天津への研修講師の旅

 1998年11月に研修講師をしたことをまとめたものです。

 研修生全体の集合写真は、研修の初日(月曜日)に全員で撮影したものです。この写真がないと、本当に行ったかどうか確認できる物証がありません。どんな研修生がいるか眺めてください。名前は教えてもらっていません。

 あとは、写真にコメントをつける形で説明しています。

 研修センターは、北京空港から天津へ向かって2時間弱、天津の手前で天津市の中の武清市の郊外にあります。日中戦争ドラマの行軍の中にでてくるような場所です。周りにはなにもないところです。

集合写真

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 前列右から五人目、高山の左がセンターの所長、所長の左隣の二人は講師。私の右隣が通訳の二人(長春からきている)。後はすべて研修生(らしい)。

教室とゲストハウス

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 左側の建物が教室棟である。その2階に研修室がある。実は、同じ2階にはビリヤード室、カラオケ室がある。1階は、この研修センターのスタッフの事務所と居室になっている。カラオケ室で飲むのは、お酒ではなく、ひたすらお茶だけである。カラオケは、中国語と英語のものだけである。日本の演歌が中国語で流れてくると、ジャパニーズソングといって、歌えというので、歌詞はわからないが、適当な日本語を発してごまかしていた。英語の歌で歌えるのも2,3有るが、英語の歌の時は、米国人のキャサリンや英国人のギャミーが率先して歌っていた。彼らはカラオケにほとんど接したことが無いようであったが、面白いといって歌うことを止めなかった。右手の建物の2階が講師の宿泊に当てられている。
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 他のアングルから、手前がゲストハウス、その向こうが教室棟。これらの後ろに幹線道路がある。見渡すかぎり学校や工場が見えないが、朝夕自転車やバイクでの通勤、通学者が沢山見えた。中国は広い。
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 教室内。前から研修生達をみている。講師席から撮影。最前列には、休憩中なので在席していないが、通常は、中国の国税局の人間がいて、講師への質問や講師からの問に応じていた。やる気満々で、敵対心を剥き出しにしていた。英語での授業であるが、それを中国語に直したところでの講義なので、途中で、英語のわかる研修生(当然中国の国税局で留学帰り組?)が、中国語への翻訳が適切でないと思ったらしく、時折、英語で質問や回答をしていた。翻訳の2人は、自称専門家といっているが、金融関係の背景の知識が乏しいらしく、時折、チンプンカンナ質問がきて、ティムやギャミーはわかってるのかと英語で質問していたが、当然、通訳からは無視されているだろうと思った。この種の研修の難しさが感じられる。この程度の研修であれば、講師を全員日本人で固めることもできるのであるから、日本語の通訳をつけてもらって、日本主導の研修をしたらいいのにと感じた。そうすると、日本の国際社会への貢献の機会が増えるはずである。現状では、英語はできても専門知識のあるひとは少なく、専門知識があって英語ができるひとは多忙で、この種報酬の安い研修には参加してもらえない。国税の中には、専門知識のある人が多いが、私達の年代で、片言でも英語での表現力をもった人はほとんどいないからである。私程度の英語力でも、貴重な存在となっているからである。
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 教室内。講師たちを教室の後ろから撮影。高山は、講師たち4人の中で、右から2番目の席にいた。講師席で立っている二人のうち、左がギャミー、右がティムのはずである。
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 ゲストルームの入り口。右側が入り口である。左がクローゼット。パソコンを持ち込んだが、実際の教室では使わなかった。
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 ゲストルーム。入口から撮影。水が置いてあり、冷水と温水が飲める。その後ろに冷蔵庫があり、その中には中国産のビールが入っていたが飲まなかった。毎日果物が用意されていたが、面倒なので食べなかった。専ら、インスタントのコーヒーを飲んでいたが、砂糖入りであった。コーヒー中毒の私は、無糖のものを依頼したが、無かった。慣れれば、コーヒーを飲んでいる気になるものである。左の台の上にはアイロンがあるが、当然使わなかった。結局のこのソファーに座った記憶がないまま終わってしまった。電話が無く、廊下の公衆電話使わなければならない。公衆電話から国際電話の使い方がわからないので、日本へは連絡できなかった。
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 寝室。テレビが置いてあるが、中国語である。米国人のキャサリンは中国語なので見なかったといっていたが、音がないと寂しいので、ほとんど点けっぱなしにしていた。1日に1時間程度英語に切り替わるとホッとしてみていた。中国語の放送であっても、画面が映っているので、なんとなく意味が取れるし、面白いものである。
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 お風呂です。ウリは、温泉だそうです。スタッフの女性が、温泉ですと自身満々に説明していました。実際は、鉱泉です。石油の匂いが強くて、中々頭を洗えなかった。他の講師に、臭くないかといっても同意が得られなかった。入ってみれば、匂いを忘れてしまいます。ここ天津あたりで、温泉といえば、この石油臭い鉱泉をさすようです。日本のような温泉天国に住んでいる幸福を感じました。
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 浴室の一部です。この浴室は広い。写真に写っていませんが、排水に難のある豪華な便器もついてます。

