第1日目(8月21日)

出発まで

 イタリア旅行へは、4月末に決めた。退職が自主退職ではなく、勧奨扱いになりそうなことが判明し、退職金が若干増えるのでそれを使ってしまおう、と家族に提案。当初、欧州には妻と子供たち、私はマダガスカルと決めていたが、妻が行かなくなったので、私が欧州に行くことになった。
 欧州ならどこでもいいと(私だけが思っていたらしい。実際は、ロンドン、パリと提案したが私が聞き耳を持たなかったと主張)いうことなので、私が一番行きたいベニスを中心に旅程を組んだ(というより、組んでもらった)。アリタリア航空でミラノ直行便を利用し、帰りはローマから。少なくともベニスに2泊したい、後は適当に。日程は、格安の飛行機代が安くなる20日か21日以降、30日は朝から日本にいる、を条件にだした。
 同僚がよく使っている原宿の「エールボヤージ」という欧州が強い旅行代理店に日程の作成を依頼した。
 作ってきたのが、パリ・トランジットでベニスへ飛行機で行くというものだった。ベニスへ飛行機でいけるとは考えていなかったので、パリ・トランジットを了承してしまった。(後述するが、やはり直行便がよい。ミラノへは日系の直行便もあるし・・・)考えるまでもなく、同社は、AFの代理店なのでAFを使いたいということを理解しておくべきたっだ。
(結果論だが、席は3時間前にチェックインしたので、12ABCとエコノミーの席では前から3番目というよい位置をキープできた。)

旅の楽しみの大部分を放棄!? 旅行の準備をしなかった?

 子供のパスポートを取りに池袋のサンシャインビルへいった。1週間後に交付された。早い。
 難点は、住所確認の葉書が住民票の住所地に送るということだった。実は、まだ住んでいないので受け取れないのだ。急遽、郵便ポストを購入して、改装前の家の入り口に取り付けた。取り付けた翌日に見に行ったら、返戻になるところだった。申し込んだその日に投函され、翌日配達にきたようである。申し込んだ翌日に取り付けたので、あと1日の違いで返戻扱いで、パスポートを受け取れなくなるところだった。まずは、第一関門を突破。
 それからは、何も準備をしなかった。というより、余裕がなかった。出発3日前に、地球の歩き方を読み始めて、地図だけコピーして子供たちに渡す。子供たちも何もしていなかった。(ベニスでガイドさんも準備のなさにあきれていた。)
 今回の旅行は、時間を買ったような感じだ。準備のなさは、ガイドさんに補填していただく、と割り切る。
 準備期間中の楽しさは格別であるが、今回は浸っていなかった。何分にも退職後のあわただしさと、開業の準備等で旅行の準備をしているという、心の余裕がなかった。できれば準備にも時間をかけ、旅に行く前に楽しみ、旅行を楽しみ、そして帰ってから旅行を回想して楽しむのが何よりだ。

タクシーが来ない!無線タクシーのいい加減さ!

 昨日から西日本に台風が接近している。一日中雨だ。そこで、日暮里まで当然タクシーで行くことになる。
 午後3時半過ぎに無線タクシーに時間指定で予約しようとしたら、必要な時間の10分かっら15分前に電話してほしい、といわれた。そこで、4時15分過ぎに電話したら、そちらへ行く車はないと、のたまった。はじめからそこへ行く車はないと言ってもらえばいいのに!流しのタクシーを待っていたが、都内の僻地にあるため、来ない。スカイライナーにiモードで子供が予約してくれたので(自分ではできなかった)、15分前に日暮里に行かないと行けない。あせって、駅まであるいていくとこにした。少し歩いていると、忘れ物に気が付いた。ジャケットを忘れていたので戻る。(このジャケットもローマのホテルに忘れてきた!)
 疲れた。先が思いやられる。スーツケースは空なのに重い。

スカイライナーがいちばん!

