宇和島への旅
1995年12月18日(月)〜22日(金)
瀬戸大橋から四国の宇和島、足摺岬、室戸岬、瀬戸大橋経由で知多半島へ
勤続20年目の休暇を利用して、司馬遼太郎「花神」の主人公大村益次郎が一時暮らした宇和島を訪問する。そして、足摺岬、室戸岬をまわる。
23日に自分が幹事の忘年会が午後6時からなので、そのときまでには東京に戻る必要があった。
1日目:東京から瀬戸大橋
足立区に車を取りに行き綾瀬を9時ごろ出発。首都高を抜け、中央高速から関西へ。諏訪湖から伊那を抜けて名古屋へ抜けるのは初めてだ。
新宿を抜けたのが11時近く。談合坂で昼食。諏訪湖近くで眠くなりどこかのSAで昼寝。(以後もそうなのだが、初日は体がドライバーになっていないので、少し運転すると睡魔に襲われる。)
意外なことだが、東名でも甲州まわりでも距離はほとんど同じなのか、名古屋の小牧までの金額はどちらまわりでも同じである。
東名への合流が午後5時過ぎになってしまったため、まず、名古屋周辺のところで渋滞に巻き込まれ、そして、京都近くで大渋滞、その後、大阪の吹田付近でも渋滞でそこを抜けたのが8時過ぎ。
大藪春彦先生のハードボイルド小説だと5時間もかけないで東京・大阪を駈け抜ける。
山陽道に抜けて、瀬戸大橋の手前のSA(鴻ノ池SA)に午前1時ごろ着いて車中泊。シュラフの中で毛布にくるまっていても寒い。
2日目:瀬戸大橋から宇和島
目がさめて、もやばかりである。
瀬戸大橋のなかばにあるSAで讃岐うどんで朝食をとる。松山自動車道の松山の郊外まで。
観音寺を超えるとほとんど山の中を走った。途中のSAで宇和島のビジネスを予約。松山の道後温泉本館(ぼっちゃんで有名)で入浴する予定であったが、運悪く、年に1回あるかどうかの掃除の日に当たって休日であることが判明。
そこで、高速を降りて、松山市内に入ることなく、宇和島に直行した。が途中での一服(喫茶店でケーキをゆっくり食べた)が長かったためと、松山から宇和島まで遠かった。(約90kmある)
大洲から宇和島までは山道である。夜だと恐い。(このあと全国をまわって気がつくのだが、日本の街の多くは、山と山の間や海岸線の谷間にあって、日本は山ばかしだなあと感心する。)
着いたら午後5時を過ぎていた。
3日目:宇和島市内観光
一日名所?巡り。宇和島城、伊達博物館、大村益次郎居宅跡、?、宇和島商店街、駅前など。
宇和島城の敷地は広いが、天守閣は小さい。博物館では、オフシーズンの平日で観光客が居らず、私一人なので、時間を持て余しお節介好きな係員から声をかけられて、延々とご来賓のように展示物の説明を受けてしまった。
説明を受けるとわかるが、それそれの展示物には由来などがあるものだなあと感心する。しかし、通常はそのような説明が無いので、入館料が高いと不満に思ってしまう。オフシーズンの観光の良いところである。
大村益次郎居宅跡には、案内板だけしかなかった。
宇和島は、東京や江戸から遠い。江戸時代は、海運が主要な交通手段であるから、海辺にある宇和島では、現在ほど交通の便が悪いとは感じられなかったのではないか。
鉄道や自動車や飛行機が登場して、かえって宇和島が遠い存在になった。
日本全国で見ると、宇和島と同じような存在が沢山あるのではないか。北海道の松前とか日本海側の酒田とか山陰の諸都市などである。
4日目:宇和島―足摺岬―室戸岬―京都
朝7時の出発。宇和島から足摺岬までは遠い。御荘、宿毛、土佐清水を経由して行くことになるが、なぜか、喫茶店に目が行き、ゆっくりモーニングサービスを食べて、漫画を読んでしまった。1時間あまりいたことになる。先を急がないのだからと思っていたが、危うく室戸岬へは夜になるところであった。
四国も広い。土佐清水から半島の先端まで足摺スカイラインで行き、突き当りが足摺岬である。
灯台大好き人間の私は、何がなくても灯台があると見学する。ここ、足摺岬の灯台の側の展望台に上ると太平洋が一面に広がっている。途中の海岸線も見晴らしはすばらしい。冬なので寒く、平日なので観光客はほとんどいない。
日本全国を走ってみて、どこも海岸線の景色はすばらしい。どこが日本一とは私には決められない。
しかし、ここは不便だ。宇和島から110キロ程度ある。車でもないと難しい。
「乗り換え案内」で検索したところ、一番速い方法は次のようだった。
「飛行機で松山空港にきて、松山から宇和島まで特急。そこからバスで御荘、宿毛、土佐清水とくる」
