ジンバブエ共和国
(Republic of Zimbabwe)
出典:外務省 各国・地域情勢(2011年8月現在)
一般事情
1.面積
39万平方キロメートル(日本よりやや大きい)
2.人口
1,252万人(2009年 世銀)
3.首都
ハラレ(161万人:2009年世銀)
4.民族
ショナ族、ンデベレ族、白人
5.言語
英語、ショナ語、ンデベレ語
6.宗教
キリスト教、土着の伝統宗教
7.国祭日
4月18日(独立記念日)
8.略史
年月 | 略史 |
---|---|
1923年 | 英国の自治植民地としての南ローデシア成立 |
1953年 | ローデシア・ニアサランド連邦成立 |
1963年 | 連邦解体 |
1965年 | 白人スミス政権の一方的独立宣言 |
1968年 | 国連安保理対ローデシア経済制裁決議採択 |
1972年 | ローデシア解放団体、ゲリラ活動開始 |
1979年 | 独立に向けて平和的解決合意 |
1980年 | ジンバブエとして独立、ムガベ首相就任 |
1987年 | ムガベ大統領就任 |
1990年 | ムガベ大統領再選 |
1996年 | ムガベ大統領三選 |
2002年 | ムガベ大統領四選 |
2008年3月29日 | 総選挙(大統領選挙、上院・下院選挙、地方選挙)実施 |
2008年6月27日 | 大統領決選投票の末、ムガベ大統領が五選 |
2009年2月13日 | 包括的政府が成立(ムガベ大統領、チャンギライ首相) |
政治体制・内政
1.政体
共和制(複数政党制)
2.元首
ロバート・ガブリエル・ムガベ大統領(Robert Gabriel Mugabe)
1987年12月31日就任、2008年6月27日再任(5期目)、任期5年(2007年9月の「第18次憲法改正案」にて大統領任期が6年から5年に短縮)
3.議会
二院制
(下院:定員210人、任期5年、上院:定員93人、選出議員60人、任命議員等33人、任期5年)
4.政府
(1)副大統領名 ジョイス・ムジュル(Joice Mujuru)、ジョセフ・ムシカ(Joseph Msika)
(2)首相名 モーガン・チャンギライ(Morgan Tsvangirai)
(3)外相名 シンバラシェ・ムンベンゲグウィ(Simbarashe Mumbengegwi)
5.内政
(1)1980年の独立以来、ムガベ大統領(当初は首相)が政権の座にある。2002年3月に行われた大統領選挙は、ムガベ大統領(与党ZANU-PF)とチャンギライ野党MDC党首により激しく争われたが、ムガベ大統領が四選を果たした。選挙後、与野党間の対立が激化。2003年6月にMDCが計画した大規模な反政府デモに対し、政府は治安部隊の出動、MDCの党首逮捕などの強硬措置を発動した。
(2)2005年8月の憲法改正により、1987年に廃止されていた上院が復活。11月の上院選挙では、与党ZANU-PFが90%の議席を確保し、上院・下院でのZANU-PFの優位性が確保された。
(3)与党ZANU-PFと野党MDCの間の政治的対立が一層激化する中、2008年3月の大統領選挙では、いずれの候補者も過半数に及ばなかったため、ムガベ大統領(ZANU-PF)とチャンギライ党首(MDC)による決選投票が行われた。結局、チャンギライ党首が同決選選挙からの撤退を表明し、同年6月27日、ムガベ大統領が勝利を収めた。これに対し国際社会は、同選挙は公正・自由でなかったとして激しく非難し、G8北海道洞爺湖サミットでも、ジンバブエ情勢を懸念する声明が発出された。
(4)国際的な批判が高まり、アフリカ周辺国等の仲介努力が続けられた結果、2009年1月26-27日に南アにおいてSADC緊急首脳会議が開催され、1)2月11日までに、大統領(ムガベ現職大統領)及び首相(チャンギライ党首)が就任すること、2)2月13日までに他の閣僚等が就任し、与野党協働の政府樹立を完了させることが要請された。ジンバブエ与野党は最終的に同要請を受け入れ、2月11日、チャンギライ党首が首相に就任し、同13日に包括的政府が発足した。