 日暮里には5時前に着いてしまった。出発まで30分待つことになる。高校生で語学留学する人たちがいた。通常の特急に乗車したようだ。偉い、とは、思うが私は、少なくとも海外旅行の時はスカイライナーと決めている。普通車とは違うからだ。

しかし、スカイライナーは人気がない!

 定時に到着して乗車した。ガラガラだ。予約する必要がなかったようだが仕方がない。しかし、出発するとほっとする。成田まで停まらないからだ。
 やっと日常性から離れられる。考えると、この一月は忙しかった。原稿書きももっとゆとりがあるはずが、責任者の大学教授からの督促と同僚の進行状態を知ると、だんだんあせって、締め切り前の一週間は、毎日朝から深夜まで机の前にいてしまった。疲れた。といって、それ以外の用件も締め切りがだんだん迫ってくるので、旅行中も気を許せない。現に、パソコンを持ってきたのも、旅行中にビデオでつくる「国際課税」の台本の作成を急がされているためである。酒が飲めなくてよかった。毎日1-2時間程度は執筆できるだろう。とにかく、スカイライナーに乗って一安心だ。

エアーフランス(AF)は、すごい! 3時間前にチェックイン

 午後9時55分の出発なのに、6時30分に成田に着いてしまった。午後6時代のスカイライナーはない?、とiモードで見ていたら表示されたのを信じて、遅いより早いほうがいいというのでそうなってしまった。
 場所を確認する意味であエールフランスのカウンターのところへ行ったら、チェックイン中とあった。係員に確認すると、そのとおりというので、さすが出発前30分添乗のAFと感心。窓口には当然だれも並んでいないので、綺麗な係員とゆっくり話しながら手続きをすることができた。子供は、パリ・ドゴール空港でのトランジットの時に、使うためのコーヒー券を貰って大喜び。
(私は、事前に旅行代理店から、このチケットにはコーヒー券が付いていた、と断言していた。付けなかったら係員に文句を言ってくれといわれていた、が成田でその券をくれるとは思わなかった。後述、結局使えなかった。)

荷物はベニスまで?

 欧州の空港でトランジット等で預けるとたちの悪い空港職員にバックを破られるという情報を信じていた私は、当然、手荷物で飛行機に持ち込む予定でいたが、時間の関係等(主に、バックを貸してくれる持ち主が現れたので、無理に購入するのも・・・金がないと言っている手前、あるものを購入しずらくなってしまった。)でスーツケースを買わなかったので、大型のスーツケースで行くことになり、やむなく預けることになった。恐ろしい預け荷物である。
 さらに、驚いたことには、ベニスまでそのまま運んでいただけることになった。あとは運任せである。荷物がどこかへ行ったといった記事はたくさんあるが、自分たちの分も・・・。子供たちは、「パスポート、クレジットカード、そして現金」があれば大丈夫とお題目を唱えて全然心配していない。預けたものは仕方がないが・・・・中々あきらめきれないでいる。
 入国審査は、パリでするとのことであった。(後日、同僚に確認すると、日本のパスポートだとフリーパスで、入国印など押さないといわれた。私たちは、押してもらった。)イタリアへはフランスの国内と同じ扱いとのことであった。そうすると、入国審査を済ませた後、トランジットの間は、荷物を預けることもなく、コーヒーを飲むだけということになる。

成田の食事は高い

 イタリアへ行くので、出発前のスパゲッテイはいやだ。そこでラーメンにしたが、最低でも850円である。定食にすると1300円程度になる。街中なら700円台だ。
 これからは、コンビニで購入したおにぎり持参にするか。

ビジネスラウンジに入る。

 JCBのゴールドカードに変更した。一度は使ってみようと思っていた。隣のビルとあったが、実際は、食事エリアの隣にあった。同伴者は、一人1050円だ。高いかどうかは入ったことがないのでわからない。
 入ってみると、先客が一組だけ。休憩所に、セルフのソフトドリンクが置いてあるだけである。救いは、電源があることだ。そこでパソコンを使いこれを書いている。旅先では、書けるかどうかわからないからだ。時間が経つとすぐ忘れるし、海外旅行用の変圧器が使えるかもわからないからである。一人で時間をつぶすにはいいところのようだ。
 同伴者の1050円は高い!自分だけなら、タダなので使わないと損だ。今度は第2ターミナルの場所も確認しておこう。

英字新聞が読み放題だ!

