チェコ共和国
Czech Republic



出展 [外務省] [各国・地域情勢] 2002年7月23日 現在
一般事情
1.面積 78,866km2(我が国の約5分の1)
2.人口 1,026.9万人(2001年末現在)
3.首都 プラハ
4.人種 チェコ人94.4%、スロヴァキア人3.1%(西スラヴ)
5.言語 チェコ語
6.宗教 カトリック 39.0%、無信仰 39.9%
7.国祭日 5月8日(戦勝記念日)、7月5日(キリルとメソジウスの日)、7月6日(ヤン・フスの日)、9月28日(チェコ国の日)、10月28日(建国記念日)、11月17日(自由と民主主義のための闘争の日)
8.略史
9世紀 大モラビア帝国成立
10世紀 大モラビア帝国滅亡、ボヘミア王国成立
1620年 ハプスブルク帝国の支配下に 
1918年 第一次世界大戦後、チェコスロヴァキア共和国成立
1938年 ミュンヘン会談により、チェコスロヴァキア共和国崩壊
1939年 ボヘミア・モラヴィア地方はドイツの保護領に
1945年 第二次世界大戦後、独立回復
1948年 共産主義体制確立
1968年 「プラハの春」事件
1989年 民主革命(「ビロード革命」)により共産主義体制が終結
1993年 スロヴァキアと平和裡に分離・独立
政治体制・内政
1.政体 共和制
2.元首 ヴァーツラフ・ハヴェル(Vaclav Havel)大統領(98年2月2日就任、2期目、任期5年)
3.議会 2院制(下院200名 任期4年、上院81名、任期6年)
4.政府 (1)首相 ヴラジミール・シュピドラ(Vladimir Spidla)(2002年7月就任)
(2)副首相兼外相 ツィリル・スヴォボタ(Cyril Svoboda)(2002年7月就任)
5.内政
(1) 1989年の民主革命(「ビロード革命」)後、スロヴァキアのナショナリズムの高揚を背景に、1993年スロヴァキアとの連邦を解消し独立。
(2) クラウス中道・右派連立政権下においてマクロ経済は安定して推移したが、経済改革の進展は国民の痛みを伴わざるを得ず、1996年春の下院選挙では、左派の社会民主党(CSSD)が大躍進し、第二次クラウス政権は少数内閣となった。
(3) 1997年には銀行の経営破綻、経済犯罪の増加、通貨危機等が生じて内閣支持率はさらに低下し、同年11月には与党市民民主党(CDS)の政治献金疑惑をきっかけにクラウス政権は総辞職に追い込まれた。
(4) トショフスキー選挙管理内閣を経て行われた1998年6月の繰上選挙においては、CSSDが第1党となったものの、左派、右派とも決定的な支持を得られなかった。連立交渉の結果、第1党の左派CSSDと第2党の右派ODSとの間で、ODSが下院重要ポスト等を得る見返りに、任期期間中CSSDに対する信任・不信任決議に加わらないことを柱とする閣外協力協定が結ばれ、ゼマン社会民主党政権が成立した。
(5) CSSDは、2000年1月にODSとの「野党協定」を補足・強化し、政権基盤の安定を図ったが、同年11月の上院選挙(3分の1改選)及び地方選挙で惨敗し、大幅に議席を減らすこととなった。野党側では、ODSがCSSDに比肩する支持率を維持する一方、本年6月の下院選挙で躍進が予想されていた四党連合は、1月31日、市民民主同盟(ODA)の債務問題を原因として解消に至った。
(6) 2002年6月14日・15日に実施された下院選挙においては、CSSDが若干議席を減らしたものの、第一党の地位を維持した。同党はキリスト教民主連合一人民党及び自由連合一民主連合との間で政策協議・連立交渉を行い、7月15日にこれら3党からなるシュピドゥラ連立政権が成立した。
外交・国防
1.外交基本方針
(1) 「欧州への回帰」を大目標に、EU及びNATO加盟を目指し改革を進めてきた。
(2) 95年12月には、いわゆる移行経済国として初めてOECD加盟を実現。
(3) NATOとの関係では、99年3月に正式加盟。
(4) EUとの関係では、95年2月に連合協定が発効、96年1月に加盟申請。98年3月から進められている加盟交渉は、交渉分野29章のうち、既に25章につき交渉を終了している。
2.軍事力 (1)予算 11億2,800万ドル(2001年GDPの2.2%)
(2)兵役 12ヶ月
(3)兵力 4万8,139人
経済
1.主要産業 機械工業、化学工業、観光業
2.GDP 508億ドル(2000年)
3.一人当たりGDP 4,950ドル(2000年)
4.経済成長率 2.9%(2000年)
5.物価上昇率 3.9%(2000年)
6.失業率 8.8%(2000年)
7.総貿易額 (1)輸出 289億7,900万ドル(2000年)
(2)輸入 322億4,400万ドル(2000年)