(5)暫定的な枠組みである包括的政府は、与野党間で合意された政治合意(Global Political Agreement: GPA)に則り、各種政治改革を進めるとともに、新憲法制定を行うこととなっているが、新憲法制定プロセスは遅れている。
外交・国防
1.外交
(1)2002年3月に実施された大統領選挙プロセスが公正ではなかったとの監視団の報告を受け、英連邦はジンバブエの英連邦評議会への1年間の出席停止を決定、2003年末にはジンバブエは英連邦を脱退した。
(2)土地改革や各種選挙プロセスの混乱から、EU、米、英、豪、加、北欧諸国は、ジンバブエ政府高官の渡航禁止、資産凍結等の制裁措置を取っている。
(3)欧米諸国との関係悪化を受け、ジンバブエは「ルック・イースト」政策と称して、特に中国やイランとの関係を強化している。
(4)2009年2月の包括的政府成立以降、政権に入ったMDCを中心に欧米諸国との関係再構築を試み、国際社会に経済復興への支援を要請しているが、ZANU-PFは欧米諸国と対立を続けており、国際社会との関係正常化は進展していない。
(5) 他方、2008年に極度に経済情勢が悪化した影響で、食糧不足が発生し、医療・衛生、教育等の社会サービスも崩壊したため、各国は国際機関やNGO を通じた人道支援を拡大した。
2.軍事力
(1)予算 98.3百万米ドル(ミリタリーバランス2010)
(2)兵役 志願制
(3)兵力 総兵力 29,000(陸軍 25,000、空軍 4,000)
経済(単位 米ドル)
1.主要産業
(農)たばこ、綿花
(鉱)プラチナ、クローム、アスベスト、ニッケル、金
2.GNI
45.6億米ドル(2009年:世銀)
3.一人当たりGNI
360米ドル(2009年:世銀)
4.経済成長率
8.1%(2009年:政府発表)
5.物価上昇率
4.8%(2010年、政府発表)
6.失業率
約80%(2007年:政府発表)(実体は不明)
7.総貿易額(2009年:ジンバブエ中央銀行)
(1)輸出 20.39億ドル
(2)輸入 36.78億ドル
8.主要貿易品目(2009年)
(1)輸出 ニッケル、綿花、プラチナ、タバコ、園芸作物
(2)輸入 自動車、機械類、穀物、化学肥料、化石燃料
9.主要貿易相手国(2009年)
(1)輸出 南アフリカ(58.3%)、オランダ(9.0%)、スイス(8.2%)、モザンビーク(4.6%)
(2)輸入 南アフリカ(60.1%)、米国(7.8%)、ボツワナ(5.6%)、モザンビーク(4.1%)
10.通貨
2009年1月に、複数外貨制を導入し、主として米ドル、南ア・ランドを使用。ジンバブエドルの流通は停止。
(参考)2009年1月、ジンバブエドルと並び複数の外貨が法定貨幣として認められ、ジンバブエドルの流通は事実上中止されている。
11.経済概況
1990年代後半以降、脆弱なガバナンスと経済政策の失敗により、インフレ、失業、貧困等が続いていたが、2008年の大統領選挙を巡る混乱と過度の紙幣発行によるハイパーインフレーションによって、経済は完全崩壊した。2009年1月、政府は複数外貨制(米ドル、南ア・ランド)を導入し、また同年2月に成立した包括的政府のもとで、中央銀行の準財政活動等抑止、現金予算編成に取り組んだ結果、極度の経済混乱は収束し、12年ぶりに経済成長を記録した。ただし、資本の現地化に関する法律の施行や巨額の対外債務、財政問題等により不透明な状況が続いている。
経済協力
1.日本の援助実績 (2009年度までの累計)(単位:億円)
(1)有償資金協力 380.65億円(2009年度なし)
(2)無償資金協力 533.04億円(2009年度15.28億円)
(3)技術協力実績 159.43億円(2009年度1.1億円)
2.主要援助国(2009年、単位:百万米ドル)
(1)米(222.9) (2)英(89.24) (3)オランダ(29.75) (4)スウェーデン(24.85) (5)独(24.85)
二国間関係
1.政治関係