 搭乗前のテーブルの上に英字新聞が残っていた。Wall Street Journalと Financial Timesだ。英字新聞を日本語程度に読める訳はないが、単語を拾い読みするだけでも楽しい。なんとなく世界が広がる気分だからだ。知っている会社の親会社の記事がいくつかでていた。調査で会ったそれらの人たちはどうしているのか心配になってきた。英字新聞を読んでいると、日本の比重が理解できてくる。Koizumi, Fujitsuなどが載っていたが、野村のヨーロッパの社長が野村を離れて、東欧を基点に活動を始めたとあった。東西の壁が崩壊後の東欧で、野村が辣腕を振るっていたのが推測できる記事であった。

機内食に大騒ぎ。

 洋食を食べるはずだったが、席の関係でなくなっており、和食になった。それでも、機内食がはじめての子供たちは大喜びだった。
 パリ到着1時間前ほどに朝食が出たが、眠っていないにもかかわらずゆっくり味わっていた。パリからベニスでも、また、朝食がでたが、平らげてしまった。また、太りそうだ!

第2日目(8月22日)

CDA(シャルル・ドゴール空港)は、だだ広い。コーヒーを飲みそこなう。

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 トランジットがはじめての私は、シャルル・ドゴール空港(CDG)でかなり緊張していた。
 そこで、乗り換えの場所へ早く行くことを考え、かつ、欧州での入国審査がパリで行われるので、時間がかかってもよいように先へ先へ進んでしまった。子供が、途中で、「コーヒー券をお持ちの方はこちら!」のカードを見たよ、と言い出したときは、到着のF1のターミナルを出て、同じビルの続きのF2の出発棟の方へいってしまったあとだった。インフォメーションで「TJjカフェ」はどこかと聞いたところ、もう、戻れないので使えないという返事。
 まだ6時前なので、人がいない。F2の出発カウンターの前である。

手荷物検査は6時に始まった。

 成田で貰ったコーヒー券の文面では、カフェテリアは6時まで使えますと書いてあった。それをを逆読みして、6時までは、空港内の施設はどこも動いていない、と考えるべきだった。結局6時までは、ベンチで待機していた。
 フランス人の子供(2歳ぐらいか)が私たちの方へ何回か歩いてきた。物珍しそうに見ているので手を振ると、ニコッとした。我が家の子供たちにも、「このくらいの時は可愛かった」と言ったら、無視された。

ベニス行きの表示の前で。

 搭乗ゲートまでたどり着いた。少し安心なので、荷物を足の間において1時間あまり仮眠。少し疲れが取れた気分。ここはフランスなので、買い物はフランかドルでないとできない?変に1万円札をフランに変えても、お茶だけ飲みたいだけなのでフランが余ってしまう。結局。出発まで我慢。ベニス行きの飛行機では、コーヒーをお代わりしてしまった。子供は紅茶のお代わりをしてしまった。
 パリからベニスへは1時間に1本程度出ているようだ。

搭乗前に太陽がでてきた!

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 搭乗ゲートの前に待っていたら、陽が昇ってきた。陸地からでてくるのを見るのは久しぶり。日本一周のとき北陸・福井の武雄近くで見て以来だ。
 日の出を写したのですが、わかりますか。写真中央にボーとした部分が日の出です。飛行場で太陽が昇るのを見るのは、不思議な気分です。