以上の難点は、バスの本数が少ないことである。乗り換えの時間や待ち時間を除いても、優に5時間以上かかる。ガイド本では、宇和島からの定期観光バスの連絡はない。中村市からしか足摺岬への定期観光バスがないが、私が行った時12月の平日には運航がなかった。そして、ここから室戸岬にでるとなるとバスと電車だけでは時間がかかりすぎる。
そんなこんな考えて、東京から車で行こうと思い立ったのである。それだけに、足摺岬の灯台の展望台に立てて感激である。
同じ道をもどるのはつまらないので、海岸線の一般道を通ることにした。狭くて、崖ぷちも通る。よくバスが通っているものと思う。オフシーズンでよかった。対向車がきたら大変である。
土佐の中村市は、竹下景子主演の映画「旅の重さ」の舞台である。しかし、時間がないので通るだけ。
道路沿いのうどんやで昼食を取る。釜揚げも安い。が、それだけでは注文しづらいので、天ぷらをつけた。
室戸岬までは、高知市から90キロ程度の距離がある。中村から高知まで120キロ弱。関東圏で考えると、時速30キロでも走れないので、一般道なら気の遠くなるほどの距離である。ここは四国なので大丈夫と思っていたが、高知を抜けるところで渋滞にあたり、室戸岬についたのが夕方の5時近くになっていた。日没は東京より30分は遅いのでまだ明るかった。
室戸岬灯台は、観光用の灯台ではなく、現役として活動している灯台だった。中に入れないので、近くまでいって灯台の写真をとり、灯台の下にある室戸岬展望台から眺めた。ここも見晴らしは素晴らしい。室戸スカイラインの展望台へもまわってみた。
今回の旅は、室戸岬が分岐点。ここから東京へ戻ることになる。徳島をまわって帰りたいが、明石大橋ができておらず、時間の計算もできないので、高知から高速道路を通って帰ることになる。
夕食は、坂本竜馬で有名な桂浜でと思っていたが、高知市街からかなり離れており、高知までの国道から離れ桂浜までの道は、田んぼの中を走るだけで不安になる。有料の橋を渡って桂浜に着いてみたら、桂浜駐車場は真っ暗だった。坂本竜馬像がどこにあるかわからず、食堂なども開いていなかった。あとで確認したことだが、高知は河口の奥に位置しているので、桂浜から高知の市街地まで歩いてすぐという関係ではない。
途中のドライブインで夕食をとり、帰路につく。往路、大阪・京都を抜けるときに渋滞にあったので、それを避けるため今日中にできるだけ走ることにした。
高速に入って驚いた。雪が降ってきたのである。夜なので高さがわからないが、それなりの高地を走っているらしく、雪が降り続いている。後日地図をよく見たら、四国は山ばかしである。西日本は温かいという先入観を持っていた私は、チェーンを持ってきていなかった。スリップしないように祈りながら大型トラックの後ろをじっと走る。四国山地を抜けると、雪が止んだ。瀬戸内海はやはり温かい。瀬戸大橋を行きも帰りも晴れた状態では渡れなかった。
結局、京都のSAまで走った。やはり車中泊。
5日目:京都―知多半島―東京
寒くて朝目がさめた。雪である。朝食もそこそこに、退散である。うまい具合に駐車場からスリップすることなく、本線に入ることができた。
東京−大阪間は、高速の主要道なので交通量は多い。雪が強くなり、車のわだち部分以外は、雪が積もっている。止まったらどうしようと思いながら、チェーンが必要な北陸道で帰ることを断念。関が原あたりが一番雪が強かった。養老SAあたりで雪が止んだ。
知多半島へ行こう、と急遽予定を変更した。京都が雪だからといって、急いで帰る必要がないからである。伊良湖までは何回か行ったことがあるが、知多半島には行ったことがない。
豊田インターで降りる。渋滞である。道もよくわからない。やっと知多半島に入ったら、そこは名古屋のベッドタウンであった。「下天は夢か」の織田信長時代の知多半島を思い出させるものは何もない。もっと田舎田舎していると思っていたからである。半島の先端までいって昼食をとって、帰ることにした。
名古屋あたりまでくると、車中泊する気になれない。少し無理をすると東京へ帰れるからである。1日早い帰宅で今回の旅が終了した。
帰ってみて振りかえると、四国の宇和島まで車で行くのは尋常ではないとつくづく思った。職場の人間に話しても、なんてアホな人間だなあ、と見られているのを痛感した。
しかし、これが日本一周の始まりになるとは予想だにしていなかった。