北京国際税務研修センター

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 センターの入り口です。立派です。周囲の風景と異質なのが驚きです。初日に、空港から案内されたとき、段々田舎になってくるので、不安になってしまった。こんなへき地、天津から50キロぐらい、武清市(人口25万人)からも30分ぐらい、に研修センターがあるのが不思議。
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 温泉ホテル。Hot Spring Hotelと書いてあります。センターの入り口を入って左側にあります。この正面で研修生全員と集合写真を撮りました。研修生が泊まっているところです。チラッと覗いてみると、普通のビジネスホテルのような作りのようです。二人部屋のようです。cacherがあり、最終日の前日夜には研修生が清算していたようなので、日本での研修センターのように無料ではなく、研修生の派遣先から支給されたお金で、別々に支払っているようです。ここの1階にある宴会場?で歓迎会と送別会を開催していただきました。
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 何だと思いますか?室内プールとボーリング場が入っている建物です。プールは、まだ稼動していませんが、ボーリング場は稼動していました。1ゲーム日本円で450円程度。3カ国対抗戦いをしました。1回目は、私の圧勝。最終日に再戦したが、返り討ちにしてやった。ティムとギャミーは、初心者で、ほとんどスペアすらとれない。私は昔とった杵柄をだしてしまった。しかし、150程度のスコア。ちなみにボーリングは、現地の人には高いらしく、最終日は閉店間際を、改めて電気を入れさせて開始させるという豪華さ。当然、他に客はいない。
 このボーリング場は、近く、一般公開する予定だとか、われわれの滞在中は、われわれ研修スタッフと研修生だけが客。その為に臨時に雇われたという職員とカラオケで話してしまった。
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 センター内にある小高い築地からの眺め。手前の池は、何に使っているかわかりますか。釣堀です。センターのパンフレットにこの池で研修生が大勢魚釣りをしている写真が掲載されていました。しかし、11月の研修期間、釣っている人を見かけませんでした。
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 築地からの眺めです。左の建物がボーリングセンターです。釣堀の真中へも渡っていけます。
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 右の建設中の建物は、体育館のようです。左の小屋には、家畜がいました。センターの周囲には何もないのがわかります。
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 ここも建築中。遠くに家並みが見えます。
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 センター内の築地です。上ってみると、このあたりが一望できます。税金の研修センターとこんな築地の関連がわかりませんが、中国式なのでしょう。
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 築地からの眺め。ボウリングセンターです。
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 釣堀のほとりから研修生棟を見たところです。真中の柱は、照明です。大変明るいです。
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 隣りの建物です。覗いてみましたが、どんな家なのかわかりません。

北京、万里の長城

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 紫禁城?各人が案内器をもって、自国語で案内を聞いた。その間一時間余り日本語に戻った。久しぶりの日本語だ!長城は続くよどこまでも。
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 中国人の団体が遠くの方から歩いてきました。根性がないので、このあたりで、ハイチーズ!
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 何をしているのだ!浮かれている?
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 どこまで続くのかわからないヨ!これから歩くというグループがいた。われわれは、来た時に乗ったロープウェイで帰るぞ!
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 売店もあるでよ!日本でもお土産はほとんど買わないのでここでも買わない。
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 こちらからも長城は続くよどこまでも。