
2006年1月には、チャべス大統領が「オリノコベルト超重質油プロジェクトを国家の財産とすべき」と発言、具体的には同プロジェクトに進出する各合弁企業におけるベネズエラ国営石油公社(PDVSA)の出資比率を60%以上に引き上げる大統領令を公布。また、2008年3月にセメント産業、同年4月に鉄鋼会社の「国有化」(共にベネズエラ政府を60%以上の筆頭株主とする合併会社に移行)を発表し、2009年5月には、石油関係事業の接収を可能にする法律の制定や製鉄関連企業の「国有化」を発表した。
また、同政権は2003年以降、資本流出防止の観点から為替管理を実施し、2008年までは原油価格上昇による豊富な石油収入を背景に1ドル=約6Bs.Fの並行為替レート市場に対し、1ドル=2.15Bs.Fの公定為替レートを維持した。しかし、2008年後半以降の原油価格低下もあり、2010年1月11日には、価格切り下げと二重為替制度(優先分野:1ドル=2.59Bs.F、その他:1ドル=4.29Bs.F)の導入を行い、2011年1月1日からは、二重為替制度も撤廃し、一律1ドル=4.30Bs.Fとした。更に、国家による為替管理の強化政策の一つとして、2010年5月、外貨獲得の代替手段となっていた外貨建て証券取引を中央銀行のみが取り扱えるよう法改正した。
(3)経済統合・自由貿易協定
チャベス大統領は、米国主導のFTAAに異議を唱え、中南米主導の米州ボリバル代替統合構想(ALBA)を提唱し、中南米における経済統合と政治統合の重要性を主張している。また、ベネズエラはメルコスールへの加盟を申請中である。さらに中南米地域のエネルギー統合実現のため、中南米諸国とエネルギーを巡る合意・取極めを結び、エネルギー分野での連携を進めている。
経済協力(単位 億円)
1.日本の援助実績
(1)有償資金協力(2009年度まで) 実績なし
(2)無償資金協力(2009年度まで、ENベース) 12.25億円
(3)技術協力実績(2009年度まで、JICAベース) 99.18億円
2.主要援助国(2008年、DAC)
(1)西 (2)米 (3)独 (4)仏 (5)日
二国間関係
1.外交関係
1938年8月19日 外交関係開始
1941年 断絶
1952年 外交関係再開
2.経済関係
(1)対日貿易
- 貿易額(2010年)及び主要品目(出典:財務省貿易統計)
- 対日輸出 92.5億円(アルミ地金、鉄鉱石、カカオ豆)
対日輸入 539億円(8割が自動車を含む機械機器)
(2)日本からの直接投資
- 7億7,000万ドル(2004年までの累計。2005〜2009年の累計は235億円(財務省国際収支統計)。)
3.文化関係
毎年1〜2月にかけ、日本文化週間を実施。
4.在留邦人数
472人(2010年10月現在)
5.在日ベネズエラ人数
323人(2009年12月末現在)
6.要人往来
(1)往(1984年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1984年2月 | 森下元晴特派大使(大統領就任式) |
1986年1月 | 桜内義雄衆議院議員、稲葉修衆議院議員 |
1987年9月 | 倉成正外務大臣 |
1989年2月 | 山下徳夫特派大使(大統領就任式) |
1990年7月 | 土屋参議院議長 |
1992年7月 | 皇太子殿下 |
1992年9月 | 小渕恵三衆議院議員 |
1993年4月 | 武藤外務大臣 |
1994年1月 | 山下徳夫衆議院議員(日本・ベネズエラ友好議連会長) |
1997年7月 | 逢沢一郎衆議院外務委員長 |
1999年2月 | 平沼赳夫特派大使(大統領就任式) |
2008年6月 | 西村康稔衆議院議員、山際大志郎衆議院議員、近藤基彦衆議院議員 |
2008年11月 | 西村外務大臣政務官 |
2009年10月 | 内藤総務副大臣(総理特使) |
2010年4月 | 武正外務副大臣 |
2011年2月 | 松下経産副大臣 |
(2)来(1985年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1985年 | ペレス元大統領 |
1987年5月 | アスプルア蔵相 |
1987年11月 | ウルタード投資基金総裁 |
1988年4月 | ルシンチ大統領訪日(国賓)(国交樹立50周年にあたる) |
1989年2月 | テヘラ・パリス外相(大喪の礼) |
1990年11月 | モラレス・ベージョ国会議長(即位の礼) |
1991年4月 | ロドリゲス経企相、シスネロス勧業相、トーレス投資基金総裁 |
1991年10月 | シスネロス勧業相 |
1991年12月 | スクレ・ガイアナ開発公社総裁 |
1992年10月 | パラ・エネルギー鉱山大臣 |
1993年10月 | オチョア外相(外賓) |
1995年10月 | マトス・アソカル蔵相 |
1996年8月 | ポレト投資基金総裁、イナティ・ガイアナ開発公社総裁 |
1997年2月 | ブレリ・リバス外相(外賓) |
1997年10月 | ペトコフ経済企画大臣、ロハス・パラ通産大臣 |
1997年12月 | アリエッタ・エネルギー鉱山大臣、マルティネス環境天然資源大臣 |
1999年10月 | チャベス大統領(非公式) |
2001年3月 | ガルシア・ベネズエラ日本友好議連会長一行 |
2002年9月 | ラミーレス・エネルギー鉱山大臣 |
2003年8月 | ロドリゲス・ベネズエラ石油公社(PDVSA)総裁 |
2004年5月 | ロハス・ベネズエラ石油公社(PDVSA)副総裁 |
2005年6月 | ファリア環境・天然資源大臣(博覧会賓客) |
2009年3月 | ラミーレス・エネルギー石油大臣 |
2009年4月 | チャベス大統領、ラミーレス・エネルギー石油大臣他 |
2009年5月 | ラミーレス・エネルギー石油大臣 |
2009年7月 | チャコン科学技術・中工業大臣 |
2009年9月 | モレホン観光大臣 |
2010年2月 | ラミーレス・エネルギー石油大臣 |
7.二国間条約・取極
1988年4月 技術協力協定
2000年10月 青年協力隊派遣取極