ゲートが変わって大騒ぎ?F33の表示。ここからベニスにいくはずだった。

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 F33のゲートの入り口で午前6時から待機していた。7時20分過ぎにトイレから戻ったら、私の子供以外誰もいなかった。怪訝な顔をしていたら、親切な日本人(成田から一緒と思われる。同じように待っていた。成田−ベニスは私たちとこの家族らだけだった。)からゲートがF31に変わりましたよ、と指摘していただいた。海外では同胞のありがたさに感謝。
 空港のアナンスが聞き取れない以上、積極的に聞かないとだめだ。ここでボーディングカードのチェック。成田でチェックインになっているので、ボーディングカードだけをを出したら、やっとここで、チケットを出せと言われて、慌ててカバンから取り出す。(しかし、EUへの入国カードを記載して出せ、といわれ、パリへの到着前に慌てて機中で書いたカードはどこでも受け取ってもらえなかった。?)
 後から飛行機に乗ろうとしたら、遠くから渋滞が見えた。こんなところで列を作るなんて、と思っていたら、空港の職員が走って、「downstairs!」と叫んでいたが、だれも動かない。下を見るとバスが待っていた。何人かが歩き始めたので付いていって、バスにのる。エールフランスは、ここがハブなのに、バスでのるのか、とおもっていたが、結局、ベニスに行くのはバス1台分だけであった。
 もう、これでは、荷物は定刻に届かないなとあきらめはじめる。子供は、成田のAFの職員が大丈夫ですよ、と言っていたのを信じるしかないよ、と大人の発言。
 それというのも、トランジットに加えて、当初、F33のゲートがF31に変更。そして、ゲートの先に繋がっていた飛行機も整備中。結局バスであいている飛行機まで行ったのであるが、その間30分もないのである。間に合わないと思うのも当然ではないか。

無事に荷物も到着。

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 無事に体だけはベニスに到着した。北イタリアのアルプスの山々を見ながら、ベニスに向かう。空港の近くでベニスの遠景が見えた。モーターボートが走行するための杭が見えた。着陸は、乱暴だ。急カーブを切って空港前に。バスで空港へ。何も言われないので、荷物が出てくるところで待つ。CDGでパスポートに入国の印を押してもらって以外、提示だけ。(子連れの日本人なので安全パイなのかも知れない。)
 スーツケースが出てきた! 感無量である。AFは偉いと思ってしまった。欧州もまんざらではないと思う。両替を5万円だけした。10万円両替するといったら、旅行代理店では5万で大丈夫と言われたが心配性の私は、中間をとって8万円にしようとしたが、手が5万円を出していたようだ。16.6と交換レートを示している。
 そして、ガイドさんとも無事ご対面。そして、水上タクシーでホテルへ。150000リラだ。(ガイドさんによると、1000リラで60円程度ではないかとのこと。表示の6%を基準にする。)
 次の水上バスまで1時間あまり待ち、かつ、時間がかかる。料金の差は4000円ですというので、タクシーでいくことになった。ベニスにタクシーがあると言うので、陸の方へ歩こうとしたら、方向が逆と言われた。そこは、モーターボートの列だ。こんなところで、モーターボートに乗れるとは思わなかった。子供は大喜び。ここでガイドと少し打ち合わせ。ホテルの近くで降ろされた。150000リラだ。9000円か?高いか安いかはわからない。イタリアではガイドに任せると決めていたので、言われたとおり承諾して、支払った。

水上タクシーから、ベニスのマルコポーロ空港を写す

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 マルコポーロ空港は、日本の地方空港の趣き。熊本空港程度か。私たちの後から到着したのは、ニースからであった。リゾートから観光名所へ。この組は、人が多かった。われわれの3倍以上いた。

ここが有名なリアルト橋だ

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 三ツ星といわれたホテルに荷物を置く。
 万博の時、大阪の心斎橋付近の古いホテル?へ泊まったときを思い出した。狭いのに値段が高い。欧州が初めてのため、すこし、ショックだ。アジアでこの値段ならかなり広い部屋のはずだ。
 1番の水上バスに乗って、リアルト橋のたもとで降りる。バスは満員の状況。フィレンツェへ行くためにベニスの駅まで行けるか心配だ。さすが、ベニスの中心に位置しているので、ベニスの銀座のたたづまい。人が多いと思ったが、普段はもっと多いと言われた。ここらの街中を案内してもらうことになる。
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 リアルト橋の上で。

ベニスの市場へ向かう。どこかわからない!

