タイ
カオプラウィハーン(カンボジア名:ブレア・ビビア)遺跡
プレア・ビヒア(タイ名:カオ・プラ・ウィハーン)周辺の領有権紛争地帯でタイ軍兵士がカンボジア領に侵入したとされ(タイ側は否定、越境を認める=カンボジア領と認めることになりますから当然ですね)、両国が数百人規模の兵士を配備して緊張感が高まっています。
これを受けて昨日シーサケート県知事は、観光客の安全上の問題を考慮し、同国立公園の一時的な閉鎖を命じています。
(出典:20年7月18日 今日のタイネタ)
タイ カオプラウィハーン(カンボジア名:ブレア・ビビア)遺跡
2005年の夏、タイのイサーン地方をクメール遺跡を中心に回った。そのとき、タイ在住の友人からのアドバイスを得て、カオプラウィハーン遺跡を見た。バンコクからは非常に遠い。
通常は、バンコク→ウボンラチャタニー(ウボン)まで飛行機で行き、車を確保して、現地へ。バンコクからだと、飛行機を使えば日帰りが可能か?
私は、バンコクから、車と運転手を確保して、長期間の休暇がとれないので、イサーン半周の旅へ。
バンコク→コンケン(泊)→バンチアン(世界遺産、見れなかった)→ガラシン(ローカルのFM放送局見学)→ロイエット(タイで一番高い立像見学、泊)→(シーサケット)→カオプラウィハーンへ行った。(→スリン(泊)→(ピマイ等のクメール遺跡)→コラート(泊)→バンコクで日本へ帰った。)
その時の写真を掲載します。現在は、かなり変わっているものと思います。
ちなみに、当時は、カンボジアからの同遺跡へのルートがなく、タイからのみ入ることができました。
なお、遺跡の周りは、地雷の撤去が済んでいないので、進入禁止となっており、日本からのNPOが地雷撤去の作業に従事していました。(御苦労さまです。)
シーサケット経由で、タイの国立公園へ。カオプラウィハーン公園(タイ名)
公園の入り口で入園料を払います。
駐車場です。左手のお土産屋等で、帰りに昼食を食べました。タイ料理だけですので、魚料理やトムヤンクン等を腹いっぱい食べて、これでいいのか、という金額です。
まず、タイ側の公園に入っていきます。
この柵の下に、壁に彫られた仏像があります。向こうは、当然、カンボジア平野です。
記念碑。読めません。(聞くのを忘れました。)公園のスタッフが指さしているところに、「壁に彫られた仏像があるぞ」、とでも言っているのかな?
この丘が、カンボジア領にあるカオプラウィハーンです。タイ人は、タイサイドの方(壁に彫られた仏像?)の方がいいと、主張しているようですが、判断は、皆さんにお任せします。
これが、タイ側の名所です。壁に彫られた仏像です。(たぶん、残っているのはこれだけです。)
アップです。(私は、5分程度で、次に移りました。)
これから、カンボジア領へ入ります。「安全です。」といわれながら、ビザなしで大丈夫かな、とソロソロとついていきました。この道路の周りは、進入禁止です。ドクロマークが目立ちます! 怖い!
たぶん、地雷撤去しているNPOの事務所か?
たぶん、ここで、カンボジア側へ入国するための入園料を支払った?かな。
やっと、入口へ着きました! 思えば遠くへ来たもんだ! 看板には、プレア・ビヒア寺院とあり、どこにも、カオプラウィハーンとは書いてない。何? 階段だけ?と、ガイドさんに文句! 黙って、上れ!と。
雨上がりなので、非常に蒸し暑い。そして、滑りやすい!なんで、こんなところへ来たんだろう!
何? カンボジア国旗です。
上から見たところ。よく登って来たもんだ。
登り口と反対側。これで、有名な遺跡は終わり?と、ひとり、むっとしていた。
XXもオダテリャすぐ登る! 落ちたら怖いので、私は自重。
何!先があるの? ハイ、とガイド。(あの階段を上った後に、広い台地があるのもだ!)何もないのは、タイとの争い?か、たぶん、内戦の後のためのようです。戦争になると、遺跡もなにも考慮できなくなってします。恐ろしいものです。
やっと、次の建物跡に着きました。
よく、こんな危ないというか、壊れそうなところへの入場を許すものだ、と感心。しかし、どうやって上がっていくのだろうか?(だまっていると、地元の子供たちが、かってに、道筋を示してくれる。ただし、後で、心付けが必要?)
前の建物の、うしろです。
カンボジア国旗が見えますか。思えば遠くへ来たものだ!
二番目の建物跡の後ろへ回ると、まだ、道が残っていた。奥の院へ。こんなに、土産物屋がでているが、なかなか、買いたいものがない、のが問題。
やっと、奥の院へ到着? この子供は、入口のところから勝手に道案内してくれました。(最後は、絵葉書を買えと、業者に変身。)
奥の院の後ろは、カンボジアの平野というか、ジャングルです。
ここが、この遺跡の終わり? この先へ行こうにも、地雷だらけのようで、カンボジアサイドから、ここへ来る観光用の道はなかった。たぶん、この平野の先に、アンコールワットがあるようだが、方向は、よくわからない。
よく見ると、道路と集落があります。この遺跡の観光には、じっくり見ていると、最低2時間程度は必要ではないでしょうか。帰りは、階段等で滑らないように注意しながら、くたくたになって、タイサイドの駐車場に戻った。
昼食をとったら、当日は、それ以外の名所を回る気力はおきなかった。とにかく、夏の雨上がりの蒸し暑い中の観光は、非常に疲れます。
できたら、乾季(11月から1月ごろ)をお勧めします。