1968年 国連の南ローデシア制裁決議履行の一環として在ソールズベリー総領事館(1960年開設)を閉館
1980年 独立と同時に国家承認
1981年 在ジンバブエ日本大使館開設(5月2日)
1982年 在京ジンバブエ大使館開設(3月8日)
2.経済関係
(1)日本の対ジンバブエ貿易(2010年:貿易統計データベース)
- (イ)貿易額
- 輸出 13.6億円
輸入 45.2億円 - (ロ)主要品目
- 輸出 輸送機械(77.5%)
輸入 ニッケル(70.5%)、フェロクロム(19.5%)
(2)日本からの直接投資
- 進出企業 1社
3.文化関係
文化無償協力 ジンバブエ大学に対するLL及び視聴覚機材(1999年)
4.在留邦人数
74人(2011年7月現在)
5.在日当該国人数
99人(2010年12月末現在)
6.要人往来
(1)往(1980年以降)
年月 | 要人名 |
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1980年 | 山中貞則特派大使(独立式典) |
1981年 | 愛知和男外務政務次官 |
1984年 | 北川石松外務政務次官 |
1991年 | 鈴木宗男外務政務次官 |
1994年 | 東祥三外務政務次官 |
1995年 | 柳澤伯夫外務政務次官 |
1997年7月 | 小泉純一郎厚生大臣 |
2000年1月 | 矢野哲朗参議院外交防衛委員長 |
2006年7月 | 日・AU友好議連南部アフリカ訪問団(大野功統衆議院議員(団長)) |
(2)来(1980年以降)
年月 | 要人名 |
---|---|
1980年 | ムゼンダ副首相兼外務大臣 |
1981年 | ムガベ首相夫妻 |
1983年 | マサンゴ運輸大臣 |
1986年 | マングウェンデ外務大臣 |
1986年 | ンドロヴ工業技術務大臣 |
1987年 | チゼロ財務大臣 |
1987年 | カンガイ・エネルギー大臣 |
1989年 | ムゼンダ副大統領(大喪の礼参列) |
1989年 | ムガベ大統領夫妻(国賓) |
1990年 | ムレルワ環境観光大臣(花博)、ムゼンダ副大統領(即位の礼) |
1991年 | チゼロ大蔵経企開発大臣(LLDC東京フォーラム) |
1993年 | フングエ・マシンゴ州知事(オピニオン・リーダー招聘) |
1993年10月 | シャムヤリラ外務大臣(TICAD出席) マサヤ大蔵・経企・開発担当国務大臣(同上) |
1994年1月 | マコンベ国会議長(土井衆議院議長招待) |
1994年5月 | カリマンジラ情報・郵政・通信大臣 |
1995年8月 | ンコモ副大統領 |
1995年10月 | ゴーチェ外務副大臣(オピニオン・リーダー招聘) |
1996年5月 | ムデンゲ外務大臣(中国訪問途次立寄り) |
1996年10月 | チナマサ財務副大臣(オピニオン・リーダー招聘) |
1997年5月 | モンベショラ鉱業大臣(投資促進ミッション)、モヨ環境大臣(第3回気候変動枠組条約会議) |
1998年10月 | ホベ国家開発計画委員長(TICAD II出席) |
2000年6月 | マングウェンデ国務大臣(故小渕前総理葬儀参列) |
2001年12月 | マコニ財務・経済開発大臣(TICAD閣僚レベル会合) |
2003年9月 | ムデンゲ外務大臣、ムレルワ財務経済開発大臣(TICAD III出席) |
2005年4月 | ビーマ外務次官、ダマサネ女性・ジェンダー・コミュニティー開発副大臣(愛知万博) |
2007年10月 | ムチェナ科学技術大臣 |
2008年5月 | ムンベンゲグウィ外相、カセケ観光庁長官(TICAD IV出席) |
2009年10月 | ジノチキウェイ科学技術大臣(STSフォーラム) |
7.二国間条約・取極
青年海外協力隊派遣取極(1988年7月)
8.外交使節
(1)ジンバブエ共和国駐箚日本国大使
森田幸一(2008年9月16日着任)
(2)本邦駐箚ジンバブエ共和国大使
スチュアート・ハロルド・コンバーバッハ(2003年1月22日着任)