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ベニスの町中の黄色い看板が、道路標識。リアルト橋方向、とかサンマルコ広場方向とか、との意味のようだ。ベニスでは、このような表示が、よくでているので、これをヒントに歩くと迷子にならないと、いわれた。

聖フラノ教会

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 大きい。中に、「聖マリア天使昇天」の絵画が正面に飾ってあった。ここには、カサノバの墓もあった。
 イタリアでは、女性はその家系の墓に入れないので、教会に埋葬することが多い。グレースケリーもそうだった、といわれた。教会の中に、「ここに埋められたのですよ」と言われる石では、その上は歩けない気持ちだ。

路地裏

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 ベニスは観光地なので、世界各国からの観光客が多い。若いアベックも多い。路地裏探索をしていると、さすがに日本人には会わない。ツアーでは、サンマルコ広場を中心にみて、そして、ガラス工場へ案内されて半日観光が終わりのようだ。もったいない。やはり、二泊にして正解だったと思う。歩きながら、イタリアでの観光の注意などの指摘をうける。

広場。

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 映画祭も行われる?

果物屋の船だ。

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 この船の左あたりが、キャサリンヘップバーンの「慕情」で、彼女が運河に落ちたところ、と説明されたが・・・・・慕情は、イタリアとは知っていたがベニスとは思っていなかった。帰って、ゆっくりビデオを見たいものだ。
 ここへ来る前に、アイスクリームを食べた。イタリアンジェラートと同種のものだ。シングルで120円だが、日本に比べて明らかに量が多い。ガイドさんは、食べるのが早い。そのことを指摘したら、ここでガイドさんからも指摘。
アイスを舐めているの、と言われた。当然だと思ってる3人は、いつもと同じようにゆっくり味わっていたが、三人とものんびりしているのが理解できた。やはり親子だ。

アルカディア橋

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 遠くの橋が、アルカディア橋である。近くにアルカディア美術館があるようだ。

ベニスのブランドショップ街へ

 ベニスのブランドショップは、サンマルコ広場の手前にある。ほとんどのブランドショップがあるようだが、一部しか私は知らない。
 旅行に来なかった子供のために、ブランド品を購入した。日本より1万安い。そんなものかなと思ってJCBカードを恐る恐る出す。さすが、ブランドショップだ。当然のようにJCBでOKだ。街中を歩いていると、カードの中にJCBが入っていない店が多い。ガイドさんがイタリア語で交渉してくれたが、日本人が入ってくると流暢な日本語を話すではないか!ガイドさんから税金が還付されますよ!と言われて、ハッとしてしまった。調査では、欧州のVAT(付加価値税)がポイントの一つなのは理解していたが、自分の旅行と関係があるとは思わなかった。

近くの店でVATが還付?!

 購入したブランドショップの美人の店員の話では、近くに還付の代理店があり、その場で還付金を受け取れるとの説明があった。行ってみようということになった。
 結果、約25%の手数料を取られて、還付金を受け取ることができた。疑問は、クレジットカードにまたサインをさせられたことだ!すこし不安になっているが、変な請求が来たら、すぐ、クレジット会社に連絡しよう。

喫茶店が安い!

 疲れたので、近くのコーヒーショップへ入る。フレッシュジュース二つ、エスプレッソ、ガス付きの水とミネラルを頼んで、13000リラだ。900円程度だ。ただし、クーラーは利いていない。
 ガイドはここまで。ホテルに戻って、一服。

気が付いたら9時過ぎだった!これから夕食?

 シャワーを浴びて一服のつもりが、気がついたら夜の9時だった。イタリアの夜は遅い、ということを信じてサンマルコ広場の方へ行く。
 途中で、路上にテーブルを出している店があったので店内に入る。待てどもウェーターが来ない。レジの女性があきれて、drink or eatというので、eatと答える。簡単でいい。前菜とスパゲッテイを頼む。食が進まない。3人で50000リラ。
 サンマルコ広場では、クラッシックの生演奏をしながら食事をしている人たちが多かった。