8.主要貿易品目 (1)輸出 工業半製品、機械・輸送用機器、化学品
(2)輸入 機械・輸送用機器、工業半製品、原燃料、化学品
9.主要貿易相手国(2000年) (1)輸出(%) ドイツ(40.4)、スロヴァキア(7.7)、オーストリア(6.0)、ポーランド(5.4)、イギリス(4.3)
(2)輸入(%) ドイツ(32.3)、ロシア(6.4)、スロヴァキア(6.0)、イタリア(5.1)、フランス(4.9)
10.通貨 チェコ・コルナ(Kc)
11.為替レート 1ドル=38.6コルナ(2000年平均)
12.経済概況
(1) 1989年の民主革命後、市場経済への移行をめざした経済改革を実現。
(2) 1993年のスロヴァキアとの分離を経て、1994年には経済成長率がプラスに転じる等順調な成長を遂げる一方、低い失業率、安定したインフレ率を維持し、「チェコ経済の奇跡」と呼ばれた。
(3) しかし、その後法制度の未整備等を背景に不正蓄財の横行、不良債権の蓄積、通貨危機等さまざまな問題に直面した。
(4) 一時深刻な不況に陥ったチェコ経済は、1997年から1999年まで3年連続マイナス成長を記録したが、直接投資の拡大が景気を引っ張る形で設備投資全体が回復し、1999年第3四半期に前年同期比でプラスに転じ、通年で見ても2000年は2.9%と4年振りのプラス成長となった。
経済協力(単位 億円)
我が国の援助実績(99年度までの累計) (1)対チェコスロヴァキアODA
 (イ)有償資金協力 なし
 (ロ)無償資金協力 0.91億円
 (ハ)技術協力実績 5.96億円
(2)対チェコODA
 (イ)有償資金協力 なし
 (ロ)無償資金協力 3.43億円
 (ハ)技術協力実績 3.72億円
二国間関係
1.政治関係 (1)両国関係は、旧チェコ・スロヴァキア時代から良好。89年末の民主革命後、両国関係は急速に拡大した。
(2)我が国は93年1月1日のチェコ独立と同時に同国を承認し、同1月29日に外交関係を開設した。
2.経済関係 (1)我が国の対チェコ貿易(2001年)
   (イ)貿易額
      輸出 317.46億円
      輸入 209.39億円
   (ロ)主要品目
      輸出 自動車、電気機器、一般機械
      輸入 機械機器、ホップ、ガラス製品
(2)我が国からの直接投資 主要事例:TV製造、フェロバナジューム製造、半導体セラミック製造等
3.文化関係  両国の文化交流は、伝統的にさかんであったが、近年飛躍的に活発になっている。
(1)国費留学生22人(2000年5月1日現在の在籍者数)
(2)文化無償供与(最近の例)国民美術館への視聴覚機材(99年度)、ブルノ交響楽団への楽器(2000年度)、オストゥラヴァ市モラヴィア・シレジア国民劇場への録音機材(2001年度)
(3)姉妹都市関係(ピルゼン市と高崎市、カルロヴィ・ヴァリ市と群馬県草津町、プラハ市と京都市、ウヘルスキー・ブロット市と群馬県月夜野町)
4.在留邦人数   558人(2001年10月)
5.在日チェコ人数 164人(2000年12月)
6.要人往来(93年以降)
(1)我が方より
 1994年12月 松永政府代表
 1995年9月 衆・外務委員会調査団
 1996年8月 河野前外相
 1996年9月 武藤元外相/日・チェコ友好議連会長
 1996年10月 清子内親王殿下
 1997年8月 池田外相
 1997年8月 斎藤参議院議長
 2000年9月 宮澤蔵相・速見日銀総裁
(G7.IMF.世銀総会)
 2001年7月 田中外務大臣
 2002年7月 天皇皇后両陛下
(2)チェコより
 1995年12月 ハヴェル大統領(民間招待)
 1996年9月 クラウス首相(公式実務訪問)
 1996年10月 ドロウヒー商工相
 1997年12月 ピトハルト上院議長(参議院招待)
 1999年5月 カヴァン外相(外務省賓客)
 1999年10月 ハヴロヴァー大統領夫人
 2000年6月 ハヴリーチェク上院第一副議長
 2001年4月 下院外務委員会代表団
 2002年2月 ルスノク財務省
7.二国間条約・取極
1957年 国交回復に関する協定(同年発効)
1976年 文化交流取極(同年発効)
1977年 二重課税回避条約(1978年発効)
1978年 科学技術協力取極(同年発効)
1983年 外交官等に対する数次査証付与取極(1984年発効)
1992年 貿易協定(同年発効)
1996年 外交・公用旅券所持者の相互査証免除取極(同年発効)
1998年 一般旅券所持者に対する査証免除関する口上書交換
8.外交使節 (1)駐チェコ日本国大使 石田寛人特命全権大使
(2)駐日チェコ大使 カレル・ジェブラコフスキー特命全権大使