第五話「数学か?さもなくばカレー屋か?」
子供の頃、受験勉強のために数学の問題を解きながら、ふと思ったことがある。
「こんなこと勉強して、将来なんの役に立つのだろうか?」と。
数学が大嫌いという訳ではなかったが、(たしか物理は苦手だったけど)何のために、こんな問題を解くのか意味が分からなかったのである。普通に生活するのに、三角関数や微積分が絶対に必要とは思えなかった。受験戦争を勝ち抜いて、少しでも偏差値の高い学校に入って、一流といわれる優良企業に就職すれば、人生はバラ色に輝く、、とも、思えなかった。やがて、気がつけば、大学は数学とは無縁の学科に進んでいた。
あれから何年かの月日が流れて、もちろん日常生活で数学を使うことも無く、平穏無事に暮らしていた私の身の上に、ある日突然、数学との劇的再会の時がやってきた。大学院生活も早くも2週間目を迎え、1週目のオリエンテーション的なものとは異なり講義内容が、(あたりまえのことであるが)断りもなしに急激に難しくなっていた。
月曜日Discrete
Systems(離散数学)、火曜日Image Processing & Recognition(画像処理・認識)、木曜日Algorithms and
data
structures(アルゴリズムとデータ構造)は、基本の理論は数学で構成され、演習で出される課題は、数学を解く問題が多かった。そのうち、夜中の2時過ぎまで、数学を解かなくてはいけないありさまとなった。といっても、数学の内容自体は、おそらく高校生レベルで十分理解できるはずなのだが、深い眠りについていたであろう過去の記憶は、そう簡単によみがえらない。
sin(サイン)・cos(コサイン)、log(ログ)、スカラー、マトリックス、√(ルート)みんな懐かしい名前だけど、どう使うんだったか、さっぱり覚えていないのである。
大学で数学科だったという、わずかな人を除き、周囲の人も同様に苦しんでいた。高校生の数学の教科書をどこからか探してきて、問題を解き始めた人もいた。その一方で「私は高校2年から数学をやっていない文系だから、今更無理だわ」と早々に諦めた人もいた。ともかく苦しかった。天災と数学は、忘れた頃にやってくる。
さらに追い討ちをかけるかのように、数学ができないのであればコンピュータ産業に従事するのは無理だから、いまから修行してカレー屋になった方が良いのでは?と勧める人が現れた。それは、インド人は「掛け算九九」を100の位まで暗記しているのは本当かという、講義の中での話題だった。100の位までの掛け算の暗記が本当に必要かどうかは別にして、シリコンバレーで成功しているのは中国系かインド系が多いこと、インドのソフトウエア産業が私たちの想像以上に発展していることをみれば、複雑な計算は数学が得意なインド人に任せて、数学が苦手な日本人は日本のソフトウエア会社で働く。インド人のためにカレー屋を開業した方が確実に儲かるのではないかと言うのだ。「確かに、それは一理ある。」と不覚にもうなずいた。(カレー屋になるのも、結構大変だと思うが、、、)ここ(大学院)まで来たのは、なにもカレー屋になるためではない。
プラトンが創設したアカデメイアの扉には、「数学の知識なきもの入るべからず」という文字が刻まれていたという。実は、この教室の扉にも、目には見えない文字で、そう書かれていたのかもしれない。その後、私は「数学を勉強して、なんの役に立つのだろうか?」という積年の疑問を解き明かすヒントを、ついに発見することになる。
(2002年8月)